壱:閻魔大王の勧誘
閻魔大王の裁き。
それは今後の輪廻転生に大きく関わるもの。これまでの人生での善い行いと悪い行いを天秤にかけ、天国行きか地獄行きかを決めるのだ。
「都筑碧」
生前イメージしていた閻魔大王とはかけ離れた美青年に見惚れていた碧は、名を呼ばれてはっとした。
「は、はい」
返事をした彼女の顔を一瞥し、閻魔は自身の手元に視線を落とした。
「都筑碧……二十四歳、通勤時、駅のホームから転落、電車に轢かれて死亡……ふむ」
どうやら、裁きの対象者の生前について書かれた資料が手元にあるらしい。それを見ながら、閻魔は眉を寄せた。
そんな険しい顔をされるような悪事に心当たりはない碧だが、道端で警察官に職務質問されているような居心地の悪さを感じる。
「……蘇芳」
閻魔が何もない虚空に声をかけると、突如碧の目の前に青年が現れた。
深紅の長い髪に黄金の双眸、そして頭には二本の細長い角を有し、狩衣のような服を纏っている、これまた美形の青年だ。
歳の頃は二十代半ば程に見えるが、鬼に人間の年齢が適用されるのかはわからない。
そして、その顔を見た碧はどこが懐かしいと思った。
こんな綺麗な顔、一度見たら忘れるはずもなさそうなのに。
「ここに」
「かの術師は?」
「処理済みです」
「……どうやら、この娘は最後の犠牲者のようだ」
不穏な響きに、碧は思わず眉を顰めた。
「犠牲者?」
思わず口から漏れた言葉を聞いて、閻魔大王はわざとらしく一つ咳払いをした。
「都筑碧よ、お前はある呪術師によって呪い殺されたのだ」
「呪い殺された? 何で、私が……」
碧はどこにでもいるごく一般的なOLだ。誰かの恨みを買うようなことをした覚えはない。
自覚がないだけで他者を不快にしせている可能性はなくもないが、だからといって呪い殺されるような心当たりもない。
「お前を殺した呪術師自身には、お前との接点はない。おそらく、お前の存在が邪魔な人間が、呪術師に依頼したのだろう。本来、この閻魔や地獄の鬼が、人間が扱う呪術に干渉することはないが、その呪術師は、看過できる次元を超えてしまっていてな。あまりに本来の天命を無視した死者を出すので、先日そこの蘇芳に対処させたのだが……」
閻魔大王が、赤髪の鬼を笏で指した。
その鬼を見ると、端正な面立ちが苦々しく歪んでいる。
「すんでのところで間に合わず、お前はその呪術師の最後の犠牲者となってしまった。間に合えばまだ現世で、天命まで生きられたものが……」
やや申し訳なさそうな響きを滲ませる閻魔大王に、では生き返らせてくれるのかという期待が、胸の中で膨らみ始める。
「お前を現世に戻してやりたいのはやまやまだが、既にお前の亡骸は荼毘に伏されている。まぁ、もしまだ火葬されていなかったとしても、電車に轢かれて見る影もなかっただろうがな……とにかく、器がない事には、現世で生きることは不可能だ」
生き返る可能性を目の前で否定されて、碧はがくりと項垂れた。
やはり、死を受け入れるしかないのか。
「だが、それではあまりに理不尽であろう。そこで、だ」
閻魔大王が、一旦言葉を切ってじっと碧を見据える。
「お前に二つの選択肢を与える。このまま我が裁きを受け、天国ないし地獄へ行き次の転生を待つか、または鬼となり、我が配下にて働くか」
突き付けられた二択のメリットデメリットがわからず、碧は戸惑いながら蘇芳と呼ばれた鬼を見た。
彼女の意図を察して、彼は閻魔大王の言葉に補足してくれた。
「前者は、天命を全うした場合と同じく裁きを受ける。行き先が天国であれば、魂の休息を経て、再び輪廻転生の環へ戻り、現世への生を受けられる。地獄であれば魂の浄化のため、定められた禊の後に輪廻転生の環へ戻れる。後者は、俺と同じ鬼になるということだ。主な仕事は、地獄から脱獄者が出ないよう死者を見張る獄卒、三途の川の周辺に集まる浮遊霊の対処、現世の目に余るほど危険な地縛霊などの対処だ。仕事の内容は配属される部署によって変わる」
「部署……」
まるで現世の会社のような言葉に驚く。蘇芳は澄まし顔で頷いた。
「ああ。部署によっては日勤もあるが、俺の所属する現世警護課は突発的な問題が起きない限り、夜の九時から翌朝六時時まで、休憩一時間の八時間労働だ。残業もほぼない。勿論、朝の十時以降に勤務が発生した場合は、深朝手当が付く」
