第193話 水の壁から
大量の魔物が湧いてくる層を抜けて、次にやってきたその場所は薄暗かった。
幅五メートル、高さ十メートルの空間で、床と天井はリノリウムのようなツルリとした素材でできており、双方等間隔に細長い蛍光灯の様な光る横線が入り、それが周囲を薄く照らしていた。
その天井と床はひたすら真っ直ぐ先へと延びて、終わりが全く見えない。
そして次に横を見れば、そこは水の壁があった。
解析をかけてこの水がどういうものなのか確かめてみると、深海とほぼ同様の高い水圧がかかった空間になっているようだった。
なので試しに薄く延ばした鉄の箱を造って水の壁の中へと放りこめば、ベコッと一瞬で潰れて水底へと消えていった。
「壁の中に入るのは避けた方が良いな」
「水の檻だねこりゃ」
確かに生身でここへ入ってしまえば、ジャンヌの《超硬化外皮》形体くらいしか耐えられない。
そうして次に既にカルディナが探査を開始しているので、そっちは水魔法の魔力を放出して制御は任せ、竜郎自身は《精霊眼》で見渡してみる。
「水の方は結構魔物が潜んでるが、この床の上で見える範囲には何もいないな──って、さっそく来たな」
「どっち?」
「あっちだ」「ピュィ!」
竜郎とカルディナが同時に後ろに振り返り、斜め後ろを指と嘴で指示した。
その方角へ皆が向いて、直ぐに戦闘態勢を整えた。
「無属性の魔法系スキルを持ってる。物理系もあるが、魔法の色の方が濃いな」
「魔法系かあ、じゃあ私はちょっと下がった方が良いかな」
「そうだな、ジャンヌは《魔力減退粒子》を自身の周りに散布して前についてくれ」
「ヒヒーーン!」
ジャンヌは勇んで《魔力減退粒子》を《超硬化外皮》で硬くなった皮膚の周りに纏わせ、魔法攻撃による防御も固めた。
するとちょうど向こうも、こちらにかなり接近してきていた。
その魔物は細長い黒い棒きれに、巨大な鉤爪のついた腕を持つアンバランスな形態をしていた。
それが向かって左の水壁から、その太く大きな腕で水を掻きながら泳いでやってきて、一番近くにいたジャンヌに向かって飛び出してきた。
そしてその立派な鉤爪をジャンヌの体に引っ掻けて、飛び出した勢いのままに反対方向の水の壁の中へと持っていこうとする。
けれどジャンヌは見た目からも解るように、このメンバー一番の重量級。
そう簡単に持っていけるわけもなく、その場で踏ん張るジャンヌに逆に勢いを殺され地べたに落ちた。
「ブルルルッ!」
そのままジャンヌは鉤爪のついた腕を踏みつぶそうと、前足を上げて背中をそらした。
しかし、ずっと見ていた竜郎の目が魔力の発現を認識したその瞬間、魔法が発現していた。
「速いっ」
その魔法は、魔力で造った見えない手。
それを三十本もだして手を伸ばし、二十九本でジャンヌの踏み付けをギリギリ押し留め、残り一本をこの場で一番軽そうな奈々に伸ばしてきた。
竜郎の《精霊眼》で見た魔力視の光景を言葉で知らせるより早いと愛衣に心象伝達で伝えると、すぐに理解して奈々の前に気力の黒い盾を展開してくれた。
すると普通の目には何もないはずなのに、奈々の目の前で何かが弾かれるような音がした。
そしてそれに皆が気を取られている間に魔物は分が悪いと思ったのか、早々に立ち去ろうと魔法で造った腕で今も踏みつぶそうとしているジャンヌを押さえながら、自前の手で地面を掻いて水の壁へと逃げ込もうとした。
「甘い!」「ピィ!」
だがその頃には解析が終り、竜郎とカルディナのアンチ魔法が完成した。
その途端ジャンヌの前足を押さえていた三十本の腕が消え去ると、そのまま重力に従って本物の腕を踏みつぶした。
「─────」
「もう一匹来るぞ。ジャンヌ、そいつはいいから仕留めてくれっ」
「ヒヒンッ!」
ジャンヌは二、三度踏みつぶして仕留めると、また別の個体が飛び出してきた。そしてさらに三匹右から、左からは五匹もこちらに向かってきていた。
まず一匹は飛び出してきたところを愛衣の盾で受け止め、待ち構えていたリアが金槌で殴って床へ叩きつける。
