2:ヒーローは現れない。だが
「キップ第三王子殿下」
凛とした女性の声に、キップの眉が、訝しげに上がる。
声の方を見ると、そこには紫色のジャケット、深いスリットの入った、ジャケットと同色のロングスカートという、大変スタイルの良い女性がいる。
輝くようなブロンドの髪には、ベールのついた紫のトークハット。くっきり二重で、ルージュはたっぷり。ジャケットのボタンがはちきれそうな胸元、きゅっと上向いたヒップ、スリットから見える黒のタイツの脚線美。ヒールもとても高い。
なんて圧倒的な存在感なのかしら。
「殿下。熱弁を振るわれているところ、申し訳ないですわ。ですが既に、持ち時間を十五分、オーバーされていることはご存知かしら? この世の中、時間は貴重です。そろそろ終わりにしていただきたいの。順番では、次にスピーチするのはこのわたくし、学園理事のクローディア・ナッシュですから」
理事長……!
学園において、学園長より力を持つのが、理事長だ。かつ、この理事長は、五つしかない公爵家の筆頭と言われるナッシュ家の女当主。その名はクローディア。若くして夫を亡くし、その後は学園教育に熱を入れているという。
普段、学園に顔を出すことはないと聞いている。だが今回の卒業式は、王族もいるため、顔を出したのかしら?
この国では王族が絶対と思われるが、実はそうでもない。
五つの公爵家は相応に力があり、この五つの家が手を組むと、その財力は王家をしのぐとも言われている。ゆえにキップも、タイム・オーバーを指摘されては「申し訳ありません」と頭を下げるしかない。
キップに代わり、ホールのひな壇の中央に、ヒールの音をカツカツ響かせ登場したクローディアは、ゆっくり話を始める。
「我が学園でいじめがあったのなら、それは由々しき事態。なぜ学園長や教頭、教師たちが気づかなかったのか。わたくしは学園理事という立場から、彼らの罪を問いたいと思います。なぜ、キップ第三王子殿下が言うようないじめが起き、目撃者もいるのに、先生方は気が付かなかったのですか?」
問われた学園長や教頭、教師たちの顔は、サーッと青ざめる。
これまでキップの話を、他人事のように彼らは聞いていた。ところが今この瞬間、ステージの中央に、いきなり連れ出されたのだ。しかも筆頭公爵家の当主であり、理事長であるクローディアから。
「わたくしはこの学園の理事として、先生方の行動は監視させていただいています」
監視。
つまり理事長は、定期的に学園の様子を報告する間者を、校内に忍ばせている――ということだ。これには学園長や教頭、教師たちが、お互いの顔を見合わせている。監視していたということは、これから何か問われ、答える時。嘘はつけないと、認識したわけだ。
「キップ第三王子殿下が指摘する、噴水突き飛ばし事件が起きた時間。美術教師のホフマン先生は、美術室にいましたよね。美術室からは、噴水が丸見えのはずです。どうして目撃できなかったのでしょうか?」
問われた初老のホフマン先生は、白髪びしっしりの頭を撫でながら、目を白黒させている。
「先程のキップ第三王子殿下の話を聞く限り、噴水で起きた出来事は、大騒動です。通常なら気が付くはずです。気づかないというということは、ホフマン先生は、美術室にいなかったことになります。しかもそれなりの時間を、ですよ。まさかさぼっていたのですか?」
「ち、違います! さぼるなど、断じてありません。……その日、美術室にいましたが、噴水で騒動は……ありませんでした」
「そうですか。ありがとうございます、ホフマン先生」
ホフマン先生を皮切りに、理事長は、噴水が見える場所にいたすべての教師に尋ねた。キップが指摘する、噴水突き飛ばし事件が起きたというその時間、噴水で何かを見たかを。シシリーを噴水に突き飛ばす私を見たかどうかを、尋ねたのだ。
その結果は――。
「キップ第三王子殿下。なぜでしょうか。五人の教師はすべてその時間、噴水が見える場所にいました。ですが、噴水突き飛ばし事件を、誰も目撃していませんね」
指摘されたキップの顔は、青ざめている。
「それにですね、わたくし、その日のその時間、この学園の近くにいたのですよ。卒業式には、国王陛下夫妻が、いらっしゃることになっていました。警備に問題がないか、愛猫を連れ、確認していたのです」
理事長の付き人らしき女性が、ひな壇の袖から現れた。そして彼女の腕に、子猫を渡す。
赤いリボンのついたその猫は……!
「この子はわたくしと同じで、好奇心旺盛なんです。わたくしの腕から逃げ出してしまったの。全く女の子なのに、暴れん坊で困っちゃうわ」
そこで理事長が私に、ウィンクをした。