第107話 始動
領主の命令をこなすべく、リャダス騎士団の副団長である目の吊り上った狐の獣人ホアキンは、威勢よく歩き出す。
彼は領主の護衛は団長に全て任せると、応接室を出てすぐに部下を呼び寄せ、バートラムとその秘書を名乗っているグレゴリーがいる場所に急いで向かっていた。
「ようやく、あのバカの顔をぶん殴れる時が来たぞ!」
「副団長!? 不味いですよ! もっと小さな声で言って下さい」
「くくくっ、殴るなとは言わんのだな」
「……そりゃあ。我々も、色々ありましたから」
そうして後ろにいる部下たちをチラリと見れば、皆同じ様な顔をしていた。
そう、バートラムは兵など力だけの間抜け揃い、武器を手に取り戦うなど野蛮人だ。などなど、これらは一番聞くに堪えるものであり、もっとひどい言葉も幾つも投げかけられ誇りを汚されてきた。
そしてその馬鹿を将来領主に据えようと言っていた領主に、心底呆れ果てていた。
だが三女ロランスにより、その本性を暴かれ、外の冒険者たちがさらに悪漢どもとの繋がりまでも証明してくれた。
「あの冒険者たちには、今度酒でもおごってやりたいくらいだな」
「酒って、まだ早いのでは? 執務室に入る所をチラリと見ただけですが、見た目はかなり若かったですよ?」
「はっ、お前は自分の目しか信じねえから駄目なんだ。俺の鼻は強者を見抜く。
あいつらが見た目通りの年齢じゃあねえって事は御見通しさ。
十代やそこらで身に着くレベルじゃないはずだぜ」
「ええっ、そうなんですか!?」
そんな微妙に見当違いな事を話しながら、バートラムの顔を見ることが無くなると、この場にいる全員が逸る思いを静めて本城から少し離れた場所にある、バートラムが普段いる塔の前までやって来た。
そして連れてきた兵たちを、その塔の周りに配置すると、ホアキンは形式として口上を述べる。
「バートラム・リャダス・ブルーイット及び、その秘書グレゴリー・キャラハン。
両名には捕獲命令がブレンダン・リャダス・ブルーイット様の名のもとに下された!
大人しく投降せよ!!」
「…………………………何も、反応はありませんね」
「これも予測済みだ。大方中で震えているのだろう。
あと五分しても反応が無いようなら、アイツが言っていた通り野蛮な方法でいくぞ。
他の者にもそう伝えろ」
「「「はっ!」」」
伝令役の三人が、離れた場所にいる騎士たちにも連携を取れるよう情報を伝えに、塔を取り囲むそれぞれの担当の分隊に向かって行ったのだった。
一方、その塔の内部の地下室では、茶髪の長髪で、そこそこ顔立ちの整った青年が、丸い眼鏡をかけた四十代後半ほどで、几帳面に整った髭を生やした男に慌てた様子で話しかけていた。
「グレゴリー! こんなに早くばれてどうするつもりだ! 今外は取り囲まれてるぞ!?」
「安心なさってください、バートラム様。イヤルキが殺されてから、こうなることは予想できていましたから、事前に準備は整え終わっていますよ。
まったく、冒険者の一人も門で止められなかった町長殿は無能でしたな。
事が終わった暁には、私をその地位に置いては下さいませんか?」
「する! するとも! だから何とかしてくれ!
このまま捕まれば私は何処か辺境の地で一生軟禁生活で、お前は絶対に殺されるぞ!」
「ははっ、殺されるのは御免こうむりますよ。でしたら、この契約書にサインしていただけますね。
バートラム様が領主になられた際には、無能な現町長ではなく私を領主代理に据えて下さる様に」
「こんな時にサインだと!? 何を悠長な──ええいっ、貸せ!」
馬鹿息子でおなじみ領主の末の長男バートラム・リャダス・ブルーイットは、イヤルキ亡き今、領内に潜り込んだ盗賊達のトップに踊り立ったグレゴリー・キャラハンの手から契約書をもぎ取ると、乱暴に近くにあった机のペンを取りサインした。
「これでいいだろう!」と、グレゴリーに契約書をクシャッっと丸めて投げつけた。
それに対しグレゴリーの眉がピクリと動くが、にこやかに拾い、几帳面に広げて皺を伸ばしながらサインを確認した。
「確かに。これで契約はなされましたな。では、そろそろショータイムといきましょうか」
「ああ、何でもいいから早く姉上と父上を殺せ!
