第9話 毒薬とナイフと長針と
「ウィル、毒薬とナイフと長針となら、どれがいい」
「はぁ?」
我ながら間の抜けた声が口から漏れた。
柔らかい陽射しが降り注いでいる昼下がり、扉を開けて入ってきたのは見慣れたララ・ファーンズワース。職業暗殺者で、オレの卒業試験の仲間だ。
いつもと変わらず、オレの店の店員シュデルにプレゼントする大量の荷物を持って現れた。
2階の納戸にいるシュデルを呼ぼうとしたオレを目で制して、挨拶もなしで話しかけてきた。
「最近いい毒薬が手に入ったの。苦しまないでいけるから、それにする?」
「もしかしてだが、オレに死ねと言っているのか?」
「もしかしなくても、そうよ」
微笑みが優しすぎて恐い。
「オレが死にたくないと言ったら、どうなる?」
「それが通ると思う?」
卒業試験の時からのつき合いだ。ララが殺すといったら、殺すだろう。対象が顔見知りだからと、ためらうようなヤツじゃない。
背中に冷たい汗が流れる。
ララとタイマンで戦ったら、オレが負ける。100戦100敗の力量差がある。
ララの唯一の弱点、チェリースライムはムーと出かけていない。
あとは。
開きかけたオレの口を、ララの人さし指が押さえた。
「シュデルを呼んだら、この世で一番苦しむ死に方にで殺すからね」
オレはコクコクとうなずいた。
ララの指が離れる。
「それでウィルはどれにする?」
「死に方の話か?」
「長針で呼吸麻痺もいいと思うけれど」
「その前に教えてくれ」
「何を?」
「なんでオレが殺されるのかを」
ララが不思議そうな顔をした。
「心当たりないの?」
「ない!」
真面目に、真っ直ぐ、一生懸命、必死に生きてきた。
ルブクス大陸で最も清貧な男だと断言できる。
「じゃあ、教えてあげる」
ララは手に持った荷物を床に下ろすと、商品の衣装箱に腰を下ろした。
「ここ1、2年、暗殺業界で問題になっていることがあるの。殺しの仕事の依頼が急激に増えたの」
イヤな予感がする。
「倍近くに増えているのだけれど、増えた分が全部ムー・ペトリとウィル・バーカーの殺害依頼なの」
営業妨害よ、とため息をつく。
「知っての通り、ムーに手を出すとルブクス魔法協会が黙っていないから、暗殺業界としても手を出しづらい。モジャさんも恐いしね」
ララが顔を上げてニッコリと微笑んだ。
「でも、ウィルを殺しても誰からも文句は出ないだろうから、とりあえず、ウィルだけでも殺しちゃおうかということになって、あたしに仕事が回ってきたの」
「卒業試験の仲間だから選ばれたのか?」
「卒業試験って、何?」
「エンドリア王立兵士養成学校の卒業試験のことだよ!」
「なんの話かわからない」
「オレと卒業試験受けただろ?」
ララがキッパリとした口調で断言した。
「ムー・ペトリとウィル・バーカーと卒業試験をしたララ・ファーンズワースは私じゃないわ。同姓同名の別人よ」
「お前なぁ…」
「私とは別人よ」
トラブルメーカーとして有名なオレ達と一緒だったというのは、ララにとって人生の汚点かもしれないが、生死を共にした仲間に面と向かっていわれるとかなりへこむ。
「来店客に希望を託して、時間稼ぎをするつもりなら無駄よ」
閉店の札をノブに掛けたから、と、あっさり言われた。
「いや、そうじゃなくて」
「早く決めてくれる。シュデルに買ってきたケーキに、ミルフィーユがあるのよ。パイ地が湿って美味しくなくなっちゃう」
オレの命より、シュデルがケーキを美味しく食べられる方が大切らしい。
「ララ、オレの話を聞いてくれ」
「面倒だから、ナイフで首をスパっでいい?」
「店の品が汚れるとシュデルが泣くぞ」
「そうね、やっぱり毒でどうかしら。最新の毒を試してみたいし」
「何種類もってきたんだ。全部見せてくれよ」
