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無『名』だけど業物です

旗揚げ篇 その1

 歴史が燃えた――。

 夜天やてんを焦がす赤熱せきねつと、闇よりも濃い黒煙が、終わりの始まりを告げる狼煙のろしと化した。

 きらめく星々はみな目をつむり、月はその姿を日の光から隠していた。

 凍てつく炎の渦の底で、対峙する二人の人影。互いに刀を携えている。

 一人は長い白髪の老人。その胸骨は肉に浮き上がり、柳のように儚げに佇んでいる。

 もう一人は白銀の鬼面の剣士。黒いいくさ装束に身を包み、人の形をした静謐せいひつと化している。

 二人の間に声も言葉もなかった。そして同時に刀を抜いた――。

 この日、ある一人の英雄と七人の臣下は。火を放ったことで悠久の咎人となった。

 一夜にして永遠にも近しい千年の歴史が崩壊したのである。

 現代において『国盗り合戦』の息づく街――星凪ほしなぎ市の歴史が。


          ※


 一国一城の主になりたい――。誰もがそんな夢を抱いて育つ。

 この街ではそれが当たり前の世界観だ。

 なぜならそれが可能だからだ。誰でも自分の頑張りしだいで、城を持っては国を治め、兵を率いて敵を打ち倒し、地位も名声もお金も手に入れることができる。そう、できるのだ。

 物心つく前から親兄弟の武勇伝を聞き、武芸や軍学の勉強に励み、学校を卒業するまでに進路を決める。

 武官になるか――文官になるか――それとも――。

 数多の夢の到達点。それが立派なお城から街を見下ろすお殿様――君主だ。

 人々の上に立ち、勇猛な武将や切れ者の軍師に命令を下すのだ。

 それこそがみんなの夢の最大公約数――。

 だけど、正直ぼくにはどうでもよかった。

 クラスメイトたちが「あの武将が天下無双!」とか「あの軍師みたい戦況を一変させる策士になりたい!」なんてことをキャッキャと話しているのを冷めた鼓膜で聴いていた。

 一軍を率いる猛将として、神算鬼謀の軍師として、戦場を駆けまわり、華々しい手柄を立てたいだって? いやいや、この世は持って生まれたモノがすべて。


 人の夢なんて、儚いだけだよ――なんつって。


 事実、武将専業でメシが食えるヒトはほんのひと握りだ。他の99.9%の人間たちは自分の名前を染め抜いた軍旗を掲げることなく雑兵として人生を終える。夢は見れば見るほど傷つくだけ。モブの群れに埋もれたまま誰かの命令に従って生きているほうが楽ってもんだ。

 ――と、思っていた。


 そう、あの『羅睺らごうの乱』が起こるまでは。


 十年前のある日突然、羅睺を名乗る謎の君主が現れた。

 のちに『劫火ごうかの七人』と呼ばれる、白銀の鬼面を付けた七人の将軍たちと百人の兵を率いて旗揚げするや、あっという間に城を一つ落として『千剣破ちはや国』という国を興したのだ。

 そこからたった一ヵ月で、絶対王朝『葛ノくずのは国』の居城・籠女かごめ城に侵攻した。一騎当千の名将たちを次々と討ち取り、名だたる軍師たちの策を打ち破った。

 そして忌まわしき日となったあの悪夢の夜、城に禁忌の火が放たれた。

 ぼくの価値観は打ち砕かれた。千年間も無傷だった城が、まさか燃やされたなんて。

 千年もの長い間、葛ノ葉国vs有象無象の弱小国家を繰り広げてたっていうのに。 


 ところで、『乱』と『変』の違いを知っているだろうか?

 乱とは未遂に終わった変革のこと。それに対して変とは成功した変革のことを言う。

 結果として羅睺は敗れた。だから世間一般では『羅睺の乱』と呼んでいる。

 でも、あの日から街の空気がたしかに変わった。葛ノ葉国を倒し、天下を統一できる――そんな夢物語が現実味を帯びて来たのだ。星凪市に本当の戦国時代が訪れたのだと叫ぶ人もいた。

 これを変革の成功と言わずして何と言うのだろうか。

 だからぼくはあの悪夢の夜を『羅睺の変』と呼んでいる。


 そして現在――ぼくは大学入試をスッパリやめてスーパーでアルバイトをしながら、ひたすら国盗り合戦に身を投じた。もちろん雑兵として。

 死ぬのにはもう慣れた。たぶん百回は超えている。矢で頭を射抜かれるのはド定番。槍で突かれるのはまあまあスタンダード。珍しいのは突撃した味方に踏まれて死んだことだ。

 とにかく、この二年ぐらいでぼくはすっかり死ぬ達人になってしまった。もはや何のために戦っているのかわからない。正直、死ぬのにも飽きて来たところだ。

 諦めかけた、まさにその時――って感じだろうか。

 この日、ぼくが所属していたのは南東にある哭陵こくりょう国だ。新興国ながら兵力1200を超える。哭陵国が誇る四季将の一人・秋将軍・弓削ゆげ勝利かつとしの軍に配属された。

