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この魔王の紋所が目に入らぬか!  作者: 柚原小花


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宿屋にて(1)

 賑わいのある町中まで戻ってきた一行は早速宿屋を探す。アウグスが事前に調べていた宿があったのだが、その宿はリリィの茶屋からは少々遠方にあった。茶屋でまた何事かあればすぐさま駆けつけられる方がよかろうと、茶屋からほど近い宿を捜すことにしたようだ。そうして選んだ宿は高台に建ち、それなりに名の通った湯宿であった。宿泊の交渉に宿屋に入っていったアウグスが、暫くして暖簾から顔を出し「二部屋押さえやしたー」と一行を招き入れた。

「こちらの宿は湯宿として有名で、美人の湯と評される露天の温泉があるらしいでやすよ」

「ほう、温泉とな。シルヴァよ、様式美だ」

「は? この場での様式美とは一体何のことでしょうか」

 もちろんそれは由美かおるの入浴シーンであることは言うまでもないが、ご隠居は口を滑らせてしまった様相で答えに窮し目をそらした。

「何でもない。さ、入るぞ」

 ご隠居はそそくさと玄関を上がり込み、仲居の案内を無視して勝手に廊下を奥に進んでいく。

「お、お客様!? そちらには(かわや)しかございません!」

 仲居に制止されるがご隠居は引っ込みがつかないようで、止む無く「も、漏れそう」と後ろ頭で言い残して厠に消えていった。


 改めて仲居の案内で一行は部屋に通される。仲居は天気や土地の名物などの他愛のない話をしつつ、手際よく全員の茶を淹れると、静かに引き戸を閉めて出て行った。座卓の前に腰を下ろしたご隠居は遠ざかる仲居の足音を聞いている。その音が聞こえなくなると、淹れたての熱い茶を一口すすり、湯呑を手にしたまま「ジュライ、居るか」と、小さくつぶやいた。

「……ここに」

 その声の(ぬし)の姿はどこにも見えない。静かに、しかし明瞭に聞こえた声の出処(でどころ)は、明らかに天井裏からであった。話す相手が見えていないからか、ご隠居は茶から立ち(のぼ)る湯気を見据えて話す。

「ジュライ、茶屋での騒動は見ていたか」

「……始終を見ておりました」

「あのヤッコンってチンピラ、ただの借金取りとは違うな。衆目ん中で平気で刃物振り回して、挙句刺しちまってるし。それでもお縄にならない後ろ盾があるってことだ。ジュライの方で何か気づいたことはあるか」

「……いえ、ご隠居のお見立て以上のことは特に。ご隠居が睨んだ通り、土地の権力者なりとつながりがあるのでしょう。連中が逃げ帰ったヤサは遠見で確認しておりますので、今夜あたり忍び込んで連中の背後を探ってみます」

「おう、頼んだぞ。なーんか別の陰謀とかある気がしてならん」

 ご隠居は残りの茶をグイと飲み干して湯呑を卓に返した。

「それと、ジュライよ」

「……」

 ご隠居が続けるが、返事はない。「おーい?」と呼びかけるが、帰ってくるのは静寂だけであった。

「もう行ってしまったみたいでやすねえ。仕事が早い」

 アウグスの指摘にご隠居は「せっかちなんだよ」と言い返し、所在なさげに、また湯呑を見ながら言う。

「ほんと気配(けはい)読めないんだよ、あいつ」

 ご隠居の言葉は「居るか居ないか分からないのは困ったもんだ」という風に聞こえるが、その実はジュライの技術に舌を巻いているのだ。

 実はご隠居は魔力探知に長けている。シルヴァやカクサラーンなど、術を使う者であればある程度の魔力は感知できるのだが、ご隠居の場合は特に微細魔力に対する感覚が鋭く、極僅かな魔力の揺らぎであっても決して見逃すことはない。一般の術師とご隠居の感覚の差を例えれば、人と犬の聴覚の違い程に劇的な差がある。そんなご隠居が気配に気づかないということは、ジュライは隠形(おんぎょう)(たぐい)の術を使わずに、身体能力だけで気配を殺していることになる。ご隠居の感覚も随一だが、ジュライの隠密も劣らず随一なのだ。

「まあ、ジュライのアニキは隠密でやすから。簡単に悟られては上がったりでやす」

 アウグスが言うほど簡単ではないのだが、皆その凄さを正しく理解していない。

「未だわれらも会ったことがないしな」

 カクサラーンの言葉にシルヴァが率直な感想を返す。

「行く先々の天井裏に居る人」

 言ってシルヴァがクスリと笑う。つられてカクサラーンも声は殺して口元を緩めた。スケサラーンは表情を崩さずに言う。

「旅を共にする仲間なのだから、そろそろ姿を見せてくれてもよいのではないか」

 スケサラーンは生真面目な気質ゆえか、苦言が多い。

「そう言ってやるな。隠密ってのは奥ゆかしくてナンボだ。思ったより情の深い奴だからな、そのうちひょっこり姿を見せるさ」

 ご隠居が明るくなだめると、アウグスも軽口で同調する。

「団子でも置いとけば、一緒に食べたくなって出てくるかもでやす!」

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