壱:天空庁舎の入館証
碧羅と滅紫が、女子寮の非常階段で天空庁舎の入館証を拾った翌日、碧羅が出勤のために寮を出ると、既に蘇芳が待っていた。
「蘇芳さん、お疲れ様です。すみません、お待たせして」
「いや、いい。変わりはないか?」
「はい、私は特に……ただ、昨日、女子寮の非常階段で、天空庁舎の入館証を拾いまして……」
「天空庁舎の入館証を?」
蘇芳が怪訝そうに眉を顰める。
「はい。滅紫さんと一緒に、何となく気になって非常階段のドアを開けたらそこに……」
「その入館証は?」
「滅紫さんが昨日中に天元城の警備部に届けてます」
翌日の出勤時に届けるか二人で逡巡したが、これは先延ばしにしてよい事案ではないと判断した滅紫が、天元城まで届けると買って出てくれたのだ。
「そうか……」
蘇芳が、思案するように口元に手を当てる。
その後無言になった蘇芳と共に、碧羅が対乱鴉合同調査本部の本部室へ入ると、深刻な顔をした浅葱と滅紫、玄がいた。天使たちはまだ出勤してきていないらしい。
「蘇芳さん、お疲れ様です」
「どうした?」
三人の様子を見た蘇芳が尋ねると、滅紫が言い辛そうに視線を泳がせた。
「それが……昨日、女子寮の非常階段で天空庁舎の入館証を拾ったんですが……」
「ああ、碧羅からも聞いた。何かわかったのか?」
「ええ、昨日警備部に提出したところ、たまたま諜報部員がいたので、中の情報を解析できる機器にかけてもらったんです……」
諜報部、名前からしてスパイがいる部署だろうか。スパイをする対象は、今の話から察するに天国か。
「そしたら……桔梗さんと瓜二つの顔写真が表示されたんです」
「桔梗と?」
「ええ。名前はオカト・トキ、角はなく、紺青色の髪と眼で、種別は仏と記載されていました」
「……どういうことだ?」
蘇芳も戸惑った様子で呟く。
そんな中、話についていけない碧羅が、小さく手を挙げる。
「あの、こんな時にすみません、仏って、神や天使とは違うんですか?」
「ああ、神は地獄でいう閻魔大王と同格の存在で、天使は神が創り出した存在。一方で、仏は元が人間なんだ」
「元人間?」
「ああ、閻魔大王の裁きを受けて天国行きになった者は、天国で魂の休息を経て輪廻転生の環に戻るが、稀に素質を見出されて天国に留まり、仏になる者がいる。天使と仏は生まれ方が異なるだけで天国では同格の扱いになる」
宗教ごちゃ混ぜな上に格付けもあるのか。
複雑な思いで頷く碧羅。
「ちなみに、天使は基本的に皆金髪碧眼で、仏は紺青色の髪と眼をしているので、一目見て判別がつきます」
浅葱が補足してくれた。見た目が異なるのはわかりやすくて良い。
「……可能性として考えられるのは、一、桔梗が、瓜二つのオカト・トキという仏に拉致された」
「二、乱鴉の件で追われる身となった桔梗さんが、オカト・トキという仏に化けて天国に潜伏しようとした」
「三、実は桔梗ちゃんは元々仏で、天国からの諜報員として冥府に潜伏していた」
蘇芳と浅葱、玄の順に意見を出す。
「……いずれにしても、合同調査本部の天使たちには、この件はまだ伏せた方が良いだろうな」
「はい、警備部も諜報部も、その意見でした」
嘆息した蘇芳に、滅紫が頷く。
碧羅だけが、きょとんと首を傾げた。
「え、どうしてですか?」
「一、二の場合なら即座に天国側へ通報すべきだが、もしも三だった時、天国側が敵に回る可能性がある。諜報員を送り込んでいたことを隠蔽するために、乱鴉の仕業に見せかけて桔梗を抹殺しようとするかもしれない。そうなると厄介だ」
