肆:天国弁当
浅葱が壁に貼り出したのは、鬼側が有していた乱鴉に関する情報だった。
「続いて、事前にいただいた天国側の資料です。内容が同じものは重ねて、異なるものは並べて貼り出します」
壁一面に資料が貼られていく。
意外にも、全く同じ情報というのはあまりなく、少しずつ情報にずれがあった。
「……ここ百年で現れた乱鴉の肉体は皆、それぞれ別の人間のもの、か……やはりそうか」
貼り出された紙の一枚に目を留めて、蘇芳が小さく呟く。
天使側のみが有していた情報には、乱鴉の肉体の情報が記されていた。
「ああ。そちらから提出された情報を元に、肉体の出所を調査した結果、それぞれ別の魂の情報と合致した」
アイアが頷く。
乱鴉は蘇芳が魂まで焼き尽くして滅ぼしたとされているが、肉体の情報とやらは天国が把握しているのだろうか。
碧羅が首を傾げる向かいで、アイアがとある一枚を見て目を瞠った。
「それより、乱鴉の最古の記録が、鎌倉時代というのは本当か?」
「ああ。ただ、その頃はまだ冥府側も管理体制が不十分だった。正直確実な情報とは言い難いが、記録されている術式の内容を鑑みると、ほぼ間違いないと、俺は考えている」
蘇芳の言葉に、何故か目を輝かせて頷くユーア。
漠然と、彼女と桔梗を会わせてははいけない気がする碧羅である。
「鎌倉時代からの呪術師か……」
ストロンが、意味深長な表情で呟く。
「術式だけを継承した別人という可能性はないのか?」
「最古の記録の人物が同一人物という確証はないが……少なくとも、俺が鬼となってから遭遇した乱鴉、十三体は全て同じ魂だった」
ほう、蘇芳は乱鴉に十三回も遭っているのか。
「……なるほどな」
「天使の中で、乱鴉に遭遇したことがる者は?」
「いない。情報だけを元に追いかけてはいるが、なかなか尻尾を掴むことができずに、今に至る」
「まぁ、天使はそもそも現世どころか、天国行きが決まった死者以外には干渉しないからねぇ……」
玄が少々嫌味っぽく言い放つと、アイアが露骨に不愉快そうな顔をした。
「それはそもそも神と仏と閻魔大王で取り決めたことだ。僕達に言われても困る」
「わたくしは、これを機に天使ももっと冥府と関わりを持つべきだと思いますわ!」
前のめり気味に訴えるユーア。
何故か碧羅を一瞥して頷くアイアと、意外にもストロンもそれに同意する。
「同感だな。三世界平和のためには、天使も鬼も協力すべきだ」
三世界とは、現世と天国と地獄のことか。
天使側が協力すべきだと主張するのは正直意外だが、乱鴉のような得体の知れない危険分子に対して
協力して捕らえるべきだという意見には賛成の碧羅だ。
「……それについては、そっちで神に稟議書でも提出してくれ」
至極面倒臭そうな顔で話を切り上げると、蘇芳は壁の時計を見た。
「……一旦休憩にしよう。一時間後に会議を再開する」
蘇芳はそう言って立ち上がると、碧羅に歩み寄った。
「碧羅、少し話がある。一緒に来てくれ」
「は、はい」
「玄、アイア殿たちに食堂の案内をしてやってくれ」
「はーい」
天使の相手を玄に丸投げして、蘇芳は碧羅を促してそそくさと本部室を出た。
「……蘇芳さん、話って……?」
少し移動したところで碧羅が口を開くと、蘇芳が気まずそうに視線を逸らした。
「何もない。ああでも言わないと、あのユーアとかいう天使が、休憩時間中にくっついてきそうだったんでな。巻き込んですまん」
モテる男は大変だな、と他人事のように思いつつ、いつも毅然としている蘇芳が辟易としている様子に、なんだか哀れに思えてしまう。
「蘇芳さん、夜食はどうするんですか?」
「今日は購買で済ます」
「では私もお供します。単独行動厳禁ですから」
「……そうだな」
碧羅が少し冗談めかして言うと、蘇芳はふっと表情を緩めた。
その優しい表情に、思わずどきりとする。
いかんいかん、蘇芳は上司なのだ。生前から社内恋愛はしない主義だっただろう自分、と碧羅は己に言い聞かせる。
天元城にある購買に移動して、並んでいる弁当に目を向ける。
「……あれ? ここのお弁当は無料じゃないんですね」
「ああ、ここで販売されている弁当は、天国から仕入れているだからな」
