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第40話 オタクにご用心 後編  ー 時切りの棺 ー

「なんで、呼び出されたのかわかっていると思のだが」

 魔法協会本部の第四会議室、通称、叱られ部屋に呼び出されたオレは、怖い顔をした災害対策室長のスモールウッドさんに訊かれた。

「なんのことでしょう?」

 心当たりが多いので、とりあえず、とぼけた。

「今回のことは私はやりすぎだと思うのだが」

 わからない。

 オレ達が起こした事件のどれをスモールウッドさんが指しているのか、手がかりがない。

「オレは善良な古魔法道具屋です。帰ってもいいですか?」

「その様子だと、私に隠している事件が、かなりあるようだな」

「何を言われているのかわかりません」

「まあ、いい。ヒントをやろう。今回呼び出されたのは、ウィルだけというところから推測できるだろう」

 スモールウッドさんが言ったとおり、呼び出されたのはオレだけだった。通常はオレとムー、セットで呼ばれる。

 ムーという魔術師が問題を起こしたから呼ばれるのであり、オレのようは一般人だけで事件を起こした場合は、魔法協会本部は関知しない場合が多い。

「オレ、魔法は使えません」

「知っている」

「帰ってもいいですか?」

「代理も兼ねている。そう言えばわかるな」

 代理。

 魔法協会に入ることができない魔術師。

「シュデルが何かしましたか?」

「プルゲ宮がどうなっているのか知っているか?」

「プルゲ宮?タンセド公国にある犯罪者のお住まいですよね?」

「2週間ほど前から犯罪者が流出して、いまは元の廃墟だ」

「そうなんですか」

「大量の犯罪者が国内に散ったために犯罪率が上昇。タンセド公国から依頼があり、魔法協会が犯罪者狩りを行った。プルゲ宮を支配していた組織の首領及び幹部を含め、プルゲ宮を住居としていた犯罪者のほとんど捕まえて鉱山送りにした」

「さすが、魔法協会ですね。素晴らしい働きに感服いたしました」

「声が裏返っているぞ、ウィル」

 冷や汗が全身から滝のように流れている。

 声くらい裏返って、当然だ。

「プルゲ宮が崩壊した理由だが、捕縛したボスが詳しく供述した」

 オレは状況を思い出していた。

 言っていない。

 オレの名前もシュデルの名前も、一度も口にしていない。

「黒髪に銀目の美少年が原因だそうだ」

 銀目………オレが知っている限り、世界に4人しかいない。

「ウィル、黙っていないで、何か言うことはないのか?」

「銀色の目にする魔法とか、アイテムとかありますよね?」

「ある」

「冤罪、ということは…」

「魔法道具を盗んだそうだ」

 バレているのは確実だが、オレとしては知らないで通すしかない。

「プルゲ宮にあった強力な魔法道具を根こそぎ連れて行ったそうだ。守りの要である『滅竜の籠手』も彼に盗られ、プルゲ宮を捨てることにしたそうだ」

 スモールウッドさんの『連れて行った』には、涙が出そうになった。『運んだ』と言わないところが、犯人はシュデルだとダメ押ししている。

 スモールウッドさんがテーブルに身体を乗り出してきた。

「ウィル、ここからは内密の話だ」

 小声で言った。

 オレも小声で返した。

「なんでしょう」

「シュデルだな?」

 オレとしては関係ないで通したいが、わざわざ『内密の話』と前置きがあった。オレはスモールウッドさんに賭けることにした。

「はい、そうです」

「『滅竜の籠手』も『ブラッディ・ローズ』も桃海亭にあるんだな?」

「あります」

 プルゲ宮から魔法道具を連れ出した後、オレとシュデルは一度ニダウに戻った。オレと荷馬車は町の外で待機して、シュデルが魔法協会エンドリア支部で待っていたダップ様にセラフィーナ王女を引き渡した。

 その後、ニダウノ近隣の山中でセファン王国から桃海亭まで通じているトンネルの真上にあたる場所まで移動した。

 プルゲ宮から連れ出した魔法道具の中に、物質を変化ことができる金槌があった。変化させるといっても万能ではなく、一般的に土とか石に分類されるものを、違う種類の土や石に変えられるだけだ。

