弐:職場案内
碧羅という名前を告げた直後、閻魔大王は笏を一振りした。
すると、碧羅がそれまで纏っていた死者特有の白装束が、一瞬で蘇芳と同様の漆黒色の狩衣に変わった。
「では碧羅、蘇芳と同じ現世警護課に配属する。仕事は蘇芳から聞くように」
「わ、わかりました」
それと、と閻魔大王はぱちんと指を鳴らした。
直後、碧羅の首に革紐に括り付けられた勾玉が顕現した。
「お前の死因は呪い殺されたことだ。鬼になったことで、瘴気はもう残っていないが、念のためこれを身につけておけ。浄化と厄除けの効果がある」
「あ、ありがとうございます」
「ああ、あと、念のため言っておくが、今日は説明だけだ。仕事は明日からとするので、そのつもりで」
そんなところもホワイトなのか。
碧羅は感心しつつも、蘇芳に促されるままに裁きの間を退出した。
「改めて、俺の名は蘇芳だ。現世管理課の課長を務めている。お前の直属の上司だ」
「よ、よろしくお願いします!」
碧羅がぺこりと頭を下げると、蘇芳はほんの一瞬だけ表情を緩めた。
しかしすぐに真顔に戻って、ついて来いと言って歩き出す。
建物は純和風。それも格式高い神社仏閣を思わせるような造りをしている。
廊下を歩きながら、蘇芳は徐に口を開いた。
「この建物は天元城といって、大枠では地獄と同様の扱いをされることが多いが、地獄と天国の間、『冥府』と呼ばれる場所にある。まぁ、関所だとでも思っていればいい。死者は三途の川を渡って最初にここへやって来て、閻魔大王様の裁きを受ける」
つかつかと歩きながら語る蘇芳に頷くと、前から金髪碧眼の少年が歩いてきた。
ギリシャ神話に出てきそうな白い服を着ており、その背中には白い翼が生えている。
「お疲れ様です」
蘇芳と少年はすれ違い様にそう言葉を交わし、少年はにこやかな笑みを残して去っていく。
「今の方は……」
「見ての通り天使だ。ここは天国と地獄の境界だからな。当然天使も出入りする。ちのみに、さっきのは天国行きとなった死者を輸送する運転手だ」
鬼や閻魔大王は和風の存在だが、天使もいるのか。
死後の世界は宗教も国境も関係ないのだな、と漠然と考える碧羅である。
「古い取り決めで、神と仏は天国から出ず、天使も原則、天国行きの死者の輸送しかしないことになっている。現世の見回りも、三途の川の管理も、地獄の管轄だ……そのくせこちらの勤務形態やら何やらに口を挟んでくる。厄介なことだ」
少々腹立たしげに吐き捨て、彼はある部屋のドアを開けた。
「ここが、現世警護課の部屋だ」
中は二十畳ほどの部屋で、簡素な事務机が七つ置かれており、その上に書類が文字通り山積していた。
その書類の山の間から、一人の鬼が顔を出した。
「蘇芳さん! どこ行ってたんですか! このクソ忙しい時に!」
黄色い髪に鮮やかな青色の瞳、一本の角を有している青年だ。歳の頃は二十代半ばほど
「呼び出されていたんだ……それより喜べ、新入りだ」
蘇芳の言葉に、書類の山からあと二人がばっと顔を上げた。
「やっと! やっとこの万年繁忙期の部署に新入りが……!」
感激した様子で手を叩いたのは、緑の髪に赤い瞳、三十歳前後に見える二本角の青年だ。
もう一人の紫の髪に深い青の眼をした一本角の女性は、何か言いたげな表情で碧羅をじっと見つめている。
この三人が同僚ということだろうか。
総じて美形だ。鬼は美形でないとなれないのだろうかと過ぎるが、自分の容姿は至って普通だと思い直し、碧羅は勝手に切ない気持ちになった。
「あ、へ、碧羅です。よろしくお願いします」
「わー! 超可愛い! ラッキー!」
黄色の鬼が嬉しそうに破顔する。
軽薄な言動であるが、それが許される妙な人懐っこさを感じる。
人間ならバスケ部やサッカー部にいそうなタイプだな、と思いつつ碧羅が蘇芳を一瞥すると、彼は顎で黄色の鬼を示した。
「あれは琥珀だ。緑鬼が松葉、紫鬼は桔梗。ちなみに松葉が主任、琥珀と桔梗は平だ」
「まるで普通の会社ですね」
思わず感想を口にすると、琥珀と呼ばれた青年がにかっと笑った。
