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第六話

こちらの話は、第三話で何番の選択肢を選んだかでエンディングが変わる仕様になっています。

いろんなパターンを試して楽しんでいただけると嬉しいです。

「ではホームルームを終わります。各自気をつけて帰るように」


 担任が教室を出て行くと、一斉に動き出す生徒達。我先にと教室を出て行く者や、友達のもとに歩いて行く者。

 普段なら佐和と一緒に帰るんだけど……。

 座ったまま、スマホをいじる後ろ姿に声をかけられない。


 昼休み以降、佐和に話しかけるタイミングを窺ってたけど、話しかけようとしたところで席を立ったりスマホを触り始めたり。まるで避けられてるみたいだった。

 最初は考えすぎかなとも思ったけど、3回連続でそんなことが起きたら偶然とは思えない。


 考えられる原因は一つ。昼休みに話した内容……オレが、今でも佐和に好意を持ってるかって話をしてからだ。

 あの時は、佐和に気持ち悪いって思われたくなくて咄嗟にあんな言い方をしちゃったけど、あの発言が佐和を傷つけたのかもしれない。

 それとも、恋愛感情を持ってるんじゃないかって勘違いされたこと自体が嫌だったとか?

 過去の出来事を振り返ってみると、こっちの可能性の方が高い気がする。


 オレは獅子倉に呆れられるくらい佐和にべったりで大好きだけど、この気持ちは恋愛感情じゃないと思う。小さい頃からの親友で、かけがえのない友達。それ以上の関係は望んでないつもりだし、望まれても佐和だって困るだろうし。


 ただ、他の人から見れば恋愛感情があると思われても仕方ない行動をしてるって自覚もある。それについて佐和は何も言ってこなかったけど、これからはもう少し自重した方がいいのかな。


 この状況を産み出した原因がなんであれ謝りたい気持ちはあるけど、今日は話したくない気分なのかもしれないし、謝るのは日を改めてからにするか。


「先に行くから、気をつけて帰れよ」


 鞄を肩にかけて席を立つタイミングで声をかけてみる。

 無視されるかなと思ってたけど、こくりとうなずいて返事をしてくれた。それだけでも、少し気分が軽くなる。


 下駄箱の前で屈んで靴を履き変えていると、「よぉ、偶然だな」と明らかに不自然な形で声をかけられた。

 この声は顔を見なくてもわかる。


「ついてきたら絶交だからな」

「…っ! つ、ついていく訳ないだろ? 何言ってんだよ。自意識過剰だなぁ~」


 獅子倉の顔は見えないけど、裏返った声で図星だとよくわかる。

 つま先を軽くトントンと地面に打ち付けてから身を起こすと、若干嘘くささの混ざる笑顔で出迎えられた。

「説得力ない顔してんな」頭の中にそんな言葉が一瞬浮かんだけど、獅子倉とじゃれるような気分にもなれず、口には出さなかった。


「な、なんだよ」

「いや、なんでも。ついてこないならいいや。じゃあ、また明日な」

「お、おう。また明日な」


 終始挙動が不自然だったのは気になるけど、オレが本気で嫌がってるのは伝わってるみたいだし、あいつはこないだろう。


 獅子倉の横をすり抜けて、正門とは真逆の校庭に出る。

 (ひさし)の下から出た途端、太陽の光が肌を焼く。四時近いと言っても夏の太陽はまだまだ元気だ。ちょっと自重してほしいくらいには。

 幸いなことに、校舎裏へ続く道は数メートルもない距離にある。さっさと日陰に入ろう。


 校舎脇の道を進み、曲がれば校舎裏の位置に到着。手紙の差出人が先に来てるかも、と壁から向こう側を覗いてみたけど、そこに先客はいなかった。


 まだ来てないか。

 安堵の中にほんの少し落胆を含んだ息を吐いて、目的地に踏み込む。


 木々と校舎に挟まれた空間は少しだけ暗く、少しだけ涼しい。

 校庭から聞こえてくる生徒のかけ声やホイッスルの音も遠く聞こえて、学校の中なのに学校の中じゃないような、そんなおかしな感覚になる。


「はぁ……」


 校舎の壁に寄りかかって、今朝もらった手紙を開く。

『放課後、校舎裏で待ってます』としか書かれてないけど、何時くらいに来るんだろ。行き違いになったりしてなきゃいいけど。








 1.第三話で1番「同じ委員の先輩」を選んだ場合

 →【2】へ




 2.それ以外の選択肢を選んだ場合

 →【3】へ








【2】

「……」


 その時、右の方から聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、女の子の声が聞こえた気がした。

 無意識にそちらを振り返った途端、心臓が思い切り跳ね上がる。

 校舎の壁から半分だけ顔を出した女が覗いていたからだ。


「ひゃああああっ!」


 自分でもびっくりするくらい情けない叫び声が口から飛び出て、反射的に壁から逃げ出す。

 数メートルもしないところで後方確認。

 あれ、いない……?

 バクバクと暴れる心臓を落ち着かせるように、鞄を胸の前に抱えつつ目を凝らす。それでも、顔は見えない。

 見間違いだったかと安堵した矢先、再び同じ顔が現れた。


「んっ!ぐ……」


 何となく予想がついてたこともあって、反射的に叫びそうになる口を無理矢理噛み締めて我慢する。

 痛みで少し冷静になったところで、その顔が見覚えのある人物だということに気付いた。


「もしかして……加納先輩ですか?」


 問い掛けてから数秒。半分だけ出ていた顔が引っ込んで、おずおずといった様子で先輩が出てくる。そして、申し訳なさそうに頭を下げた。


「驚かせてごめんなさい。もう来てるかなって確認しようとしたのが間違いだったわ」

「いえ、こちらこそ。大きな声をあげてすみませんでした」


 オレも頭を下げると、「朝間くんが謝ることないから、ね」と促されて顔を上げる。


 加納先輩は、同じ緑化委員で一つ上の先輩だ。腰まで伸びた黒髪は緩くウェーブがかってて、白のカチューシャをいつもつけてる。顔付きや言動が上品で、どこかお嬢様っぽさを感じさせる美人。多分、めちゃくちゃモテてる。


