敗北の条件
残月篇 その1
武声王、九死に一生――群星連盟、躍進の代償――葛ノ葉国、一死零殺――。
どの見出しもピンと来ない。職場でPCの画面とにらめっこしていた市役所広報課の職員・篠宮はメガネを外して天井を仰いだ。ヘアゴムで束ねていた髪の毛をふたたび束ね直す。
「ナーニ悩んでんだ?」専属カメラマンの大野が缶コーヒー片手にPCを覗き込む。
「なんだ見出しかよ。次は劫火の七人しかないだろ」
「でも……いいんですかね? 羅睺関連はみんなタブーなのに……」
十年前の羅睺の変に関する記録はすべて抹消された。以来、戦史などの文書はもちろん口に出すのもはばかられた。現在、羅睺にまつわる一切は、当時を生きた市民の記憶のみである。
「残月は葛ノ葉国の武将として現れたんだろ? もう許されたんじゃねえの?」
「なるほど……残月さんって、他の劫火メンバーに比べて活躍が地味だったとか?」
「いや、残月はいわゆる斬り込み隊長だ。単騎で敵陣に突っ込んで戦況を作ることも多かったって聞くぜ? 殺した葛ノ葉兵の数なら雷霆とタメを張るだろうな」
「そうなんですか……」
「何かしらの恩赦があったんだろうさ。じゃないとこの状況は説明できない」
「……ですよね」
「とはいえ稟議は回しとけよ? いっても十年前だからな。悪夢から醒めないヤツも多い」
「大野さんは実際に彼らを見たことが?」
「一度だけ、少しな。羅睺の戦はいつも電撃だったから、戦場についたころには毎度すべてが終わった後だった。ただ、俺の知り合いがまさに残月を見たことがあってな。なんでも約50メートルの範囲内の敵をすべて一刀で斬り伏せたらしい」
「ご、ごじゅう……!?」
「もちろん真偽不明だ。でもな、強いのはたしかだ。劫火の七人ってのはそんなバケモノの集まりだ。それが同じ時代に生きてると思うとクラクラするよ」
「羅睺はよくそんなヒトたちを従えてましたね。カリスマ性ってヤツですか?」
「君主に忠誠を誓う理由は人それぞれだが……一説にはこう言われている。劫火の七人が束になっても羅睺にはかなわない――ってな」
「え……」篠宮は無意識に呼吸を止めた。
「これこそ真偽不明だ。誰も羅睺が闘っているのを見たことがないんだから」
「どうしてですか……? やっぱり君主だから?」
「それもあるが、羅睺は戦場で車椅子に乗っていた。移動はいつも兵士に押させて自分では歩かなかったほどだ。あるいは歩けなかったか……だから『車輪の王』と呼ぶヤツもいたよ」
「大野さん、めっちゃ詳しいですね」
「リアルタイムで追ってたからな」
「え、じゃあ劫火の七人で誰が好きでした? 参考までに!」
篠宮は目をキラキラさせて大野を見た。
「俺は……やっぱタイラント・ジョゼだなぁ」
「それって如是のことですか? タイラント?」
「暴君って意味だ。ジョゼはまさに暴君そのものだった。誰より小さなカラダで、誰より大きなチカラを振るってたんだ。暴力と自由の化身のような姿……忘れられねえよ」
「へぇ……そんなに」
篠宮は大野の言葉に心の滲みを感じた。
「あ、もう昼休みか。篠宮、ラーメンでも食いに行くか?」
「いえ、お昼はパン買ってます。見出しを決めなきゃなので!」
そうして、篠宮は一つの見出しを作った。『劫火の七人――再び――』
しかし、その見出しが月刊広報誌『ほしなぎ』に掲載されることはなかった。
代わりに採用されたのは『群星連盟、崩壊への序曲』という一文だった――。
炎国の居城・楪城の天守閣――水祝町を見下ろす執務室には重苦しい空気が漂っていた。
古色を帯びた重厚な机を挟んで佐々良と対峙するのは『うつぼ』こと冠城干城である。
机の上には冠城が持って来た広報誌『ほしなぎ』があった。
崩壊への序曲――この一文が群星連盟への向かい風を生み出している。街の空気はこういったモノからも醸成される。群雄たちは広報活動にも気を配らなければならない。
「女公よ――今朝、蓬莱国と山名インダストリーから連盟離脱の申し出があった。桃花源国と哭陵国はすでに離れ、加盟国は雨来国と連理国を残すのみ」
「……そうか」
