史記には書いてあるけれど
旗揚げ篇 その3
鶏口となるも牛後となるなかれ――。
史記・蘇秦伝にはそう書いてあるけども、実際に鶏口であり続けるのは難しい。
だからこそ多くの人は牛後を選ぶ。
この街に生まれたからには、合戦とは無関係ではいられないからだ。
基本的に高校を卒業したら大きく四つの道が待っている。
一つ目、星凪市役所に入って、どの国や傭兵隊にも所属せず、合戦を記録・管理すること。
二つ目、絶対王朝・葛ノ葉国と六つの王国、そしてその従属国に所属すること。
三つ目、その反対の道――つまり、葛ノ葉国と戦う道だ。
四つ目、まわり道。大学で軍学や政治学を学ぶか、浪人や傭兵として気ままに生きるか、他にも鍛冶屋や甲冑師を営んだり、軍略塾や武術道場を開いたりなどなど。
たいていの場合、みんな牛後――つまり葛ノ葉国を目指す。
葛ノ葉国への仕官こそが王道で、厳しい試験を突破して召し抱えられればこれ以上の親孝行はない。なぜなら葛ノ葉国は千年も続く大樹のような国家で、その安定ぶりイコール豊かな暮らしだからだ。武官・文官として葛ノ葉国に所属することは最高のステータスだ。
「さて……獅群とやらにラブレターの返事を出そうじゃないか」
何だか頼りない鶏口こと曲直瀬さんは不敵な笑みを浮かべて言った。
三日後、炎国の獅群兜太と会うことになった。
獅群からの返事の内容は実にシンプル。時と場所。それだけ。
勧誘のメッセージなのに世辞の一つもない。傲慢にも思える印象だけど、それだけ実力に自信があるということだろう。
この街ではこのようにして勧誘の手紙が秋の終わりの落ち葉ぐらいにやり取りされている。それだけ優秀な武官と文官には需要があり、そのぶん好待遇だ。
獅群のメッセージでは具体的な待遇、つまり俸禄にも触れていない。今日の会合でその話をするのだろう。炎国は商業ビルの多い都市部を押さえているので税収も多く、軍資金は潤沢だと聞いている。部将クラスはみんな高級車に乗っているとか……一体どんな金額が出るのか。
というわけで、ぼくらは炎国の支配領域である『水祝町』の中華料理店に向かった。
午後七時――。織幡さんはいない。なぜかぼくと曲直瀬さんの二人だけだ。
「大丈夫ですかね……」
「ギャラ交渉に弱気は禁物だ。自分を安売りするとナメられる。オラオラで行け」
「オラオラで……ですか」
「オラオラだオラオラ」
「わかりましたよ……はぁ」
ぼくが今進んでいる道は細道もいいとこだ。あるいは獣道かもしれない。
約束の場所についた。シックな壁に金の装飾。いかにも高級そうな店構えだ。
中に入って背筋が冷えた。血気盛んな若者たち数十人がたむろしていたのだ。落ち着いた雰囲気の内装に似合わないヤンチャそうな風貌で、ぼくらを見てニヤニヤしていた。
「会合の場所、ほんとにここでいいんですか? やっぱり織幡さんを連れて来たほうが」
「ニーナは部下だぞ? 上司のおれが来て何の不足があるんだ」
怯え気味のチャイナドレスの女性店員さんに促され、赤い絨毯の床を通って奥の個室に進んだ。オシャレな格子窓と灯篭の間接照明に囲まれた薄暗い一室で、獅群兜太は足を組んだふてぶてしい態度で待っていた。そのかたわらにサラサラヘアーの銀髪で耳にたくさんピアスをした若い男が後ろに手を組んで控えている。
「よぉ……アンタが鬼姫のご主人サマかい。俺は獅群兜太だ」
真夏の日差しのような金色の髪はたてがみのように雄々しく、眉は雷のように迸り、大きな瞳にはその名に恥じない獅子のような獰猛な輝きがあった。
これが――炎国の金獅子か――。
戦場じゃないのに闘気がにじみ出ている。ぼくは圧倒されて言葉も出なかった。
「肝心の女傑はどうした? 欠席か?」
「ああ、呼んでない」
軽く言ってのける曲直瀬さんを獅群はジっと見つめた。