 それを使い、トンネルまでの縦穴を掘った。作り方は簡単。トンネルの真上の場所で、縦穴部分の土を砂に変化させただけだ。砂はトンネル内に落下。なくなった部分が縦穴になった。

 同じくプレゲ宮にあった浮遊する絨毯に乗せて、トンネルまで道具を下ろし、オレだけ穴の上に残った。

 オレは穴の上に枯れ枝や木の葉で覆い、土をまんべんなくかけた。トンネルの中から変化させる金槌が、オレがかけた土の覆いと周囲の土を広範囲に一体化した石にしてくれた。石と気づかれないように軽く土で覆い、オレは荷馬車でニダウに帰った。荷馬車は城門脇の荷馬車屋に売った。

 シュデルはトンネルから桃海亭に戻り、地下トンネルは一時置き場にして、3日間かけて桃海亭のほぼ真下の大深度地下に金槌で巨大な空間を作った。床、壁、天井、土を花崗岩に変化させ、温度、湿度、完全管理の快適な空間だ。納戸にあった魔法道具達の多くもそこに移動させたため、二百個近い道具が置いていある。

「シュデルの影響下なのは、間違いないか?」

「間違いありません」

 スモールウッドさんも覚悟していたらしい。

 ため息は短かった。

「盗品の類は外に出さないようにしてくれ」

「努力はします」

 オレが話せるのはシュデルだけだ。

 道具とは直接話すことはできないのだから確約は不可能だ。

「わかった。実はセファン王国のミラベル女王から、プルゲ宮のことで何かあったら連絡が欲しいと話が来ていた。今回の件を連絡すると桃海亭を見逃して欲しいと頼まれた。我々としても対処しようがないので、見なかった聞かなかったで通すつもりだが、ひとつだけ返して欲しいものがある」

「道具ですか?」

 シュデルがプルゲ宮の道具を手放す可能性は低い、というかゼロに近い。

「違う。人だ?」

「人?」

「棺がなかったか?」

「ありましたが、まさか…」

「そうだ。中身が入っている」

 血の気が引くのがわかった。

 プレゲ宮で、棺は立った状態で荷馬車のところまで歩いてきた。地下の部屋でも普通に歩いているのを何度か見かけた。

 中身がミイラとか骨とかだと、バラバラかもしれない。

「大丈夫だ」

 オレの様子を見たスモールウッドさんが言った。

「中身はおそらく無事だ。生きているからな」

「よかった……って、生きているんですか!」

 胃まで痛み出した。

「本当に生きた人間が入っているんですか?あの、お食事とか…あげていないんですが……」

 2週間近くになる。

 プレゲ宮から持ち出したときには生きていても、今ではミイラになっている可能性がある。

「魔法道具を扱っているのだから、名前くらい知っているだろ。プレゲ宮の首領の話からすると、あれは『時切りの棺』と推測される」

 胃がキリキリと痛む。

「冗談ですよね。あれは魔法協会本部の地下の宝物庫に眠っているはずじゃないんですか」

「あれは偽物だ。150年以上前に宝物庫から紛失したことがわかっている。公にできることではないので『時切りの棺は宝物庫にある』ということで表向きは通してきた。だが、あれが本物だとすると」

 そこでスモールウッドさんは言葉を切った。

 しばらく待ったが、黙ったままだ。

「あの…スモールウッドさん」

「いま、魔法協会は割れている」

 また、黙った。

 数分後、重い口を開いた。

「ムー・ペトリの存在が、問題を大きくしている」

 この先の話の予測はついたので、オレは黙っていることにした。

「現在、魔法協会の上層部は2つに分かれている。ムー・ペトリ排斥派とムー・ペトリ活用派だ。排斥派は棺が出てきたことを、千載一遇のチャンスととらえている」

「それって、もしかしてですが」

「棺におられるホルト公を目覚めさせるつもりだ」

 オレとスモールウッドさんのため息が重なった。

 ホルト公。

 400年前の世界大戦の終結の立役者の魔術師だ。政治及び魔法道具の研究のすぐれた才能を発揮した。ホルト公の出現により魔法道具研究が劇的に進み、戦士や剣士などの人の数の戦いから魔法及び魔法道具を使った戦いが主流となり、国の力関係が数値化され、戦いが終結に向かったのだ。

