開かれた扉
「暴れたから、空気が減ったわね」
ララが、これみよがしに深呼吸する。
「そんなことやってないで、やることをやってしまおうぜ」
オレにうながされたララが、クリスティンの腕をつかんだ。
「な、なんでしょうか?」
「そんなに、おびえないでよ。なにもしないから」
「でも……」
苦悶の表情で、床に転がっているドレイファスを見おろす。
「こいつのことは、気にしないでいいわよ。
そんなことより、はやく扉をあけてくれない?」
クリスティンが驚いた。
「開けるのですか、扉を」
「そうよ。開けなければ、空気が不足して、死ぬだけなんだから」
「でも、でも…」
足元のドレイファスに、目をやる。
「いま、自供のツボに針を入れているわ。
もう少したてば、扉の向こうの秘密もわかると思うけれど、
その前に、空気が足りなくなりそうだから」
「わかってからでも…」
「空気が足りなくなると、みんな死ぬのよ」
「でも…隣には狼の異次元モンスターが…」
「そっちは、心配いらないわ」
ララがムーを手で呼んだ。
「ムー・ペトリは、異次元のモンスターを戻すこともできるのよ」
ムーの肩に手を置いて、にっこりとクリスティンに微笑みかけるララ。
「本当ですか?」
「はい、でしゅ!」
堂々と嘘をついた。
卒業試験の時は、オレもララも騙された。
異次元モンスターは人の命令には従わない。
召喚魔術師に召喚され、それが成功の時のみ召喚者の意思に従う。
オレも、もちろんララも教えたりしない。
人間知らないほうが、幸せなこともある。
クリスティンが、紫水晶のオーブを取り出した。
「守ってくださいね」
ムーにすがるような目をした。
「できましぇん」
オレとララの手が、ムーの口を覆った。
「いま、なんて……」
クリスティンが、泣きそうな顔をしている。
「オレ達がいますから」
「護衛は、あたしたちの仕事です」
バタバタ暴れるムーを後ろに追いやって、扉の前をあける。
「さ、開けてください」
クリスティンはイヤそうに、紫水晶のオーブを扉に当てた。
扉は、手前に開いた。
冷たい空気が、部屋になだれ込んでくる。
数回、深呼吸したオレは、ララに目で合図した。
「行くぞ」
「ムー、ウィルの側から離れないでよ」
「はい、でしゅ」
扉をくぐったオレ達が見たのは、輝く緑色の壁だった。
「なによ、これ」
ララが壁に触れる。
透明な緑色の石が、タイルのように並べて貼りつけてある。
トコトコと壁に近寄ったムーが、顔を近づけた。
「ダイオプサイドしゃんでしゅ」
「ダイオプサイド、って、宝石の透輝石のこと?」
「そうでしゅ」
「でも、あれは光らないわよ」
「しょれは……」
ムーが壁の一画を指した。
乳白色の渦が、ゆっくりと動いている。
「…たぶん、あれっしゅ」
「異次元通路か?」
オレの問いに、ムーはうなずいた。
「あそから、狼しゃん、来ましゅ。狼しゃんの力、石を光らせてましゅ」
生き物のようにうごめいている、乳白色の渦。
濁っていて渦の先は見えないが、間違いなく、通路は開いている。
「これがドレイファスが来なかった理由かしら?」
「ドレイファスが知っていたかはわからないが
異次元の穴が開いているというのは、嘘じゃなかったわけだ」
あとから入ってきたクリスティンが、ダイオプサイドの壁に駆け寄った。
「綺麗!」と、甲高い声をあげた。
ダイオプサイドが発する光が、あたりの様子がはっきりと見て取れた。
オレ達がいる場所の大きさは、闘技場ほど。
異次元通路と、一部むき出しの土の壁をのぞけば、
壁全体にダイオプサイドが貼り付けられていた。
「クリス」
オレが呼んだのに、気がつきもせず、壁をなぜまわしている。
「クリス!!」
振り向いたクリスは、不愉快そうな顔でオレをにらんだ。
「…なんですか」
「十年前の事故について、何か知らないか?」
「知りません」
「教団は事故があって、ここを封鎖したんだろ?」
「そう、聞いています」
つっけんどんに答える。
「わかった、もういいよ」
オレが言い終わる前に、クリスティンはダイオプサイドの壁に張りついた。
また、うれしそうに、なぜまわしはじめる。
オレはもう一度、この場所を丹念に見回した。
異次元通路と、ダイオプサイドが貼られた緑の壁と、むき出しになったらしい土の壁。
足元には、平らな地面。
「どうしたのよ、ウィル」
「ちょっとな」
「なにかあったの?」
「10年前に、ここで事故があったんだろ?」、
「そうよ、どんな事故があったのかは、わからないけど」
「50人が死んで、ここが封印された。
さっき、お前はそういったよな?」
「教団の極秘資料に書かれてた、が、正しいかな」
「だったら、なぜ、事故のあとがない。50人もの死体は、どうしたんだ?」
ララが「えっ」と、言うと、周りを見回した。
「そうね。死体は持ち出したとしても、事故のあとがないというのは変だわ」
