2.転寝
「シェーナ様。 人間の戦士達がいよいよあの祭壇へ向かおうとしています」
「……そう。 貴方達は何もしなくていい…うまくあの場所にたどりつけるとも限らないから」
シェーナはその身体に不釣合いなほど大きな玉座に腰掛けたまま、転寝をしていた。 転寝とはいっても、睡眠を必要としない彼女はただ目を閉じて、人間でいうぼーっとしている状態だった。
また、常に身体に流れる膨大な魔力を使い、人間の住む世界を監視することは忘れていない。
指先で撫でると、つるりとした感触を返してくるこの黒曜石で造られた玉座は、魔王と呼ぶべき人物のためのものだ。 そして、シェーナは老いることなく何十年もの間、そこに君臨し続けている。
ふと彼女が視線を上げると、鋭い犬歯を覗かせながら笑う、吸血鬼の姿が見えた。
「何か用かしら、チェズ?」
「いいえ。 何だか珍しくぼんやりとなさっているな、と思いましてね」
「そう」
それだけ言うと、シェーナは黙ってしまった。 しかし、チェズ、と呼ばれた吸血鬼はくすくすと忍び笑いを漏らしている。
「それで、何を考えていたのです?」
「……貴方と出会ったときのことを思い出していただけよ」
「ああ……あのときですか。 何百年前のことでしたかね?」
「そんなに前ではないわ。 私がここに来たのは、何十年か前の話よ」
「そうですか」
魔族は基本的に長寿だ。 そのため、時間の感覚が希薄になっているらしい。
ため息をつくと、シェーナは再び目を閉じ、瞑想という名の監視に戻っていった。
***
『これは、夢の続きだわ』
目を覚ますと、辺りは一切の光がなく、完全な暗闇だった。 少しずつ目が慣れてくると、黒一色だと思われていた場所が、以前いた祭壇とそう変わらない造りをしていることが分かってきた。
雰囲気はまるで違う。 しかし、不思議と彼女は恐怖を抱くことはなかった。
『そう、あのときの夢。 初めて闇を身にまとったときの』
恐怖はないが、戸惑う過去の己の姿に、シェーナはくすりと笑みを漏らした。
その場に立ち上がると、まとわりついてくる深く濃い闇でさえ、シェーナの身体に馴染んでいく。
「……ここは…?」
「お待ちしておりました、我が王」
声の聞こえた方を向くと、闇を切り裂くように赤い髪の青年が現れた。 青年は犬歯が異常に発達しており、シェーナは人目で吸血鬼だと悟る。
だが、これでも彼女は恐怖を感じることはなかった。
「貴方は誰?」
「私は、吸血鬼チェズ。 魔を統べる王の帰還をお待ちしておりました」
「魔を、統べる王…魔王? 私が? そんなの間違いよ!」
まさか、と否定しながらも、シェーナの心臓は激しく鼓動を刻む。
「本当に? 本当にそう思っておられるのですか?」
チェズは、赤い目をすっと細めながら言った。 にこやかだった表情が急になくなる。
普通の人間ならば、その変容ぶりと魔力による重圧で身体中が震えただろうが、シェーナはそれらを一切感じることはなかった。 それどころか、彼女の唇にはいつの間にか薄く笑みさえ浮かんでいたのだ。
「……どうやら、わかっていただけたようですね」
「…ふふ…っはは…!! そうね、どうやら貴方の言うとおりみたい」
自嘲気味に、しかし大きな声で笑うシェーナを見て、チェズは怪訝な表情を浮かべた。 それを見たシェーナは、笑いを堪えながら言葉を続けた。
「これを笑わずにいて、一体何を笑うの? ひ弱で役立たずな人間だった私が、魔王?! 生贄にされたと思っていたら、魔王になっていたなんて……!」
信じられない、と吐き捨てるように言った。
「不服なのですか」
「いいえ。 ……何もかも脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わった気分だわ」
シェーナは身体中を流れる新たな力をごく自然に感じていた。 まるで、木々が枝葉を伸ばしていくようにその力を世界中に伸ばしていくと末端からさまざまな情報が身体に流れ込んでくる。
もちろん、シェーナが住んでいた村の様子も手に取るように分かる。 村人は何一つとして変わらぬ、穏やかな日々を送っていた。
「……私は、魔王」
「ええ。 ようこそシェーナ様、魔族の棲む世界へ。 我々は貴方のような方が来てくださるのを長い間お待ちしておりました」
そうチェズが言って頭を下げた瞬間、祭壇の下に控えていた下級魔族たちが一斉にひれ伏した。
黒い祭壇をシェーナは分析する。
「ゲートなのね、これは」
「そうです。 今までこれを使って何人もの王を招こうとしましたが、どれも失敗ばかりでしてね」
「でも、どうして私は……?」
「もう、過ぎたことです。 今あれこれ考えたとしても、所詮結果論なのですから」
「そうね……」
「まあ一つだけ言うとすれば、シェーナ様の願いが影響しているのでしょう。 あくまで推測ですが」
ふぅん、と複雑そうな声を漏らしながら、シェーナは首を傾げた。 しかし、チェズの言うとおり、今更原因など考えても仕方ないと、すぐに思考の外へと追い出した。
「さて、シェーナ様。 これからどうなさいますか?」
「どうって?」
「我らは魔族。 人間とは相容れない存在なのです。 ましてや今、その王が目覚めたとなれば、下級だけでなく上級に属する者たちも色めきたっています」
「……それは、侵略しろということ?」
「ええ」
きっぱりと答えるチェズに、シェーナは眉を顰めた。
「……悪いけど、私は侵略することを望んでいないわ。 勿論、勝手に行くことも許さない」
「ですが、それでは……」
「逆らう者がいるのなら、私が相手をすると伝えればいい。 もし、人間の国を侵略したいのであれば、魔王である私を倒していけと」
「……それが貴方の望みなら、すぐにでも取り掛かりましょう」
そう言って、チェズはそのまま空気に溶けるように消えていった。 シェーナは緊張を解いたのか、大きく息を吐いてその場にしゃがみこむ。
「侵略どころか戦ったことなんてないのに。 ……私はまだ、人間でいたいのよ」
ぼそりと呟いた言葉は、シェーナ以外の耳に届くことはなかった。




