実は全部わかってるらしい!?__通訳の私を第二王子が口説いてきます
回廊を抜けて進んだ小広間は、ぴんと張り詰めた空気に満ちていた。
技術大国アストロ、その第二王子リオネルは儀礼用の椅子に座り、机上の文書へ視線を落としたまま微動だにしない。そのすぐ横控えて立つアデリナは、通訳ノートを押さえる指先に力をこめ、気づかれぬように震えを吸い込んでいた。
アデリナの国は弱小国だ。失敗は許されない。
やがて、彼女の国の財務官僚が前へ進み出て、深く頭を下げる。
「両国を導かれる殿下の御前で、このような席を頂けるとは……
我らには分不相応にございます」
__言葉そのままでは、
「国力差にひれ伏しています」と受け取られてもおかしくない表現。
室内に、ひやりとした緊張が落ちた。
アデリナは一瞬だけ息を整え、静かに訳し始める。
「……殿下の御威光に畏敬の念を抱いている、と申しております」
ほんの少しだけ、アデリナは言葉を添えた。
「……とても、緊張しているのです」
官僚の震える指先を見てからの、ささやかな補足だった。
嘘は言っていない。
意味も変えていない。
ただ、ほんの少しだけ、立場の弱いものが誤解されないように
”正しく整えただけ”の言葉。
小広間の空気がふっと和らぐ。
驚いたような官僚の顔。
王子の側近たちは、表情を緩めた。
リオネルは、
ただ一人、彼女を見つめていた。
余計な脚色のない、透明な声。
誰の肩も持たず、ただ言葉の正しさだけを守る姿勢。
その誠実さが胸にすとんと落ちてきて、
__欲しい、と唇が笑みに歪む。
彼は微笑む。王子として。けれどその胸には自分でもよくわからない熱が灯っていた。
中庭の噴水が、夕暮れの空気の中で静かに音を立てていた。
会議が終わり、アデリナはそっと息をつく。固くなっていた肩の力が、ようやく抜けていく。
「アデリナ殿」
振り返った先にいたのは、リオネル王子。
昼の会議と変わらない穏やかな笑みなのに、なぜだか胸がふわりと跳ねた。
「本日の通訳、助かりました。あなたの訳には、誠実さがある」
その言葉はあまりに自然で、けれどまっすぐで。
社交辞令よりずっと深いところに届く。
「そんな……光栄です。お役に立てたなら、なによりです」
そう返した瞬間だった。
彼の視線が、ふっと熱を帯びる。
昼間の落ち着いた王子のままなのに、どこか温度が違う。
気のせいじゃない。胸の奥がざわめく。
(どうして、そんな目をしているの?)
緊張して目を逸らしかけると、そのまま追うように静かな視線が触れてきた。
逃げようとするたび、そっと引き寄せられるみたい。
「お疲れではありませんか?」
深く落ち着いた声。それなのに、耳元でささやかれたように近く感じる。
「大丈夫、です。ただ……少し緊張していて」
「緊張、ですか」
柔らかく細められた瞳が優しくて、心臓が跳ねる。
どうしてこんなに、熱いんだろう。視線も。そして、私の頬も。
「あなたの訳は、言葉だけじゃなく心を運んでくる。私はそれを、ありがたく思っています」
一語一語が丁寧で、それなのに奥にある熱は隠さない。
胸の鼓動が、ゆっくり速くなる。
(もしかして、気づいてる?)