 戦い終結後、魔法協会を設立に尽力した。その後は引退して、棺の制作に全精力を費やした。できあがったのが『時切りの棺』。棺の中で横たわっている間は時から切り離されるというものだが、世界に1つしかなく、完成してすぐにホルト公が使ってしまったため、効果は立証されていない。

 開けて、ホルト公が棺に入った時と同じ状態で目覚めれば、成功、ということになる。

「開けたらマズイです」

「私もそう思うのだが、ムー・ペトリに対抗できる魔術師が魔法協会にいないのだから、排斥派の気持ちがわからなくもない」

 スモールウッドさんがうつむいた。

 最近、スモールウッドさんの髪が薄くなった。白髪も混じっている。

「抑止力のない危険な魔術師が存在していいのか、誰でも考えるところだ」

 ムーに対抗できる魔術師。

 ひとり頭に浮かんだが、追い出した。北の国で穏やかに暮らして欲しい。

「ホルト公がいればと考えたのだろうが」

「あの、質問が」

「なんだ?」

「教科書の記述ではホルト公は二重人格だと書かれていましたが本当ですか?」

「魔法協会本部の公文書にもそう書かれている。書かれているが、事実かは分からない。400年以上も前のことだ」

「二重人格と書かれてはいるんですね?」

「書かれている。昼はよき政治家、夜はよき魔法道具研究の魔術師、そして、朝は極悪の暴力魔術師。3つの顔だが、性格は2つだな」

「本当にいたんですか?ホルト公という人物は」

「いた。子孫もまだいる」

「もしかして、有名な魔術師なんですか?」

「ドリット工房を知っているか?」

「有名な魔法道具工房ですよね。今は工房を経営しているんですか?」

「子孫は3人いるのだが、全員あそこの職人をやっている。ホルト公の子孫は頭が良くて、魔法道具製作の腕もいいのだが、職人気質で魔法道具を作れれば他はどうでもいいという人物ばかりなのだ」

 魔法道具製作オタクの家系。

「とりあえず、子孫に棺を開けて良いかを聞いてみるのはどうでしょう?」

「『開ける』というに決まっている」

「決まっているんですか?」

「昔から何度も魔法協会に『棺を開けさせろ』と言ってきた」 

「ホルト公の遺言でもあったんですか?」

「いや、ホルト公は『子孫に危機が訪れた場合に開けることを認める』と言い残している。子孫が『開けろ』というのは、棺の研究をしたいからだ。中身のホルト公には興味はない」

 先祖より、自分達の魔法道具の研究と製作を優先する。

 開けた途端に、中身の先祖を外にほっぽりだして、棺を調べそうだ。

「スモールウッドさんは、開けたいんですか?開けたくないんですか?」

「開けたくない。ホルト公が『子孫に危機が訪れた場合に開けることを認める』と言い残したには理由があるはずだ。いまはその時期ではない」

「なら、開けないことで」

「そうはいかないだろう」

 ムー排除派の圧力が相当のものらしい。

「逆に聞きますが、どうやってシュデルから棺をとりあげるんですか?中身だけ出せといっても、棺が中身を大事に思っていたら渡しませんよ」

「それは君がだな…」

「オレには無理です」

「桃海亭に魔法協会本部の者を派遣して…」

「勘弁してください。桃海亭は魔法協会と戦う気なんてないんですから」

 シュデルが自分の魔法道具を取り上げに来た協会の関係者を無事で帰すとは思えない。

「誰か、シュデルから棺を取り上げることはできないのか?」

「無理です。唯一可能性があるとすれば、ムーくらいですね」

「ムー・ペトリに頼んで…」

「棺のことをムーに話すんですか?ムー製作の『時切りの棺』がニダウで大量に安売りされて、ドレスを着たホルト公が頭に花をさして踊っている、ってことになりかねませんよ」