「時間稼ぎ?」
「オレは一秒でも長く生きていたい」
「しかたないわね、選ばせてあげる」
でも、と笑顔をさらにパワーアップさせた。
「急いで選ばなかったら、針を飛ばすからね」
オレはコクリとうなずく。
ララがカウンターに毒の瓶を並べていく。オレはそれをひとつひとつ丁寧に見た。
もちろん、ララの言ったとおりに時間稼ぎだ。
「これがお勧めかな」
ララが綺麗な紫のリボンのついた小瓶をオレの前にスイッと差し出した。
そろそろ決めないと死ぬわよ、ということらしい。
「一気に飲めばいいのか?」
ララが首を横に振った。
「強い薬だから、口の中がただれるだけで、死ねないかも」
「そんなもの勧めるなよ」
「水で溶くと甘くて美味しいけど、ダメよね、ここでウィルから目を離すわけにはいかないから」
バラの絵の小瓶を差し出す。
「これは一気のみで死ねるわ」
「味は?」
「苦いみたいだけれど、どうせ死ぬのだから関係ないでしょう?」
面倒くさくなったらしく投げやりに言う。
「甘いので苦しまずに死ねるのを出してくれ。すぐに飲むから」
表面だけでも冷静さを維持しての、必死の時間稼ぎ。
ムーはきまぐれだから、いつ帰ってくるかはわからない。シュデルは納戸にはいって間もないから、当分出てこない。スウィンデルズの爺さんや賢者カウフマンがくれば何とかなるかもしれないが、来店する確率はかなり低い。ペトリの爺さんはよろこんでオレをララに差し出すだろう。
それでも、ある理由からオレは希望を捨ててはいなかった。
「これなら甘くて美味しいわよ」
さっさと飲めと置かれた髑髏マークの真っ黒な小瓶。ひねって蓋をあけると腐った卵と腐ったタマネギの混じった強烈な異臭がする。
「これは無理だ。飲めない」
「美味しいわ、保証する」
もう交換に応じる気はないようだ。
あと少し、もう少し、と死にもの狂いで時間稼ぎをしていたオレは窓の外を横切った影に安堵した。
「なあ、ララ」
「なあに?」
「頑張れよ」
「えっ?」
可愛らしく首を傾げたララ。
ほぼ同時に入口の扉が吹き飛んだ。
内側に。
「てめー、なに考えてやがる。オレ様が来るってわかっていて閉店の看板なんかだしやがって!」
ズンズンと入ってきたのは、金髪碧眼色白長身、見た目だけは美形男子、性別女のハーン砦の賢者ダップ様。
「あ、あっ」
ララの焦った声。
まさか、このタイミングで暴力賢者と名高いダップ様が乱入してくるとは思っていなかったのだろう。
「ダップ様、お待ちしておりました」
「頼んでおいたものはあるか?」
「もちろんです」
「まけろよ」
「はいはい、わかっております」
オレはもみ手をしながら、ダップ様にうなずいた。
「やけに素直だな」
「実はダップ様にお教えしたいことがありまして」
「なんだ?」
「デトラの王都スクエで行った女神召喚の時のことですが」
ララがオレの言葉を察して、通りに飛び出した。
「あの時に世界を守る為に女神召喚を止めようとなさったダップ様に針を刺して気絶させたのは」
窓の外を走って逃げているララ。
「あの女でございます」
ダップ様は笑顔で「ありがとよ、教えてくれて」というと、扉がなくなった入口を高速飛行で抜けていった。「裏切り者ーーー!」というララの叫びは、キケール商店街に響き渡った。
「凄かったしゅ」
キケール商店街を歩いていて、ダップ対ララ目撃したムーは、興奮して言った。
「婆の金色メイスが何十個にも見える早さで、ララしゃんをブンブン襲っていましゅた」
実際に凄かったらしい。
今日のキケール商店街の話題は、2人の戦い一色だ。
金色メイスを振り回しながら、高位の攻撃魔法をバンバンかけるダップ。逃げ回りながらも、投げナイフや針で応戦するララ。