 哭陵国はこの一年で周辺諸国の領土を切り取り、急成長を遂げている新進気鋭の国家だ。ぼくのような実績皆無の人間たちがチャンスを求めて集まっている。

 ぼくの武器は直槍! 甲冑は安物! ホームセンターでそろえた4980円の三点セット(鉢がね! 胸当て! 籠手!)だ。よほど豊かな国でない限り、雑兵の装備は自前だ。

 早く終わらないかな、と思いながら秋将軍・弓削勝利による合戦前の訓示くんじを聞いた。

「今日の戦いが葛ノ葉国打倒への橋頭保きょうとうほとなる! 我が軍は尖刃せんじんとなって血路を開き、屍と化して続く者たちへの堅固な守りとならん! ゆえに死を恐れるな!」

 雑兵の仕事は死ぬことだ。それを飾り立てた言葉で言われたに過ぎない。

 その一方でぼくの配属班の班長(スポーツサングラスをかけて日焼けした若作りのオジサン)は、機能性の高いジャージとスパッツ姿で、異様に真っ白な歯を見せてこんなことを言う。

「さっ、みんな楽しんで戦おう! 戦場で一番楽しんだヤツが真の勝者だ! 殺すときも死ぬときも笑顔でいよう! レッツエンジョオイ!!」

 まあとにかく、どんな言葉と価値観で飾っても、あるのは生と死、そして勝利と敗北だ。


 さて、わが哭陵国が戦う相手は『葛ノくずのは第漆だいしち王国』だ。

 龍帝りゅうていが君臨する葛ノ葉国を守る六つの衛星国の一つだ。

 この王国の盾を突破しなければ本国を攻めることができない。敵将・甘粕あまかす文吾ぶんごは手堅い戦を得意とするベテランの武将だ。老獪で冷静な第漆王国の古参武将。強敵だ。

 戦場はそこそこ地価の高い住宅街をつらぬく片側三車線の幹線道路。この大きな道のずーっと先に葛ノ葉国の居城・籠女城がそびえている。

 両軍が睨み合ってしばらく経った。ざっと見て500対500の拮抗した戦力。号令を待つ濃密な時間。みんな緊張した面持ちだ。でもぼくは冷めていた。いや、んでいた。


「戦は初めてか?」


 ぼくに声をかける人がいた。振り向くと、黒い髪に黒い手甲、そして大きな蜘蛛の文様を白で染め抜いた黒い着流し姿の男がいた。首には藍染めの長いマフラーをして、白い鞘の刀を腰に差している。ああ、防御力ゼロ。戦場では裸も同然じゃないか。どうしてこんなヒトが?

「いえ……違いますけど」

「あ、そう……そっかぁ」

 無防備な男は困ったように笑った。

「実はおれ、今日が初陣ういじんなんだ」

「……え?」

 その瞬間、戦が始まった。秋将軍・弓削勝利の号令でこちらの軍勢がゆっくり動き出す。

 合戦はまず矢の応酬から始まる。そして槍兵が敵の隊列を崩す。これはリーチが長い順。敵の攻撃が届く前にこっちが攻撃すれば被害は少ないというシンプルな方法論だ。

 でも、それはあくまでセオリー。いつも教科書通りにいくワケじゃない。

 二つの軍勢がぶつかる時、喊声と怒号が飛び交い、血と鉄のニオイが漂う。刃と刃がぜる音、肉を切り裂き骨を断つ音、それが四方八方から飛び込んで来る。


 これが雑兵の目線だ――。何度経験しても混沌の極み。策戦の詳細も知らされず、直属の上官の素性も実力もわからないまま、命令通りに武器を振るう。それだけの世界。

 細かいことはどうでもいいから、目の前の敵をぶっ殺せ! の世界。


「うおおおおお!!」

 矢の雨が降り注ぐ中、先走った敵の王国兵たちが突っ込んで来た。

 どこにでも功を焦るヤツはいる。槍働きで認められて早く武将になりたいのだ。

 理由は単純。武将という肩書はキラキラのステータスだからだ。いい暮らしができる。いいクルマにも乗れる。ヒトに尊敬されもすれば、どんなに容姿がトリッキーでもそれなりにモテる。