 頭を下げた拍子に落ちて来た髪を耳にかけながら、先輩がくすっと笑う。


「朝間くんって怖いの苦手だったんだね。映画を見に行った時はそんな素振りなかったから気付かなかったわ」

「実は、あんまり得意じゃなくて。映画見てる時も、ずっと目を閉じてたくらいで」


 いざ指摘されると一気に羞恥心が込み上げて来て、笑顔で照れ隠しをしながら頭を掻く。

 そんなことで馬鹿にするような人じゃないとわかってるけど、あんな情けない声を聞かれてしまったっていうのも羞恥心に拍車をかけていた。


「実は、私もそうだったの。一緒に来てもらったけど、やっぱり怖くて。いますぐ映画館を出ない?って言いたかったくらい」

「それじゃあ、二人して目を閉じてたってことですね」

「ふふっ、周りの人から変な人だって思われたかもね」


 先輩が笑うのにつられて、オレも照れ隠しじゃない本当の笑顔を浮かべる。

 激しかった心音もいつの間にか落ち着いて、和やかなムードが場を包む。

 そう言えば、ここに来たのは手紙をもらったからだっけ。数分前まではそれどころじゃなかったからすっかり忘れてた。


「あの、オレを呼び出した理由を伺ってもいいですか?」

「そうね。そろそろ本題に入らなきゃね」


 今度は先輩の方が恥ずかしそうに視線を逸らして、地面を見つめる。数秒後、ようやく決心して顔を上げた。かと思ったら、オレと視線が合った瞬間、弾かれたように後ろを向いて何かをし始めた。ここからじゃよく見えないけど、何かを食べてる。まさか、人って字を食べてるのか?


 先輩がここまで緊張してる姿は見たことない。なんか、オレまで緊張してきた。

 早まりつつある鼓動がオレの期待を反映してるみたいで、自分のことながら苦笑する。さっきまで佐和のことで気落ちしてたっていうのに、今は少しだけ期待に心が傾いてるなんて。


 先輩がゆっくり振り返ってオレと目を合わせた。

 白い頬が赤く染まっていて、振り絞るようにぎゅっと目をつぶる。


「し、獅子倉くんって付き合ってる人いるかな?」

「え」


 獅子倉? 獅子倉に付き合ってる人?


「い、いないと思いますけど……」

「ほんと!? よかった……」


 目をキラキラと輝かせて満面の笑みでへたりこむ先輩。

 今までみたこともないような笑顔を見て、多少なりとも甘い展開を期待した自分が恥ずかしくなった。

 そりゃそうだよな、先輩とオレとじゃ釣り合わないし。恋愛感情を持たれてるような素振りもなかったじゃんか。勝手に期待したオレが悪いんだって。


 感情が見抜かれてしまわないように、表情筋を総動員して笑顔を作る。


「獅子倉と知り合いだったんですね」

「部活動が一緒なの。最初はちょっと怖いなってイメージだったんだけど、段々といい人なんだなってわかってきてね……」


 嬉々として語る先輩を前に、オレはひたすら頷いて話を聞いていた。

 先輩の中で獅子倉が美化されてるみたいだから現実とのギャップを感じた時が怖いけど、そこは当事者どうしでどうにかすることだ。今、オレに出来ることは一つだけ。


「加納先輩の気持ちはわかりました。全面的に協力します」

「ほんと!? ありがとう朝間くん。あなたに話してよかったわ」


 踊り出しそうなほど弾んだ声。興奮して紅潮した頬。喜びから紡がれた言葉。どれも経験がある。

 ――これで五度目か。何度もそんな経験をしてるのに、呼び出しを受けると今度こそは……なんて、つい期待を抱いてしまう。


 あーあ、なんかちょっと寂しいな。オレのせいで佐和とも気まずい感じになっちゃったし。

 よりどころのない心が奥底に沈んで行ってしまいそうで、取り繕うように笑顔を浮かべ続けた。


 数個の質問を受けた後、加納先輩と連絡先を交換して別れた。

 獅子倉が先輩を好きになるかはわからないけど、あれだけ大きな声で彼女がほしいって言ってるくらいだし、先輩の思いをネガティブに捉えることはないだろう。

 校舎裏から校門に向かう道すがら、獅子倉にメッセージを送る。


『水族館好きだったよな?』

『まぁ、嫌いじゃねーけど。どした?』

『今週の土曜日に緑化委員の先輩と水族館に行くんだけど、おまえも来るか?』

『行く!』


 食い気味の返信に笑いつつ、先輩には了承をもらった旨を伝える。

 この件についてはさっきの話し合いで軽く伝えてあるから、先輩にとって都合のいい日を選んである。

 恋のキューピッドを繰り返してるうちに、だんだんと手際がよくなってる自分が(むな)しい。


 スマホをポケットにしまって前を向くと、校門の傍で佇む後ろ姿が目に留まった。

 首元を覆うくらい長い黒髪。平均に比べて細身な体つき。鞄を肩にかけて下を向くシルエットは見慣れたもので、オレは咄嗟に走り寄る。


「あれ、まだ帰ってなかっ……」


 途中まで声をかけたところで、一時間くらい前に考えていたことを思い出して足を止めた。

 そう言えば、もうちょっと距離をとった方がいいかもとか考えてたんだっけ?

 いつもの癖で思わず走り出しちゃったけど、今から気付いてないふりをした方がいいのか……?


