捌:橋の上
蘇芳が天元城内の探知を行ったところ、ストロンと滅紫が地獄へ通じる橋の上にいることが確認できた。
二人は怪訝に思いつつ、そこへ急行する。
「何故そんなところに……?」
地獄と天元城を結ぶ橋は、鬼であれば誰でも渡ることができるが、原則として関係する業務に携わる者以外は無暗に地獄へは行かないことになっている。
「……まさか、どちらかが乱鴉の手に……?」
二人とも共通して戦闘力が高い。
乱鴉が予め操作系の術を仕込んでおいて、己の死後に発動するようにしていたとしたら、地獄が危ない。
乱鴉は滅したはずだが、自らの望みが潰えた時のために、鬼に一矢報いる何かを残している可能性は多分にある。
もしそれが、地獄を攻撃して服役中の死者たちを解放することだったとしたら、地獄や天元城だけでなく、天国や現世も大変なことになる。
「急ぐぞ!」
「はい!」
と、駆け付けた二人だったが、蘇芳が黒い鉄扉を開けて橋の前に出た直後に驚いた顔をして立ち止まり、碧羅の腕を引いて天元城外壁の柱の陰に身を寄せた。
「っ! 蘇芳さん?」
「しっ……」
短く言われて口を噤み、蘇芳の視線を追う。
「……あれは……?」
橋の中腹に、ストロンと滅紫がいる。二人とも体格が良いので非常に目立つ。
「何か話してますね……」
距離があり会話は聞き取れないが、不穏な様子はない。寧ろ、なんだか甘酸っぱい雰囲気に見える。
と、唐突にストロンがその場に片膝を衝き、滅紫に何かを差し出した。
滅紫が驚いた顔で口元を押さえる。
「……あの、あれって、もしかして……」
あまりに予想外の光景に碧羅が蘇芳を振り返ると、蘇芳は呆れた様子で額を押さえた。
「……どうやら求婚でもしたみたいだな……」
「天使と鬼って結婚できるんですか?」
「可能ではある。ただし、鬼が天国に住むことは認められていないから、天使がこちらに来ることになり、最初は良いがそのストレスで長続きしない夫婦が多いな」
現世での国際結婚のようなものか。
そんなことを考えて、二人を見る。いつの間にか手を取り合って、二人だけの世界に浸っているようだ。
数拍おいてから、蘇芳がわざとらしく大きな咳払いをすると、二人がぎょっとしてこちらを振り返った。
「す、蘇芳さん! 碧羅さん! 無事だったのか! 良かった……」
碧羅を見て心底安心した様子で息を吐く滅紫に、ストロンも頷く。
「お前達、仕事中に抜け出して逢引きしていたことは目を瞑ってやるからよく聞け」
蘇芳がそう告げると、二人は顔を真っ赤にしつつ背筋を伸ばした。
「桔梗が現れ、浅葱とユーアがやられた。桔梗はおそらく操作状態にあったと見られている。その時の発言から、おそらく狙いは俺と、俺に関係する者である可能性が高い。お前達も充分注意しろ。それと、アイアは天国へ戻ったと聞いたが、連絡は取れるか?」
「ええ、天使は全員通信装置を持っていますので」
「では今の旨を伝えてくれ。その後、一旦全員合流し、状況の整理を行いたい。現世警護課の会議室に来てくれ」
「わかりました」
蘇芳の指示に頷き、ストロンが何かを取り出す。おそらく通信装置とやらだろう。
「碧羅、俺たちは先に戻ろう。琥珀たちの方も気になる」
「わかりました」
滅紫に、通信が終わり次第来るように短く告げ、蘇芳が身を翻す。
琥珀や松葉、白花は大丈夫だろうか。
二人の歩調が自然と速くなる。
現世警護課の隣の会議室に到着すると、そこには玄と松葉、琥珀がいた。
「白花は?」
「連絡済みよ。もう黒鳶も家にいるらしいから、とりあえず心配はないと思うわ」
黒鳶、聞いたことのない名前に目を瞬く碧羅。琥珀が「白花さんの旦那さんだよ。ランク紫で超強ぇの」と教えてくれた。
「そうか。ストロンと滅紫も間もなく来る」
「アイアちゃんは?」
「ストロンが連絡を入れている」
