第17話 恐怖
「じゃあ作戦開始!」
そう言った時にはすでに愛衣は駆けだしていた。
(ごめんね、たつろー)
強引に決めてしまったことに罪悪感を覚えたが、すぐに気持ちを切り替え《身体強化 Lv.6》を発動し、そしてさらに気力の出力を上げていく。
《スキル 身体強化 Lv.7 を取得しました。》
《スキル 身体強化 Lv.8 を取得しました。》
(っとこれ以上は振り回されそうっ)
体の動きや感覚が鋭敏になりすぎて、当の愛衣自身が制御できなくなりそうになる。
なので、ここで出力上昇を止め、次に竜郎に直してもらった石槍を《身体強化 Lv.8》の力をめいっぱい使って黄金水晶の熊に投げつけた。
常人なら目で追えぬ速さで迫る槍に、黄金水晶の熊は身を丸め水晶で防御の体勢に入った。
ガシャーーーーン
まるで、トラック同士が全速力で衝突したのかと思わせるような轟音が響いた。
石槍は黄金水晶に阻まれ粉々に砕け散ってしまったが、衝撃までは殺せなかったようで、無傷ながらも巨体が後方にすっ飛んでいった。
「──ふう」
そこで息を吐いて《身体強化 Lv.6》まで気力を抑えると、今度はこちらに向かってくるもう一匹の青水晶の熊に視線を向け、指にクナイを挟んで体術の構えをとった。
「そうそう、こっちへおいで」
煽るようにクナイを一本投げつけると、手の甲に付いた水晶で薙ぎ払いながら突進してくる。愛衣はそれに対し避けようともせずに、クナイを補充し突っ込んでいった。
「はあああああっ」「グルオォーーーーーーーー」
二つの叫び声を響かせながら、青水晶の熊はぶつかる直前に首を丸め頭の後ろの水晶をぶつけて突き刺す───予定だった。
しかし、頭を丸める一瞬前にさらに加速した愛衣が迫り、水晶の生えてない顎を思いきり蹴り上げられた。
「ガアッ!?」
突然の衝撃に頭を揺らされた青水晶の熊は、衝撃で仰け反ったまま棒立ちになった。
「てりゃああああっ」
その隙に、首に向かって飛び蹴りをかまして喉を潰し、手に持ったクナイを両目に刺して視界を潰し、ついでとばかりに落下の途中で、また顎に回し蹴りをお見舞いした。
《スキル 剣術 Lv.1 を取得しました。》
「ヒューーーヒューヒュー」
回し蹴りで横倒しにされた熊は喉を潰され声すらあげられず、血を吐きながらもフラフラとその身を起こそうとする。
それに愛衣はさらなる追撃を加えようとしたが、そうは問屋が卸ろさなかった。
「グオオオオオオーーーーーーン」
後方に飛ばされた黄金水晶の熊が、愛衣のそばまで既に迫ってきていたからだ。
「ちっ」
愛衣は追いつきざまに放たれた黄金水晶の熊の右爪を躱し、左爪が来る前に一度後ろへと下がった。
「もうちょっとあっちで遊んでくれてても良かったのに。意外と仲間思いの熊なのね」
「グルオオォ」
明らかに怒っている黄金水晶の熊は、なんてことないと話しかけてくる愛衣に、さらに機嫌をナナメにしていく。
「たつろーには引き付けとくって言ったけど、できれば一匹は倒しておきたいんだよね。
邪魔だからそこどいてくれない?」
「グルルオオオオオオォーーーーー」
「やっぱりだめか──っぶな」
位置をずらした愛衣の横を爪の斬撃が通り過ぎていく。
それは黄金水晶の熊の叫び声に気を取られた瞬間、いつの間にか立ち上がっていた青水晶の熊が、《爪襲撃》を撃ち放ってきたのだ。
一瞬早く気付いた愛衣は何とか躱して、クナイを青水晶の熊に向かって投げる。
「グオオオオーーーーー」
しかしそれは黄金水晶の熊に阻まれ、その間にも青水晶の熊は次の攻撃のために腕を上げている。
「なんとか引き離さないと面倒だね、こりゃ……」
そう言いながら爪の斬撃を躱して観察する。
(うーん、なんか飛ばす分だけしか気力を使ってない?)