頑張ったが、分はララに悪かった。
白魔術師のダップは、ようやく与えた傷を瞬時に治してしまう。ナイフや針についた毒も解毒してしまう。
「ホーリーランスが何十本もお空から落ちてきて、ララしゃん囲って閉じこめたしゅ」
高笑いしながら、逃げ場を失ったララを魔法で強化したメイスで滅多打ちにしたらしい。
暴力賢者の名にふさわしい容赦のなさっぷりだ。
「ララしゃん、バッタリしゅ」
血塗れのララを見て、誰もが死んだと思ったらしい。
「婆がホーリーランスを解除した、その時しゅ」
飛び起きたララがナイフを片手に捨て身の一撃をかけた。
「ララしゃん、白魔法勉強したんしゅね」
元々治癒系の魔力を持っていたララ。ダップの攻撃を急所を外して受け、治しながら、チャンスをうかがっていたらしい。
「惜しかったしゅ」
ダップが身を反らし、ナイフがローブの袖を切ったところで反撃のメイスがララの頭を襲った。
砕かれるはずの頭は、メイスが直前で停止したことで救われた。
ーー この勝負、ここまでとする ーー
モジャが重々しい声で宣言し、ダップは舌打ちし、ララは地面に座り込んだ。
無惨に破れた血塗れのワンピース姿でララは桃海亭に戻ってきた。
満身創痍でもオレを殺そうとするプロ根性はすごいが、任務の完遂は2つの壁に阻まれた。
ーー 我がウィルの後ろ盾となろう ーー
ありがたいモジャ様の下知により、オレを標的にした暗殺はほぼ不可能となった。
ダップにチクッたオレをララが簡単に諦めるかは別だが。
そのララはカウンター前でシュデルに詰め寄られていた。
「店長を殺しに来たのですか?」
「えっ」
「みんなが騒いでいます。店長を殺そうとしたと」
そこでララは自分がおかした致命的なミスに気がついた。
桃海亭は魔法道具店だ。魔法道具には自分の意思持つものがあり、シュデルは道具達と話す能力を持っている。
オレ達には聞こえないが、今店の中はシュデルに事の詳細を話そうとする道具達の声が満ちているだろう。
「彼女が」と、シュデルが指したのはララが座った衣装箱。
「言うには、毒薬の瓶をいくつも並べて、嫌がる店長に力ずくで、無理やり飲まそうとしていたと」
シュデルが悲しそうだ。
衣装箱の話には座られた恨みもプラスされていそうだ。
「違いますよね、ララさんが店長を殺そうしたなんて、何かの間違いですよね」
ララはシュデルの髪に手を当てた。
「本当よ」
「どうして…」
「依頼があったから、ウィルを殺しに来たの」
呆然としたシュデルに微笑んだ。
「でも、もう殺さない」
シュデルの髪を優しくなぜた。
「モジャさんが後ろ盾になってくれたから、ウィルはもう誰にも殺されない。大丈夫」
でもね、と、ララは続けた。
「殺すことが私の仕事なの。もし、モジャさんがウィルの後ろ盾でなくなリ、ウィル殺害の仕事がきたら、また殺しに来る。私は私の仕事に誇りを持っているから」
綺麗に納めようとした、ララ。
が、甘い。
最近のシュデルは昔ほど純粋ではない。
「店長だから殺さない。そうは言ってくれないのですね」
まっすぐな視線でララを見た。
簡単に丸め込めないことにを気づいララは、あっさりと方向転換した。
「言わない。絶対に言わない」
「ララさん」
「ウィル、はっきりさせておくわ。モジャさんの後ろ盾がなくなった、その日に」
ララが赤い唇を三日月型にゆがませた。
「あたしがこの手で殺してあげる」
自分の獲物宣言。
「先に仕掛けたのは、そっちだろ」
「仕事だから仕方ないでしょ!」
「仕事だったら、誰でも殺るのか?」
怒鳴り返そうとしたララが、ハッとした。
「…断る、かも」
他はわからないが、シュデルは殺さないだろうな。
それなのに、
「オレの殺害は断らなかったよな」
