第143話 毛玉
ピポリン。
本来海の、それも深海に生息する魔物で、淡水の川になどいる筈のない存在である。
もし誰かが深海からピポリンを捕獲してきて、川に放流したとする。けれど魔物という普通の生物の上位に位置する存在だとしても、生息は困難である。
そして今回竜郎達に博士が言った内容は、そんないない可能性の方が高い魔物を連れてくる、それも生け捕りでと無理難題ここに極まれりといった感じであった。
「そのピプリンって魔物って、巷じゃいないって言われてるじゃない。いないのをどうやって連れて来いっていうの?」
「ピプリンではなく、ピポリンだ。巷の連中が何を言っていたとしても、ピプ──ピポリンはあそこにいる」
「そうは言いますが、僕ら以外の冒険者の方々も大勢捕まえに行ったと聞きました。
ですが、誰も見ていないんですよ? そう言うからには、博士には確固たる確証があるのですか?」
「ある。僕は二十年前に、一度目撃した」
「見間違えって事は?」
「ない。実際その時ピポリンは脱皮の最中で、その皮は今も僕が保管している」
博士がここで嘘を言う理由もないと、竜郎は取りあえず博士が見たという所は事実として話を進めることにした。
「では、そこにいたとしましょう。ですが、二十年も前じゃさすがに別の所に行ってしまっているのでは?」
「それは無いはずだ。君たちは、ナツェート滝というものをどこまで知っている?」
「正直、何も知りません」「全然知らなーい」
「そうか、なら説明しよう。ナツェート滝というのはだな───」
そうして博士の、ナツェート滝講座が急遽開講されたのだった。
曰く。落差は200メートルを超える大きな滝で、上には普通の川が流れ下に水を落とし、その下にまた川が出来ている。と、ここまでは大きな普通の滝といった所である。
しかし普通とは違う特徴があり、この滝の水が落ちる滝壺付近半径十メートル程の場所には穴が空いており、底なしとまで言われる程の深さが奥へと広がっているという。その深さは、現時点では計測不能で解っていないらしい。
到底滝の力だけであけられるような深さの穴ではない為、研究者の間では色々な説が流れているが、その訳もはっきりとは解っていない。
なので、ミステリースポットとしても少し有名なのだそうだ。
「だからこそ、その滝壺周辺に限っては疑似的に深海と同じような環境が作られているんだ。
だが、そこから出ればただの川。深さはどんなにあっても、二メートルやそこらで長くは生きられない。
つまりは、どうやってそこにたどり着けたのかは解らんが、今現在天然の牢獄にピポリンは捕らわれているといっても過言ではないのだ」
「しかし深さというか、水圧の問題を解決できたとしても、海水に生きる物が淡水で生きる事などできないのでは?
それに来れたという事は、出ていくことも出来ないとは限りませんし」
他の冒険者達の間ではいないと言われている事が解っている魔物を探しに行くのに、自分の確認不足のせいで愛衣やカルディナ達に無駄足を踏ませるわけにはいかない。そんな責任感から、竜郎は何か一つでもいいので確固たる確証が欲しかった。
だがそれが博士にとってはじれったかったのか、回りくどいと感じて頬杖を突いて機嫌を斜めにしていた。
「まったく、ああ言えばこういう奴だな。確かにいたと言っているだろう。
そもそも僕は植物が専門なんだ、他の者より多少知識があるつもりではいるが、それ以外の生物のことなどそこまで知らんのだ。
だが、あれは完全に淡水に適応していたとしか見えなかった」
「僕から言わせて貰うと、そこもおかしくないですか?