「びっくりするよなー! この構造改革したの、絶対に人間時代に有能な経営者だった奴だよなー!」
同調してからりと笑う琥珀。親しみやすそうな雰囲気に、碧羅も思わず笑みを浮かべて頷いた。
「玄と白花は?」
「通報があったので現世に行ってます」
「そうか……今日はこれから、碧羅への説明のために地獄を一回りして来る。碧羅が実務に入るのは明日からだ。お前たち、今日中に碧羅の机を使える状態にしておけよ」
一番書類が積み重なっている机を一瞥し、蘇芳は踵を返した。ついて来るよう促されたので、碧羅は琥珀たちに一礼して退出した。
その時、碧羅は視界の隅で、桔梗と呼ばれた紫の鬼が忌々しげに顔を歪めたのを捉えた。
琥珀と松葉の反応から、てっきり新入りは歓迎されるものなんだと思っていた碧羅は内心戸惑ったが、よくよく考えたら、琥珀曰く「クソ忙しい時」に課長である蘇芳を独占して地獄の案内をさせているのだから、部下からしたら不満を抱いても仕方ない、と納得する。
しかも、碧羅の机を用意するという別の仕事まで発生してしまったのだから、煩わしいと思われても致し方ない。
「……なんか、かえって仕事を増やしてしまって申し訳ないです……」
「そんなことは気にするな。新入りを歓迎するのは上長の義務だ」
淡々と言いながら、蘇芳は足を進めていく。
「この扉を出て、橋を渡った先が地獄だ」
そこには、いかにも重厚な黒い鉄扉があった。
その両脇には、警察官のような格好をした黒髪の鬼が二人立っている。
「新入りに見学をさせる」
「はっ! 承知いたしました! 行ってらっしゃいませ!」
敬礼する鬼。本当に警察官のようだ。
彼らに扉を開けてもらい、そこを通ると、その先には言葉通り、一本の橋があった。
橋の向こうは霧が掛かっていて、景色は見えないが、どうやら非常に高い崖の上に架かっているらしい。
すたすたと歩き出すと、すぐに扉が閉められてしまった。
こちら側にも、同じような制服を着た緑色の髪をした鬼が二人立っている。
「あれらは生前警官だった者達だ。生前の徳が高く、天国行きもほぼ確実のところ、閻魔大王様にスカウトされて鬼になった」
「鬼になるのは、皆元人間だった人達なんですか?」
「そうとは限らん。動物だった奴もいるし、閻魔大王様が直接創り出した奴や、鬼から生まれた奴もいるし、元は別の妖怪だった奴もいる」
「妖怪……?」
「ああ、常人に視えないだけで、妖怪は現世に存在しているぞ。まぁ、妖怪という括りは非常に曖昧だ。人間の感覚で言えば鬼も妖怪だろう」
「それは、確かに……」
そう言われるとその通りなので、頷くしかない。
鬼は日本で古くから伝わる妖怪の一種なのだ。
「この橋を含む天元城の警備に当たるのは大体元警官や警備員、あとは侍だった奴らだな」
「侍……?」
「鬼の寿命は人間とは異なるからな。ヘルを貯めると転生先を選べるようになるが、逆を言えば、ヘルを貯めても転生する道を選ばず地獄の鬼を続けるという選択肢があるということだ……古い鬼だと、平安時代に陰陽師だった奴もいる」
それだけ長く鬼を続けているということは、よほどここの労働環境が良いということだろうか。
「……蘇芳さんは、どうだったのか、聞いても良いですか?」
碧羅がおずおずと尋ねると、蘇芳は一瞬表情を歪めた。
「あ、あの、無理にとは言いませんので……!」
「いや、構わん。俺も元は人間だった……だが、人間だった時の記憶はもうほとんど残っていない」
「それほど長く鬼を続けているということですか?」
「それもあるが、俺は少々特殊でな。まぁ、特殊という意味ではお前も同じだが」
碧羅も、稀なケースで鬼になったのは間違いない。
そもそも、地獄でマークされているような呪術師に呪い殺される人間なんて、そういないはずだ。
そんな話をしていると、あっという間に長い橋を渡り終えたのだった。
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