「はぁ…」

 中間管理職の悲哀を詰め込んだため息だった。

「こうしては、どうでしょうか?『時切りの棺』は桃海亭にある。これは極秘事項にします。排斥派も活用派もすでに知っている人はいると思いますが、こちらにも口止めします。『開けたい』人は桃海亭に来て、シュデルと交渉してもらう。オレも楽です」

「その方法だとムーに棺のことが伝わらないか?」

「桃海亭に置いてあれば、いつは伝わると思います。こちらから頼まなければ、シュデルから取り上げるほどの興味は持たないと思います」

「私も棺は大丈夫だと思うのだが、中身はどうだ?」

「興味を持つでしょうね。こっちはモジャに頼む以外方法はないです」

 スモールウッドさんが深いため息をついた。

「情けない話だ。人間が人間を制御できず、別の生命体に頼むしかないのだから」

「モジャは誠実で良識あって、安心してムーを任せられます」

 オレの言外のムー排斥派、活用派への批判は通じたらしい。

 スモールウッドさんが苦笑した。

「わかった。『開けたい』人には桃海亭に行ってもらうことにしよう」



 オレは桃海亭に戻ると、店番をしながらシュデルにスモールウッドさんと話したことを説明した。

 客が来ない店はこういうときは助かる。

「それで『時切りの棺』のことなんだが、シュデルは知っていたのか?」

「僕がここにいる道具達のことを知らないとでも思っているのですか」

「知っているんだな?」

「もちろんです。『時切りの棺』は優しい心の持ち主です。子守歌がとても上手です」

「オレが聞きたいのは、そういう内容ではなくて…」

「棺の鋼材の成分ですか?」

「中身は無事なのか?」

「中身?」

「ホルト公が入っているはずなんだが」

「ホルト公は棺の制作者のはずです」

「眠っているはずなんだ。あの棺の中に」

「忘れたのかな」

 シュデルが分厚い本のようなものをカウンターの下から取り出した。

「『時切りの棺』は……」

 ページをめくっている。

「在庫帳を作ったのか?」

 シュデルがキッとにらんだ。

「これは健康手帳です」

 道具の詳細なら、プロフィール帳でも経歴帳でもいいと思うのだが『健康手帳』というところがシュデルらしい。

「何か『時切りの棺』のところに書いてあるのか?」

「制作者ホルト公。製作時期400年前。完成後、魔法協会本部にて保存。250年前、ルテェッシコ魔法協会評議員が密かに持ち出して、購入したのは…」

「待った、それ以上話すな。知りたいのは中身だけだ」

 250年前だが重大な犯罪だ。盗んだ犯人も、買った人間も、どうしてプレゲ宮に渡ったのかもオレは知りたくない。

「中身…棺の中には……あ、これですね」

 開いた健康手帳には細かい字がびっしりと書かれていた。そこにシュデルが指で場所をさした。

 驚いた。

「本当に中身はこれなのか?」

「棺が僕に嘘をつくはずありません」

「中身が途中で入れ替わったということはないのか?」

「わかりません。内容については詳しく聞いていないので。詳細について必要でしたら、まもなく閉店ですから、その後に棺に聞きに行ってきます」

「頼む」

 少し早いが閉店の準備の為の片づけをはじめた。

 閉店の札を掛けに行こうとしたオレの目の前で、扉がゆっくりと開いた。

「こちらは…」

 のぞきこむように店内を見ているのは、18、9歳の若い女性だった。

 ショートカットにした麦色の髪は天然パーマで回転しながら、あちこちに飛び跳ねており、大きな若草色の目は眠そうに半分閉じていた。

「……桃海亭?」

「そうですが」

「はぁ………」

 息を長く吐いた。

「……疲れた」

 よろめきながら店内にはいってきた。瞳と同じ若草色のローブを着ている。

「大丈夫ですか?」

「……重い」

 背中に大きな荷物を背負っていることに気がついた。鋼鉄のトランクのようなものに革ベルトをかけて担いでいる。

「どうぞ、下ろしてください」

「……重くて……」

「重くて?」

 下ろそうとするとバランスを失ってヨロヨロしている。

「手伝いましょうか?」

「……頼む」