ララは罪悪感のまったくない顔でサラリと言った。
「だって、ウィルだもの」
オレは店主として常識的対応「出ていけ!」と命令した。ララも「わかっているわよ!」と、怒鳴り返し出て行った。
毒殺未遂事件の翌日の早朝、直したばかりの扉が開いた。
「いらっしゃい…」
そこで言葉が詰まった。
「シュデル、少し早いけど冬用のローブ買ったから、サイズが合うか着てみて」
ララがいた。昨日も山のような荷物を持ってきたが、今日はさらに多い。
香炉を磨いていたシュデルも、ララに気がついて眼を丸くしている。
「ララさん?」
「ウサギの毛だから暖かいと思うの。裾も長めと短めと二種類あるから」
さりげなくドンと荷物を置いたのはカウンター側の衣装箱の上。
「おい、何のつもりだ」
「シュデルに会いに来たのだけれど?」
「普通二度と来ないだろうが」
「細かいこと言わないでよ」
オレを手でシッシッと追い払う。
もっと文句を言いたかったが、そうできない事情があった。
「ウィルしゃん、準備できましゅた」
ムーが二階から降り来る。持ってきた旅用マントと荷物袋を受けとる。
「シュデル、店は頼んだ」
「わかりました。店長もお気をつけて」
扉を押しながら、言葉を付け加えた。
「オレが出たら、その女はすぐに放り出せ」
出ようとしたオレは、入って来る丸い体に押し戻された。
「間に合って、よかった」
魔法協会エンドリア支部長のガガさん。オレ達の今回の仕事の依頼人。
「何かありましたか?」
「これを」
丸めた紙を差し出した。
ララの前に。
「ララ・ファーンズワース。ムー・ペトリとウィル・バーカーの護衛の仕事の命令書です。よろしく頼みましたよ」
ニコニコと手渡す。
「う…そ…」
受け取ったララは見ものだった。
顔面蒼白で目の視点があっていない。紙を受け取った手は震え、爪まで真っ白だ。
オレ達がどんな仕事を引き受けているかはララも知っている。
命なんて紙切れレベルのムチャぶり依頼。
今回は特にシュデルを連れて行けない危険度MAXレアモンスター討伐。護衛となれば自分より先に、オレ達を死なすことはできない。
たとえ、オレ達が意図的にモンスター前に飛び出したとしても、命を張ってかばわなければならない立場。
オレとムーは顔を見合わせた。
考えていることは同じらしい。
ララの肩を叩いた。
「よろしくな」
「よろしくしゅ」
オレとムーは、モンスターの正面に16回飛びだした。
ララはそのたびに「なんで飛び出すのよ!」とか「おぼえていらしゃい!」とか「あたしは死にたくないのよ!」とかわめきながら、オレ達をかばった。
オレとムーはうまく逃げ、
ララは鉤爪に切られ、ブレスに焼かれ、岩石弾に弾き飛ばされた。
2時間かけてレアモンスターを倒したときにはララの革の上下は引き裂かれてボロボロで、右腕と左足には大きな裂傷があった。
焼かれて縮れた赤い前髪の間から、憎しみをこめた目でオレ達をねめつけた。
「絶対に、絶対に、忘れないからね」
よろめきながらも呪詛の言葉をなげかけるララ。
オレとムーはハイタッチをして勝利を喜んだ。
魔法協会から派遣された魔術師がレアモンスターの死亡を確認し、オレとムーに依頼完了を告げた。
オレとムーは気持ちよく帰路についた。
すぐにオークに出会ったが、オークは足が遅い。走れば、楽勝で逃げきれる。駆け出そうしたオレは、首に何かを刺さったのを感じた。
身体が動かなかった。
眼球を動かして隣を見た。
ムーも硬直している。
オークが悠然と近づいてくる。
冷や汗が全身から吹き出す。
後ろからララの高笑いが聞こえた。
翌日、包帯だらけで横たわるオレとムーのベッドの上に、包帯だらけのララが楽しそうに毒の小瓶を並べていた。