その間にも黄金水晶の熊がこちらに爪をお見舞いしてくる。それを躱すとすぐに逆手の爪が迫る二段構え、近接スキルだけでも十分に脅威となる存在だ。
さらに青水晶の方も音と匂いを頼りに、存外的確に《爪襲撃》を固定砲台のように放ってくる。
この二匹の連携がうまく嵌ってしまって、なかなか手をだせない。
なら、と愛衣は考える。
二匹いたら大変なら、一匹にすればいいじゃない、と。
「それができないからこその今の状況では?」普通ならこう考えてしまうところだが、あいにく愛衣は本気でそう考えている。今ダメなら、次に進めばいいと。
「いくよ……」
愛衣は爪と斬撃を器用に躱しながら一度気合を入れると、扱いにくいからという理由で抑えていた《身体強化》のレベルを上げていく。
《スキル 身体強化 Lv.9 を取得しました。》
そのアナウンスと共に反撃を開始した。まず、今の愛衣の状態は高速移動する乗り物を操縦している感じと言えば解るだろうか、少し向きを変えようとしただけであらぬ方向に行ってしまう、そんな感覚に近かった。だから、行動をできるだけシンプルにする。
愛衣は、身を低くして黄金水晶の熊の右爪を躱し、そのスピードを持ってあえて左爪がくる直前に、右斜めに地面すれすれで飛び、左爪を頭上で躱して黄金水晶の熊の壁を抜ける。
そうしたらすぐに地面を蹴って青水晶の熊の方に真っ直ぐ突っ込み、懐を思いっきり蹴り上げた。
熊は二匹とも突然の速度上昇に対応できず、今何が起こり愛衣がどこにいるのかさえ解っていなかった。そんな熊の内の一体、青水晶の熊は気付いたらうつ伏せに宙を舞っていた。そして自分の腹が落ちるであろう場所には、さっきまで自分のボスが止めていたはずの少女が立っていた。
もう混乱どころではなく、この青水晶の熊は思考を完全に放棄してしまった。
その頃愛衣は蹴り上げた熊の下で、刹那の間考えていた。
(この絶好のチャンスをモノにしない手はない。
けど、本気で蹴った蹴りでも仕留めきれなかった。
あと何度か攻撃を加えればいけそうだけど、そうなるともう一匹が邪魔をしてくるはず。
だとすると後一撃で仕留めたい。何かもっと威力のある攻撃手段はないかな)
そこまで考えた時に浮かんだのは、《爪襲撃》だった。
(ああいうのができないかな。
手の気力だけを放つんじゃなくて、手だけに気力を発動させればいけるかな。
でも、手だけになんてやったことない。
できたところで最初の一回で成功できるとは思えない……──あれ?
別に放出する必要も、手だけに気力を発動する必要もなくない?
今体を覆ってる気力全部を拳に集めて、直接殴ればいいじゃない!)
そこでようやく黄金水晶の熊はこちらを振り向いた。だが、脳筋愛衣はもう止められない。
「はあああああああああーーーーーー」
叫び声と共に体を覆っている膨大な気力を、右の拳に全て集める。そして青水晶の熊が射程圏内まで落ちてきた瞬間、その拳を突き上げた。
「りゃああああああああぁーーーーーー」
「───ゴボッ」
その気力の塊と言ってもいい拳は腹の皮を突き破り、ろっ骨をへし折り、衝撃で内臓を消し飛ばした。
ブシャッ
そんな音を立てながら、愛衣の体に赤黒い血のシャワーが降り注いだ。
《『レベル:20』になりました。》
《スキル 体術 Lv.6 を取得しました。》
「後一匹」
だが愛衣はその血を拭うことなく、黄金水晶の熊を睨んだ。
すぐに追撃が来るであろうと思っていたからだ。
「グルゥ……」
しかし、黄金水晶の熊はそれができなかった。
この熊は今まで生まれながらの王として熊達を従え、刃向うものは皆殺しにしてきた。
自分に勝てる者は無く、この森林の頂点であると思い生きてきたのだ。
しかし、今初めてこの熊は新たな感情を知った────恐怖という感情を。