「まるでホワイト企業ですね」
思ったことをそのまま口に出すと、蘇芳は心外だと言わんばかりに息を吐いた。
「地獄の鬼が年中無休二十四時間体制で働いていたのは昔の話だ。今は一日八時間労働を上限にした週休二日のシフト制が確立されていて、原則残業はなく、問題が起きた時に残業をすればそれ相応の対価を得られる」
意外すぎる地獄の鬼の勤務形態に唖然とする。そんな碧を見て、閻魔大王は渇いた笑みを浮かべた。
「今は地獄でもコンプライアンスに煩くてな。少しでも過剰に残業させると、神やら仏やらが怒鳴り込んでくるのだ。それがまた面倒でな」
神も仏もいるのか。あの世と呼ばれる三途の川の向こうは、宗教はごちゃ混ぜなのだろうか。
そんな取り留めないことをぼんやりと考える碧だ。
「このまま裁きを受けて地獄行きになるなら、鬼になった方が待遇が良い。勿論、天国行きになる自信があり、すぐにでも転生して人生やり直したいというなら止めないがな」
突き放しているようで、碧に鬼になってほしいと言っているように聞こえる口振りだ。
「ちなみにお給料……というか、報酬はどうなるんですか?」
先程、蘇芳は『対価』という言い方をした。
コンプライアンスがどうのこうの言っているくらいだから、無償労働ではないのだろうが、そもそも地獄で通貨制度があるかどうかも謎だ。
「ああ、報酬は獄務ポイントと呼ばれるポイントで支払われる。単位はヘルで、初任給はひと月で30ヘルだ」
「獄務ポイント……ヘル……」
単位が滅茶苦茶英語だけど良いのだろうか。
というか地獄の共通言語は日本語なのか。
そんなことが頭を過ぎる。
「ちなみに、基本的な衣食住でそのポイントを消費することはない。住まいは寮があるし、食堂で三食無料で提供される」
「じゃあ何のためのポイントなんですか?」
「贅沢したければポイントを消費することになる」例えば、寮ではなく三途の川の上流の景観のいい場所に家を建てるとか、食堂ではなく天国の有名店からケータリングするとか……」
「三途の川の上流……景観のいい場所……天国の有名店、ケータリング……」
もはやどこからつっこんだら良いのかわからない碧だ。
「……で、どうするんだ? 決めかねるなら少し猶予をやっても良いが……」
閻魔大王がちらりと出入り口を一瞥する。
この後も死者は大量に並んでいる。私一人にあまり時間を割く訳にはいかないだろう。
「……あの、鬼になったら現世に行くこともできるんですか?」
「ああ、現世警護課に所属となれば、定期的に現世に赴くことになる。まぁ、行ったところで常人に鬼の姿は視認できないし、原則干渉することはできないがな」
蘇芳が答える。
現世に行くことができるなら、残してきた家族や友人のその後を確認することもできるだろうか。
干渉できない以上、何もすることはできないのだろうが、突然死んでしまったので、せめて一目だけでも様子が見たいと願ってしまう。
「……わかりました。鬼になります」
腹を括った碧がそう答えると、蘇芳が「賢明な判断だ」と静かに頷き、閻魔大王も満足げに一つ頷くと、手元にあった笏を軽く振った。
「そうか。では、鬼としての名を与えよう」
「鬼としての名?」
「人間ではなくなることの証として、名を捨てるのだ。都筑碧、お前の名はこの瞬間より『碧羅』だ」
碧の漢字を残してくれたのは、閻魔なりの温情だろうか。
碧羅と呼ばれた瞬間、碧の身体に熱が走った。
まるで何かが組み替えられるような感覚に、思わず身を縮める。しばらくして痛みが収まると、彼女の額には角が生え、手の爪がわずかに鋭くなっていた。
「……えっ、本当に鬼になった?」
自分の両手を見て驚く碧、もとい碧羅に、蘇芳がどこから出したのか、手鏡を向けた。
鏡の中には、見慣れた自分の顔がある。ただし、額には角が生え、髪は鮮やかな青色に変わり、瞳の色が闇のような漆黒になっていた。
こうして、都筑碧は死に、碧羅という名の鬼が誕生したのだった。
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