 顔をあげて目標を確認してみる。海のような深い青の瞳と目があった。

 あ、ばっちり見られてるじゃん。今からそんなことしたら、それこそ嫌な気持ちにさせるだろう。


 そんなことを考えていたら、佐和の方から近付いて来た。


「だから期待し過ぎるなって言ったでしょ」

「え?」

「何があったか、顔に描いてあるから」


 表情は素面だけど、少しだけ上目にオレを見るのも気だるげに綴る声も、まるでいつも通りだった。昼休みから感じていた小さなズレなんて、オレの考えすぎだったんじゃないかと感じさせるくらいに。

 この様子からして、佐和はオレが来るのを待っててくれたってことだよな? オレが落ち込んでたら、こうして声をかけられるように。

 佐和の寄り添うような優しさが温かくて、直前に考えていたことも忘れて弱音が飛び出してしまう。


「全部佐和の言うとおりだったよ。期待しちゃったからすげー悲しい。オレってほんとに学ばないよな」

「ほんとバカ。何度同じことしたら気が済むの」


 ぶっきらぼうに言いながら、ぐいっと右頬を引っ張られてじわじわとした痛みが頬に広がる。

 何も言い返せなくてされるがままになってると、「俺もだけど」と小さく呟いて佐和は手を離した。


「え」


 呟きの意味を問いかける前に佐和は歩き始めてしまって、慌ててそのあとを追いかける。


 五時近くにもなると照り付けていた日差しが柔らかくなり、過ごしやすい気温になった。

 どこからか聞こえてくるひぐらしの声を聞きながら、生ぬるい風が吹き抜ける歩道を並んで歩く。


「さっき、何で立ち止まったの?」

「校門で声かけたとき?」


 佐和が無言で頷く。明らかに不自然なタイミングで立ち止まったし、気になるのも無理ないよな。


「昼休みの時、オレが今でも佐和のこと好きなんじゃないかって獅子倉に言われただろ? オレがべったりだからそんな冗談を言われるのかなって思って、ちょっと自重しようって考えてたとこだったんだ。佐和もそんな風に言われるのは嫌だろうしさ」


 目の前の信号機は赤。オレ達はその場で立ち止まった。

 遠くの方でバイクの走り去る音が聞こえる。

 信号機が青になって横断歩道を渡り始めた時、佐和が大きくため息をついた。


「俺はあんな冗談言われてもどーでもいいんだけど。空は嫌だったの?」


 え、どーでもよかったの?

 予想外の返答に思考が停止する。

 以前、似たようなやりとりがあった時めちゃくちゃ嫌がってたから、ああいう冗談は嫌なんだって思ってたんだけど……。

 それを佐和に伝えると、怪訝な顔をされた。


「ほら、中学二年の文化祭の後、伊藤から『可愛く見えてきた』『好きになっちゃったかもしれない』って言われた時、キモいってめちゃくちゃ嫌がってたじゃん」


 当時のことを詳しく説明したらようやく思い出したようで、「ああ」と短く声を漏らした。


「あれは、むりやり女装させようとしてきた上に、鼻息も荒くて妙に興奮してたから。普通に考えてキモいでしょ」


 その時、オレはちょっと遠くにいたから鼻息まではわからないけど、妙に興奮してたのはなんとなく記憶にある。

 その記憶と佐和の説明を加味したうえで想像してみたら、めちゃくちゃ気持ち悪くて佐和に同意することしかできなかった。


「そーゆうことだから。俺の気持ちだけが問題なら気にしないで」

「そっか。よかった」


 ホッと胸を撫で下ろしたら、自然と笑顔が戻ってくる。

 オレをみる佐和の表情も心なしか笑ってるように見えて、オレ達の間にできた僅かな亀裂はもう感じなくなっていた。


「お腹空いたし、牛豚酉(ぎゅうとんとり)行こ。半分出すから」

「えっ、おごらなくてもいいのか!?」

「今日のところは。しょげた顔しててかわいそうだったから」


 いたずらっぽく笑いながらそんなこと言うけど、ほんとは励まそうとしてくれてるんだよな、きっと。


「オレ、カルビ食べたい」

「好きにしたら」


 単語自体はそっけないけど、こんなに嬉しく感じるのは佐和が笑ってくれてるからかもしれない。

 オレって佐和の笑顔が好きだよな、ほんと。


「オレ、佐和の笑顔が好きなんだ。初恋のきっかけも笑顔だったし。あの頃とほとんど変わらないよな」

「……」


 佐和が黙り込んだまま数秒が過ぎた。

 何気なしに言った言葉だけど、これは流石にキモ判定に入ってたか……?

