106:レモンパイ
カフェの前でマステスと別れると、アズレークは大通りから細い道へとすぐに入り、移動の魔法を使った。その後は寝るための準備を整えた。
「アズレーク、王宮と連絡はとれた?」
用意されていたクリーム色のネグリジェを着てバスルームを出ると。既にアズレークは黒のナイトガウン姿で、ソファで寛いでいる。私は慌ててその傍へと駆け寄った。
「ひとまず宰相に手紙を送ったから、明日には動いてくれるだろう。しかしシーラのような貴族が多く訪れる風光明媚な観光地で、『ワイズ』のような地下組織が結成されていたとは……。宰相も驚くだろうな」
その言葉を聞きながら、アズレークの隣に腰を下ろした。すると当たり前のようにアズレークは私の腰を抱き寄せた。
「魔法を使うことで感謝されることがあっても、嫌われることがあるなんて……想定外でしたし、驚きました」
アズレークの胸にもたれ、率直な感想を口にする。
「本当に残念なことだ。魔法はある意味、ギフト。それが自分に与えられたというのなら。皆が幸せになれるよう、役立てたいと私は思っている。マステスが言っていた男性もきっと同じ考えだった。それなのに」
そこで小さくため息をついたアズレークだったが。
「この問題はちゃんと対処する。……ところで明日は朝から海沿いの遊歩道を散歩したいのだろう、パトリシア?」
そう、そうなのだ。
マステスが教えてくれたのだが。海辺の遊歩道沿いにある沢山のお店の中に、レモンタルトで有名な店がある。ここは朝限定で、絶品レモンパイを販売していた。主にマルシェに出店している屋台の早朝販売のために用意されたレモンパイであるが、数量限定で遊歩道沿いのお店でも売っているという。
マルシェの屋台では、レモンパイを求め、毎朝大行列になる。でも遊歩道沿いのお店では、並ぶことなくそのレモンパイが手に入るのだ。
「ええ。マステスが教えてくれたレモンパイを食べてみたいから」
「そうか。では早起きに備え、パトリシアのことは早めに食べてしまおう」
そんなドキッとする台詞を口にしたアズレークが、首筋にキスをしながら私を抱きしめる。すっと伸びた手が逆鱗を撫であげ、ゾクリとした瞬間、反応を抑えていた魔法が解除されたと気づく。
ほ、本当に、早起きできるかしら……。
おへその下の逆鱗を起点に、全身がじわじわと熱くなっていくのを感じながら、アズレークが上になり、私の体はソファへと沈み込んでいった。
◇
早朝の海辺はとても気持ちがいい。
多くの観光客が広場のマルシェに向かっているので、圧倒的に人が少なかった。だから歩きやすい。しかも陽射しも、昼間の夏全開の強さではなく、程よい感じだ。風もあり、温度計が示す気温より、過ごしやすく感じていた。
「アズレーク、ここよ。このお店だわ」
レモンパイを売るお店を見つけ、振り返ると、パウダーブルーのシャツに黒のベストとズボン姿のアズレークが、私を後ろから抱きしめる。
昨晩のアズレークは、早起きに備え、早めに私を解放し、眠りについてくれた。でも多分、アズレークとしては全然満足できていない。だから起きてからここに来る間もずっと、何度も私を抱きしめていた。
これは多分……「溺愛」というのかしら? きっとそうね。私、アズレークから溺愛されているわ。そんな風に思っていると。
「私がレモンパイと飲み物を買ってこよう。パトリシアはそこのベンチに腰かけて待っているといい」
やはり溺愛だわと実感しながら「ありがとうございます」と返事をして、名残惜しそうに体をはなすアズレークとわかれ、ベンチへ向かった。
道幅の広い遊歩道には、一定の間隔でベンチが置かれている。日中はほぼ埋まっているが、早朝のこの時間の利用者はほとんどいない。
特等席とも言えるベンチに腰かけ、眼前に広がる海を眺める。
美しい景色。
そう思ったその時。
オフホワイトに黄色の花がプリントされたワンピースを着ていたのだが。そのワンピースに茶色のシミが広がって行く。
何が起きたか分からなく、一瞬、固まった。
でもクスクス笑いが少し離れた場所から聞こえ、驚いてそちらを見ると。
三人組の私と同年代の女性達が、笑いながら遠ざかって行くのが見えた。
一番左端を歩く、明るいグリーンのワンピースの女性の手には、グラスが見える。
遊歩道沿いのお店は、どのお店も共通した食器を使っており、それは飲食終了後、設置されている返却棚で回収する仕組みになっていた。そのグラスを持っている。それはつまり……。
ベンチに座る私の背後から、あの女性は私のワンピースにアイスティーをぶちまけた。そして謝罪することなく、立ち去ろうとしている。
「パトリシア、レモンパイ、手に入ったよ。それと搾りたてのレモンで作った、レモンスカッシュというドリンクも」
「アズレーク……」
「どうした、その服は!?」
アズレークはパイとドリンクがのったトレイをベンチに置くと、すぐに魔法でワンピースを綺麗に乾かし、シミひとつない状態にしてくれた。いくつもの魔法を組み合わせた結果だが、これには感動してしまう。
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明日は月曜日。
本日はゆっくりお休みくださいませ。
月曜はお昼に1本公開させていただきます。
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