オレはむき出しの土の壁を、指した。
「あれがそれだとは、とても思えないしなあ」
ダイオプサイドが剥がれたらしい土の壁は、2メートル四方ほどの大きさしかない。
「でも、他に事故のあとらしきものは、ないわよね」
オレとララは、土の壁を側に移動した。
ムーはいいつけを守って、オレの後ろにトコトコとついてくる。
緑の壁にはりついていたクリスティンまで、そばに寄ってきた。
見た目は、どこにでもある黒い土だった。
指で軽く押してみたが、硬く湿っていて、痕はつかなかった。
「掘り返したあとは、ないよな」
「十年もたてば、固まるもかもよ」
「そうなのか?」
「あたしに、聞かないでよ」
土の表面には、なにもない。
草も苔も生えていないし、服の切れ端のような事故を思わせるものもない。
「だめでしゅーー!」
ムーの切迫した声がした。
振り向いたオレが見たのは、もみ合っている、ムーとクリスティンだった。
「放しなさい!」
足にしがみつくムーを、振り払おうともがいている。
「だめっしゅ、それは、だめっしゅ!」
はがされまいと必死のムー。
クリスティンが、手から何かを放った。
ムーが吹っ飛んだ。
焼ける匂い。
「ムー!」
オレは、倒れているムーに駆け寄った。
気を失って、ぐったりとしているが怪我はないようだ。
上着とマントが少し焦げていたが、火はうつっていない。
「……やったわねぇ」
ララの押し殺した怒りが、空気の温度を下げていく。
逃げようとしたクリスティンを、ひとっ飛びで捕まえた。
「放して、放しなさい!」
クリスティンを床に押しつけたララが、ナイフを取り出した。
「ララ、殺すなよ」
「わかっているわよ。でもね…」
目が剣呑な光を帯びる。
「…ムーを傷つけたことは、許さないわよ」
銀の光が走った。
クリスティンは、何がおこったのかわからなかったらしい。
金色の髪が地面に散ったのをみて、悲鳴を上げた。
「髪がーーー、私の髪がーー!」
腰まであった髪は、肩より短くなっている。
ララがクリスティンの襟首をつかむと、グィともちあげた。
「覚えておきなさいよ。
ムーを傷つけていいのは、あたしだけなんだからね」
ララが手を、振り上げた。
衝撃にそなえて、クリスティンが、ギュッと目をつぶった。
ガキッと音がした。
ララの手が、クリスティンの頬を殴っていた。
それも、グーで。
折れた歯が、コロンと落ちた。
まともにはいったパンチで、クリスティンは意識を失ったらしい。
ララが手を放すと、そのまま、ゴロンと地面に転がった。
「ふん、軟弱なんだから」
手に長針が、ずらりと並んだ。
「まだやるのか」
「麻痺針よ。抜くまでは、意識が戻っても動けないわ」
手際よく、突き刺していく。
オレはムーを抱き上げた。
気を失っているせいで、ふにゃふにゃして抱きにくい。
しかたがないので、肩に担いだ。
「なにしているのよ」
「ムーが気絶して、抱きにくいんだよ」
「ちょっと、貸しなさいよ」
手の甲に針を刺した。すぐに抜く。
「…うーん……でしゅ…」
「気がついたか?」
「…ウィルしゃん……ここは……あっ!」
ピョンとオレの肩から跳び降りると、キョロキョロと見回した。
「いたっしゅ!」
転がっているクリスティンのところに、ノタノタと駆け寄ると、
クリスティンの袖に、手を入れた。
「おい、ムー」
「あったでしゅ!」
取り出したのは、ダイオプサイドだった。
土のむき出したところの境にあるのを、はぎとったのだろう。
タイル状のダイオプサイドが、いくつか連なった形の破片だった。
「おい、ムー」
ムーはそれを持つと、ノタノタと土の壁の行き、置いた。
また、ノタノタと駆けてくると、「終わりましゅた」と、言った。
「おい、ムー」
「はい、でしゅ」
ようやく、返事をした。
「なぜ、戻したんだ?」
「あれ、変質してましゅ。持ち出し、危険でしゅ」
「変質?」
「はい、しゅ」
「なあ、ムー」
「はい、でしゅ」
「変質のところ、オレにわかるように説明できるか?」
「できましぇん」
「じゃ、いいや」
ララが扉のところで、手招きしている。
「ドレイファスが話してくれるみたいよ」
オレはムーを小脇に抱えて、小走りで扉まで駆けた。
「どうしたの?」
「面倒だから、抱えてきた」
「あ、そ」
オレは部屋にはいると、ムーを降ろした。
ドレイファスは、床に転がっていたが、なにやらブツブツと呟いていた。
「なにを言っているんだ?」
ララが唇をゆがめた。
「自分が言いたいことを言っているのよ」
ララが足先で、ドレイファスの顔を、上に向けた。
ドレイファスの目の焦点が、あっていない。
ララがドレイファスの首に刺さっている針を、一本抜いた。
目に光が戻ってくる。
ララが、楽しそうに笑った。
「さあ、話してもらいましょうか。
10年前にあった、物語を」