 オレが荷物を支えるようにして下ろした。支えた感じではトランクの重量は30キロを超えそうだ。

「……ありがとう」

 何かある。

 お礼を言っている女性に、オレの体内の危険感知器が作動した。

 早々に帰ってもらうことにする。

「せっかく来ていただいたのですが、当店はまもなく閉店で…」

「……棺」

「棺?」

「『時切りの棺』を…開けに来た」

「えっ!」

 オレがスモールウッドさんと魔法協会本部で『時切りの棺』の話をしたのが今日の午前中、公務で東に向かう魔法協会本部の大型飛竜に同乗させてもらい桃海亭に帰ってきたのが夕方。

 棺を開けに来るには早すぎる。

「……私の名は…フィリズ・ホルト…」

 納得した。

 どうしても『開けたい』一族だ。

「ドリット工房に勤めている方ですか?」

 うなずいた。

 カクカクカクとうなずき続けている。

「わかりました」

 うなずくのが止まった。

「……棺」

「少しだけお待ちください。準備します」

 シュデルに目で合図すると、素早く奥に入っていった。

 大深度地下の倉庫と桃海亭は長い縦穴でつながっており、魔法の絨毯を昇降機代わりにして移動する。縦穴は1階の納戸と2階にあるシュデルの部屋につながっている。

「……棺」

「用意している最中です」

 オレは他の人が入ってこないように、扉の外に閉店の札を下げた。棺を見られないように、フィリズ・ホルトと奥の食堂に移動することにした。

「店は終わりましたので、奥でご覧ください」

 荷物をズルズルと引っ張ってついてくる。

「ほよしゅ?」

 食堂にムーがいた。

 巨大なペロペロキャンディをくわえて、テーブルに置いた紙に何か書いている。

「ムー、お客さんだ。2階に…」

「うきゃあーーーー!」

 フィリズが奇矯な声をあげて、ムーが書いた紙に飛びついた。

「ひっしゅ!」

 ムーも驚いたようで、身を引いた。

「……欲しい…」

 紙を握りしめている。

 涙目で手がフルフルと震えている。

「ダメしゅ」

 バッサリと切り捨てた。

 よろめいたフィリズだが、握りしめた紙をローブの襟のところから、服の中に突っ込んだ。

 勝ち誇ったような顔でムーを見た。

 男が触れられない場所に入れて、持ち逃げする気らしい。

「返すしゅ」

 テーブルに飛び乗ったムーが、フィリズの襟から手を突っ込んだ。

「っん!!!!」

 さすがに驚いている。

 ガキでも性別男。ムーがまったく気にしないとは思わなかったのだろう。

 が、フィリズも諦めなかった。ムーの手ごと、上から紙を押さえ込んだ。

「返すしゅ!」

「……いや……」

「何をしているんですか!」

 シュデルの怒鳴り声が響いた。

 今来たシュデルから見ると、ムーが女性の服に手を突っ込んで、女が嫌がっている図だ。

「その紙はムーさんの物です。人の物を盗るのは泥棒です!」

 さすが、シュデル。桃海亭の中の状況は、完全に把握しているらしい。

 フィリズは首をフルフルとさせた。

 絶対に渡さない気だ。

 この状況はまずいようなあと考えているとオレは、シュデルが片手をあげたのが見えた。

「リモファス、頼むよ」

 食堂に風が吹いた。

 小さな竜巻のようなものがフィリズの胸を通り過ぎ、紙が飛び出してきたのが見えた。

 シュデルの手の中に収まる。

「…返して……」

「これはムーさんのです」

「…私のもの……」

 シュデルが紙を見た。オレに渡す。

 複雑な線と数値、記号が書かれている。

「……私の…もの…」

「これ、なんだ?」

 ムーに聞いたのに、それより早くフィリズが答えた。

「……剣…」

「剣?」

「……魔力吸収剣」

「そうしゅ。失敗作の滅竜の籠手レベルの魔力吸収能力を持ったものを作る実験しゅ。作れば剣になるしゅ」

「…そう、私が作る」

「作らないしゅ」

「……作らない?」

「紙上の実験しゅ。いらないしゅ。作る時間が無駄しゅ」

 フィリズがオレの持っている紙に飛びついてきた。オレは慌ててムーに渡した。ムーがくしゃくしゃにして右手に握り込んだ。フィリズはムーの手に飛びついて、指をひきはがすように開けたが、すでに灰になっていた。