  オレが焦り始めた頃になって、ようやく佐和が口を開く。


「……やっぱ、空がおごって」

「え? さっきの言葉がキモかったから?」

「そーゆうことにしといて」


 下を向いてるからどんな顔をしてるのかわからないけど、声の感じからなんとなくムスっとしてるように感じる。

 またやらかしたのかって考えが頭をよぎるけど、今回はなんだか違う気がする。


「もしかして照れてる?」

「そんな訳ないでしょ、ばっかじゃないの」


 顔を覗き込もうとしたらふいっとそっぽを向かれてしまった。これは確実に照れてるな。

 普段あんまり表情を変えたりしないのに案外てれ屋なところとか、見透かされると動揺しちゃうところとか、正直に言えばめちゃくちゃ可愛いと思う。

 でも、流石にそんなことを言ったらドン引きされちゃうだろうから、この感情はオレの胸の内だけに留めておこう。












【3】

 青い空を見上げて、流れる雲を目で追いかける。白くくっきりとした輪郭のある雲は妙に綺麗で、心が惹き付けられる。

 昔は雲の上を散歩したいって思ってたなぁ。成長してからは、無理だからって端から望まなくなっちゃったけど。


 壁に寄りかかってるだけでも数滴の汗が頬を伝ってきて、肩口でそれを拭う。直射日光があたらなくてもむわっとした熱気は変わらない。

 あー、冷たい水が飲みたい気分。


 持って来た麦茶は全部飲んじゃったから、買うとしたら二階の食堂まで行かなきゃならないのか。


 食堂はオレがいる位置から正反対の端っこにあるから、どんなに頑張っても片道5分は空けることになる。その間に差出人がきて入れ違いになったらちょっと困る。


 スマホで時間を確認する。時刻は16時半に近い。もう三十分くらい待ったことになるのか。

 ここまで遅くなると、オレが来た時には既に入れ違いになった後ってことも考えられるよな。


 壁際から一歩前に出て、背中を軽く叩いて埃を落とす。熱中症になったら大変だし、ちょっとくらい離れてても大丈夫だろ。


 大きく伸びをして脇道に出ようとした時だった。校舎の影から黒髪の人物が現れる。


「まだ来ないの?」


 そう声をかけてきたのは学生鞄の他に薄黄色のトートバッグを肩にかけた佐和だった。オレの周囲に人影がないか探してるみたいだ。


 まさか佐和が来るとは思わなくて、一瞬だけ思考が停止する。

 呼び出しの内容がわからないとはいえ様子を見に来るような性格じゃないと思ってたし、何より、昼休みの一件から変な感じになってたから。


 困惑したまま気持ちが残るまま、「来てないんだ」と苦笑する。


「これだけ待っても来ないんだから、イタズラじゃない?」

「それはわからないだろ、まだ来てないだけかもしれないし……」

「もう来てるかもしれないじゃん」

「それは確かにあるかもしれないけど……」


 不思議に思いつつ、佐和の顔をじっと見つめる。

 オレが待たされたところで自分には関係ないことなのに、ここまで首をつっこんでくるのも珍しい。

 はっきりと目が合ったけど目を逸らしたり焦るようなこともなく、普段と何も変わらない。今日は暑いから心配してくれてるだけなのか?


「心配してくれてありがとな。でも、このまま帰るのはやっぱ気が引けるし、もう少し待ってからにするわ」


 オレの笑顔を見るなり、佐和が小さくため息を吐いて下を向く。








 1.第三話で2番「同じ委員の後輩」を選んだ場合

 →【4】へ




 2.第三話で3番「心当たりがない」を選んだ場合

 →【5】へ







【4】

「勝手にすれば」


 佐和は聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで呟いて、トートバッグをオレに差し出す。


「なにこれ?」

「自分のバッグの色も忘れたの?」

「えっ、ちょっ、まじ?」


 トートバッグを受けとって裏表を確認してみる。裏面には何も書かれてないけど、表面には山吹色のひよこが三匹「ピヨピヨ」と鳴いている。

 名前こそ書いてないけど、これは確実にオレのやつだ。やばい。めちゃくちゃバカじゃんオレ。

 佐和がわざわざここに来たのもこれを届けるためだろう。うわ、申し訳ねぇ。


「ありがとうございます。オレのでした」

「今度は持ってこないから」


 くるりと踵を返して校庭の方へ歩いて行く佐和。その後ろ姿にもう一回「ありがとなー!」と声をかけてからバッグの中身を確認する。

 体育の時に使うジャージとクリアファイルに入った数学の課題。空のペットボトルと、中身の入ったペットボトルホルダー。


「ん?」


 ペットボトルホルダーから白い蓋のペットボトルを取り出してみる。それは未開封の水だった。しかも、かなり冷たい。数分前に、自販機で買って入れたみたいに。


 こんなことできるのは一人しかいない。

 メッセージアプリで「水、ありがとう。明日代金返すから」と送ってから水を飲む。

 火照った体に冷えた水が染み入って、生き返るようだ。

 あんなこと言ってたけど、オレが残るって言うのは始めからわかってたみたいだ。

 さっきはいつも通りに話せたし、明日も今まで通りに話せればいいな。







「六時か……」


 空の色が薄い青からオレンジに変わった。じわじわと汗が噴き出すような暑さもなりを潜めて、生ぬるい空気が一帯を覆ってる。三十分もすればもっと暗くなるだろう。


 両手を上に伸ばして大きく伸びをすると、背骨が小気味いい音を立てた。

 佐和を見送ってから一時間半ちょっと。ずっとここで誰かを待ち続けていたけど、結局誰も現れなかった。


 校庭には部活をしてる生徒がいるくらいで他には誰もいなさそうだし、明かりのついた窓の数からみても残ってる人はあまりいなさそうだ。

 佐和の言う通りイタズラ、もしくは既に帰った後なのかもしれない。


 校舎裏から校庭を抜けて玄関へ。そのまま校門に抜けようとして足を止める。

 あれ……?

 薄暗がりの中、一時間くらい前に見た覚えのある後ろ姿を見つけて、思わず「まだ残ってたのか?」と声をかける。

 それに対してこくりと頷くだけだったものの、そのままオレが近づくのを待っててくれてるようだ。


「もしかして、待っててくれたとか?」

「まぁ」

「えっ!? まじかよ」


 冗談で言ったつもりがまさか正解だったなんて。驚きすぎて何も言葉が出てこない。

 そんなオレを不審に思ったのか、佐和がオレの顔をじっと見る。

 明かりがついてない玄関は薄暗く、ちょうど下駄箱の影が被さっていることも相まって表情が読み取りづらい。

 オレもじっと見つめ返していたら、急に顔を逸らされてさっさと歩きだしてしまった。


「ちょっ、待っててくれたんなら置いてくなって!」


 足早に歩いて佐和の隣に追いつく。

 急に顔を逸らした理由を聞いてみたいけど、答えてくれない気がして呑み込んだ。たまにある事なんだけど、毎回教えてくれないんだよな。


 校門を抜けて、ぽつぽつと街灯が点き始めた道を二人で歩く。

 昼間はうるさいくらいに聞こえていた蝉の鳴き声も落ち着いてきて、ガードレールの向こうを走る車の音がはっきり聞こえる。


「誰も来なかった?」

「誰も来なかった。やっぱイタズラだったみたい」

「そっか」


 佐和が俯きがちに答えて、足元に転がっていた小さな石を軽く蹴った。コンクリートと小石がぶつかって、乾いた音がたつ。

 今日はよく話しかけられるなと思っていたら、またもや「ねぇ」と声をかけられた。


「なに?」

「空がすきなの奢ったげる」

「え、まじ?」


 目を(みは)って驚くと、「驚きすぎ」って肘で脇腹を突かれた。軽い調子で謝りながら、何がいいかな、なんて考える。

 その間、ちらちらと視線を感じるのが気になった。オレがそっちを向くと誤魔化すみたいに目を逸らすのに、視線を前に戻すと見られてる。こんな風に見てないふりをされるのは珍しい。


