107:我慢できない
魔法で瞬時にワンピースにぶちまけられたアイスティーを綺麗にしてくれたアズレークに感動しながら、感謝の気持ちを伝えた。
「アズレーク、ありがとうございます!」
「しかし、なぜドリンクを持っていないパトリシアのワンピースにアイスティーが……?」
「それは……」
当然だが、そこにあの三人組の女性の姿はない。
わざとアイスティーをかけたわけではないと思うのだが、一応見たままを話すと、アズレークは少し考え込む顔になる。
だが。
「パトリシア。不運な事故だったのだろう。君とその女性三人は知り合いではない。もしかすると、明け方まで舞踏会を楽しんだ、朝帰りの酔っ払いだったのかもしれないな。気にする必要はないだろう」
そう言うとアズレークは私のことをぎゅっと抱きしめ、「大丈夫」と再度耳元で甘く囁く。テノールの心地良い声を聞くと、もう済んだこととさっきの出来事を忘れる気持ちになってくる。
「さあ、パトリシアが食べたがっていたレモンパイだ。食べよう。焼き立てだと言っていたから、熱いうちに」
笑顔のアズレークとレモンパイとレモンスカッシュの爽やかな香り。おかげで気分は晴れ、美しい海を眺めながら、パイを楽しむことができた。
◇
「……アズレーク」
ぼんやり意識を取り戻し、そこにいるだろうアズレークの姿を探すが、そこに彼の姿はない。その事実に寂しい反面、少しホッとする自分もいた。
レモンパイとレモンスカッシュを楽しむと、アズレークはベンチに座ったまま熱烈に私にアピールした。
「我慢できない」と。
アズレークのその気持ちは、今朝起きた時から感じていた。レモンパイを食べたいという私の願いをかなえるため、昨晩から自制してくれていたのだ。
この日、特に行きたい場所があったわけではない。なんだかんだで観光スポットと言われる場所には、ほぼすべて、足を運ぶことができていた。だからアズレークの気持ちに応え、パイを食べ終えるとそのまますぐ、部屋に戻った。
その後は……。
始祖のブラックドラゴンたるアズレークを実感することになる。しかも回復の魔法を使わず、そのまま愛を交わした結果。
初めて意識を失った。
意識を失った私を無理に起こすことなく、アズレークは休ませてくれたようだ。そして自身は……。シャワーでも浴びているのだろうか? とにかくベッドに彼の姿はない。
痕跡を確認しようにも、ベッドは綺麗に整えられている。シーツが冷えていれば、かなり前に。温かみが残っていれば、数分前に。いつベッドをアズレークが離れた、推測もできるのだが、それもできない。
そしていつもであれば。
最後に私に回復の魔法をかけてくれるのに、今日はそれがない。しかも呼吸がかなり乱れるので、魔力も減っていた。普段通りであれば、魔力の回復もしてくれるのだが……。今日はされていなかった。でも逆鱗の反応を抑える魔法だけは、しっかりかけられている。
つまり今の私は……。
ベッドから動けない。自力で回復の魔法を使いたいところだが、魔力は枯渇している。せめてシャワーをと思ったのだが。体はさっぱりしていた。ベッド同様、私の汗なども、アズレークがすべて綺麗にしていってくれたようだ。
そこで気が付く。ベッドのすぐ横のサイドテーブルに、サンドイッチと果物と飲み物が置かれている。それを見た瞬間。今朝はレモンパイとレモンスカッシュしか口にしていないことを思い出した。するとお腹が空腹を訴える。
迷うことなく、サンドイッチにかぶりつく。
「美味しい……」
ヒョコ豆のサラダがサンドされたもの、海の街であるシーラらしいボイルしたエビとキュウリがサンドされたもの、生ハムとグリーンカールをサンドしたもの。どれもこれも味付けといい、素材の新鮮さといい、本当に絶品。
あっという間に平らげ、添えられていたオレンジ、いちじく、アプリコットも食べ、搾りたてと思われるグレープフルーツジュースも飲み干した。
あー、満腹!
ベッドで大の字になった。
なんだろう、この満たされた感じは。
一糸まとわぬ全裸のまま、ベッドから動かず、美食ランチを楽しんだ。
こんなこと……ベラスケス公爵家だろうとマルティネス家だろうと、絶対にできない。というか、別にこんなこと、私自身やりたかったわけではないのだけど……。いかんせん、回復の魔法をかけてもらっていないから、動けない。動けないが……。これだけ満たされると文句はなかった。
文句はないが、アズレークはどこにいったのだろう? シャワーにしては長すぎる。早く戻って回復の魔法をかけてほしい。あとは魔力も送って……ほし……い。
眠るつもりはなかった。
でもアズレークが不在、ということ以外は満たされていた私は、眠りに落ちていたようだ。
ゆっくり目が覚めた瞬間。
背中に熱い吐息を感じ、体がビクッと震えた。
「起きたか、パトリシア」
「アズレーク」
振り返ろうとしたが、アズレークの唇が背中に押し当てられ、肌を吸うようにしたので、全身から力が抜けてしまう。力は抜けたのだが、全身の重たい感じが消えている。
間違いない。アズレークが回復の魔法を使ってくれていた。
ゆっくり後ろから私を抱き寄せると、アズレークが肩にキスを落とす。背中に触れるアズレークの体。……服を着ていない。
「アズレーク、どこへ行っていたの?」
「パトリシアが意識を失った後、バトラーと昼食をどうするか相談していた。すると様々なフルーツを砂糖漬けにした専門店があると教えてもらった。見た目が宝石のように美しいらしいと聞き、きっとパトリシアも見たいだろうし、食べたいだろうと考えた。それを買いに行っていた」
そこでアズレークはサイドテーブルを指差す。そこに私が食べたサンドイッチの皿などはなく、代わりに……。
「まあ、綺麗……」
思わず感嘆してしまう。
ターコイズブルーの碁盤目のように仕切られた箱の中には、砂糖でコーディングされたフルーツが一つずつ並べられている。チェリー、マスカット、ベリー、スライスされたオレンジ、レモン、洋ナシなど、確かに宝石みたいに見えた。
「これをアフタヌーンティーで食べよう」
「! それは楽しみだわ」
「でもその前に……」
アズレークの手が逆鱗に触れ、私は小さく声を漏らす――。



























