「う、う、う、うあぁーーーーーーん!」

 床に突っ伏して鳴き始めた。

 耳が痛くなるほどの大声で泣いている。

「シュデル」

「はい」

「あとは頼む」

 2階に逃げようとしたオレのシャツをシュデルが握った。

「店長、僕に押しつけないでください」

「女はオレの管轄じゃない」

 オレの横をムーが抜けようとしたが、シュデルに捕まった。

「イヤしゅ!」

 オレとムーはシュデルに捕まったまま、ズルズルと泣いているフィリズのところに引きずって連れて行かれた。

「棺を持ってきました。ご覧になりませんか?」

 フィリズは突っ伏したまま、ワァーンワァーン泣いている。『棺』にも興味を示さない。

「あの剣は危険すぎます。燃やした方が世界のためです」

 シュデルが言ったが、泣きながら首を横に振っている。

「放置はダメか?」

「放り出すしゅ」

「このままだとご近所から苦情がきます」

 ワァーンワァーンと泣き続けている。

「そう思うなら、シュデルが何とかしてくれ」

 フィリズが泣きやんだ。

「…シュデル……」

 顔をあげて、シュデルを見た。

 涙と鼻水にぐしゃぐしゃだ。

「……シュデル・ルシェ・ロラム……?」

「そうですが」

 ローブの袖で顔をぬぐうと、トランクを開いた。中から瓶を2つ取り出した。琥珀色のものと灰色の物が詰まっている。

「…欲しい?」

 シュデルが顔を近づけた。

 文字を読んだシュデルは目を開いて、ガバッと瓶をつかんだ。

「こ、これはコリングウッド社製の蜜蝋と磨き砂。それもドリット工房専用の特注品」

「……欲しい?」

 欲しいと言えば、交換条件が出されるに決まっている。

 シュデルの目が泳いだが、よほど魅力的だったらしい。

「ほ、欲しい、です」

「…私も……欲しい……」

 シュデルが食品保管庫の扉を開けた。奥から何かをひっぱりだしてきた。特大のガラス瓶に、黒い丸い物が2、30個はいっている。

「ムーさん、これが何かわかりますか?」

「ピンクスイートの限定販売品、ブラック・マシュマロしゅ!」

「無害なのを1つお願いします」

「まかせるしゅ」

 2階に駆け上がったムーが、紙を何枚か綴じた物をもってきた。

 何かの設計図らしい。

「ほいしゅ」

 シュデルに渡した。

 その開いてシュデルが見た。

「もしかして、香球ですか?」

「はいしゅ」

「なんで、ムーさんがこんな物を?」

「前にスウィンデルズの爺に頼まれて、書いたしゅ。難しすぎて作れない言うから、簡単なの書いたら、そっちを持っていったしゅ」

 シュデルがパラパラと見ているが、複雑すぎて内容はわからないようだ。

「大丈夫ですよね?」

「香りだけしゅ」

 シュデルがフィリズに、紙を綴じた物を出した。

「これでどうですか?」

 フィリズが開いて読んでいる。

 口がニマァと開いて、ヨダレがだらだらと流れ出した。

「おい、大丈夫なのか?」

「香球ですから、大丈夫だと思います」

「香球って、何だ?」

「店長には一生関係のない物です」

 幸せそうな笑顔で、全部読み終わるとヨダレを袖でぬぐった。

「……私の……」

 丁寧に丸めると、また、襟のところからローブの中にしまい込んだ。

「蜜蝋と磨き砂の瓶を渡していただけますか?」

 シュデルに瓶が2つ渡った。

「どうぞ」

 ブラック・マシュマロがムーに渡った。

 早速、蓋を開けて食べている。

 フィリズがトランクの蓋を閉めた。

「……帰る……」

「待ってください。棺を確認してください」

「……そう……だった…」

 シュデルが棺を食堂に持ち込んだ。

「どうぞ、開けてください」

「……ここ…かな……?」