「それだけか? 我が国の国体がかかっておるのだぞ!? お父上の守り継いだこの国に性急な改革をもたらし、あまつさえ敗戦の災禍を呼び込んだ。この責をいかがするのか!」
珍しく気色ばんだ冠城干城は先代の股肱の臣だった。
実の娘である了子のクーデターによる代替わりで離反した他の古参たちとは違って、いまだに臣従しているのは、国が過った道をたどらぬよう監督するという信念からである。
「この首を斬るか? 私が父にそうしたように」
冠城は押し黙り、鋭い眼を佐々良に向ける。
「我が愚弟に伝えよ。この座が欲しければ、あたたかいベッドから出て私を殺しに来いと」
そのとき執務室に獅群兜太が入って来た。
「冠城さん、あまり佐々良を責めないでくれ。王の首級を獲れなかったのは俺の責任だ」
「獅群よ、此度のことは将の責を超えている。試されるは君主の器だ」
「そんなら、コレを聞いたら卒倒しそうだな――ついさっき、童冥が裏切った」
「……なにっ!?」冠城は上擦った声をあげた。
「仔細は?」佐々良は目を細めて冷静に問う。
「元傭兵軍団をつれて椋木城ごと葛ノ葉国に寝返ったとさ。ご丁寧にも挨拶に来た。何でも一番高く売れる時に売ったそうだ。合理的すぎて笑っちまった」
「調略されたというのか……だから傭兵ごときを組み入れるのには反対だったのだ!」
冠城はいよいよ感情をあらわにした。
佐々良、どうする? と獅群は軽く問う。が、それは怒りの言葉にかき消された。
「どうするだと!? 怒り狂う巨龍を前にして味方は逃げ去り、臣下は裏切った。手足をもがれたどころか臓腑まで食い破られたのだぞ!? 他国はすでに沈みかけた船として炎国を見ている。惨めな敗者なのだ! この期に及んで何ができる!?」
執務室の荒んだ空気に佐々良の涼やかな声が響く。
「炎は風を孕んで燃え盛る――夜明け前、ここに来たある男が言った言葉だ」
「それがどうした!?」
「私が子宮を持って生まれた意味がやっとわかったのだ。すべては風を孕むためだとな」
「……何……?」
「私は炎国の君主であり群星連盟の盟主だ。主としての責務はただ一つ――諦めぬこと」
冠城は歯を食いしばり、骨が浮くほど拳を握る。佐々良はなおも続ける。
「その男はこうも言った……今こそ風が吹く時だ、と」
「もはや付き合い切れん……ッ!」
そう言って冠城は後ろ足で砂をかけるように執務室から去った。
「冠城さんの気持ちはよーくわかるけどな、カッハッハ」獅群は乾いた声で笑った。「俺も今朝まではあんなだったぜ」
「……思い出さないか、獅群」
「あん?」
「お前と歌藤、そして火影衆と一緒にこの城に討ち入った時、失うものは何もなかった。あるのは熱い衝動だけ。不思議なものだな。今が一番……燃えて来た」
佐々良は心底楽しそうに高揚した表情を浮かべていた。それを見た獅群はフッと笑う。
「妬けちまうなァ。お前にそんな顔をさせる男は今どこにいる?」
「連理国に。ああは言ったが兵は要る。募兵活動だそうだ」
「悠長だな。だが葛ノ葉は俺たちに時間を残した。童冥はあえて平時に背を向けたワケだ。それが意味するのは大戦の予兆。だろ?」
「見せしめに我が国を潰すだろうな」
「そんなら俺もあがいてみるか」
そう言って獅群は佐々良に背を向けた。
「どこへ行く?」
「古巣だ」
獅群が向かったのは竜胆区の繁華街の一画にある『クロウズバー』という店だった。治安の悪い場所として有名で、昼でも薄暗い通りには武器を持った傭兵たちがたむろしている。
獅群は店の前に深紅のボディのクーペで乗り付けた。ガラの悪い傭兵たちが一斉に好奇の視線を向け、車から降りて来た金獅子の姿を見るやいなや目がギラついた。その中で特にハデな不良集団が獅群を囲んで因縁をつける。ガムを噛みながら獅群を睨んで言った。
「あんた金獅子だろ? オレたちに仕事くれよ? オイシイ仕事を――」
獅群はしゃべっている途中の不良の頭を掴んで地面に叩きつけた。周囲の取り巻きたちは恐怖と衝撃で尻もちをついて後ずさった。
「チッ……ガキが気安く話しかけんな」
「獅群、店の前を汚すな」
顔面タトゥー入りのスキンヘッドの巨漢が獅群の前に立ちはだかった。この男はクロウズバーのバウンサー。いわゆる用心棒である。獅群は巨漢を見上げる。