「ただでさえ厄介な乱鴉という呪術師を相手にしているのに、天国側がその捜査の攪乱をしてくるとなると、ますます手に負えなくなりますからね」
蘇芳と浅葱の言葉に、碧羅はようやく納得した。
天国と地獄、そしてここ冥府は協力関係にあると思っていたが、諜報員が入り込むとは、穏やかではない。
表向きには友好的だが、裏ではバチバチと火花を垂らしているのだろうか。
そんなことを考える碧羅だ。
「あとの問題は、桔梗さんの正体が何であれ、乱鴉に操作された可能性があり、現在行方不明、ということですね」
「ああ。とにかく桔梗の身柄を確保して、話しを聞く必要がある」
「……可能性の一つとして、四、桔梗さんが乱鴉の傀儡、もしくは精巧に創り出された式で、天国と地獄、どちらにも別の顔で潜伏していた、というのも、考えておいた方が良いかもしれませんね」
浅葱が不穏なことを呟き、四人が剣呑な表情で頷く。
「昨日の時点で、冥府と地獄に桔梗の気配がないことは確認済み。現世か天国に行ったと見られるが……」
「天国へは、昨日のうちにストロンさんがアイアさんに伝え、アイアさんが天国での捜索を手配してくださったとのことです」
「なら、俺たちは現世での捜索に全力を上げるしかないな」
蘇芳がそう締め括ったところで、部屋の扉が開き、三人の天使たちが入ってきた。
「お疲れ様です。すみません、天空庁舎へ出勤してからの移動なので遅くなりました」
「承知しているから問題ない。早速だが、分担を決めて現世へ出よう」
蘇芳が促し、昨日決めた二人組で、現世へ出向くことになった。
浅葱とストロンがデータ分析と何かあった際の連絡係として本部に残り、各組の代表一人が連絡用の水晶玉を手に流冥門へ向かう。
「今、流冥門はどこに繋がっている?」
アイアの問いに、扉に手を触れた蘇芳が目を細める。
「……富士の樹海だな」
「わかるんですか?」
「扉に流れている気を読むとわかるらしいんだけど、それができるのは、ごく一部の鬼だけだけだ」
滅紫が教えてくれる横で、ユーアが目をハートにして蘇芳を見つめている。
「現世に到着したら、まず乱鴉と桔梗の気配を探知術で追うぞ」
「わかっているわ。私とアイアちゃんで、桔梗ちゃんの行方を追うから、蘇芳ちゃんたちと、滅紫ちゃんたちで、乱鴉の行方を追って」
玄が冷静に割り振ると、ユーアが歓喜の声を上げる一方、蘇芳が至極嫌そうな顔をした。
しかし、桔梗の気配をよく知っている玄が桔梗を探す方が効率がいい、という事実に加え、力のバランスを考慮してもその割り振りが最適であることは間違いない。
「……行こう」
蘇芳が扉を開けて、皆を促す。
流冥門を使うことは初めてではないらしく、天使の二人は躊躇う様子なく扉を潜っていく。
「ん」
蘇芳が碧羅に手を差し出す。碧羅はその手を取って、扉を潜った。
霧の中では、前回と同様、生前の両親や友人の幻影が誘うように手招きしてくる。
その中に、夢に出た和服の青年がいた。
「っ!」
烏帽子を被っていて、剣を携えた青年。端正な面立ちで、切ない眼差しを碧羅に向けている。
「振り返るな。前を見て歩け」
蘇芳が、碧羅の手をぎゅっと握る。
その声と手の温もりに意識を引き戻され、碧羅はっと前を向いた。
「すみません。ありがとうございます」
「気を抜くなよ。幻惑の路は、下手すれば命を落とす」
蘇芳の言葉に、碧羅は小さく頷く。
気持ちを切り替えるために、一度ゆっくり呼吸をする。
と、その直後、霧が消え、鬱蒼とした森の中に出たのだった。
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