チャイナドレスには理由がある
旗揚げ篇 その2
スーパーでのバイト中、スナック菓子の品出しをしながらぼくはボーっとしていた。
曲直瀬惣介と鬼姫――たしか傭兵隊『龍絶』を名乗っていた。
龍帝を戴くこの街で『龍を絶つ』なんて物騒な名前だ。
龍帝とはこの星凪の地が始まって千年間ずっと象徴として君臨し続けているトップオブトップの帝王。星凪の歴史から言えば、暴龍を討伐してその血を飲み、龍をも超えた始祖――の血を代々受け継いでいる正統そのものだ。
そんじょそこらの群雄なんか、路傍の石どころか砂利に付着した微粒子レベルの汚染物質に過ぎない。
さて、傭兵格付け会社『MRC(mercenary-rating-company)』のサイトで検索すると、龍絶の名前こそあるものの格付け判定はまだだった。出来たてホヤホヤらしい。
役所から建国を認可される必要がある国家と違って、傭兵隊は傭兵組合の窓口で登録すれば誰でもかつ一人からでも結成できる。毎日どこかで新たな傭兵隊が生まれているのだ。
にしても、あんなに強い女性が――そして、それを従えるあのヒトは――。
「比賀宮くん、ちょっと」
不意に店長に呼ばれてハッとした。あわてて品出しの手を速める。
「す、すみません! ちょっと寝不足で!」
「いいよいいよ、ちょっとキミに新人さんを紹介しようと思って」
「新人……?」
振り向くと、店長の隣にあのヒト――曲直瀬惣介が立っていた。
「今日からここで働く曲直瀬さんだ。レジとか品出しとかアレコレ教えてあげてほしい。ちょっと年齢がいってるから、他の学生の子たちよりはキミのほうが適任だろう」
よろしくねー、と言って店長は乾いた笑顔で去って行った。
「曲直瀬惣介、30歳です。よろしくお願いします」
新品のエプロン姿の曲直瀬さんは言った。
「えっと……比賀宮優です……あの、この前お会いしましたよね?」
「うん」
「どうしてここに……? 曲直瀬さんって傭兵隊のリーダーじゃ」
「話せば長くなる……そもそもの始まりは青龍偃月刀を買おうとした時――」
そのとき、背後から若い女の人の声がした。
「早い話が、軍資金の枯渇です」
振り向くと黒いスカートスーツ姿の女性が立っていた。ちょっと地味だがよくよく見ればものすごく綺麗な顔立ちで、立ち姿にブレがない。腕には買い物カゴをさげている。
「えっ、軍資金……ってことは……このヒトは」
曲直瀬さんはぼくに向かって深くうなずく。
「比賀宮くんには話しておこう――この者こそ織幡新菜――鬼姫だ」
「あ……あぇぇえええ!」
「店員さん、武将チップスはここにあるぶんだけですか?」
「あっ……えっと」
「お、こういうとき何て言うか知ってるぞ」曲直瀬さんは嬉しそうに言った。「ここになければないですねー、だな? そうだな?」
ちょっとウザいなこのヒト、と一瞬思った。
「え、あ、はい。今日箱買いされたお客様がいましてバックヤードにも在庫は……」
「そうですか……じゃあ残りをすべていただきます」
織幡さんは棚に残り三袋になった武将チップスをカゴに入れた。
武将チップスは星凪市の武将たちのトレーディングカードがオマケとして付いた人気のスナック菓子だ。幻のレジェンドレアともなればウン百万円で取引されている。
「曲直瀬さま、自分の食い扶持は自分で稼いでくださいね」
そう言って、織幡さんは颯爽と去って行った。所作も美しい人だった。これまで無名だったことを考えると、普通に仕事をしているわけだ。一体なんの仕事なんだろう。
曲直瀬さんは週三日の勤務になった。仕事自体はそつなくこなすが、虚弱体質らしく週末ともなると顔に死相が浮き始めた。あの戦場での涼しい顔がウソのようだ。
「ちょっとファミレス行きませんか? 今日はおごりますよ」
ある日のバイト終わり、メシに誘うと曲直瀬さんは顔を輝かせてついてきた。ほんとにお金がなくて空腹だったらしい。ステーキ定食を注文すると泣きそうな顔をしていた。
「夢にまで見た肉だ……ありがてぇ……ありがてぇ……!」
曲直瀬さんは目の落ちくぼんだ餓鬼のような顔でメシをかきこんだ。
「そんな大げさな」
「前に住んでたとこじゃ精進料理ばっかり食わされた。久しぶりの肉だ……しみる」
「あの……あなたは一体」
「こないだ旗揚げしたんだよ」
「旗揚げ……本当だったんですか」
自分だけの旗を掲げる。国を興すこと以外に、傭兵隊を結成することもそう表現する。
傭兵隊のリーダーは領土がなくても群雄の一人として数えられる。新興国の建国は数年に一度のレベルだから、旗揚げといえばまず傭兵隊の立ち上げのことだ。
「兵装を揃えていたら軍資金が尽きた。あの青龍偃月刀を覚えてるか? アレだけで150万はくだらない。チャイナドレスだってニーナの体型に合わせたオーダーメイドだ」
「え、前の戦で敵将の首級を挙げたのなら、特別ボーナスでもあったのでは?」
「ニーナに取られた。幼い子供のお年玉のようにな」
「えーっと……龍絶でしたっけ。部下は何人いるんですか?」
「二人だ。うち一人は文官だから、戦力は実質ニーナ一人だな」
「そ、その人数で国盗りを……?」