特に姉上の方だっ。あいつはいつも俺の邪魔をしてくれるからな!!」
「御意に」
そう言うと、グレゴリーとはたった数年の付き合いだが、それなりに共にした時間が長いバートラムでさえ見たことも無い、狂気すら孕んだ最高の笑顔を浮かべた。
その笑顔にバートラムが無意識に一歩後ろに下がると、それと入れ替わるようにやって来た猿の魔物五体がグレゴリーに頭を垂れた。
「我が道具たちよ。これを一番高い五つの塔の天辺に置いて来い」
「「「「「「キキィー」」」」」
グレゴリーの契約から送られてきた命令を忠実にこなすべく、丸い何かを手に持ちつつ兵たちの隙を見計らって、猿たちはこっそりと外に飛び出していった。
それを見届けたグレゴリーは、次に部屋の隅に置かれた五センチ程の小さな穴が無数に開いた大きな長方形の木箱の傍でしゃがむと、赤い液体の入った注射針をそこに突き入れて、中に入っている何かに注入していった。
「おいっ、何をしている!? 早くしないとっ──おいっ! 聞いているのか!」
「お静かに、バートラム様。その様では、世紀の瞬間を見逃してしまいますよ」
「何だと?」
世紀の瞬間という、大仰な言葉に首を傾げながら木箱に歩み寄っていくと、ミシミシッと音を立てて木箱に亀裂が入っていき、それは直ぐに形を成していく。
「くははははっ、やはり私は天才だ!!」
「おい……なんだこいつは……」
「さあ、バートラム様。こちらに、腹の下にいませんと潰されてしまいますからね」
「わ、わかった……」
そうしてその何かは、さらに体積を増していき、やがて十メートルまでその高さを伸ばすと、自分を覆う邪魔な建物を一気に薙ぎ払ったのだった。
ドガーーーーンッ。そんな音と共に建物が破壊され、その衝撃で瓦礫が四方八方に飛び散っていく。
「な、何だあれは!?」
「どこからあんな魔物が……。副団長っ、まずは離れましょう!」
鍛えられた騎士団の団員たちは瓦礫などでは傷一つ付かず、躱したりはたき落したりして身を守っていた。
だがその数秒後に、破壊の中心地から現れた魔物が、その場にいた全ての人間の目をくぎ付けにした。
その魔物の見た目はマンモスに近く、巨大な牙に、鋼鉄の様な硬い肌に長い鼻。しかし目はおでこの辺りに小さく三つ横に並んで閉じたものと、本来あるべき場所にある大きく見開かれた目の計五つも持ち合わせていた。
その生物は硬い鼻を振り回し、その衝撃で塔を完全に倒壊させると、一目散に領主たちのいる場所に走っていく。
そしてその背中には、二人の男が乗っていた。
「グレゴリー! すごいじゃないか! こんな玩具は見たことがないぞ!」
「ええ、そうでしょうとも。これは、今はもういないはずの魔物なのですから」
「──あれはバートラムにグレゴリーだ! 皆の者、逃がすなあああ!」
副団長ホアキンは耳ざとく声を聞き取り、目ざとく大型の魔物の背に乗る二人を見つけ、ほかの団員に指示を出し始めた。
それに団員達も怯えを出さず、勇敢に戦いを挑んでいくのであった。
そんなことが城の敷地内で繰り広げられていると伝令役から聞いた領主は、顔を真っ白にして頭を抱えた。
巨大な魔物が突然現れ暴れているうえに、こちらに向かってきているのと言うのだから大変な事である。
もうすべてを放棄して、娘に投げ出してしまいたくなるのを堪え、一人になった後ろにいる人物に直ぐに命令を下した。
「全軍を指揮し、魔物を打ち倒せ! もう息子たちの生死も問わん!」
「はっ!」
そうして騎士団団長が任を受け、すぐさま部屋から飛び出そうとした時、また別の伝達係が入ってきた。
「大変です! 城内にてデプリスが大量発生しています!
おそらくビプリスがどこかに潜んでいる模様です!
