第7話 黄昏の来訪者 前編
夕闇が包むキケール商店街に、長い影をひきずりながら、その男はやってきた。
桃海亭の入口を掃除していたオレは、入ってこようとした男を呼び止めた。
「すみません、今日は店じまいなんです」
いつもなら夜半までが店を開けているが、今日は来客の予定があり、早めにを片づけに入っていた。
長身の男は、オレより頭一つ高い位置から、オレを鋭い目つきで見下ろした。
厚手の旅マント、その下は灰色のローブ。
ニダウでは珍しい、ネクロマンサーだ。
「桃海亭とはここか?」
「そうですが、もう、閉めるところなんです」
男はマントの裏側に手を入れた。
そして、飾り縁の入った紙片を出した。
紙にはルブクス大陸公用語で”キキグジ族ダワ氏第2男子レナルズ”と書かれていた。
キキグジ族。
シュデルの母親の出身部族で、部族全員が生まれながらのネクロマンサーらしい。
「シュデル・ルシェ・ロラム様に会いたい」
男がキキグジ族ならば、シュデルの父親のロラム王がからんでいる可能性が高い。
ロラム王はオレがシュデルを引き取るとき申し出たとき、非常に喜んでくれた。だが、その後に出してきた条件は信じられないものだっった。3日おきに詳細な報告書を送ること、食事は栄養の整った最高級の食材を用意すること。食器、衣類、家具なども同様に最高級のものを用意すること、身の回りの世話をする為に女官、家庭教師、コック、医師、警備兵を送ると言い出したところでオレが切れた。同席していた宰相とモジャがオレに味方してくれなければ、今の状況までもってはいけなかった。
「遠方から来ていただいたところ悪いのですが、今日は予定があります。申し訳ありませんがお帰りください」
オレは声に力をこめて、きっぱりと断った。
男はどうしようか迷っていたが、オレがドアの前から動く気がないことを看取ったのだろう。踵を返した。
その時だった。
「こちらにシュデル・ルシェ・ロラムはいらっしゃいますか?」
タイミングが悪いとしか言いようがない。
声を掛けてきたのは、男と同じ厚手の旅のマントに灰色のローブを着た魔術師。
ただし、こちらはプラチナブロンドの長い巻き毛の若い女。愛嬌のあるタレ目でオレを見ると笑顔を浮かべた。
「ここは桃海亭ですよね」
「…はい、そうです」
「私、ルブクス魔法協会のエリーメイ・ライルです」
「連絡は受けています。今日はわざわざありがとうございます。どうぞ」
オレは一歩下がって道をあけた。
エリーメイが桃海亭の扉を抜けた。続いて、男が扉を抜けようとする。
オレは男の腕をつかんだ。
「あんたには関係ない。帰ってくれ」
男は目には怒りと疑いが渦巻いていた。
「なぜ、ルブクス魔法協会がシュデル様に会うのだ。そのような話をロラムは聞いていない」
「知る必要がないからだ」
「ロラムはシュデル様の動向を知らねばならぬ。また、必要な助力は行わなければならない」
「そいつは、シュデルの親父の考えか?」
男はうなずいた。
「シュデル様の実情の把握、及びネクロマンサーの技術を教授することが、それが私に課せられた使命」
「わかった。帰ったら伝えてくれ。こっちのことは気にすんな、ってな」
男とオレがにらみ合ったとき、扉の奥からエリーメイが顔を出した。
「あの、まだですか。そろそろ始めたいのですけれど」
オレは頭を抱えたくなった。
ルブクス魔法協会がシュデルと関わったと知って、男が帰ってくれるはずがない。
「今行きます」とエリーメイに言い、
「入れてやる。そのかわり、おとなしくしていろよ」と、男に釘を刺してから店の中に入った。
「それでは、これより、シュデル・ルシェ・ロラムのネクロマンサー認定試験を行います」
シュデルはルブクス魔法協会にネクロマンサーとして登録されている。母親がキキグジ族であることが主な理由だ。登録の際、ムーの爺さんのケロヴォス・スウィンデルズが口添えしてくれたことも大きい。
系譜と推薦。
シュデル自身にネクロマンサーとしての実績はない。