そして、そこを奈々が竜牙の《かみつき》で止めをさした。
それからアテナは左の水の壁の前に立ち、《真体化》して竜装を纏うと放電しながら大鎌を構えた。
そして飛び出してきた瞬間、魔物に向かって雷撃を浴びせながら三匹を切り裂き、二体は愛衣がモーニングスターで軽めに叩いて瀕死に追いやり、奈々が毒魔法で昏睡させた。
さらに右側の三体に対しては、ジャンヌと竜郎で相手をした。
その結果、二体は捕え、一体はジャンヌの角に切り裂かれて死んだ。
「これで、周囲には今のところいなさそうだな。それじゃあ、カルディナ、警戒を頼んだ。おれはこいつらからSPを貰うから」
「ピュイ」
そうして竜郎は《レベルイーター》をその魔物に当てて、スキルレベルを頂いていく。
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レベル:40
スキル:《引っ掻く Lv.3》《魔手 Lv.7》《高速泳ぎ Lv.3》
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(魔法系寄りってのはそうなんだろうが、《魔手》って魔法系だけど物理系みたいなスキルだったな。あまり《精霊眼》の色を当てにして、魔法系だとか決めつけない方がいいかもしれない)
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レベル:40
スキル:《引っ掻く Lv.0》《魔手 Lv.0》《高速泳ぎ Lv.0》
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そんな考察を懐きながら竜郎は他の三体からもスキルレベルを吸収し、計(164)のSPを入手することができた。
と、《レベルイーター》を使い終わって二体ずつを奈々とアテナが止めをさしている時、愛衣が竜郎に話しかけてきた。
「さっきトゲトゲ棒を使った時に、棒術がLv.10になって称号も覚えたよ。
これで私のスキルレベル10になる条件が、はっきりしたかも」
「それじゃあ、やっぱり?」
「うん。まずは取得した順じゃないと取れないってのは、間違ってなかったみたい」
「まずはってことは、まだあったんすか?」
今までそれじゃないかと言っていた情報なので、それ以外にもあったということにアテナが興味深げに問いかけてきた。
それに良い質問だ──とでも言わんばかりに、愛衣は人差し指を立ててニヤリと笑った。
「そうだね。今までの考察通り、ただ順番通りに使えばいいってわけじゃなかったんだよ。
その他に10レベルになれるスキルの、派生スキルも取らないとなれないんだと思う。
現に《棒術》の派生スキルの、《危機感知》を覚えた途端あがったし」
「そうなると、次は《投擲》を10にしなきゃいけないのか。それの派生スキルってなんなんだ?」
体術の《空中飛び》、棒術の《危機感知》、弓術の《遠見》に盾術の《受け流し》といった風に、それぞれのスキルにはレベル5以上で覚えられるようになる派生スキルがある。
であるのなら《投擲》にも勿論あるということなので、竜郎はどんなスキルが覚えられるのかと色々想像を膨らませながら問いかけた。
愛衣はその問いに両の人差し指でこめかみに小さな円を描きながら、頭の中の情報を攫って投擲の関連書物の情報を思い出してみた。
「えーと……、確か《軌道修正》だね。投げた後にスキルレベル分の回数、任意の方向へ軌道を変えられるってやつ」
「それ、すごく便利そうなスキルですね」
「でも、それってどうやったら覚えられるんですの? やろうと思って、軌道は変えられませんの」
「まがれ~って念じて、できるもんでも無いだろうしなあ」
しかしこの世界なら有りなのかと、竜郎は愛衣が念力を使おうとしている姿を想像していると、それは直ぐに否定された。
「カーブの投球練習で覚えられるみたいだよ」
「野球かよっ。そんなんでいいんだな……」
「うん。投げ方の練習方法も本に書いてあったからばっちりだよ!
