団子屋騒動(4)
ご隠居は逃げ去るチンピラたちを見届け、茶屋の暖簾をくぐり中の様子を窺う。店の中は倒れた椅子や割れた皿がそこらじゅうに散らばっており、その横には苦い顔で正座して反省するシルヴァと、しゃがんだ姿勢で娘を庇い外套の背を血に染めたアウグスがいた。
シルヴァはご隠居から少し目線を外しつつ、気まずそうに謝罪の言葉を述べた。
「ご隠居様、とんだ失態を晒し、面目次第もございません……」
「そりゃ店の中で極大魔法はないだろう。でもまあ、大事に至らなかったので良しとしよう。それよりも、よく耐えたなアウグスよ。悪漢どもは去ったようだ」
ご隠居はあっけらかんとシルヴァの謝罪を流したが、どうにも彼らの会話はおかしい。背中に刃物が突き立ったアウグスを前にして、どこが「大事に至らなかった」のか。シルヴァにしてもスケサラーンにしても、アウグスが刺されたことに怒りさえすれ、その傷や命を心配する様子が全くない。
グッと目を瞑っていたアウグスが、ご隠居の呼びかけにゆっくりと目を開ける。
「そうですか、よかったでやす。娘さん、もう大丈夫でやすよ」
アウグスは娘を庇う手を緩めて優しく語り掛ける。ナイフが深く刺さったまま、平然と言ってのけた。
危機は去ったが娘は怯えたまま小さく震えている。それを見たご隠居がふむと頷き声を掛けた。
「アウグスよ、娘さんが怯えているのはどちらかと言うとお前が流血しているからではないか」
「あっ、すいやせん。あっしは荒事はからきしでやすが、体は頑丈なもんでこれくらい平気でやす。お嬢さんに怪我がなくてよかったでやす」
アウグスが体を起こすと背に刺さるナイフが抜け落ち、カランと音を立てて床に転がった。
「でもこんなに血が……私のせいでごめんなさい……すぐにお医者様を呼んでまいります」
「本当にこれくらいの傷は半刻も待たずに治りやすんで……」
アウグスの言葉は強がりではなく、事実すでに血は止まっていた。しかしそんな非常識な言葉が信じられるわけもなく、茶屋の娘は狼狽えるばかりであった。ご隠居もアウグスが頑丈であることを承知の上で大事ないと言ったのだろうが、見かねてカクサラーンに声を掛けた。
「カクサラーン、治してやれ」
「承知しました。どれ、アウグス、傷口を見せてみろ」
アウグスが外套の裾をまくり上げると、背中の傷は心臓の少し下の位置に見えた。血は止まっているものの裂けた肌の内側が生々しく赤い肉を晒している。
カクサラーンはごつい左手を傷口近くにかざし、印を結んだ右手で数回空を切った後にその右手を左手の甲に添えた。全身を緊張させ大きく目を見開くと、傷口に寄せた掌から柔らかな光が放たれ、見る見る傷口は塞がっていき、ついには跡形もなく消えてしまった。
「カクサラーン様、ありがとうございやす」
「構わん構わん。それより血まみれの服を着替えたらどうだ。その凄惨な出で立ちでは結局娘さんも落ち着かんだろう」
「へい、ではとりあえずコートを脱いでおきやす」
アウグスは外套の裏地で傷口辺りの血糊をごしごしとふき取り、そのまま脱ぎ捨てた。フードで蒸れたのか、縮れた栗毛の前髪を手櫛で掻き上げると、現れたのは童顔の美少年。露わになった上半身は小柄ながらもはっきりと筋肉の形が分かるほど引き締まった体躯だった。普段は頼りない猫背をしているが、この時ばかりは傷が治ったことを誇示したいのか、背筋を伸ばし、しゃんと胸を張って振り返るように立っている。これを目にして先ほどまでの怯えた娘はどこへやら、この顔と体のミスマッチに頬を赤らめて落ち着かない様子だ。
「どうでやすか、すっかり元通りでやす!」
眩しいほど爽やかな笑顔とこのしゃべり方もミスマッチだ。真っ白い歯がキラリと輝いた。
「ああ、よかった。なんとお礼を申せばいいのでしょう。本当にありがとうございます」
娘が申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げる姿に、ご隠居はなにか思うところがあるようだ。
「アウグス、娘さんが恐縮しておるぞ。ここはひとつ、角が立たぬよう何か礼を求めてはどうだ」
「いいえ、お礼なんてとんでもございやせん」
ご隠居のいささか不躾な提案にアウグスこそ恐縮しきりだが、ご隠居はいたずらっぽくにっこりと笑って言った。
「やれやれ、アウグスともあろうものが、何をしにここに足を運んだのだ。何か欲しいものがあったのではないか」
アウグスは戸惑ったが、何かを思い出したようだ。
「え?ああ、はい! それでは美味いと評判の、こちらの団子をいただけやせんか!」
自慢の団子で礼ができるのが嬉しかったのであろう。茶屋の娘も顔をほころばせて答えた。
「はい! ぜひ! すぐにご用意いたします!」
娘が忙しく厨房に消えていくのをアウグスが見送り、団子が出てくるのを今か今かと待ちわびて厨房の様子を窺っている。このアウグスの態度こそが「すっかり元通り」だと、一行の誰もが深い息をついて呆れていた。
「いいから服を着てこい」
眉根を寄せたスケサラーンがさらりと諫めた。