先日、ルブクス魔法協会が本当にネクロマンサーの能力があるのか試験を行いたいと連絡してきた。
ネクロマンサーとしての能力は、スウィンデルズの爺さんだけでなく、ムーもモジャもあると言っている。技術もすでに習得ずみらしい。
ただ、シュデルは使わない。
そして、シュデルのことを知っているオレたちは、シュデルが使わないことを口にしない。
「試験の内容は死亡したものを動かすこと。これだけです」
「死者を動かすのですか?」
シュデルが青い顔で言った。
「人でなくても構いません。犬猫でもいいですが、人のほうが簡単でしょう」
シュデルが唇を噛んだ。
「ニダウの霊園は、都の北にありましたね。そこで行いますか?」
シュデルが握っていた手を、さらに強く握り込んだ。
「死体……」
シュデルはネクロマンサーを生業にするつもりない。
だが、国を出たシュデルには、自分を証明するものがない。だから、オレはネクロマンサーとして登録させた。
シュデルが試験をやりたくないのであれば、オレは強要するつもりはない。
止めに入ろうとしたとき、丸っこいチビが階段を降りてきた。
「ほいしゅ」
シュデルの前に転がった小さな黒い物。
干からびたゴキブリ。
ムーの部屋の元住人、じゃなく、元住ゴキブリだろう。
「あ、あの」
「死んでましゅ」
「そうですけれど」
「1年くらい前には、生きてましゅた」
「あっ、はい!」
シュデルは、顔を明るくした。
短い呪文を口にすると、干からびたゴキブリはカサカサと部屋を動き回った。
「きゃあー!」
エリーメイは悲鳴をあげながら、部屋中を逃げ回った。
整えられた髪は乱れ、上等のローブを跳ね上げて、ゴキブリに触れまいとする。
「こっちは、こないでぇーーー!」
シュデルは呪文を解き、ゴキブリは元の死骸に戻ると、エリーメイは荒い息づかいで合格を宣言して帰っていった。
そして、男が残った。
男はシュデルの前にひざまずいた。
「私はキキグジ族のレナルズ・ダワというものです。お父上の命で、シュデル様にネクロマンサーの技術を教えて参りました」
「ようこそ、いらっしゃいました。レナルズ・ダワ殿」
シュデルが微笑むとレナルズは「アデレード様によく似ていらっしゃる」と呟いた。
シュデルの頬がひきつった。
レナルズはシュデルの母親を忍んで、何気なく口にしたのだろうが。
禁句なんだよ、それ。
「せっかくきていただいたのですが、ネクロマンサーとしての技術は、すで習得しております。どうぞ、父に安心するようにお伝えください」
「私がお父上から命じられのは、シュデル様の魔力に見合った高度な術の指導です。虫を動かすなどは、初心者の技。将来、ロラム王国にお戻りになられたときのことを考え、ぜひ私の指導を受けていただきたい」
地雷を踏みまくっているレナルズ。
「さきほどから、言っておりますとおり、すでに、技術は習得…」
「では、何を習得されているというのですか?それほど、自信をもって言えるのならば、自慢の術をお見せいただきたい」
シュデルが言葉に詰まった。
「そこのノッポ、うるさいしゅ」
ムーの目が据わっていた。
ピンピンと散った髪
シワだらけのシャツとズボン。
騒ぎで目が覚めて降りきたのだろう。
そして今、昼寝に戻れない怒りが、爆発したらしい。
「大事な話をしております。いま、しばらくお辛抱いただきたい」
ムーが足元にあった、桶を蹴飛ばした。
シュデルが慌てて拾いにいく。
「ボクしゃんを誰だと思っているんしゅ!」
レナルズが首を傾げた。
「このお店の従業員の方ではないのですか?」
時々、いるのだ。
悪名高いムー・ペトリの容姿は有名だが、実際に見ていない魔術師には、本人を目の前にしても実物だと気づかないやつが。
「ボクしゃんは……」
ようやく、幼児語で話していることに気がついたらしい。
「私の名は、ムー・ペトリ。ルブクス魔法協会の魔術師」
レナルズが驚愕した。
「シュデル様と一緒に住んでいられることは知っていたが、こんな幼児語をしゃべる低能そうなチビだったとは…」
悪気はないんだろうな。