暇な時にキャッチャーよろしくね。たつろー」
「……ああ、任せといてくれ」
竜郎は当たっても痛くない素材のボールを造ろうと、決意したのだった。
そうして愛衣のスキルについて解ったところで、両脇の水の壁から現れる魔物を退け前に向かって進んでいく。
すると、今度は別の魔物の接近を確認した。
だがこちらはかなり速度が遅く、のんびりとこちらを狙って泳いできていた。
「このまま、延々と付きまとわれるのも面倒だ。ここで迎え撃とう」
「今度は、どんな奴なの?」
「大きさは三メートルほどで、動きは今のところ鈍いな。フォルムは全体的に丸っこい感じか」
「三メートルって、デッカイねー」
「ジャンヌおねーさまのほうが、おっきいですの!」
「ふふっ、そうだね」
「ヒヒーン」
姉を自慢するかのように言った言葉に、愛衣は笑いながら奈々の頭とジャンヌの横腹を撫でた。
そんな風に余裕を持ちつつも、しっかりと準備を整えマイペースにこちらにやってくる魔物を待つこと十分。
ようやくそれは現れた。
「あれって……。まさか」
「ビッグピポリン!」
「確かに似てますけど、少し違う気もしますの」
そこへ現れたのは、体長三メートルのフグのようなフォルムで全体的に丸く、口はドーナツ型で大きく愛嬌のある二つの目、腹部にはカニのような足が四本生えていた。
と、ここまでは竜郎達が以前博士の依頼を受けて捕まえてきた、ピポリンに瓜二つではあった。
しかしこちらは前に見たピポリンと違い、硬そうなガノイン鱗どころか鱗自体持ち合わせておらず、柔らかそうな皮膚をむき出しにしていた。
足も体の割合からみれば滝壺のピポリンよりも長く、先端は刃物のように鈍く光っている。
「あっちは川に適応した亜種で、こちらが本物のピポリンなのかもしれませんよ」
「そうなの? あっちの方が可愛かったかもー」
などと言っている間にも竜郎たちのすぐ目の前までやってくると、その長い四本のカニ足を、稲刈りでもするかのようにこちらに向かって薙いできた。
「その足貰った!」「ヒヒーーン」「はあっ」
しかしその四本のカニ足は愛衣の宝石剣に一本、軍荼利明王の手の平から出した二本の気力の槍先に一本、ジャンヌの角に一本、アテナの大鎌に一本と、四本すべてを切り落とされてしまった。
だが痛覚がないのか特に驚いた様子もなく、今度はドーナツ型の大きな口を開いた。
その時、竜郎の《精霊眼》による魔力視に水魔法系統の魔力が収束しだしたのを感じ取った。
「魔法が来る。愛衣は盾を展開して、ジャンヌたちと一緒に後ろに少し下がってくれ!」
「解った」「ヒヒン」「了解っす」
直ぐに愛衣は気力の盾を展開しながらジャンヌたちと共に後ろに下がっていくと、ビッグピポリンも魔法を完成させたようだった。
ビッグピポリンは口先をにゅうっと水の壁から出すと、どろっとした水を噴射し始めた。
しかしそれは、愛衣の盾に当たって地面へと流れていった。
その水自体にはなんの危険性も無いことが解析魔法の結果わかったのだが、それはヌメヌメしており、床にまともに立っていられないほど滑るようになってしまった。
「カルディナ、アンチ魔法だ」
「ピュィーー」
これではまともに立ち回れないと、竜郎は急いで解析し終わったその魔法の解除を行った。
しかしヌルヌルは無くなってくれたものの、今度は糊のようにべた付いて足にくっつき、またまたまともに動けなくなってしまった。
「タツロウさん。さっきの魔法はただ水を散布していただけで、ヌルヌルとベタベタは《特殊粘液生成》と呼ばれるスキルで造られたモノです!
水に触れれば潤滑油のようになり、水が抜けると接着剤のようになる粘液で、それを先ほどの水魔法に混ぜていただけのようです」
「魔法じゃないのかっ」
などと言っている間に先ほど切り落としたはずの四本の足がいつの間にか復活しており、愛衣の盾を破ろうとそれでガンガンと叩いていた。
これは完全に作戦ミスだと竜郎は今後のために反省しつつ、二つ赤い光球を生み出して盾の外へと躍りだすと、強力なレーザーで四本の足を焼き切った。
そしてさらに、今度は樹魔法で造りだした植物の蔦でこちら側へと引っ張っていく。
けれど向こうもなかなか力が強く、水の無いこちら側に引っ張りだせない。
なので今度は引っ張るのではなく、植物の蔦の先端を尖らせ注射針のようにビッグピポリンの内部へと侵入。
そして内側に根を張るように広がっていき、やがて骨が動かないように巻き付きへし折っていった。
けれどこれにも痛みを感じていないのか、ピクリともしないで受け入れていた。
だがもう動くことはできなくなったようで、簡単にこちらに引きずり出すことに成功したのであった。