捌:鬼の会議
現世警護課の隣には、こじんまりとした会議室があった。
長机がロの形に配置されており、当然、蘇芳が最奥の議長席に座り、その両隣に松葉と玄、琥珀と白花がそれぞれ側面の席に続いて座る。
「桔梗はどうした?」
そういえば、紫鬼が見当たらない。
そう思った碧羅が周囲を見渡すと、松葉が壁に掛けられた時計に目を向けた。
「総務に用があると言ってましたが、そろそろ戻るはずです。入り口を開けておけばわかるかと」
その言葉通り、桔梗はすぐにやってきた。
慌てた様子でドアを閉めて琥珀の隣に腰を下ろし、向かいで白花の隣に座った碧羅を、睨むように一瞥する。
「揃ったな。では始める。まず、皆知っていると思うが、乱鴉が再び現れた」
「それは、確かなんですね?」
松葉が念を押すように問う。蘇芳は重々しく頷いた。
「ああ。俺が乱鴉の気配を間違えるはずがない。あれは乱鴉だ。それに、地獄管理課の課長が怪死した件も、現場で乱鴉の気配を感じた」
「俺も、直接見たのは初めてでしたけど、俺の結界が呆気なく破られたんだ。そんなこと、普通の人間にはできっこねぇ……」
「蘇芳ちゃんと琥珀の証言から鑑みたら、乱鴉復活は間違いなさそうね」
今更ながら、玄は課長である蘇芳をちゃん付けで呼んでいるのか。
現世警護課においては、課長である蘇芳が一番偉いはずではないのか。
となると、考えられるのは、玄の方が鬼になったのが早く先輩であるが、後輩の蘇芳が先に出世した、ということだろうか。
現世でも、そういうことはよくあることではある。
そんなことをぼんやり考える碧羅である。
「そうだとしたら、乱鴉が天元城に入り込んでいるってこと? そんなことありえる?」
白花が眉を寄せる。それに対し、蘇芳が小さく頷いた。
「本人が入り込んでいるとは限らん。傀儡や式を使えば、不可能ではない」
「しかし、いくら何でも、蘇芳さんが滅殺してから早すぎます。今までなら、滅殺の報告があってから、最低でも三十年は間が空いていたのに……」
松葉の言葉に、白花が嘆息した。
「きっと新たな術を開発したんでしょう……でも、そんなすぐに転生するなんて、間違いなく魂にはとんでもない負荷がかかっているはず。叩くなら今じゃないかしら」
「でも、俺の結界を一撃で破るくらいの攻撃力があるんですよ? 叩くにしても、こっちも戦力を集めないと……」
「そうだな。防衛部に戦力となる鬼を派遣するよう依頼するか……」
「現世警護課の経費で足ります?」
「乱鴉絡みならば、特別予算で計上できるから問題ない」
琥珀、蘇芳、松葉が内部的な話をする中、碧羅はちらりと、ずっと黙っている桔梗に目を向けた。
彼女は、その深い青の瞳を、じっと蘇芳に据えている。
その一挙手一投足を見逃すまいと、目に焼き付けているかのようだ。
無表情であるが、その目が何より雄弁に、彼女の想いを語っている。
「……とにかく、だ。当面、呪詛耐性の無い松葉は現世への出張は禁止だ。それと、碧羅」
「は、はい」
急に名を呼ばれて、碧羅が背筋を伸ばす。
同時に、桔梗が物凄い形相で睨んできた。
「今日の様子から、お前は乱鴉に狙われている可能性が高い。当分は単独行動を控え、天元城内では俺の目が届く所にいるように」
「わ、わかりました」
ただでさえ桔梗の視線が怖いのに、蘇芳がそんなことを言ったものだから、彼女はますます碧羅に敵意を向ける。
もしも視線に殺傷能力があったら、間違いなく射殺されているだろう。
「桔梗ちゃん、そんな怖い顔しないで。可愛いお顔が台無しよ」
玄が、茶目っ気たっぷりに笑うと、桔梗ははっとした様子で視線を落とした。
「そんな怖がらなくても、乱鴉は必ずアタシたちで仕留めるから、安心して。ね?」
桔梗が不安故に怖い顔をしていたと本気で思っているのか、それとも空気を和ませるためなのか、玄の本意はわからないが、その一言で桔梗の鋭い視線からは逃れられたので、心から玄に感謝する碧羅である。
「……とりあえず、明日からの割り振りだが、俺と玄と碧羅が乱鴉関連の調査と対策、他は通常業務だ」
蘇芳の指示に、一同が返事をする。
と、その時、鐘の音が鳴り響いた。
「時間ですので、お先に失礼します」
白花はそう言って会議室を後にする。
そういえば彼女は育休明けの時短勤務中と言っていたっけ。
「蘇芳さん、僕は定時後に少し資料の整理をしてから帰ります」
残業を申し出た松葉に、蘇芳が頷く。