「シュデルは、このムー・ペトリが指導している」
堂々たる、嘘。
シュデルに教えたのは、シュデルの母、アデレードの記憶の欠片だ。
「ロラム王国は、コーディア魔力研究所で教鞭をとる予定だった私では、シュデルを教えるのふさわしくないといいたいのですか?」
「コーディア魔力研究所の話はお聞きしております。しかし、ネクロマンサーの魔術は特殊なもの。ムー・ペトリ殿だけでは無理があるかと」
「ネクロマンサーは特殊だと言われるのか。面白い。では、今から死者をスケルトンとして動かしてみせようではないですか」
「その魔法も初心者が使うレベルです」
ムーは、指を立て横に振った。
否定の振りというより、幼児がリズムをとっている。
イチ、ニ、イチ、ニ、だ。
「私が行うのは、このニダウの地より、ロラム王国に眠る、すべての死者をスケルトン戦士として復活させる」
「何を言って」
「この程度の遠距離魔法など私には、たやすいこと」
ムーが鼻先をあげ、フンと言った。
「そして、ロラム王国にあるすべてのケーキ店を襲わせて、売っているケーキを強奪させる」
でかいのか、小さいのか、わからない計画だ。
「最後にスケルトンたちをウィングフロウの呪文で、ここに来させる」
それまで、反応を見せなかったレナルズが、ここでいきなり顔色を変えた。
「そのようなことが、できるはずがない」
「ご希望とあれば、いますぐに」
「おやめください!」
「貴殿は私の指導にご不満がある様子。実際に見ていただだければ、納得いただけるのではありませんか」
「わかりました。ペトリ殿の実力は認めします。ですが」
ムーが扉を指さした。
反論を許さない、ムーにしては、凛々しい姿だった。
レナルズは、振り返り、振り返り、シュデルに未練を残しながら店を出ていった。
オレはムーにレナルズの態度が変わった理由を聞いた。
「ウィングフロウは、ネクロマンサーの最上級難度の魔法しゅ」
「難しい魔法も使えると言えば済んだ話じゃないか?」
「ボクしゃん、言ったしゅ。でも、出て行かなかったしゅ。まだ、いたら、本気でやるつもりだったしゅ」
墓場の骨をスケルトン兵士としてケーキ屋を襲わせて、ケーキを奪う。
「盗ったケーキは、ウィングフロウでここに持ってきましゅ」
スケルトン持参のケーキ。
オレは食うことを、全身全霊で拒否する。
「ウィングフロウっていうのは、転移魔法なのか?」
「違いましゅ。スケルトン専用の魔法しゅ。
まず、スケルトンを粉にしましゅ。人だと死んじゃいましゅが、スケルトンは問題ありましぇん」
もう、死んでいるしな。
「粉を上昇気流に乗せ、ジェット気流に乗せて、特定地点に落下するように操作しましゅ。
あとは集まった粉を元のスケルトンに戻しましゅ。これがウィングフロウしゅ。急に大軍が必要な時に便利な魔法しゅ」
自慢げに言ったムー。
勘違いを2つしている。
1つ目、レナルズが帰ったのは、大量のスケルトンがロラム王国からエンドリア王国に送られれば、戦争を仕掛けたと取られる。それを恐れたからだろう。
「なあ、ムー」
「なんでしゅか?」
「いま、あいつが帰らなければ、本気でやるつもりだったと言ったよな」
「いいましゅた」
2つ目の勘違い。
「その方法だと、ケーキはロラム王国に残って、ここに届かないじゃないか?」
その夜、オレは商店街の集まりに出ていた。商店街の会長をしている雑貨屋の2階で、年末のイベントの打ち合わせをしていた。
扉をたたく音がした。
「どうぞ」と、会長が言ったが誰も入ってこない。
また、軽い音がトントンと響いた。
床から20センチほどの高さ。
出席者が一斉にオレを見た。
たしかに、この商店街の異常現象の9割以上は桃海亭が絡んでいる。
だが、10割じゃない。
また、トントンと音がする。
人が叩いているとは思えない音。
花屋の奥さんが慈しみに溢れた笑顔で、オレに言った。
「ウィルくん、あなたにお客様よ」
オレは渋々立ち上がって、扉を開けた。
ジッとオレを見上げている物。