高い水圧下でしか生きられないと言っているのに、なぜ博士は見ることが出来たんですか?」
「ピポリンは、数分間なら地上に出ることができる魔物なんだ。
だが地上に出るのは脱皮をする時だけで、上に上昇することであえて体を膨らませ、古くなった皮を破るという方法を取っているらしい。
僕は偶然その瞬間に立ち会えたからこそ、皮を入手できたのだ」
「なら、その時を待って捕まえてみるのが一番早い気がしますが」
「脱皮の周期は五十年から百年とばらつきがある上に、最低でも後三十年はかかるんだぞ? さすがに、そんなに待っていられる余裕はないんだ…」
確固たる確証とは言えないものの、確かに脱皮の話が本当なら博士が絶対に見られないという事は無いだろう。
そこで竜郎は、今まで会話してきた博士からの情報や真剣な感情をもう一度思い返してみた。その様子から見ても、自分の伝えられる限りは説明してくれたのだと思う。
なのでこれ以上問いかけた所で確証は得ることはできないのだろうと、竜郎は自分を納得させた。
となると、後は依頼を受けるか否かである。
昨日から米の事ばかり話していたせいか、竜郎も愛衣も無性に食べたくなってはいた。
『受けるだけ受けてみれば? 別に無駄足踏んだって、私は構わないよ』
『まあ実際に行ってみて、いるなら捕まえて、いないなら諦めて次の町に行けばいいのか』
愛衣のあっけらかんとした意見に、そこで自分があれこれ難しく考えすぎていただけだったのかもしれないと、肩の荷を少し下ろした。
『うんうん。それにその滝ってのも見てみたいし!』
『愛衣はもう、観光の方が目的になってそうだな。
だが、落差200メートルの滝とかそうそうお目にかかれるもんじゃないし、異世界絶景巡りの旅だと思って行けば無駄足でもない……かな?』
目を閉じて考えるふりをしながら愛衣と念話で相談を終えた竜郎は、閉じた瞼を開けて博士を見た。
「解りました。絶対に連れてくると確約は出来ませんが、やるだけやってみようと思います」
「そうかそうか。じゃあ、頼んだぞ! 僕は君たちに渡すものをしっかりと用意しておこう」
「お願いします。何か、捕まえる時に気を付けておいた方が良いことってありますか?」
「気を付けておくことか……。とにかく深い水の中にいるだろうから、何かしら対策を取っておいた方が良いだろうな。
後はそっちで考えてくれ、あくまで僕の専門は植物なんだから」
そう言われてしまえばそうだと思う反面、愛衣は根底にあった疑問を問わずにはいられなくなっていた。
「そういえば、何でその植物の博士さんが魔物を欲しがっているの?」
「それを教える必要があるとは思えないが?」
「うー、そう言われるとそうだけど……」
「なら、これで話は終わりだな。僕もそろそろ研究に戻りたいんだ。
次はピポリンを捕まえるなりしたら、訪ねてきてくれ」
竜郎達は、急に対応が冷たくなった博士に半ば追い出されるようにして家を出ていった。
とりあえずまだ昼には早いので、滝の正確な位置を確かめるため、適当に座れそうなベンチを探し二人並んで座ると、システムを起動してマップ機能とヘルプ機能を合わせて使い検索してみることにした。
「えーと、この町をでて~っと……………………ん、ガイドとか雇わなくてもいけそうだな」
「どのくらいの距離があるの?」
「そんなに遠くないぞ? 馬車で行くと、ちょっと自然豊かな所を通る必要があるから徒歩になるみたいだが、それでも一日あればつけるはずだ」
「ならジャンヌちゃんに頼めばもっと早く移動できるから、往復で二日もあればピプリン探しも含めてできるかな」
「ピプリンだったか? まあそれはどうでもいいとして、空路を選べばもっと早いが目立つし、探検の末に秘境の滝を発見ってのもプチ冒険で楽しいかもな」
「まあ、アウトドアなレジャーを楽しむと思えば、今回の依頼も楽しんでやれそうだしね」
買い物には昨日行っているので、調味料や生活用品などの消耗品の補充は万全だ。
ということで、二人は早めの昼食を食べた後、早速ナツェート滝に向かう事に決めたのだった。
そうと決まれば行動は早く、二人は既に町の外に出て人通りのない所で既にポケットで待機していたカルディナ以外のジャンヌと奈々を呼んだ。
そしてジャンヌを犀車に繋がせてもらった後は、二人はいつもの御者席に乗り込み、カルディナは《成体化》すると共に飛んでいって天板の指定席へ、奈々はジャンヌの背中に乗って、一同すっかりお馴染みになった定位置に付いたのを確認し、本格的な移動を開始した。