このままだと城内はおろか、町の方にも流れて行ってしまいます!」
「はあ!? なぜ急に」
それから出て行こうとしていた団長も立ち止まり、部屋に戻って窓から外を見渡せば、そこらじゅうに大型の蜂型魔物デプリスが飛び回っていた。
それを見てすぐに苦虫をかみ潰したような表情をし、部下たちにここの守りと女王蜂ビプリスの捜索、飛び回っているデプリスの討伐、暴れながらこちらに向かって来るマンモス型の魔物の相手と、四つに部隊を分散させて向かわせるように指揮していた。
『うわー。なんかもう、てんてこ舞いだね。だいじょぶかな?』
『だいじょばない、だろうな。全軍で一体の魔物に当たろうとしていたのに、分散させられて圧倒的に人手不足だろ。今解魔法で探っているが、デプリスだけでも俺達が相手した数の数倍はいるぞ』
『女王蜂がどこにいるかは解らないの?』
『デプリスの数が多すぎて、特定が難しい。大きさは違えど、同型の魔物だからな。結構反応が似てるんだよ』
『うへえ……』
ようやく終わりが見えてきたというのに、ここにきて盤面をひっくり返されでもしたら堪ったものではない。
苦労してこんな所までやって来たのだ、確実に勝利という結果が欲しい。
なので竜郎は、愛衣に提案する。
『なあ。お─』
『俺達も、行こうって言うんでしょ?』
『御見通しの様だな』
『あたぼうよ! 私はたつろーの彼女様なんだから!』
そうして二人で目と目を合わせて一度頷くと、領主に話しかけるために再び前に出た。
「あの」
「なんっ──いや、すまない。褒賞が心配なのは解るが後にしてくれないか、今それどころでは」
「いいえ、違います。俺達もデプリスの討伐の手伝いと、ビプリスの探索討伐。大型の魔物の討伐。
今言った全部をやらせてもらえませんか?」
「なに? その三つ全てを請け負うと? 大言もほどほどにしなさい。たった二人でどうやって」
「僕らは出来る事しかしません。大型の魔物は見ていないので、まだ何とも言えませんが、他の二つはなんとかできると思います」
そう言ったところで領主はこれ以上話す事はないと、聞く耳を持たない様子だった。
日本においても二人は若いと言える年齢だが、この世界においてはより童顔に見えるらしく子供の発言にしか聞こえないのだ。
しかしそこで、今まで黙って大人しくしていたギリアンが前に出てきた。
「領主様、恐れながら申し上げます。そちらの方々は、あの悪名高い人食い鬼のイヤルキを打ち取った者達です。それも、大勢の部下を従えた状態の。です」
「お前は確か、ギリアンとか言ったか。ふむ……、どう思うレジナルド?」
「はい。私の愚息は間の抜けた所はございますが、これがどうも人を見る目だけは小さな時分より持っておりました」
その言葉に領主は耳を傾けながら考え込むように目を瞑ると、すぐにまた見開いた。
「………………そうか。全部こなせなくとも、強力な戦力の増加と考えれば確かに……。
うむ、よかろう。君たちのできる範囲で動くがいい。
戦果によっては、さらに褒賞を積み上げることも約束する」
「ありがとうございます」
竜郎がそう言って頭を下げると、愛衣から念話が入ってきた。
『こっちがやる側なのに、ありがとうって変な感じ』
『まあ相手はお偉いさんだし、低姿勢で無難に答えといた方が揉め事も少なくていいだろ』
『そうだけどねー』
愛衣はどこか納得がいかない様な顔をしながらも、やることは変わらないのですぐに切り替える。
すると今度はマリッカが前に出て来た。
「わたしもヨルンと一緒に手伝います!」
「マリッカ、あなたは将来リャダスの町を背負う人間です。あまり、危ないことは……」
「大丈夫よ、ろ……大丈夫ですよ、ロランス様。デプリス程度では、うちのヨルンに近づくことも出来ません」
「その目は、もう何をいっても聞かない目ですね……。お父様」
「ああ、そちらも許可する。それに町の魔物退治をしたとなれば、さらに評判も上がるだろうて」
若干投げやりに、疲れたような表情で領主は許可を出した。
そうしてマリッカはデプリスの駆除に回る事に決まり、竜郎たちはエンニオを連れて外へと向かって行くのであった。