北方の狩猟民族が呪詛を行うときに使用される、高さ20センチほどの木製の仮面。
オレが店を出てくる時には、ショーウィンドウに飾られていたはずだ。
「ほら、やっぱり、ウィルくんだったわ」
花屋の奥さんが、うふふっと上品に笑う。
仮面はオレを見上げながら、ピョンピョンと飛び跳ねた。
「どうしたんだ?」
呪いの仮面は動けなかった、と思う。
商品のことはシュデルに任せていたので、絶対とは言い切れないが、半年ほど前に入荷してから動いたことはない。
仮面はオレに背を向けると、ついてこいとでもいうように、少し先をピョンピョンと跳ねる。
「用事ができたみたいで、席を外していいですか?」
「ああ、行っておいで」
「すみません、年末のイベントでオレにできることがあったら、やりますんで」
「気をつけて行くんだよ」
会長の暖かい言葉に送られて、集会所出た。前を跳ねている仮面を追って、商店街を走る。そのオレを道行く人や、商店街の店の人たちが驚いたり、笑ったり、様々な表情で見ている。
視線にさらされながらたどりついたのは、住み慣れた桃海亭だった。
扉を開けたオレは、頭を抱えたくなった。
店の商品の半分近くがなくなっていた。
「シュデル!シュデル!いないのか!」
オレの呼びかけにシュデルは応えなかった。代わりに応えたのは、店の雰囲気。
ザワリと肌がささくれ立つような、怒りや悲しみが入り交じったものが、店内に満ちている。
オレを店まで導いた仮面が、裏口に通じる場所で跳ねている。
店の品物の異常な気配。
オレを案内しようとする仮面。
いなくなったシュデル。
「くそっ!」
状況から考えると、レナルズがシュデルを連れ去ったんだろう。
行き先は、レナルズが泊まっている宿屋かか、それとも、馬で街道を駆けているか。
「ムー!」
2階に声をかけたが、降りてこない。
階段を2段とばしで駆けあがる。
「ムー!」
掛け布団をはねとばすと、腹を出して熟睡したムーが転がり出た。
「ムー、起きろ!」
揺らすと、半分だけ目を開けた。
「シュデルがさらわれた!」
「シュ、デル…はぅ?」
寝ぼけている。
オレは半分寝ているムーを左腕に抱える、階段をひとっとびで降りた。
裏口で待っていた仮面が、オレを見て、また、外に跳ね出た。
跳ねてオレを案内する木製の仮面。
そいつの後を追って、裏道をひたはしる。
レナルズの頭には、ニダウの地図がはいっているようだ。人通りの少ない道を、迷うことなく、北へと移動している。
追っている最中、ピメの前王朝の毒壷を見つけた。粉々に割れている。
先月、銀貨5枚で買った値打ち物だ。
破片となっても、ピクピクと動いているところをみると、自力でこの場所まで来たらしい。
レナルズに壊されたのか、動いたことで自滅したのか。
前者であることを祈りながら、横を駆け抜ける。
七色ガラスの魔法の杖、陶製の巻物入れ、銀狼の骨笛、レース銀のペンダント。
延々と続く、壊れた店の品物。
損失を考えると、目眩がしそうだ。
オレは走りながら、心の中で固く誓った。
絶対、絶対にレナルズの野郎に、全額弁償させてやる。
レナルズは、真っ直ぐ北に向かっている。
ニダウにある宿屋は南東の歓楽街に集中している。
町からから出るには、町を南北に分断するアロ通りに出なければならない。
目指している方向が違う。
レナルズの行く先は、宿屋でも街道でもない。
北にあるのは。
左腕に抱えたムーを揺らした。
「ムー!起きろ!」
「…起きてましゅ」
フワァと、大口を開けて、あくびをする。
「シュデルがさらわれた」
「はい、しゅ?」
「シュデルが、レナルズにさらわれたみたいだ」
顛末を簡単に説明した。
ムーの額に怒りマークを浮き上がる。
「あのノッポ、お仕置きだしゅ」
「ムー、頼みがある」
「はい、しゅ!」
「気合いが入っているところ悪いんだが」
「はい、しゅ?」
「今回は、絶対に召喚するな」
「ええっーーしゅ!」
危険物は、取扱注意。
それが間違いだということを、オレは知っている。
正解は、危険物は使わない、だ。