時に前にいる馬車や人々を追い抜いたり、反対側からやってくる者達と何度かすれ違いながら、さほど速度を緩めることなく進んでいくと、滝へ向かうために石畳から外れた道を通り始めなければいけないポイントに近づいてきた。
「ジャンヌ、少し速度を緩めてくれ! もう少しで道を外れる!」
「ヒヒーーン」
事前に道から外れることは伝えてあったため、ジャンヌは直ぐにスピードを落とし始めた。
そうして緩んでいく速度の中で、滝へ行く人の為に置かれたままになっている目印の大岩が置いてあるはずなので、それを竜郎は愛衣と二人で探し始めた。
「あっ、あれじゃない?」
「ん? ──みたいだな。奈々、あっちの方角にある大岩を越えたら、すぐに左へ曲がる様に指示を出してあげてくれ」
「えーーーと、あったですの。わかったですの!」
ジャンヌには安全のためにもしっかりと前を見ていてもらいたかったので、その背にのる奈々に岩の位置を伝達しておいた。
するとやがて、さらに減速していき無理なくジャンヌは緩やかに弧を描きながら左へ曲がって行った。
そこからは綺麗に並べられた石畳の道から外れ、ただの地面を走り出したため揺れが多少増したが、それは新調した座椅子がしっかりとカバーしてくれ、さほど問題も無く進んでいった。
そんな風に時間が過ぎていき、やがて日暮れ前に差し掛かった頃。車では通行不可能な、自然生い茂る森林地帯にたどり着いた。
「ここからは徒歩で移動だが、今日はもう日が落ちてくるから夜は野宿して、明日の朝に出発しよう」
「はーい」「ピューイ」「ヒヒン」「ですのー」
ということで竜郎達は、森林地帯から少し距離置いた場所に犀車を止めて、少し早いが夕食の準備をしつつ、《アイテムボックス》にいれた植物の育成度合いのチェックも同時進行で行い新たな果物を三種入手した。
なので野菜を少しと保存食を少し、肉をガッツリといったメニューの締めに、その果物はデザートとして二人で美味しく頂いた。
「このブドウみたいな果物、味はミカンだったね。おいしーけど、変な感じ」
「こっちの桃みたいのは、俺達の知ってる桃より少し苦いが味は似てたな」
「このサクランボみたいのは、ブルーベリーみたいな味がして一番好きかも」
「うーん、これだけコンスタンスに果物が取れるなら、はちみつ漬けとかドライフルーツを作ってみるのもいいかもな」
「なにそれ、おいしそう!」
思っていた以上に愛衣の目が輝きだしたので、今度挑戦してみようと竜郎は思ったのだった。
そうしてこの日は、新たな食材の利用方法を話しながら夜が更けていった。
日が昇ってそれほど時間が経っていない時分、竜郎と愛衣は既に朝食も食べ終わり、睡眠も十分とれたので気合十分で森林地帯に足を踏み入れていった。
ちなみにジャンヌだけはその巨体では森林に立ち並ぶ木々を倒していかなければ通れない為、《幼体化》して小サイの状態で先頭を歩いていた。
森林地帯と言っても、人が通ったり獣が歩いたりして出来た道が滝まで伸びているので、今まで竜郎達が見てきた森と違い鬱蒼とした場所を抜けるというほどでもなく、どちらかといえば森林浴をするのに最適な空間だった。
朝の少し冷えた空気と森の新鮮な空気が混じったような、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながらどんどん進んでいくと、入って十分もしないうちに何か生き物の反応をカルディナが捉えた。
「これは……魔物じゃない?」
「ピュィイー、ピッピッピュー」
「おそらく只の動物ではないか。と、カルディナおねーさまが言ってます」
「通訳ありがとう、奈々。やっぱ動物か、道理で魔力の反応が一ミリもないと思った」
「どんな動物なの? 可愛いのかな? 私的には森の中だし、リスとか見たいんだけど」
「あー……。残念ながら、そういう系じゃないと思う、どっちかというと犬とか狐系だと思う」
「──ほう。私、実はそっちもいけるので全然ウェルカムです」
「なら良かったよ」
竜郎は微笑みながら愛衣の頭を撫でていると、やがてその生き物たちが姿を見せてきた。
それは全身真緑色のぼうぼうの毛に覆われて全貌が全く分からない謎の毛玉で、大きさは中型犬ほどあり、四本の足先だけが地面すれすれの部分の毛先からチラチラと見えていた。
そしてそんな緑の毛玉が五体連なって一列に並び、竜郎達の存在に気付くや否や、その場に伏せて毬藻のように丸くなって動かなくなった。