「なにを奢らされるか気になってしょうがない感じだな」

「そんなんじゃないけど」


 動揺のどの字もないくらい平然と言われた。なら、この線はないな。それなら……。


「俺のことつつき回すより、食べたいの考えてよ」


 口を開こうとした途端、先回りして言われてしまった。くそー、オレの魂胆はお見通しってことか。

 バレちゃったら探りようもない。既に警戒されてる状態から本心を引き出せるほど、オレは口達者じゃないからな。


「じゃあ、ラーメンがいい」

「りょーかい」


 肩からずり落ちかけた鞄の持ち手をかけ直しながら、佐和が頷く。

 何気なくその手元に目をやって気付いた。紺の鞄の上で、デフォルメされた白いウサギのキーホルダーが揺れている。

 こういうのは邪魔だからってつけそうにないのに。よっぽど気に入ってるのか。


「そんなの付けてたっけ?」


 つぶらな瞳でこっちを見つめる白いウサギを指しながら訊いてみる。すると、珍しく焦った様子でそれを内側に隠して下を向いてしまった。


「……っ、どうでもいいじゃん。そんなの」


 長い黒髪が佐和の横顔を隠す。


「そっか。まぁ、別に大した意味はないんだけどさ」


 そこまで慌てる理由もわからなくて、不思議に思いながらもそれ以上追及するのはやめることにした。機嫌損ねちゃったら、ラーメン奢ってくれなくなっちゃうかもしれないし。

 ……なんて言うのは冗談だけど。また余計なことを言って、いつもみたいに話せなくなっちゃうのは寂しいしな。


 ただ、一つ気になってることがあるから、それだけは聞いておきたい。


 髪で隠れててもオレの視線はずっと感じてたらしく、佐和がやや不機嫌そうに「何?」と問いかけてくる。


「今日の昼さ、オレがあんまりにも佐和にべったりだから、まだ佐和のこと好きなんじゃねーのって獅子倉に言われたじゃん。あんな風に勘違いされるの嫌だった?」


「え?」


 ふ、と佐和が顔を上げて足が止まる。切れ長の瞳が丸く見開かれていて、その驚きようにオレも体と思考が停止する。


「いや、前に男から告白された時気持ち悪いって言ってたからさ! 勘違いされるのが嫌ならもう少し距離感とかそういうのいろいろ考えなおそうかと思ってさ!」


 繕うように慌てて付け足したものの、果たしてこれは正解だったのか自分でもわからない。佐和の驚きが何に起因してるのか検討もつかない以上どうしようもないことだけど、額から変な汗が出てくる。


 数秒の間、お互い何も話さなかった。

 遠くの方で車がクラクションを鳴らしてるのが聞こえる。

 この話題を出すのは失敗だったかと後悔していた時、ようやく佐和が口を開いた。


「前の時とは状況が違うし、今回は……だから、別に、やじゃない、けど……」


 下を向きながらたどたどしく綴られた言葉は小さくて、周囲に掻き消されそうだったけど、確かに聞こえた。やじゃないって。

 ほっと胸を撫でおろしかけたところで、まだ安堵するには早いことに気付く。

 あの言い方からするに、聞き取れなかった部分が重要そうだったよな?


「ごめん、今回は……ってところが聞こえなかったんだけど……」


 下を向いたままもじもじしている佐和に半歩近づこうとしたら、一歩後ろに身を引かれた。

 え、避けられた?

 目まぐるしく変わる状況に自分の心が追い付けない。今は許容できる範囲内じゃなかったってことか??

 何も思考できていないのに、勝手にぐるぐると頭の中で掻き混ぜられていく状況と感情。その渦に溺れてしまいそうになる。


「ご、めん。ちょっと動揺して。あんま見ないで。あと、ちょっと離れて」


 これでもかってくらい下を向いた上で顔を背けてるからどんな表情をしてるのか全く見えないけど、髪の隙間から覗く耳が赤い。

 この拒絶って……オレが思ってるよりいい意味だったりする?


 こんな反応を見るとどんな顔をしてるのか物凄く気になるところではあるけど、本人が見ないでって言ってるんだし、今は我慢するか。


 二歩先に進むと、後ろから一歩足音が聞こえる。

 ちょっとだけ離れて、ちゃんとついてきてくれてる。

 今は見せてくれない顔も、いつか見せてくれる日が来たりするのかな。


「ふふっ」

「何笑ってんの?」

「なんでもない」











【5】

「可愛い女の子なんて来ないよ。あの手紙出したの俺だから」

「え?」


 想定外の出来事に、思わず素っ頓狂(すっとんきょう)な声が出る。鏡を見なくても自分の顔が間抜け面だろうなってことはよくわかる。


「だから期待し過ぎるなって言ったでしょ」

「確かに……」


 思い返せばそれらしい反応がいくつかあった気がする。獅子倉に手紙をもらったと言った時も、ちょっと嫌そうな反応してたし。


 こんなふうに佐和から呼び出されるなんて初めてのことだから、何か面と向かって伝えたいことがあるのかもしれない。

 それをそのまま口にしてみたけど、佐和はそっけなく「別に。ただからかっただけ」と肩をすくめた。


 違う。これは明らかにウソだ。佐和はオレのことをよくからかうけど、オレがほんとに傷ついたり嫌な気持ちになるようなことはしない。いつも一緒にいたからそれだけはわかる。


