2:お忘れですか?
「キャサリン、血迷ったか!? 公爵家に過ぎない君が、王族であるこの第二王子に対し、婚約破棄をつきつける!? これは王族に対する不けい」
「婚約破棄を、公爵家である私から申し上げることは、不適切。それどころか不敬罪であると、殿下はご指摘されるかもしれません。ですが、殿下。締結した婚約契約書の第七条、第三項をお忘れですか?」
「?????」
テネシーの目が泳ぐ。
これは当然だろう。
だって。
婚約契約書は全五十ページに及ぶ。普通、何が書かれていたなんて、覚えているはずがない。
「第七条で定めているのは、婚約破棄が問答無用で適用される場合の条件です。第三項では、婚約者がいる身でありながら、別の相手と浮気した場合、婚約が破棄されるということが書かれています」
これには舞踏会に参加している多くの令嬢達が、青ざめている。
テネシーが多くの令嬢からちやほやされ、遊んでいたことは、暗黙の了解。それが今さら公の場で指摘されるのかと、戦々恐々になったのだ。
一方のテネシーは、少し汗をかきながら、私に尋ねる。
「まさかキャサリン、君はわたしが浮気をしている……とでもいいたいのか?」
「そうです」
「……証拠があるのか?」
いつの時代も物を言うのは証拠。
だがこの乙女ゲームの世界では違う。証拠より証言が有利になる。権力者が「シロだ!」と言えば、クロであってもシロに変わってしまう。
「証拠があるのか、と聞いているキャサリン。わたしは自分の無罪を証明できる人間を」
「殿下、これをご存知ですか?」
同行していた年下のいとこのジョセフィーヌから、本を受け取る。
本の表紙を見た周囲の貴族達は、ざわざわと反応した。
「なんで突然ロマンス小説がここに登場する?」
「お分かりになりませんか?」
「……?」
テネシーはアイリーンと顔を見合わせ、半笑いになる。
私がおかしくなったと思っているのだろう。
「このロマンス小説は、ここ、王都のみならず。このストラスバーグ王国は勿論、隣国でも大人気です。主人公は架空の国の第二王子。婚約者のいる王子ですが、その美貌から数多の女性と浮名を流します。その細部に渡る描写が人気を博し、婚姻前の男女が、こぞって勉強のために読むこともあるとか」
「それがどうしたというのだ?」
「この小説には、浮名を流した女性との密会時間と場所、その詳細が詳しく書かれています。その意味が分かりませんか?」
周囲の令嬢達は理解した。俯いて心の中で「大変なことになってしまった」と思っている。でもテネシーはまだ気づいていないようだ。
「登場人物の名はすべてアナグラムにしてありますが、紐解けばすべて実名です。そしてこの小説の作者は私。公爵家の密偵をメイドや従者として送り込み、この一年かけ、殿下の浮気の証拠を集めました。そしてロマンス小説として出版したのです。この小説はフィクションでありません。ノンフィクションなのです」
「な、なんだと……!」
この世界では、純潔であることを重視されるのは、王族の婚姻のみ。貴族であれば、乙女ではなくても許される。よって多くの令嬢が、遊びであってもテネシーと一線を越えていた。
そして前世で記者をしていた私は、筆が早かった。この一年で出版したロマンス小説は、全部で三十冊ある。つまり三十人分の浮気の証拠を揃えていた。本当はもっと多くの証拠を押さえている。でもこの三十人を選んだのには、意味がある。勿論、ロマンス小説にふさわしい場面を提供してくれたから、選んだわけではない。
「ふざけたことをしてくれる。そんなもの、証拠になんてなるわけがない。……証拠だなんてことを言い出すならば、よかろう。裁判で決着をつけてやる!」
テネシーが挑むように私を見た。
こうしてこの乙女ゲームの世界では前代未聞となる、王族と公爵家の婚約を巡る裁判が行われることになった。