 棺の側面に手をかざすと、蓋は音もなく開いた。フィリズは棺の蓋を「…重い…」と言いながら横にずらし、中を見た。

「……ない……」

 ホルト公はいなかった。

 あったのは、分厚い手紙が1通。

 フィリズは手紙には目もくれず、トランクからいくつもの機材を出すと丹念に内部を調べている。

「……時が切れない……」

「ほよっしゅ?」

 ブラック・マシュマロで唇を黒くしたムーが、棺のところにやってきた。棺に顔を突っ込んで調べている。

「確かに切れないしゅ」

 フィリズが機材をトランクにしまい蓋を閉じた。

「……帰る…」

「おい、手紙が入っているぞ」

「……あげる…」

「オレがもらっても」

 フィリズは重そうなトランクを背負った。

 よろめいている。

 と、思った途端、いきなり走り出した。大股で店を横切って外に飛び出す。

「店長!」

「どうした?」

「ムーさんがいません!」

「なに!」

 店に走っていき、窓から外見た。

 フィリズが、ムーを脇に抱えて逃げていく。

「欲しかったんですね」

「欲しかったんだろな」

 ムーが持ち逃げされた。

 オレをシュデルは顔を見合わせた。

「店長、今夜は安心して眠れますね」

「朝まで、ぐっすり寝るぞ!」

 笑顔で食堂に戻った。

 開いた棺が残されていた。

 中から手紙を取り出した。

 本当ならばホルト公の子孫のフィリズの物なのだろうが『あげる』と言われたのだからいいだろうと封を開いた。

 読んでみて、あきれた。

「店長、どうですか?」

 説明が面倒だったので、シュデルに渡した。

 シュデルも、あきれている。

「事実なんですか?」

「棺に聞いてみろよ」

「『彼』はひとりとしか会っていませんから」

「そうか、そうだよな」

 3つの顔と2つの性格を持っていたホルト公。

 実は3人でひとりを演じていたのだ。

 本物のホルト公は道具製作が趣味の魔術師。公国の世継ぎとして生まれながら、政治の才能は皆無だった。それを憂えた父親は同じくらいの年で政治に才能のある子供を捜した。頭が良くて、顔立ちの似た2人の子供を候補として育てた。

 ひとりが公国の政を担当したホルト公。

 もうひとりが魔法協会設立を担当したホルト公。

 本物は大戦の間、ずっと城にこもって魔法道具を作っていたらしい。

 偽物2人が情報の共有や今後のプランを練るために、毎朝会って話をしていたらしい。入れ替わりのタイミングもその時に決めていたようで、その時間に他の人を近づけないために、暴君を演じていたらしい。

「本物のホルト公は魔法道具を作っていただけなんだな」

「そして、終わっても作っていたかったんですね」

 大戦が終わり、魔法協会も軌道に乗った。

 3人は多すぎる。

 本物が公国の政治を引き受ければ良かったのだが、本物は政治に興味がなかった。偽物を政治の表に出し、本物は裏に回る方法もあったはずだが、本物は政治に興味がなかったので、裏に回るという考え自体が浮かばなかったらしい。

 逃げた。

 国を捨てても、魔法道具を作り続けたかったらしい。

 残された偽物2人は困った。政治は出来るが、魔法道具が作れない。

 そこで、本物が残した使途不明の棺を『時切りの棺』というものにでっちあげ、血族にしか開けない封印を施した。

 手紙を書いた主は偽物の一人だった。

 自分たちに国を乗っ取るつもりはない。本物のホルト公の子供に跡を継がせ、公国の宰相として、ホルト公の血族と国を守る気でいる。自分たちの子孫にもホルト公の血筋を守るように伝えておくので、遠慮なく助けを求めて欲しい。最後に2人の署名が書かれていた。どちらもオレには知らない名前だった。