「ああ、乱鴉の件で業務が進まなかったからやむを得ないだろう。俺も少し片付けてからあがる」
「手伝います!」
すかさず声を上げた桔梗に、蘇芳は首を横に振った。
「お前は既に今月残業が上限近くに達しているだろう。こっちのことは気にせず、定時で帰れ」
ピシャリと言われ、桔梗は悲しそうに俯く。
そんな彼女を横目に、琥珀が碧羅に歩み寄ってきた。
「碧羅、現世に行ってて夜食食い損ねただろ? 今から食堂行こうぜ」
「え、良いんですか?」
「夜食休憩は義務だからな。最低限四十五分はとらないと労務部から怒られるんだよ。蘇芳さんが」
ね、と琥珀が蘇芳を振り返ると、彼は苦々しい面持ちで頷いた。
「ああ、その通りだ。ついでに、俺もまだ夜食が摂れていない。同行しよう」
すっと琥珀と碧羅の間を割るようにして歩き出した蘇芳に、琥珀が複雑そうな顔をした。
どこの世界でも、上司との食事は気を遣うものなのだろうなと、他人事のように考える碧羅だ。
「ここが天元城の食堂だ。入場証の提示でポイント消費なく食事が提供される。碧羅の入場証は臨時のものだが、新入りであることは登録されているから、名前と部署を言えば問題ない」
蘇芳の説明を受けて、食堂を見渡す。
それは、現世の社員食堂そのものだ。
セルフスタイルでカウンターから料理を注文、受け取りをして、各々席について食べるシステムである。
夜食休憩の時間帯ではないが、変則勤務者も多いらしく席は結構埋まっていた。
碧羅は天元定食とやらを注文した。定番のおかずが複数セットになった一番人気らしい。
料理を載せたトレーを手に、空いている席に三人で固まって座る。
「いただきます」
両手を合わせてから食べ始めると、琥珀が蘇芳を見た。
「そういえば、地獄管理課の課長は、結局呪殺だったってことですよね?」
「ああ、食事中にする話でもないが……四肢が爆散していた。竜胆は、課長の中ではそれほど強くなかったが、それでも課長を務めるには充分な力量はあった……」
怪死したのは、竜胆という名前の鬼か。蘇芳がそう言うからには、それなりに力のある者だったはずだ。
「現場となった地獄管理課の事務室には、間違いなく乱鴉の気配があった」
「冥視鏡は?」
「その瞬間は暗転して何も映っていなかった」
「メイシキョウ?」
「ああ、現世でいう防犯カメラだよ。ほら、天井に付いてるアレ」
特盛のカツカレーを頬張りながら琥珀が指した先には、天井に目玉のようなものがぶら下がっていた。あまり気にしていなかったが、よく見ると気持ち悪いものである。
「あれで映像を録画してて、地獄警備課が、不正がないかとか、死者が脱走してないかとか監視してんだよ」
説明してくれた琥珀に、碧羅は頷きつつ蘇芳を見た。
「肝心の部分だけが暗転してたって、怪しいですね」
「ああ。そんなことができる者は限られている……傀儡となっている鬼がいる可能性もあるから、お前らも油断するなよ」
「はい」
蘇芳の念押しに頷いた時、突然けたたましい音が鳴り響いた。
『緊急事態発生。異常霊力を検知。ランク青以下の鬼は結界装置の中へ避難してください』
どこかにスピーカーがあるのか、声が響き渡る。
それを聞いた鬼たちが、一斉にどよめき出した。
「異常霊力? ランク?」
訳がわからず目を瞬く碧羅に、琥珀が頷いた。
「鬼の妖力とは別の、人間特有の霊力を天元城もしくは地獄で検知したってことだ。ランクは瞳の色のことで、上から金、紫、赤、青、黒の順で、鬼は妖力の強さによって瞳の色が変わるんだよ」
つまり金の瞳である蘇芳は鬼の中でも最上位クラスという訳か。玄はその次、松葉と白花はさらにその次け。
「結界装置っていうのは?」
「食堂や会議室なんかにはいざという時にシェルターになるよう、結界を張る術式が組み込まれているんだ。ある程度鬼が避難してきたら作動されるから、俺たちはこのまま待機だな」
有事の際に食堂にいれば避難の必要はないということか。逆に、別の場所にいたら食堂か会議室に避難が必要、と覚えておこう。
そんなふうに碧羅が考えた直後、蘇芳が立ち上がった。
「行ってくる」
「はい」
琥珀がすんなり見送ったので、碧羅も一言「お気をつけて」と声をかける。
一瞬、蘇芳が驚いたような顔をしたが、彼はすぐに踵を返して食堂を出て行ってしまった。
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