会議で、官僚の棘のある言葉を
”彼は緊張しております”と柔らかく訳した瞬間。
リオネルが静かに目を伏せた__あの気配。
もしかして、この人はすべてわかっているのかもしれない。
頬が熱くなる。
「……殿下のお役に立てたのなら、誇りです」
必死に声を整えたつもりなのに、ほんの少し震えた。
彼の瞳の奥が深く揺れる。
「それを聞けてよかった。あなたが、どう訳したのかも」
彼は一度言葉を区切り、声を顰めた。
「……理解しています」
「……っ」
胸の奥が強く跳ねる。
リオネルは、アデリナをまっすぐ見る。
逃げられないほどの視線。
熱がじわりと伝染してくる。
「アデリナ殿。あなたの誠実さは……私に響きます」
静かで、深くて、まっすぐで。
一言で、肺の奥まで熱で満たされる。
息が苦しい。とアデリナは思った。溺れてしまいそう。
夕日が彼の横顔を照らす。
その影の深さに気づいた瞬間、一気に胸が高鳴った。
視線が触れるたび、熱が増す。
静かなのに、決して抗えない。
アデリナはそっと目を伏せた。
逃れるように。けれど熱は消えず、心の奥に残り続けた。
夜の大使館、会議が終わった廊下は静まり返り、アデリナの耳にはまだ翻訳の緊張がわずかに残っている。
小さく息をつく。
大国の第二王子__リオネル殿下。
彼の前に立つたび、理由もなく胸がざわつく。
どうしてだろう……。自分でも答えが出せないまま、前に足を進める。
「アデリナ殿」
背後から、落ち着いた声が降りてきた。
いつものように、彼の国の威厳ある公用語。
振り返ると、リオネル殿下がゆっくり歩いてくる。
どこか息を整えたような表情で、高貴な人特有の”完璧を保つための呼吸”がふと漏れていた。
「少し……話してもいいだろうか」
その声音だけで胸が跳ねる。
彼は廊下の端まで歩き、アデリナの前で足を止めた。
一瞬、迷うように目を伏せ、そして何かをきめたように顔を上げる。
「……君に、恋をしている」
アデリナに衝撃が落ちる。それはアデリナの母国語だった。
発音も文法も、驚くほど自然で美しい。
きっと、最初から話せたに違いない。
でも、彼は外交の場では決して使わなかった。
大国としての立場を守るため。
言語は”力”だと知っていたから。
そんな彼が。
今は一人の男性として、アデリナに目線を合わせている。それは、王子様が跪いて愛を差し出すような錯覚をアデリナに与えた。
「君と対等に話すなら……こちらの言葉で伝えるのが、正しいと思った」
誇りでも見栄でもない。この人は心を差し出してくれているのだ。
「……ずるいです、殿下」
胸の奥が、あたたかくほどけていく。
どうしてこんな言葉をえらんだのか。そうでなければ、堕ちずにいられたのに。
リオネルは、ふっとやわらかく笑う。
「ずるくてもいい。そうでもしないと、君は振り向いてくれない気がして」
もうだめだと思った。
囚われてしまった。
夕暮れの空を切り裂くように、飛行船はゆっくりと上昇していく。大国の象徴する木製のカラクリだ。緻密な模型のような飛行船はゆうゆうと飛翔する。
甲板には、新しく組まれた木材の香りと、締結式の余韻がまだ淡く残っていた。
アデリナは使節団の一員として、この飛行船に乗っている。
友好条約後の追加交渉や文化交流のため、大国への公式派遣。
胸の奥は重圧で重いはずなのに、風に触れる指先は不思議と落ち着いていた。
「……やっぱり、君は空が似合う」
不意に背後から聞こえた声に、アデリナは振り向く。
そこには、リオネルが立っていた。
大国の第二王子として外交を担う彼は、今回の同行者でもある。
王族としての威厳を纏いながら、その瞳はアデリナだけを見つめて離さない。
「外交官として、緊張してる?新しい環境に飛び込むのは、誰だって勇気がいる」
「……少しだけ。でも、覚悟は決めています」
「うん。君なら大丈夫だ」
彼の言葉は、いつでもまっすぐだ。
地位による優しさではなく、専門家としての確信に近い評価。
高く評価してくれている。アデリナは視線に耐えきれず、風の方へ目をそらす。
リオネルは一歩近づくと、
そっとアデリナの手に触れた。
外交官と王族__その立場を越えてしまう、深い深度で。
控えめなのが彼らしい。
「アデリナ。ひとつお願いがある」
「……お願い、ですか?」
「未来の約束をしてもいいかい?」
夕陽が殿下の横顔に影を落とす。
その声は、告白の夜と同じ、規律を外した男性としての顔と熱を覗かせていた。
「また一緒に、こうして空を見たい。
もし君が選んでくれるなら……外交の未来も、君と肩を並べて歩きたい」
アデリナの胸がふっと震える。
外交の道で生きる自分を、同じ場所で肯定してくれる人がいる。
この人なら__同じ方向を向いて歩んでいける。
アデリナは小さく息をすい、そして__リオネルの手をそっと握り返した。
「……はい。あなたとなら、どこへでも」
二人は、今だけはと寄り添う。立場を越えて、心に触れ合う。
飛行船が雲の上へ抜ける。
風の音と共に未来へと進み出した。