「なに、あの毛玉ちゃん達は」
「あれは擬態のつもりなんだろうか……。逆に目立ってるぞ」
「どうしますの、おとーさま」
奈々にそう問いかけられた竜郎は、もう一度毛玉を見つめてから決断を下した。
「そっとしておいてやろう。こっちから何もしなければ、問題はないだろう」
「そうだね。ちょっとあの毛を刈り取って、どんな顔をしてるか見てみたい気もするけど、さすがに可哀そうだし」
「でも、あったかそうな毛ですの。冬場には最適かもしれませんの」
「た、確かにあったかそう……」
「やめたげてっ! あいつらだって、野生で頑張って生きてんだからっ!!」
話しているトーンがあまりにも本気っぽかったので、竜郎は慌てて愛衣と奈々の背を押して緑の毛玉たちから遠ざけていった。
結局何もせずにその場を後にした一行は、そのまま踏みしめられて草の生えていない道にそって歩いていくと、やがて川のせせらぎが耳に届いてきた。
程よい自然と、心地よい川の水音に心を癒されながら川辺を目指すと、なんとも澄み切った水が流れていた。
「おっ、見た事ない魚がいる。あれは食べられるかな」
「結構おっきいねー。今日の昼は魚の塩焼きとかいいんじゃない?」
「それは美味そうだ。この分なら上流にもいるだろうし、解析して食えるようなら何匹か後で捕まえよう」
「そん時は、私に任せておいて!」
「ああ、期待してるよ」
今日の昼飯の泳ぐ姿を見送って滝壺を目指し、いつだったかと同じように川辺にそって歩いて行く。
少し傾斜になってはいるものの、未だにハイキングコース並のお手軽な道にしか過ぎないので苦も無く揃って歩いていると、今度は魔物の反応をカルディナが感知した。
「今度は魔物か。数は一匹、大きさは一メートルくらいで、会ったことは無さそう。んで、反応的に強くもなさそう」
「それじゃあ、もう無視して行っちゃう?」
「いや、もう向こうもこっちを捕捉してるみたいだ。
ついてこられても面倒だから、ここで確実に倒していこう」
「はーい」
準備万端で川辺に横一列に並び、こちらに向かってきている未知の魔物を待ち受けた。
するとトトトトッという、軽やかに走る足音が森林に響いてきた。
竜郎たちは方角も位置も完璧に捉えているので、驚くことも無くその音に耳を傾けながらそれが見えるのを待った。
「ん? あれって……」
「どうした──って、あれさっきの動物……に似てるが違うぞ」
「なんだ。なら心置きなくやれるね」
竜郎達の目に映ったのは、先ほどあった緑の毛玉動物が丸まった時の姿に瓜二つだが、こちらは毬藻に太い鳥の足を二本くっつけたような魔物だった。
どうやら先ほどの動物たちは、周りの森林に溶け込むためにあんな事をしたのではなく、この魔物に擬態することで、この森林内を生き抜いていたのだと竜郎は理解した。
そんなことを考えている間にも、大分接近をされていた。
そしてその魔物は、竜郎達から距離が五メートル程まできた瞬間、毬藻の体に横一線の切れ目が出来たかと思えば、その中にはノコギリの様な歯が付いた大きな口があり、それをパッカリと開けて真ん中にいた《幼体化》モードのジャンヌを飲み込もうと飛び掛かって来た。
しかしジャンヌは羽虫でも払うような感覚で、風魔法を使い強烈な向かい風を浴びせた。そして空中にいる魔物の勢いを完全に殺すと、落ちてくるポイントに先回りし、落下しきる前に前足二本を起点にして半回転しながら、華麗に後ろ足で小サイキックをかまして斜め上に蹴り飛ばした。
それを空にいたカルディナが空中でキャッチしたかと思えば、それを真下にぶん投げた。
そのままの勢いで地面にぶつかれば、この魔物はいくらフサフサの体毛に覆われていようとも、もれなく二目と見られない物体に早変わりしてしまうだろう。
しかしそれを待ち構えていた奈々が、《アイテムボックス》から出していた竜の牙二本で、その魔物が頭から落下しきる前に足をピンポイントで噛みついて刺し貫き、地面すれすれで宙づりの状態に押しとどめた。
牙で貫かれ、落下の勢いで縦に半分以上裂けてしまった足に激痛を覚え泡を吹いて、その魔物は気絶してしまった。
「容赦ねーなあ……」
「それは確かにそうだけど、私達も結構容赦ないじゃん」
「それもそっか。命のやり取りしてるんだし、こっちもガチでやらざるをえないんだよな」
そういいながら、竜郎たちは辛うじて生きている毛玉おばけの魔物に近づいて行くのであった。




