漆:疑わしき者
碧羅が冥府に戻ると、調査本部にはストロンとユーアが、疲労困憊という状態で机に突っ伏していた。
そんな二人に、滅紫がお茶を運んでいる。
彼女が持つと、湯呑みがやたら小さく見えるな、と思いつつ、口には出さない碧羅である。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……禁鍵門の作動に力を貸して欲しいと言われたんだが、まさかこれほど聖力を消費するとは……」
妖力は、天使でいうと聖力になるのか。
名前からして全く違うもののようだが、禁鍵門の作動に際しては問題ないのだろうか。
「妖力の方が重いからね。妖力専用として作られたものに聖力で代用しようとしたら、そりゃあ大量消費になっちゃうわ」
仕方ない仕方ない、そう言って流す玄。
「何故わたくしが、こんな目に……!」
恨みがましげにユーアが碧羅を睨んでくる。
碧羅を恨むのはお門違いも甚だしいのだが、彼女の場合は禁鍵門を開けるために聖力を使い果たしたことより、碧羅が蘇芳と共に現世に出向いたことの方が恨めしいのだろう。
「今日はもう退勤時間になるし、一旦解散だな」
「もし、退勤後に乱鴉が現れた場合はどうするんですか?」
浅葱が尋ねると、蘇芳が澄まし顔で答える。
「勿論、その場合は対処する。基本的に乱鴉の気配を察知したら俺に連絡が来るようになっているから、休日だろうが緊急出動になる」
「えっと、アタシたちは?」
「勤務時間外のことは各自の判断に任せる。勿論、乱鴉絡みであれば、休日出勤したとしても服務規定違反の対象にならないよう俺が取り計らう」
自己判断で乱鴉に対応するのか。それはそれで難しい気がするが、納得したのか玄は反論せずに頷いた。
「わ、わたくしは当然、平和のために休日でも対応いたしますわ!」
ユーアが名乗りを上げるが、蘇芳は特に応えない。
「……では解散だ。碧羅、寮まで送る」
ユーアへ見せつけるためか、わざとらしく宣言して本部室を出ようとする蘇芳。
ユーアの嫉妬の籠った眼差しから逃れるように、碧羅も蘇芳に続くと、部屋を出たところでパタパタと琥珀が駆け寄ってきた。
「碧羅! また乱鴉が出て、現世に行ったって聞いたぞ! 大丈夫だったかっ?」
本気で心配してくれているらしい琥珀に、碧羅はくすぐったい思いで、つい笑みを溢した。
「大丈夫です。蘇芳さんと玄さんのおかげで、私はこの通り怪我一つありません」
「そうか……良かった」
安堵の息をついた琥珀が、思い出したように蘇芳を振り返る。
「ああ、そうだ。蘇芳さん、松葉が呼んでます。何か、やばそうな感じでしたよ」
「急ぎか?」
「はい。今日中に確認したいって言っていました」
琥珀がそう答えると、蘇芳は複雑そうに顔を歪めた。
「あ、蘇芳さん、私のことはお気になさらず……」
「いや、お前は俺が送る。悪いが、一緒に来てくれ。勿論、この時間は残業と見做す」
先に帰れと言われるかと思った碧羅は面食らいつつ、そう言われては断れないので共に現世警護課へ向かうことにした。
「お疲れ様です。蘇芳さん、お忙しいのにすみません」
松葉が申し訳なさそうに眉を下げ、一枚の紙を差し出した。
「天元城の警備部から報告があったんですが……」
その紙を受け取り、視線を落とした蘇芳は露骨に眉を顰めた。
「……これは、本当なんだな?」
「ええ……少なくとも、検知された事実は間違いありません」
その言葉に、蘇芳は額を抑える。
「おい、松葉、どういうことだ? 何があったんだよ?」
一緒に戻ってきていた琥珀が、怪訝そうに首を傾げる。
碧羅も同様に松葉を見るが、彼は唇を引き結んで視線を落とすだけだ。
代わって、蘇芳が口を開いた。
「……先日の、乱鴉の天元城侵入事件の時、放送に従って、ランク青以下の鬼は皆即座に結界装置のついている食堂や会議室に避難した……しかし、避難せずに城内を彷徨いていた鬼がいたという報告だ」
「念のため聞きますけど、俺と碧羅のことではないんですよね?」
「ああ。お前たちは結界が作動した時点で食堂にいたからな。報告に上がっているのは、一度も結界内に入らなかった鬼だ」
「逃げ遅れたってことでしょうか?」
話が見えずに碧羅がそう尋ねると、蘇芳が静かに首を横に振った。
「違う。有事の際は警備部が城内の鬼の所在を把握し、逃げ遅れて結界に入り損なった鬼がいれば、直接指示を飛ばして手近の避難できる場所に誘導するし、それ以前に、ランク青以下の鬼がうろついてたら、ランク赤以上の鬼が気付いて保護するはずだ。しかし、今回はその報告が上がっていない……しかも、だ」
蘇芳が、言い辛そうに言葉を切る。
「地獄管理課の課長が怪死した際、死亡推定時間に、その鬼が天元城内にいたらしい。勤務時間外にも関わらずな」
「……ってことは……?」
琥珀が何かを悟った様子で松葉を見る。
彼は重々しく頷いた。
「……つまり、その鬼が、乱鴉の傀儡と化していて、乱鴉を天元城へ招き入れた可能性が高いということだ」
「招き入れた……?」
「ああ。聞いていると思うが、天元城は閻魔大王様の加護があり、本来許可のない者は一切入れないようになっている。しかし、乱鴉は現れた……本来結界に弾かれるはずの者を中に入れるためには、中から招き入れるしかない」
つまり、鬼の中に乱鴉に操られている者がいて、天元城に乱鴉を招き入れた、ということか。
「……で、その鬼っていうのは?」
琥珀が尋ねると、蘇芳が苦々しい顔で絞り出した。
「……桔梗だ」
「え……?」
琥珀が、その名前を聞いて言葉を失う。
まさか、同課の仲間の名前が出るとは、思ってもみなかった。
「桔梗が……? まさか、そんな……何かの間違いでは……」
「警備部が桔梗の妖力を検知したことは事実だ……それで、警備部は桔梗を拘束したのか?」
「それが……」
松葉が言い淀む。
「この報告書が送られてきて、琥珀に蘇芳さんを呼びに行ってもらっている間に、警備部に連絡を入れたところ、現在捜索中らしいです」
「捜索中? 体調不良で欠勤中なら、女子寮にいるのではないか?」
「いえ、それが、警備部が女子寮に行き寮母立ち合いの許、部屋を開けたところ、もぬけの殻だったそうです」
「……逃げたか」
蘇芳が口元に手を当て、思案するように視線を落とす。
「蘇芳さん、まさか、桔梗が本当にそんなことをすると思っているんですか?」
「操作されているなら、桔梗の意思は関係ない」
蘇芳は冷静な顔でそう言い、小さく嘆息した。
「……桔梗を探すぞ。悪いが、緊急事態につき、残業命令だ」
「はい!」
「松葉、琥珀、お前達は玄を呼び出し、事情を説明して、地獄を捜索するよう伝えろ。それと、白花にも連絡を入れておけ。出勤要請は不要だが、状況を把握していない白花に桔梗が接触したら厄介だからな」
「わかりました」
二人が部屋を駆け出していくのを見送って、蘇芳が碧羅を振り返る。
「碧羅、お前は俺と来い。調査本部の連中がまだ残っていれば、流石に共有しておかねばならん事案だ」
「はい」
蘇芳と碧羅は、重い足取りで、再度合同調査本部の部屋に向かうのだった。
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