と、その時、蘇芳の所持している水晶玉が鳴り、声が聞こえてきた。
『蘇芳さん、緊急事態です! 桔梗さんが……!』
声の主は救急課の月白だ。
「桔梗がどうした?」
『妙な術式が発動し、命の危険が……!』
「何?」
蘇芳が顔を上げ、皆が息を呑む。
「ちょっと行ってくる」
「それでしたら私も行きます」
名乗り出る松葉に、玄が待ったをかける。
「ちょっと待って、今の状況で無暗にばらけるのは良くないわ。戦力のバランスを考えないと。琥珀ちゃん、一緒に行って。碧羅ちゃんはここで私とストロンちゃんたちを待ってから行きましょうか」
「わかりました」
一度二手に分かれ、蘇芳と松葉と琥珀が医療部へ向かい、玄と碧羅が会議室に残る。
数分後にストロンと滅紫が会議室にやってきたので、碧羅が事情を説明し、医療部へ向かおうとしたが、それを玄が制した。
「玄さん?」
「……ストロンちゃん、正直に答えてくれる?」
剣呑な響きを帯びた声色に、碧羅は無意識に息を呑んだ。
「……桔梗ちゃんは、天国からのスパイなの?」
玄の言葉に、ストロンは目を瞬いた。
「そんなことは……少なくとも、俺はそんな話を聞いたことはない」
「天防大じゃ、諜報員のことまで知らなくても無理はないか……」
玄はストロンの目を見て、嘘は言っていないと判断したらしい。
ストロンは天国防衛庁大天使部隊だと言っていた。スパイを送り出すのではなく、どちらかというと天国に入り込んだスパイを狩る側だろう。
と、そこへアイアがやって来た。天国から駆けつけたらしい。
「桔梗さんが乱鴉に操られたというのは本当ですか?」
開口一番そう尋ねて来た彼に、玄が目を細める。
「ええ。ただ、乱鴉に操られたかどうかは、まだ定かではないわ……それより」
玄の姿が一瞬その場から掻き消え、アイアとの間合いを詰めたかと思うと、彼の胸倉を掴んで壁に叩きつけた。
「答えろ。桔梗は天国からのスパイか?」
どすの利いた低い声と、普段とは異なる言葉遣いに、アイアがひゅっと息を呑む。
「正直に答えろ。嘘を吐けば腕を折る」
彼の言葉の真偽をどう見抜くのかはわからないが、今の玄には、確かに嘘は通用しなさそうだと思わせる迫力がある。
「……そうだ」
しばしの沈黙の後、アイアが瞑目してそう呟いた。
「諜報の目的は?」
「乱鴉をいつまでも野放しにしている地獄庁への不信からだ。だから最も乱鴉と戦う機会の多い蘇芳殿の下に就くよう調整した」
そう答え、彼は玄の腕をそっと解かせた。
抵抗する様子はなさそうと判断したのか、玄も手を放す。
「じゃあ、乱鴉の件が片付いたから、用済みになった桔梗は処分するつもり?」
「処分?」
碧羅が首を傾げると、滅紫が言いにくそうに耳打ちしてくれた。
「通常、見つかったりして用済みとされたスパイは消されるんだよ。証拠隠滅のためにね」
「そんな……っ!」
「まだ乱鴉の消滅を完全に確認しきれていない以上、本来であればまだその段階ではない」
アイアは、妙に引っ掛かる物言いをする。
玄が眉を寄せると、アイアは悔しそうな顔で続けた。
「だが、彼女は……乱鴉消滅の前から、上層部からの指示を無視して消息を絶った。重大な服務規程違反だ。既に、上層部からは隠滅術が発動されているはずだ」
「隠滅術……?」
「さっき月白が言っていた妙な術式のことね。天使たちが使う術とアタシたちが使う術は似てるけど根本的に違うからすぐには解析できないのよ」
なるほど、玄は妙な術式と聞いて、それが天国から発せられるスパイを消す術だと悟ったのか。
「でも、うちには優秀な術者がいるから、天国の術式も、きっと解除してくれるわ」
玄はそう言って、不敵に微笑むのだった。
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