肆:不穏の気配
爆速で残り六つの禊を見学して、馬車が戻る頃には、碧羅は疲労困憊だった。
獄馬が速すぎて、どれだけの距離を移動したのかも正直わからない。
気持ち的には、新幹線の屋根にへばりついて東京から福岡を移動したようなものである。
「大丈夫か?」
「え、ええ、まぁ……」
「天元城へ戻ったら、その後寮へ案内して今日は終わりだ」
時間が惜しいらしく、蘇芳は碧羅を待たずにすたすたと歩き出す。
碧羅が慌てて後に続くと、蘇芳は橋を渡って天元城へ戻り、そのまま扉を潜って外へ出て行った。
そしてすぐ隣にあった建物に向かって行く。
「こっちが男子寮、向こうが女子寮だ。俺は女子寮の中には入れないが、お前の部屋は用意されているはずだ。入り口で寮母に名前を言うといい。寮母が案内してくれる」
「わかりました」
「明日は夜九時出勤だが、天元城の入館証がまだできていないからお前一人では入れん。明日はここで待ち合わせて俺と一緒に出勤することになる。夜八時四十五分に此処へ来い」
生前、会社員をしていた時に、中途採用の新人が入ってきた時も同じようなことがあった。
なんだか変に人間界臭くて、複雑な気持ちになる碧羅だ。
「わかりました。明日からよろしくお願いします」
頭を下げる碧羅に、蘇芳はふっと表情を緩め、「今日はゆっくり休め」と言い残して去っていった。
イケメンが微笑むと破壊力が凄いな、と他人事のように感心しつつ、蘇芳を見送ってから、碧羅は一つ奥の棟へ向かった。
女子寮と大きく書かれたそこに入ると、碧羅と同じくらいの背丈の、割烹着姿の大きな三毛猫が二足歩行で床にモップをかけていた。
「ん? ああ、アンタが新人かい? 確認のため、名前を言いな」
「あ、へ、碧羅です」
「うん、アタシは寮母のタマオだ。見ての通り、猫又さ。よろしくね」
いかにも肝っ玉母さんという雰囲気の喋り口調と声だ。見た目も相まって親しみやすさが滲み出ている。
「よ、よろしくお願いします!」
「ついてきな。部屋と、寮の中を案内してやる」
モップを壁際に置き、タマオはもふもふの前足で碧羅を手招きする。
招き猫みたい、と思うが口には出さない碧羅である。
「ここが食堂だ。夜朝昼、全部ここで食える。食い終わったら食器は自分で下げて、あっちの棚に置くんだよ。仕事中の夜食は弁当も用意してあるから、必要なら出勤前に持って行きな。天元城にも食堂はあるが、混むからね。好きな方にしたらいい」
「は、はい!」
「次、あっちは談話室だ。仲良くなった鬼と話したりする共有スペースだね。お茶や軽食は常備してあるから、そこは好きに使っていい」
聞けば聞くほど寮の設備も整っている。
建物自体も、天元城同様神社仏閣を思わせる造りではあるが、手入れが行き届いており古臭さは感じない。
「で、アンタの部屋はこっちさ。三階の三〇三号室。風呂とトイレは部屋にある。好きに使っていいが、備え付けの家具家電を壊したら弁償だよ。あと、掃除は自己責任だ」
言いながら部屋のドアを開けるタマオ。中を見ると、まるで高級旅館のような部屋が中に広がっていた。
「いいお部屋……」
「気に入ったなら良かった。アンタも色々大変だったみたいだし、今日はゆっくり休みな。夜食の時間は終わっちまってるが、朝の六時から十時の間は朝食が食べられるから食堂へ来な」
こちらは昼と夜が丸切り逆転しているらしいが、まだ慣れない。
幸いなのは、地獄は空の明るさが夜でもうっすら明るいということだ。
壁に掛けられていた時計を見ると、二時を指している。鬼が仕事中ということは、昼ではなく夜中の二時なので、現世なら真っ暗なはずだが、地獄は薄暗いながらも夜の暗さとは比べ物にならないくらい明るい。
怒涛の展開に疲れた碧羅が、仮眠をとってから朝の八時に食堂へ行くと、中はまばらに鬼が座り、それなりに混雑している様子だった。
メニューを見て定食を注文すると、調理場にいた猫耳の少女が、調理されていたものを手際よく皿に取り付けてお盆に載せてくれた。
ありがたいことに、地獄で提供される料理は、ほとんど生前日本で食べていたものと同じだった。
と、碧羅が定食を半分くらい食べ進めた頃、背後から会話が聞こえてきた。
「そういえば、あの呪術師、遂に捕まったんでしょ?」
「そうらしいね。蘇芳様が現世で捕えたらしいわ」
「流石は蘇芳様、仕事できて強くて素敵よね」
女子特有のきゃっきゃした雰囲気は、鬼も人間も変わらないのだな、とぼんやり考える碧羅である。
それにしても、蘇芳はモテるのだな。
そういえば、鬼にも結婚の制度はあるのだろうか。
鬼から生まれた鬼もいると蘇芳は話していた。とすると、鬼同士が結婚して子供が生まれることもあると考えるのが妥当か。
「それにしても、その呪術師、人間なんでしょう? いくら天命ではない人間を呪殺したからって、閻魔大王様直々に捕縛令が出るなんて、よっぽどよね」
彼女たちが話しているのは、おそらく都築碧を呪い殺した呪術師のことだろう。
本来なら人間の生殺に手出ししないはずの冥府だが、その呪術師は看過できるレベルではなくなったため、蘇芳が出向いて捕えたと、閻魔大王が話していたな。
「そうそれが、噂によるとその呪術師、数百年前からいるらしいの」
「数百年? 人間の寿命なんてせいぜい百年程度なのに、どういうこと?」
「さぁ、でも、うちの部署の先輩が、『アイツがまた現れた。今度は百二十年ぶりだ』って言っていたから、昔からいるのは間違いないみたいよ」
「輪廻転生してるってこと? でも、他人を呪い殺したら地獄行きで、禊をしたってすぐには人間に転生できないでしょう?」
「そう、だから謎なのよ。でも、古くからいる鬼に聞いても皆話してくれないし、何かあるのは間違いないと思うわ」
彼女たちは食事を終えたらしく、そう話しながら立ち上がって行ってしまった。
残された碧羅は、引き続き定食を頬張りながら今聞いた情報を整理する。
自分を呪った呪術師は、人間だと聞いていた。
しかし、数百年前から度々現れているという。
さっき見てきた地獄の禊の中で、最奥にあった最も過酷な禊が、無間禊というもので、それまで見てきた全ての禊を全て、半永久的に繰り返すというものだった。
そしてそこに入るのは、重罪を犯した者、特に、他人を呪った者だという。
一度そこに入れば、他人に向けた呪いに比例した時間、禊が終わることはないそうだ。
一人を死に至らしめた呪いなら、人間の時間に換算して百年間らしい。
都築碧を呪った呪術師は、相当な人数を呪い殺したと聞いた。つまり、捕えられたら数百年、あるいは数千年は出られないはずなのだ。
しかも、禊を終えて輪廻転生の環に戻れたとしても
次の生は単細胞生物からだという。
再び人間になるには、これまた長い年月が必要になる。
「一体、どういうことなのかしら……」
出勤したら、蘇芳に聞いてみよう。
そう思いつつ、残りのおかずを口に放り込む碧羅だった。
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