87:何もかも一人で背負う必要はない
視線を馬車内に戻したロレンソが、私に問いかける。
「明日の昼も外出すると?」
「そうですね」
私の答えを聞くと、再び窓の外へ視線を向け、しばらく思案顔になる。だがゆっくり顔を、私の方へ向けた。
「明日は休診日です。……『魔法の薬』の流通経路を探ろうと、ゴメル地区にわたしは足を運ぶつもりでいました。わたし自身、女性を同伴できなければその薬を手に入れる機会には恵まれませんが、取引現場を見ることができるかもしれない。そう思っていました」
そこでロレンソは、優しくて美しい笑みを浮かべる。
「パトリシア様が言っていたホテル街は、ゴメル地区の一画にあります。お昼の時間帯に、ホテル街へ行ってみますか? もしそこにまたアズレークとその女性がいたなら。問い詰めましょう、何をしているのかと」
「そ、それは……」
現場を押さえる。
そうなれば……言い逃れはできないはずだ。
しかもその辺りに私が一人で行くことはいろいろな意味でできない。防犯上の理由もあるし、グロリアと二人でいるアズレークに向き合う勇気が……なかった。
だがロレンソが同行してくれるなら、ホテル街に近づくこともできる。それにもしグロリアとの関係について、絶望的な言葉を聞くことになっても……。取り乱さないで済む気がする。
これは甘えだろうか?
一人で対処しなければならないことだろうか?
「パトリシア様は長女だったりしますか? 長女として育った女性は、真面目で責任感が強く、自立心が強い。自分で何とかしなければ。自分がちゃんとしなければと、どんなことでも頑張ってしまいがちに思えます。少しぐらい周囲に甘えてもいいのに。それができない。甘え下手なのです。何もかも一人で背負う必要はないと思いますよ。特に支援の手が差し伸ばされているのなら。たまには肩の力を抜き、甘えたところで罰は当たらないと思います」
なぜ……?
なぜロレンソはそんなことまで分かるのだろう。
医者というのは患者の表情をよく観察していると聞いたことがある。患者が訴える症状を医者は体感しているわけではない。その言葉、顔を見て、想像し、理解する。そのために勘も鋭く、人間観察に長けていると聞いたことがあるが……。
でも本当に。私は前世でも今も長女だった。
基本的に自分でなんとかしなければと考えることがデフォルト。誰かに頼ることは……本当に万策尽きた時だけだ。でも頼ることなく諦めてしまうことの方が多い気もする。
ただ、そうなのか。
今、ロレンソは自ら協力を申し出てくれている。それに甘えることは……悪いことではないのか。
「ロレンソ先生」
名前を呼ぶと、ロレンソは慈愛に満ちた表情で私を見ている。
その瞬間。
そうか、頼りにしてもいいのだと実感する。
「……明日、ゴメル地区のホテル街に一緒に来ていただけますか?」
「ええ。お連れしますよ、パトリシア様」
◇
翌日。
義母のロレナとスノーには、とても申し訳ないと思いつつ、ロレンソのボランティア活動の手伝いをしたいので、屋敷を日中開けることにしたいと伝えた。
スノーは自身も手伝いたいと言ったが、家庭教師も来るし、終わり時間が見えないのでと断念してもらった。ただ、幸いなことにロレナは今日、観劇やお茶会の予定もない。だからスノーの遊び相手になってもらうことができた。そう、例のパズルの続きをやることになり、スノーもなんとか留守番することを納得してくれたのだ。それにあのお土産のイチジクのチョコレートも食べられると分かると、途端にご機嫌になる。
「いってらっしゃいませ、パトリシアさま!」
「気を付けてね、パトリシア様」
スノーとロレナに見送られ、屋敷を出発した。
装飾のないベージュのワンピース、髪は同色の布でまとめ、化粧もしていない。完全に公爵令嬢の気配を消しているので、馬車に乗っていること自体、なんだか落ち着かない気持ちになる。
以前、雨の中、ランタンを手にしたロレンソがいた辺りで待ち合わせをしていた。すぐにその姿が見えてきたが。ロレンソは半袖のグレーのシャツに濃紺のズボンで片眼鏡ではなく、普通の眼鏡をかけている。でもグレイシャー帝国の時のようなオッドアイではなく、両目とも白金色。魔法で瞳の色を変えていた。ただそれだけで、いつものロレンソとは別人に見える。それでもやはり、そこはかとなく気品が感じられた。
「パトリシア様はそうされていると本当に、公爵令嬢には見えませんね。化粧がなくてもお美しいのですが、街を行き交う女性達にきちんと紛れ込むができる」
「ロレンソ先生も別人ですよ。先生だと皆、気付かないと思います」
「そうですね。そうではないと困ります。さすがにゴメル地区のホテル街をウロウロしていたとなると、何を言われるか分かりませんから」
そんな軽い会話をしていると。
かなり気持ちが楽になった。
今日も天気がよく、空は青く、雲はほとんどなく、太陽の陽射しが眩しい。
もし何もなければ。
スノーを連れ、屋敷から少し離れた美しい池がある公園に、サンドイッチを持って出掛けていただろう。
それは……きっと楽しく幸せに満ちた時間になったはずだ。
でも現実は。
婚約者が浮気をしているかもしれない現場に向かうのだ。
いくら天候が最高でも。気分は沈む。
だが事情を知るロレンソが隣にいて、浮気とは無関係の話ができるのは、心の負担を軽くしてくれる。私はアズレークのことを一旦頭の片隅においやり、口を開いた。
おはようございます。
お読みいただきありがとうございます!
次回はお昼に公開します。
引き続きよろしくお願いいたします!



























