「佐和がからかい半分でこんなことするやつじゃないってことは知ってるからな。本当は別のなにかがあるんだろ?」

「俺のぜんぶ知ってるわけじゃないでしょ」

「確かに全部は知らないけど、そういうことは絶対しないやつだっていうのは断言できる」  

「何それ。俺のこと美化しすぎなんじゃないの?」


 呆れたように佐和はため息をついて、「もう、かわいいさっちゃんじゃないんだよ」と馬鹿にしたように笑って見せる。

 明らかに普段の言動じゃない。まるで、オレの怒りを誘おうとしているかのような態度。隠し事をするのは昔からあんまり得意じゃなかったけど、ここまでわかりやすいのは片手で数える程度だ。そんな時、たいてい深刻な状況が多い。

 普段なら佐和が望まなければ無理に踏み込んだりしないけど、今回は引いちゃいけないタイミングな気がする。


「そうやってオレを怒らせようとしたって無駄だぞ。佐和に煽られてもオレは怒らないから」

「そーゆーオレはお前のこと知ってるぞって感じ、鬱陶(うっとう)しいんだけど」


 針のような視線と刺々しい言葉。それらはオレの心の柔らかい部分をグサッと刺してきて、ちょっと涙が出そうになる。けど、めげちゃダメだ。


「確かに、ちょっと鬱陶(うっとう)しいかも。ごめん。……でも、佐和が話したかった内容が知りたいから。よっぽど大事な用事なんだろ? でなきゃわざわざ呼び出したりしないだろうし……。何か悩みでもあるのか? それとも、言いたいことがあるとか?」


「……」


 佐和は無言でオレを見つめる。いや、睨みつけてると言った方が正しいかもしれない。それでも怯まずに笑顔で佐和の視線を受け止めていたら、小さな声で「絶対に言わない」とつぶやいてそっぽを向いてしまった。


 やっぱり、用があったってことだよな。何の用だろう。わざわざ手紙まで書いて呼び出すくらいだから大事なことなんだろうけど、正直、全く見当もつかない。


「オレにできることは限られてるかもしれないけどさ、佐和が困ってるなら助けたいし、何か悩みがあるなら力になりたいんだ。だから……」


「言わないって言ってんだろ! いい加減にしろよ!」


 周囲に響くほどの大声。言葉や声の大きさだけなら威嚇してるように聞こえるその声は、ところどころ震えてて、泣きそうになりながら必死に強がっているように聞こえた。


 佐和のこんな声を聞くのは初めてで、慌てて謝ろうとするけど、口をパクパクさせるだけでうまく言葉が出てこない。それでも、どうにか謝罪の言葉だけは伝えたくて、動揺しきっている自分の心を落ち着かせる。


「……俺の気持ちなんてわからないくせに」


 顔を伏せたまま、振り絞るように佐和が呟く。かたく両手を握っている姿が必死に感情を押さえ込もうとしているように見えて、心がズキズキ痛む。

 佐和はオレの考えを見透かせて、オレも佐和の気持ちが少しはわかると思ってた。

 でも、それはオレの傲慢(ごうまん)で、本当は少しもわかってあげられてなかったのかもしれない。


「佐和の気持ちを全然わかってあげられなくてごめん。何もわからないのに力になりたいだなんて傲慢(ごうまん)もいいところだよな。佐和のことをわかりたいから、オレなりに色々考えてわかったつもりだったけど、やっぱりちょっと難しいみたいだ。これまで嫌な気持ちにさせた分、これからはそんな思いをさせたくない。だから、ちょっとずつでもいいから、佐和の思ってること、感じてることを教えてくれないか?」


「……」


 沈黙が流れる。


 佐和はオレの言葉を聞いてどう思ったんだろう? 何も言わないのは更に傷口を広げたからじゃないよな?

 普段ならそこまで気にならない「間」が色々な想像を掻き立てて、とても長く感じる。

 早く返答が欲しいと騒ぎ立てる心を押さえつけて沈黙を守った。


 握りしめていた拳から徐々に力が抜けて行って、息を吐きだす。視線は合わないままだけど、それだけで少しホッとしていると、小さな声で「昼休み」と呟いた。


「俺のことが好きなんじゃないかってきかれたでしょ。その時の返答、けっこう傷ついたんだけど」


 緊張しているみたいにたどたどしく伝えられた言葉はオレが気になっていた時のことで、やっぱりかと納得する。

 オレがテンパってたなんて知らないだろうし、あんな言い方をされたらそりゃ傷つくよな。佐和に同じこと言われたら、オレも多分耐えられない。


「オレもその言葉について謝りたいと思ってたんだ。本当にごめん」


 そう言いながら頭を下げる。そのまま、あの言葉を放った理由を説明する。


「中学の時にさ、何回か男に告白されたことあるだろ? その話をしてるときに『気持ち悪い』とか『キモい』って言ってたから、オレが恋愛感情として好きだって思われたら、隣にいてくれなくなるような気がして、誤解を解こうと必死だった。それがよくなかったんだよな、もう少し考えてから話せばよかったって今でも思ってる」


 全てを話し終えた後、ゆっくりと顔を上げる。いつの間にか佐和は顔を上げていて、大きな瞳を丸くさせていた。

 今の話のどこに驚く要素があったんだろう?

 想定外の反応を受けて、心の中が少しだけざわめく。そんなオレの心を更に揺るがすように、佐和は口を開いた。


「なんとも思ってなければそこまで必死にならないと思うけど……。もしかして、俺のこと好きなの?」


 ドキッと心臓が跳ね上がって心臓の音が大きくなる。この質問って、やっぱり恋愛感情としてってことだよな? 友達としてはもちろん好きだけど、恋愛感情って意味ならどうなんだろう……。


 佐和の瞳がじっとオレを見つめ続ける。何かを期待するような眼差し。それでいて、どこか不安そうな色も見える。


 自分の感情がはっきりとわからないから、オレの素直な気持ちを言葉にしてみた。


「友達としてはもちろん好きだよ。それ以上の感情かって言われると、ちょっとわからないけど。誰かとどこか行こって思った時、真っ先に浮かぶのは佐和の顔だし、おいしいものを見つけたら今度佐和もつれてこよって思うし。それから……他の子と話してるのを見ると、佐和をとられたみたいでちょっとモヤモヤするし……」