味噌汁をすすっていた曲直瀬さんの目がギラリと輝いた。
「そこだよ。わずかな手札で勝負に出るとき、最善の手は何だと思う?」
「えっ……さぁ……?」
「たった一枚でいい。強い手札があると周囲に思わせるのさ」
ぼくはハッとした。最初が肝心、と曲直瀬さんは言っていた。こないだの戦いで織幡さんは勇将と名高い甘粕文吾を討ち取った。それがもたらすものは――とてつもない宣伝効果。
曲直瀬さんはニヤリと笑った。
「チャイナドレスと青龍偃月刀の他にも候補はあったんだよ。セーラー服と日本刀。メイド服と金砕棒。ゴスロリ衣装と死神の鎌。銀の甲冑とレイピア。で、戦略会議を重ねた結果アレになった。単騎突入からの一撃必殺と来れば……やっぱり関羽のイメージじゃん?」
「じゃんと言われましても……はぁ」
「コスプレ美女が颯爽とあらわれて紫電一閃! 目撃者はこう思う……あの美しい豪傑は誰だ? それを従える君主はどんな大器だろう? とな。するとどうだ? 我が軍に欲しい! ぜひとも好待遇でウチに来てくれ! と――これこそまさに最善の一手だ。ワッハッハ!!」
曲直瀬さんはお腹が満たされてすっかり調子を取り戻したようだった。そこにツカツカとヒールの音がした。噂をすれば鬼姫の影。仕事帰りらしい織幡さんがやって来た。
「ご機嫌ですね。私の武力で十分効果的だと軍師殿がおっしゃっていましたが」
「フッ……いいかニーナ、ビジュアルとはわかりやすさだ。本を読むには時間がかかるが、絵画を見るのは一瞬だろ? 相手にコストをかけさせずに売り込むには視覚情報が大事なんだよ」
織幡さんは無表情で聴いているが、その目の奥にウザ……という冷めた色が見えた。
「私は納得していませんが……」
「とにかくエサはまいた! お前がここに来たってことは、食いついたな?」
織幡さんは小さくため息を吐く。ぼくの隣でカバンからタブレット端末を取り出した。
「公開済みのSNSアカウントにDMが来ています。一つ、高名な相手が。三通目です」
そういって曲直瀬さんに手渡す。画面の中身はどうやらメッセージのようだ。曲直瀬さんはストローでオレンジジュースを飲みながら画面をスワイプして確認した。
「これか……えーっと差出人は炎国の獅群兜太……誰だ?」
「えええっ!! あの獅群を知らないんですか!?」
ぼくは思わず声を上げた。曲直瀬さんは眉間にしわを寄せる。
「……あの?」
「獅群兜太といえば『金獅子』の二つ名で超有名な猛将ですよ! もともと傭兵隊のフライトナーズ時代から有名でしたが、炎国の君主『蒼炎の女公』こと佐々良了子に仕えてからはさらに武名を轟かせて、そろそろ武葉十傑に入るんじゃないかって有力視されてる武将なのに!」
二人とも無表情でぼくを見つめた。引いてる? いやいや逆にどうして知らないんだ?
炎国は現在31ヵ国ある星凪市の中でもトップクラスに勢いのある国だ。
代替わりしてから今の国名に変わって約五年。三つの小国を食い潰して現在の領土を手に入れた。一年目の侵攻スピードはあの羅睺を彷彿とさせたため、女公・佐々良了子とその腹心たちの名声は一気にこの街に轟いたのだ――と、いうことをかいつまんで説明した。
「……さすが武将マニア」
「今さらですが曲直瀬さま、この方のご紹介がまだですが」
「バイトの先輩・比賀宮くんだ」
「あ、どうも」ぼくは改めて織幡さんに挨拶した。「で、あの獅群が曲直瀬さんに何を?」
「ラブレターだよ。まあ、正確には俺じゃない。ニーナ宛だ」
「炎国の他にも六件スカウトが来ています」
「おいおいモテモテだなぁ! ええ? ニーナ? 口説かれる気分はどうだ?」
「別に……慣れてますから」
「……ん? それはどっちの意味で?」
「そんなことより、どうされますか? 軍師殿をお呼びに?」
「いや、アイツには知らせるな。小言はうんざりだ」
「ハァ……どうなっても知りませんからね」
織幡さんはため息を吐いた。うんざりといった様子だ。でも、ぼくは違った。胸の奥に灯っていた小さな火が、ドッドッドと心臓の鼓動に合わせて大きくなるのを感じていた。
「あ、あの! ぼ……ぼくを龍絶に入れてください!!」
気づけばとんでもないことを言い出していた。
でも、ここで言わなければ曲直瀬さんとはただのバイト仲間で終わる気がしたのだ。縁は自分の手で繋がなければすぐに切れてしまう。やっとつかんだ縁を手放すわけにはいかない。
「比賀宮さん、私たちは弱小組織です」そう言ったのは織幡さんだ。「わずかな資金と人員でやりくりしています。無計画に登用できるほど余裕はありません」
「待て、ニーナ。どうにもおれは世情に疎い。比賀宮くんはいろいろ詳しそうだ」
「ですが、情報なら私や軍師殿だって」
「それだけじゃダメだ。情報とは皮膚感覚を伴って初めて戦略に生かせるものなのさ。これから歴戦のナマモノを相手にするんだ。普通であること――それが強力な武器になる」
曲直瀬さんはしばらくぼくを見つめたあと、ニヤリと笑った。
「ようこそ我が龍絶へ――『雑兵』の比賀宮くん。ひとまず試用期間ということで」
「は……はい!」
この瞬間、ぼくの進む道が決まった。