「砂山サン、俺の愛車を見ててくれよ。ガキが十円傷でも入れねえようにな」
「テメェは出禁だ。何したのか忘れたのか」
「保険入ってんだろ。通さねえと毟るぞ。あ、毟るモンなかったな」
「ガキが……昔みたいにボコボコにしてやろうか」
「ああ? 今がいつだと思ってやがる。脳味噌アップデートしてやろうか?」
獅群が闘気をにじませたその時、店の中から老年の女性の声がした。
「獅群、砂山。殺生するならまとめて殺すよ?」
奥から現れたのはダークブラウンのレザージャケットに黒いエンジニアブーツを履いた白髪の女性だった。彼女は霧崎董子。クロウズバーのオーナーである。董子の登場に、砂山と呼ばれた巨漢は畏まって一歩下がると手を前に組んで頭を垂れた。
クロウズバーは傭兵組合『刀世連』に属さないアンダーグラウンドな傭兵たちの拠点の一つである。董子は表の秩序に馴染めない彼らに仕事を世話しているフィクサーだった。
「獅群……葛ノ葉相手にしくじったそうじゃないか」
「ああ、言葉もねえ」
「で、あの小娘から逃げて来たって?」
「佐々良は最高の君主だ。だからこそ来た」
「あのクソガキからそんな殊勝な言葉がね……今日は特別だ。入んな」
「剣城さんは?」
「いつもの箱」
董子が目で示したのは半個室のように区切られた奥のボックス席である。クロウズバーの店内は荒ぶった傭兵たちの行き場のない闘気と腹底に響く音楽で満たされている。獅群はその中を平然とした足取りで進み、ひときわ静かなボックス席の前で止まった。
フライトナーズ――そこはもう何年も彼らの指定席となっている。
かつて獅群が在籍していた傭兵隊である。クロウズバーの常連で、彼らに憧れてこの店にやって来る不良も多い。
頭領は剣城洋司。四十がらみの長髪の男で、昼間から酒を喰らう側近たちの中で一人ソファに深く腰をかけて物思いに耽っていた。獅群が現れるとゆっくり顔を上げる。
「よぉ獅群……珍しい顔だ」
「ご無沙汰です。傷は疼きますか、剣城さん」
「傷だと? どこだよ」
「デッカい心の傷ですよ」
獅群がそう言った瞬間、グラスを煽っていたはずのイカつい側近たちが、それぞれの武器を一斉に獅群の喉元に向けた。獅群は汗一つかかずに見慣れた顔ぶれをゆっくり見渡す。
「みなさん、ちょっと老けましたかねェ?」
側近たちの一人、サングラスの男が応える。
「獅群テメェ……裏切者が今さら何の用だ」
「カタギになったぐらいで大げさな。仕えるべき主君を見つけた。前にも言ったでしょうが」
「……で、そのカタギが俺たちに何を?」剣城が言った。
「もう知ってると思うが――残月が出た」フライトナーズたちの顔が強張った。「そこでアンタらの力を借りたい。剣城さん、今がリベンジの時だ。残月に輪切りにされたアンタが、このまま終わっていいワケがねえ。そうだろ?」
「フッ……挑発で俺を動かして、愛する女公に尽くそうって?」
「否定はしねえ。すべては佐々良のためだ」
「葛ノ葉にケンカ売るだけじゃなく、周りを巻き込んだあげくに尻尾巻いて逃げたヤローが、今度は救いを乞いに来た。足抜けを黙認しただけでも慈悲深いのに、俺は聖人かァ?」
剣城の言葉にフライトナーズのメンバーたちは笑った。
そんな笑い声の中、獅群は無言で膝をつき、両手と額を床につけた。あの獅群兜太が土下座をした。その光景を目の当たりにして、笑っていたメンバーたちは驚いて息を呑む。
「佐々良のためならアタマ一つ安いもんだ。剣城さん、どうか一緒に戦って欲しい」
「獅群……そんな安い演技で俺が――」
「俺はアンタに憧れていたッ!」獅群は土下座をしたまま声を張った。
「だがアンタは残月に斬られてから腑抜けちまった……ビビってんのを認めろよ剣城洋司! 次の戦で残月は必ずやって来る。アンタが本当に名を上げるのは……今だろ!」
「獅群……テメェ……」
「俺が昔アンタから教わったのは、ビビったら負けってことだった。だが今はこう思ってる。負けってのはビビることじゃねえ。ビビったまんまでいることだってな」
そう言って獅群は立ち上がり、手と膝をはたいた。
「雑魚はもう飽きただろ? 龍を喰おうぜ! フライトナーズ!!」