 最後の部分は面と向かって話すのに照れが出て、ちょっと笑いながら話しちゃったから、オレの気持ちがちゃんと伝わってればいいんだけど。 


「それが正直な気持ち?」

「正直過ぎて、ちょっと照れたくらいには正直な気持ちだな」

「そっか」


 そう呟いた佐和の表情は数時間ぶりに和らいでいるように感じて、オレも体から力が抜けていくのを感じる。 


「じゃあ、俺も正直な気持ちを教えてあげる」


 佐和の正直な気持ち。

 オレのことをどう思ってるか最後に教えてくれたのっていつだっけ? 8歳くらいが最後だった気がする。

 面と向かって言われるとなんだか緊張してきて、それを紛らわせるように笑顔を作る。


 佐和は目を伏せると、おもむろにオレの手をとって自分の左胸にあてがった。


「えっ、えっ」


 そんなことをされるとは思ってなくて、素っ頓狂(すっとんきょう)な声が口から飛び出る。速まりつつあった鼓動が更に速度を増し、うろたえるオレに反して、佐和は笑みを浮かべていた。

 こんな顔をみたら余裕があるんだろうなってオレは考えると思う。でも、手のひらから伝わる鼓動はオレよりももっと速くて、全く余裕なんて感じられない。

 ……これって。


「これが俺の気持ち。空に触れられるだけで、こんなにドキドキして体が熱くなる。……気持ち悪いでしょ?」


 そんな自分が嫌だと自嘲(じちょう)するように佐和は笑うけど、瞳の奥は決して笑ってない。むしろ、悲しみを帯びているようにさえ感じる。

 これまで佐和が感じていた悲しみや苦しみの片鱗を見た気がして、胸が締め付けられた。


 オレはなんて声をかけたらいいんだろう。嫌われたくないからってしてきた言動のすべてが佐和を傷つける刃となっていたなんて……。

 かける言葉が見つからない。気持ち悪いなんてそんなことないのに、たくさんの言葉が喉につっかえて、否定することもできない。 


「空は俺がいいやつだって言ってくれるけど、俺はいいやつなんかじゃないよ。ずっと空をだましてたんだから」


 弱々しい声はところどころ震えていて、大きな瞳がみるみる潤んでいく。それでも、佐和はオレから顔を背けなかった。


「今まで、ウソついててごめんね」


 瞳から溢れた涙が頬を伝って、逃げるように校舎裏から離れようとする。

 咄嗟にその腕をつかんで、自分の元に引き寄せた。

 バランスを崩してオレの方へ倒れこんでくる佐和を抱きとめて、そのまま抱きしめる。


「ちょっ……離して!」


 オレの腕から逃げだそうと身をよじる佐和。それでもオレは離さなかった。ここで手を離したら、もう会えなくなってしまうような、そんな気がしたから。


「ぜったいにやだ。オレの前からいなくなるつもりなんだろ? そんなの絶対やだからな!」

「……」


 佐和の動きが一瞬だけ止まって、図星なんだと確信する。それなら、なおさら離せるわけない。


「空だってやでしょ、自分のことが好きな男が側にいるなんて」

「どんな形の好きだって佐和に言われるなら嬉しいし、気持ち悪いなんて全く思わない。むしろ、佐和がオレの隣にいてくれない方がやだから!」


 佐和に対する離れたくないって気持ちや、何も知らなかった能天気な自分に対する怒りと罪悪感。いろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、自分でもよくわからなくなってくる。

 佐和がオレに好意を抱いてくれてたって事実はまだ現実味がないけど、佐和の好意が気持ち悪いとは一切感じなかった。それよりも、佐和がいなくなることの方がよっぽど悲しくて苦しい。


「さんざん佐和を傷つけて、苦しめてきたオレがこんなことを言うのは我儘だってわかってる。でも、佐和がいなきゃだめなんだ。佐和がそばにいてくれなきゃ……」


 佐和がいない毎日なんて考えたくもないのに、頭の中で勝手に佐和のいない日常が再生される。

 隣を見ても誰もいない。いつもみたいに話しかけても誰も答えてくれない。

 心にぽっかり大きな穴が開いたような喪失感。それだけで目頭が熱くなってきて、それをなんとか振り切ろうとしたら、今度は佐和と過ごした日々が勝手に再生され始めた。

 一緒にご飯を食べたときのこと、動物園に行った時のこと、花見に行った時のこと。どれもすごく楽しくて忘れたくない思い出。それは佐和がいてくれたからだ。他の誰が一緒でも、ここまでの感情にはならない。

 ……ああもう、なんで止まらないんだよ。


 過去の記憶が次々によみがえってきて、元々ぐちゃぐちゃだった感情がさらに掻き乱される。

 緩みかけていた涙腺から涙が溢れて、ぼろぼろ零れた。


 オレが鼻をすする音を聞いて、それまで逃げ出そうともがいていた佐和が動きを止める。


「……泣いてるの?」


「離れたくないなって思ったら、楽しかった記憶とか色々思い出しちゃって」


 笑って誤魔化す余裕もなくて、涙声になりながら答える。羞恥心は残ってるけど、理性で制御できないくらい感情が先行してて、もうどうしようもない。


 お互い鼻をすする音だけが聞こえる。

 佐和は何も答えてくれなくて、もうどうしようもないかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった時、佐和が「……ふふっ」と笑った。


「そんなことで泣かないでよ、バカ」


 口では悪態をつきながら、佐和の手がオレの背中をトントンと叩く。まるで小さい子をあやすような仕草だし、こんなふうにぼろぼろ泣いたことも合わさって、凄く情けないし恥ずかしい。