「そりゃ残念。ウワサの美女をひと目見ようと若い衆が集まったんだがな……おいジロー」
獅群は銀髪の男に振り向いた。そうだ思い出した。
このヒトは御船二郎――獅群の右腕として多くの戦で功を挙げた男だ。
そのド派手なシルバーヘアーかつ、あま~いベビーフェイスな風貌にもかかわらず、冷酷無比で苛烈な仕事ぶりから『銀狼』という二つ名がついた。これまた新進気鋭の若手武将だ。
「外の連中を帰しとけ。闘気がクサくてかなわん。お前も上がっていいぞ」
「……うっす……」銀狼こと御船二郎は音も立てずに出て行った。
部屋にぼくら三人だけになり、テーブルに次々と豪華な中華料理が運ばれてきた。
「よかれと思って中華にしたが……お好みだったかな?」
獅群は挑発的な目をしていた。
曲直瀬さんの第一声は? と思って彼を見ると、すっかり料理に目を奪われていた。
無理もない。これは満貫全席だ。色とりどりの食材を煌びやかに盛り付けていて、まるで百花の花畑のように眩しい。曲直瀬さんは生ツバなんか飲んでいる。
「あぁ、素晴らしい……憧れの北京ダックちゃん……く、食っていいのか?」
「もちろん」
「し、支払いは……?」やはり金欠君主。お金が気になるのか。
「カッハッハ、俺に恥をかかせるな」
「あ、ありがてぇ……!」
曲直瀬さんは煌びやかな中華料理にがっついた。そうだった。給料日はまだ先だ。今も貧しい食生活を送っているのだ。そんな曲直瀬さんを品定めするように獅群は凝視している。
「まわりくどいのは嫌いだ――なあアンタ、鬼姫をいくらで売る?」
単刀直入とはまさにこのこと。
でも、曲直瀬さんの手は止まらなかった。点心をモグモグ咀嚼している。
「うちの鬼姫の俸禄はゼロだ。兼業だからな」
「まさかボランティアだってのか! アレほどの女が!」
「だが、タダより高いモノはない。お前にそれ以上の額が払えるか?」
曲直瀬さんはまだモグモグしながら挑発的な目つきで獅群を見る。
「はっ……ハッハ! じゃあ傭兵隊ごと買ってやる! いくら欲しい!?」
ようやく曲直瀬さんは箸を置いた。白磁の茶器のジャスミン茶をズズズと飲み干す。
「お前、いつもそうやって女を口説いてんのか?」
「……ああ?」獅群の額にわずかに青筋が浮かび、闘気がピリリと張り詰めた。
「非公式だがあいつの武力は90ってトコらしい。鬼姫は自分より弱い男には靡かんぞ」
獅群の闘気が一気に膨れ上がった。その迸りは部屋を破裂させんばかりだった。
ギャラ交渉に弱気は禁物だといっても、これは明らかな挑発だ。曲直瀬さんの考えがわからない。
「俺より鬼姫が強くて……その鬼姫よりもお前が強いって……?」
「当たり前だ。おれが本気出したらなァ、お前なんかけちょんけちょんだぞ!?」
けちょんけちょんなんて言う人ほんとにいたんだ……ダサ……。
「聞き捨てならねェな……今すぐやるか?」
「いいぞ。このマントウを食い終わったらな」
獅群は目を見開いたまま、闘気が渦を巻き始めた。その凄まじさにテーブルの食器がガタガタと震えている。でもそのすぐあと、闘気はフッと消えた。あれほど猛り狂っていたものをパッと抑えられるというのは並大抵のことじゃない。この男――やっぱり強い。
「カッハッハ! 面白い! 俺に勝ったら何でもくれてやるよ。金か? 城か?」
城――! これがあれば国興しの条件を一つ満たせる。
昔から国興しに必要なモノとして『城持ち、人持ち、お金持ち』と言われて来た。
実際、役所に申請するのに必要なモノだ。旗揚げこそ誰でも気持ち一つで出来るものだが、国となるとそうはいかない。いきなりこんな好条件が飛び出すなんて。
まさか曲直瀬さんはこれを引き出すために獅群を挑発していたのだろうか?
最速で建国するために――。
「そのうちわかるさ」