そういえば、天国からのケータリングでは獄務ポイントを消費すると言っていたな。
と、そうなると鬼になってひと月も経っていない碧羅は無一文であり、弁当を購入できないことになる。
てっきり購買も食堂と同様無料だと思っていた碧羅が固まっていると、蘇芳が小さく笑った。
「奢るに決まっているだろう」
「えっ! 良いんですか?」
「当然だ。俺はお前の上司だし、そもそも購買に行く羽目になったのは俺のせいだしな」
そう言いながら蘇芳は自分の弁当を選ぶ。
「どれにする?」
尋ねられるが、十種類程並んでいる弁当の違いが全く分からない。
蓋で中身が見えず、説明は書かれているが、全く知らない料理名を並べられても想像ができない。
「決めかねるなら俺と同じもので良いか?」
「あ、はい。お願いします」
同じ弁当を二つ買い、蘇芳の提案で二人は天元城の屋上に移動した。
屋上にはいくつかベンチが置かれているが、他には誰もいないようだった。
「屋上なんてあるんですね」
「ああ、役職者以上でないと使用できないがな」
なるほど、そうなるとあの天使たちはここへ来られないという訳か。
「蘇芳さんも大変ですね」
「ああ、鬼なら、ランクがあるから俺相手にあまり強引な迫り方をしてくる奴はいないんだが……天使が相手となると、それがない。断るにも気を遣う」
屋上のベンチに少し間を開けて座り、弁当の蓋を開ける。
冥府は天気が常に曇りであるのが勿体ない。これで晴天なら気持ちよかっただろうに。
そんなことを思いつつ、謎のフライのようなものを口に運ぶ。
「っ! 美味しい! これ、何のフライですかね?」
「さぁな。とりあえず、全部植物だ」
「これ魚じゃないんですか?」
白身魚かと思っていた碧羅は驚く。
「天国は基本的にベジタリアンの世界だからな。だが、肉に対する興味からか、現世の料理をとことん研究して遜色ないものを作り上げているらしい。それ故に、地獄でもヘルシーメニューとして天国からケータリングする健康志向な鬼が一定数いるんだ」
何処の世界でも意識が高い者はいるんだな、と感心する碧羅である。
「蘇芳さんは天国に行ったことがあるんですか?」
「ああ。仕事でたまにな。いい所ではあるが俺には冥府の方が性に合っている」
そうなのか。それはそれで天国にも行ってみたい。
そう思ったのが顔に出たのか、蘇芳はくすっと笑った。
「今度仕事で行くときは、お前も同行するか?」
「良いんですかっ?」
「ああ、俺の補佐として同行する分には構わん」
そうなると桔梗の視線がまた怖いが、しかし天国に対する興味の方が勝ってしまう。
「いつになるかはわからんがな」
「大丈夫です。楽しみにしてます!」
笑顔で頷く碧羅を見て、蘇芳はほんの僅かに、切なそうに目を細めた。
まるで、昔を懐かしんでいるかのような顔だ。
碧羅が不思議に思って問おうかとした、その時だった。
蘇芳の胸元で何かが鳴った。
『蘇芳さん、聞こえますか? 乱鴉の気配を現世で察知しました。大至急向かってください』
誰かの声が聞こえてくる。
蘇芳が胸元から取り出したのは、ピンポン玉程の大きさの水晶玉のようなものだった。
「わかった。座標は?」
『すぐ情報を送りますので、禁鍵門へお願いします』
「わかった」
頷くや、まだ食べ途中だった弁当に蓋をして袋に戻した。
碧羅も慌ててそれに倣う。
「聞こえていただろう。緊急事態だ。急ぐぞ」
「わ、私も一緒で良いんですか?」
「正直懸念はあるが……乱鴉の狙いがお前であれば、これが囮で、俺を現世に誘き出している隙に冥府に現れる可能性もある。いずれにしても、俺と共にいるのが一番安全だろう」
そう言われるとそんな気はする。冥府で最も強い鬼が蘇芳であるなら、彼の隣が最も安全であることは間違いないだろう。
と、流されるように碧羅は蘇芳について、禁鍵門とやらまで走ることになり、「お弁当、途中だったのにな。こんなタイミングで現れるなんて、乱鴉、絶対に許さん」と、不純な理由で怒りを募らせるのであった。
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