 けど、抱きしめ返してくれたってことはオレの気持ちが少しでも伝わったってことなのかもしれない。それだけで、こんな醜態を晒したことなんて些細なことに思えた。





 佐和から一緒に帰ろうと誘われて、俺達は帰路についた。


 最初に泣いたのは佐和だったけど、その後もべそべそしてたのはオレの方で、佐和よりも目が腫れるという意味わからん状態になってしまった。

 佐和にひとしきり笑われてから顔を洗いに行ったおかげで少しは落ち着いたけど、まだ目が腫れぼったい。


 今の季節が冬ならよかったのに。冬場ならこの時間帯でも周りが暗くなり始めるから。


 街灯すらつかない明るさの中、二人並んで歩道を歩く。いつもと変わらない帰り道。一度は叶わないかもと思った望みが叶えられて、オレはだいぶ元気を取り戻していた。

 ただ、数十分前に号泣した恥ずかしさがまだ残ってて、話しかけたい気持ちはあるけど話しかけられない。

 それは佐和も同じなのか、うつむきがちに歩きながら黙り込んでいた。 

 傍から見たら、オレ達はちょっと変にみえるかもしれない。並んで歩いてるのに何も話さないで、お互いコンクリートと見つめあって。  


「……そんなに俺と離れたくなかったんだ」


 ぽつりと独り言のように佐和が呟く。視線は相変わらず数メートル先のコンクリートを見てるけど、オレの返事を待ってるみたいだ。


「泣いたのは自分でもびっくりだけどな。オレにとって、それだけ佐和の存在って大事なんだと思う」

「そっか」


 短い返事を残して佐和は口を閉ざす。オレ達の横を車が通りすぎて、弱風が肌を撫でる。


 会話はそこで途切れたかと思ったら、「あのさ」と佐和は続けた。


「……ほんとの気持ちを伝えたら、もう一緒にいられないかもって思ってたから、それを知った上で一緒にいたいって言ってくれて、嬉しかった。ありがと」


 オレに顔を向けて、恥ずかしそうにもじもじしながら自分の気持ちを伝えてくれる。

 そんな姿をみてたら、もう泣かせたくないし、幸せにしてあげたいって気持ちが込み上げてくる。

 他の男友達に対してそんな感情を持つかと聞かれたら、持たないだろう。自分のせいで泣かせた罪悪感とか申し訳なさみたいなのはあるだろうけど、「幸せにしてあげたい」っていうのはちょっと違う気がする。

 告白されたり付き合うことを考えても同じだ。やっぱり、佐和だからこそ受け入れられる。

「オレも佐和と同じで、一緒にいられなくなるのが嫌だったからさ、自分の気持ちに正直になれなくて……」


 自分で言いかけておかしいことに気づく。今の言い方はまるで、自分の気持ちがわかってるのに認めないようにしてたみたいじゃないか。


 やっぱり、オレは恋愛感情があるのか?


 動揺してる思考達をいったん落ち着かせて、順を追って考えてみる。


 オレは佐和が大事で大好きだ。多分、他の友達と比較しても抜きん出るくらい。でも、それは友達としてであって、恋愛対象じゃ……いや、正直に言えばそう思い込もうとしてた部分もあるかもしれない。

 恋愛対象として好きなんじゃないかってよぎるたびに否定して、自分のほんとうの気持ちは意図的に考えないようにしてた。答え次第では今までの関係値が脆く壊れてしまいそうな危ういことだからこそ、答えを出すのが怖くて目を背けてたっていうのもあるし、佐和は同性からの告白を気持ち悪いって言ってたから、答えを出したとしても絶対に受け入れてもらえないと思ってたから。

 でも、実際はオレのことが好きって言ってくれてる訳で……。


 あれ、それじゃあもう()()()()()()()()()()のか。


 その瞬間、オレの中でぐちゃぐちゃに絡まって鉛のように重くなっていた感情が綺麗にほどけて、驚くほど軽くなる。


 そっか、オレはずっと前から佐和が好きだったんだ。


「なに? 気になるんだけど」


 やや緊張した面持ちで佐和が続きを急かす。もしかしたら、なんとなく察してるのかもしれない。


「オレ、ずっと前から佐和のこと好きだったって、今気づいた」

「……」


 オレがそう言った途端、隣にいたはずの佐和がいなくなる。あれっと思って振り返ると、顔を真っ赤にした佐和がうつむきがちに固まっていた。


 可愛い。自分の気持ちを素直に受け入れたおかげか、これまでの数倍そう感じる。

 思いっきり抱きしめて、可愛いって言いたい衝動に駆られるけど、なんとか理性で押さえつけた。


 オレたちの間だけ時が止まったような世界がしばらく続く。時が動きだしたきっかけは、佐和の小さな「ばっかじゃないの」と言う言葉。


「だよな、オレもそう思う。佐和に嫌われたくなくて、必死に自分の気持ちにウソをつくあまり、佐和を傷つけて……ほんとにごめんな」

「……」


 佐和は片手で顔を覆いながら黙り込む。無視してるって言うよりは、必死に何かを考えてるような雰囲気。


「ごめん。急にあんなこと言って驚いたか?」

「……そりゃ、驚くに決まってるじゃん。こっちは8年間の片想いを終わらせるつもりだったのに、それでも一緒にいたいって言ってくれて、あまつさえ昔から好きだったって言われて。嬉しくない訳ないじゃん」


 相当パニックになってるみたいで、今まで聞いたこともないくらい佐和の感情がはっきり伝わってくる。

 めちゃくちゃ嬉しくて満面の笑みをうかべるオレを見て、佐和は自分が口にしたことに気づいたみたいだ。


「ち、ちがう! 今のナシだから! 聞かなかったことにしてっ!」


 喜びを溢れさせるオレとは対照的に、佐和は早口で否定したかと思ったら、いきなり早歩きで先に行ってしまう。


「あ、おいてくなよ! 」


 慌ててその後を追いかけるけど、それに追い付かれまいと佐和も逃げる。まるで追いかけっこみたいな構図。


 佐和に恋をしたあの頃もこんなふうに遊んで、手を繋いだり抱きしめあったりしてたっけ。


 今では、照れが生まれて中々そんなことできないかもしれないけど、いつかあの頃みたいに大好きだってつたえあえるといいな。


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