拾:落としもの
蘇芳と並んで歩きながら、碧羅は寮へ向かっていた。
「……大丈夫か?」
不意に尋ねられ、思わず足を止めて蘇芳を見ると、その金色の双眸が心配そうに揺れていた。
「は、はい。私は大丈夫です……すみません、入ったばかりで、ご迷惑ばかりお掛けして……」
「迷惑じゃない。そもそも、お前が鬼になったのだって、俺が乱鴉を仕留めるのが遅れたせいだ……その後も乱鴉を完全に滅することができず、お前が狙われ続けている……全て俺の責任だ」
申し訳なさそうに眉を下げる蘇芳。
「寧ろ、お前はもっと俺を責めてもいいくらいだ」
「責めるなんて! 蘇芳さんには助けてもらってばかりで……」
首を横に振る碧羅に、蘇芳は何故か痛みを堪えるような顔をした。
その顔を見て、碧羅の脳裏に、懐かしい光景が浮かぶ。
「……っ?」
「どうした?」
額を押さえた碧羅に、蘇芳がすぐ反応する。
「大丈夫か? どこか痛むか?」
「い、いえ……見たことのないはずの光景が、頭に浮かんだ気がして……これも、乱鴉の暗示の効果なんですかね……」
「いや、月白が術を解除しているから、それはないはずだ……もしかしたら、輪廻転生する前の記憶かもしれん」
「輪廻転生する前……?」
「ああ、いわゆる前世というやつだ……人間から鬼になると、直前の人生だけでなく、その前の人生のことを思い出すことも少なくないらしい」
そう言いながら前を向き直った蘇芳の横顔に、碧羅は目を瞠った。
「……あ、れ? 蘇芳さん……私と、以前にお会いしたこと、ありました?」
思わず口をついて出た言葉に、碧羅自身も驚く。
蘇芳と初めて会ったのは、鬼になる直前、死者としてやって来た裁きの間だ。
これほど綺麗な顔のひと、会ったら絶対忘れないだろうに。
「……いや、お前と初めて会ったのは、あの裁きの間だ」
「そう、ですよね……すみません、変なことを言って」
「いや、いい」
そう言って微笑む蘇芳。その表情があまりに優しくて、碧羅は胸がぎゅっとなった。
その感情の正体がわからず、戸惑いがちにもう一度蘇芳を見上げる。
上司としても異性としても、蘇芳は素直に格好いいと思う。
しかし、その上辺だけの感情とは別の何かが、胸の中にある気がしている。
碧羅は、無意識に胸の勾玉を握り締めた。
蘇芳と女子寮の前で別れた碧羅は、そのまま食堂へ向かった。
気を張り続けていたから空腹が限界だ。
仕事が終わってすぐにできたてな料理が食べられることに感謝しながら、碧羅が定食を頬張ると、視界の隅にいた鬼たちがヒソヒソと話している声が聞こえてきた。
「聞いた? 冥府の鬼に、裏切り者がいたって話」
「聞いた聞いた! 地獄管理課の竜胆課長が怪死したのはその裏切り者が、あの呪術師を手引きしたからだって!」
「そうそう! しかも、女だったらしいわよ!」
「ええ? そうなの? 誰だったのかしら。怖いわねぇ。気をつけないと……」
もうそんなところまで話しが伝わっているのか。
一応、今の時点では桔梗は容疑者であるだけで、犯人と決まった訳ではないはずなのだが。
碧羅は、あの蘇芳に心酔していたようすの桔梗が、望んで彼を裏切るようなことをするとは到底思えずにいた。
しかし、だからといって彼女のことを全面的に信じている訳でもない。
と、食事を終える間際に、滅紫がやってきた。
「お疲れ様。向かい、良いかな?」
「はい、どうぞ」
断ってから静かに腰を下ろし、彼女は黙々と白い何かを頬張り始める。
聞くところによると、それは女子寮の食堂特製の筋肉飯なのだという。要は高タンパクなものをぎゅっと凝縮した何かである。
鬼も栄養素とか気にするんだ、と変なところで驚く碧羅だ。
「……滅紫さん、聞いても良いですか?」
「うん?」
赤目である滅紫は、碧羅から見るとだいぶ先輩にあたる。しかし彼女は見た目のゴツさとは裏腹に、気遣わしげな表情で首を傾げる。
「鬼が乱鴉の傀儡になった場合、その鬼はどうなるんですか?」
「傀儡の度合いにもよるけど、もし自我を完全に失ってしまい、元に戻る可能性がないと判断されたら、焼滅処分になる。自我があり、解呪が確認されたら、始末書程度で済む」
「始末書……悪いのは乱鴉なのに?」
「現世と地獄を守るべき冥府の鬼が、呪術師ごときに操られて、守るべきものを危険に晒すなんて言語道断、ってことだと思うよ」
確かに、たった一人が傀儡になったがために、現世と地獄が期間に晒されるなんて、あってはならない。
「勿論、新人の場合は呪詛耐性も低いことが多いし、ある程度情状酌量の余地ありとされるから、極端に心配することはないよ」
滅紫はそう言って、最後の一口を放り込む。
「……桔梗さんのことが気になる?」
「はい……」
素直に頷いた碧羅に、滅紫はふむ、と頷いた。
「じゃあ、桔梗さんの部屋に行ってみようか? 私の部屋の隣なんだ」
彼女の提案に、碧羅は頷いて席を立った。
しかし、当然というべきか桔梗の部屋のドアを叩いても応答はなく、ドアには鍵がかかっていた。
「……まぁ、そりゃそうか」
肩を竦めた滅紫に、碧羅も小さく頷く。
と、廊下の突き当たりに非常階段があることに気づき、碧羅はなんとなくそちらは歩み寄った。
「緊急時の避難用の階段だね」
内側から施錠されている扉は、簡単に開けることができた。
しかし、当然ながら階段には誰もいない。
「……ん?」
足元に何かを見つけて、碧羅はそれを拾い上げた。
「どうかした?」
「これが落ちていました」
碧羅が差し出したそれは、鬼たちが天元城の出入り口で守衛に提示するのとよく似たカードのようなものだった。
しかし、デザインが異なる上に、書いてある文字は外国語のようで読めない。
「これ、天空庁舎への入館証じゃ……」
滅紫が、何故こんなものがここに、と露骨に怪訝そうな顔をする。
「天空庁舎?」
「冥府でいう天元城の、天国版だよ。神や仏や天使が仕事をしているところだ」
「鬼が天空庁舎の入館証を持っていることってあるんですか?」
「頻繁に出入りする一部の鬼なら持っている……しかしその場合、入館証の下部に赤いラインが入るはずだ。しかしこれは白線……つまり、天使か仏のものということ」
滅紫は口元に手を当てて思案する。
「当たり前だけど、この女子寮に入れるのは、天元城に務める女の鬼のみ……それなのに、こんなところに天空庁舎の入館証があるなんて……」
非常階段とはいえ、一番下の外へ出る扉は内側から施錠されている。
緊急事態の時は内側から簡単に開けられるが、そうでなければ基本外から開けることは不可能である。
「……これは、ちょっと大問題だね……」
滅紫の呟きに、碧羅も嫌な予感を感じて、胸元を押さえるのだった。
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