 ぼくの背中で黒い着流しのヒトがひそひそと囁いた。

「なあおい、合戦ってどうすればいいんだ?」

「どうって……と、とにかく戦わないと」

「どうやって?」

「どうもこうも武器を振るしか」

 一人の王国兵がぼくに向かって槍を突き出した――これをかわして打ち込む! と、思った瞬間、若作りのオジサン班長がその敵兵を突き殺してぼくを助けてくれた。

「キミたち大丈夫かい!? どの瞬間も楽しむことを忘れてはいけ――ぶげはッ!!」

 そのときスポーツサングラスを乗せた班長の脳天を流れ矢が貫いた。

「あーあ、死んじまった。戦場は予測不能だな」

 ニカッと笑ったままの班長の死体を見下ろし、黒い着流しのヒトは落ち着いた様子で言った。

「あの、初陣なんですよね? どうして平然としてられるんですか……?」

「そりゃあ恐ろしく切れる刀を持ってるからだよ」

 ぼくは黒い着流しのヒトが腰に差した白い鞘の刀を見た。もしや最上大業物か? まさか所在不明とされる龍火りゅうか五剣のひとつ? やはりこの落ち着きぶりは――。

「違う違う、これはただの竹光たけみつ。丸腰じゃ雇ってもらえんからな」

 そういって黒い着流しのヒトは刀を抜いて見せた。

 竹光――鍔や鞘などのこしらえはちゃんとしているが、まぎれもなく竹を削って作ったニセモノの刀だ。防御力がゼロなら攻撃力もゼロだ。そう思っていると、黒い着流しのヒトは切り結んでいる前線を睨んだ。

「両軍とも武将の将器は平凡。兵士の練度も不足。雇い入れた傭兵隊もCクラスが大半だ。このままいけば戦況はグダグダ。引き延ばすだけ消耗する」

「えっ、平凡……? 第漆王国の甘粕文吾といえば今でこそ守戦を得意としていますが、若いころは猛将タイプで今でも公称武力値81の勇将ですよ!? 先月の戦いだって美髯びぜん国の鷲崎を撃破したばかりです。第漆王国でもトップレベルのベテラン武将を――」

「ずいぶん詳しいな?」

「あの……昔から武将が好きで……」

「マニアか……となれば、あの甘粕の首級くびの重さはわかるよな?」

「えっ……?」

 合戦の最中、黒い着流しのヒトは天に向かって叫んだ。


「頃合いだ――行け! 鬼姫おにひめッッ!!」


 突如として味方の哭陵軍の背後からすさまじい突風が吹き抜けた。

 と、思ったらそれは一人の人間だった。周りの兵士たちは速すぎて気づいていない。

 それは昇竜を象った金糸の刺繍入りの黒いチャイナドレスを身にまとい、深いスリットからあらわになった脚で大地を蹴ったロングヘアーの女――鬼姫と呼ばれたとおり、顔の上半分を覆う白銀の鬼の仮面を付けていて、その素顔は見えなかった。

 その手には火を噴く龍を模したデザインの大刀――青龍偃月刀が握られている。


 またたく間に鬼面の女は敵陣に深く切り込み、その左右から旋風と一緒に血飛沫を巻き起こしていった。黒い着流しのヒトは落ち着き払った様子で言った。

「飛ぶぞー。1……2……3……ほら飛んだ」

 敵将の甘粕の首級がぽーんと宙を舞った。もう何年も葛ノ葉国の盾として戦って来た名将がいともアッサリと。敵陣ド真ん中に到達した鬼面の女が青龍偃月刀で一閃したのだ。

「あ、あんなヒトがいたなんて……」

「アイツも今日が初陣だからな。無名だが――業物だ」

 鬼面の女は街灯の上にひと息で飛び乗った。そして青龍偃月刀を振るって刃の血を払うと、ゆっくりと顔を上げて勝ち名乗りを上げた。白銀の鬼面がギラリと輝いていた。

「敵将・甘粕文吾――『龍絶りゅうぜつ』の鬼姫が討ち取りました!!」

 両軍とも何が起こったのかよくわからないまま、あっけなく戦が終わった。

「疲れたー。さ、ギャラもらって帰るか」

 黒い着流しのヒトは竹光を鞘に納めて、ダルそうに帰っていく。

「ちょっと待ってください! あの……」

「おれの名は曲直瀬まなせ惣介そうすけ。傭兵隊『龍絶』の頭領だ。いま見たことはド派手に盛って広めといてくれ。今日がおれの覇道のスタートなんだ」

「あなたは……一体……」

「群雄の一人だ。今はな」

 そう言って黒い着流しのヒトもとい曲直瀬惣介はあくびをしながら去って行った。


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