「ホルト公の子孫にあてた手紙なんだろうな」

「子孫……あの方ですね」

 まさか、魔法道具製作オタクの血が400年間も続くとは本物も偽物も思ってはいなかっただろう。

「『時切りの棺』でないなら、これは何のための棺なんだ?」

 オレのつぶやきに、シュデルが答えた。

「お風呂です」

「はあ?」

「店長にわかるように言うと、魔法道具及び魔法道具製作パーツ洗浄用の浴槽です。微細な振動で細かいチリまで洗浄します」

「能力のこと知っていたのか?」

「もちろんです。聞かれなかったから言わなかっただけで、僕が桃海亭の魔法道具で知らないことなど…」

「わかった。風呂なんだな?」

「魔法道具専用の風呂です。ホルト公が逃げるときに、お前は大きすぎて連れていけないと泣いて棺に謝ったそうです」

 筋金入りの魔法道具製作のオタクだ。

 棺は開かれた。

 この先、誰が来ても空の棺を見せることが出来る。

「よっし、ムーもいないことだし、今日は早くに飯食って寝るか」

「いいですね」

 笑顔になったオレとシュデルの耳に、泣き声が聞こえた。

 ワァーンワァーンという独特の泣き声が近づいてくる。

 店の扉が、ダンダンと力強くたたかれた。

 行きたくないと抵抗する足をなだめながら、店の扉まで行った。

 開けるとアロ通りに古魔法道具店を開くロイドさんがいた。オレがいつも世話になっている人だ。

「盗まれないように気をつけろ」

 そう言うと右腕に抱えていたムーを店に投げ込んだ。

「こいつは城で預かってもらう。その後、ドリット工房に連絡しておく」

 呆然としているオレとシュデルを残して、ロイドさんは泣いているフィリズを引っ張って帰って行った。

「ひどい目にあったしゅ」と言って、立ち上がったムーは、奥の食堂に入っていった。

 残りのブラック・マシュマロを食べるつもりなんだろう。

 今夜はぐっすりと眠れる。

 希望を打ち砕かれたオレとシュデルは、顔を見合わせた後、深いため息をついた。



 数日後、ドリット工房から連絡があった。

 ムーの書いた設計図と香球を作る権利を買わせて欲しいということだった。ムーは快く了承して金貨10枚を手にした。

 設計図から作られた香球は金貨300枚で売れたそうだ。フィリズ・ホルトから、手間賃としてもらった金貨100枚でムーを買いたいと連絡がきた。

 どうやって売ろうかと、オレがアレン王太子とアーロン隊長に相談していると、スウィンデルズの爺さんからラルレッツ王国が金貨200枚で買うと言ってきた。すぐに魔法協会のムー活用派がさらなる高額を提示する予定だと裏情報が入ってきた。臨時収入だとホクホクしていたオレに、予想もしない横やりが入った。

『エンドリア王国は国民に行動の自由を保障している。国民を金銭に換えるような行為はどのような理由があっても認められない』

 お人好しの国王様は、ドリット工房に書簡を送ると同時に、国中に同じ内容を書いた立て札を立てた。

 ムー販売計画は潰えた。

 そして、ムーはいつも通り桃海亭で、飯を食って、部屋で怪しげな研究をして、召喚獣や魔法生物を呼んだり作ったりして、寝ている。

「なあ、シュデル」

「なんでしょう?」

「ムーから金もらっていないよな?」

「もらっていません」

「店で働かず、勝手に居着いているんだよな?」

「だから、居候というのではないでしょうか?」

 ムーがこの世界に戻ってきたとき、ペトリの家に迷惑がかかるからと桃海亭に住み着いた。それから、世界に迷惑をかけまくって生きてきた。ここまで好き放題にやるなら、ペトリの家に住もうが、桃海亭に住もうが、関係ないように思える。

「ムーは、何で桃海亭にいるんだろう?」

 ペトリの家なら飢えることもなく、好き放題に甘やかしてくれるのだから、ムーにとっては快適のはずだ。

 オレの疑問を聞いたシュデルは笑顔になった。

「店長にはわからないのですか?」

「わからない」

 穏やかな笑顔でシュデルは言った。

「僕と同じです。桃海亭がムーさんの家なんです」

 恐ろしいことのはずなのに、なぜか、オレの口に笑みが浮かんだ。


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