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第106話 木片の囁き リコ編

リコ編


「リコちゃん、降ろすのを手伝って」

「はい!」

 店長に呼ばれて、あたしは店から出た。

 看板に書かれた店名は、フローラル・ニダウ

 小国エンドリア王国の首都にある小さな花屋。

 あたしは、そこで働いている。

 店長が運んできた手押し車には、綺麗な切り花、可愛い鉢植え、小さな苗などがぎっしりと乗っていた。

 花を降ろしながら、ひとつひとつ状態をチェックする。

 珍しい花や新種が入っていたりすると、見ているだけで気分が高揚する。

「リコちゃん、あとは頼むね」

「はい、やっておきます」

 荷を降ろし終わったところで、店長が手押し車を倉庫に片づけに行った。

 最初に切り花を店内の移動させた。

 店長の奥さんが袖まくりをした。

「こっちは私がやるから、リコちゃんは鉢植えをお願いね」

「わかりました」

 彩りを考えながら鉢植えを並べた。終わったところで、苗を片隅にまとめて置いた。

「あれっ?」

 小さな苗だった。

 双葉しか出ていなかったけど、あたしにはわかった。

「奥さん、ルタの苗がありますけど、どうしますか?」

「嘘でしょ。ルタはニダウでは売れないわよ」

 ルタは果樹だ。生育環境がよければ樹高10メートルを越す大木になる。壁に囲まれたニダウは土地が限られている。どこの家も庭が狭いから、ルタは植えられない。

 エプロンで手を拭きながら出てきた奥さんは、苗を見て、困った顔になった。

「あらやだ。これ、ルタよ」

 店長が別の苗と勘違いして、買ったのだろう。

 店長、花も木も好きで、育てるのは得意なのに、品種や名前を時々間違える。指摘すると『似ているから、仕方ない』と言う。この間靴屋のデメドさんに『花屋なんだから、わかるようになれよ』と呆れられていた。

「どうしましょう」

「返品するわけにもいかないから、王宮に寄付しましょう」

「あげちゃうんですか?」

「木も大きなところで、のびのびと育ちたいでしょ」

「そうですよね。王宮なら敷地も広いですし………」

 思ったことが、つい口に出た。

「……あちこち、ボロボロですから」

 ボロボロにしているのは、斜め向かいにある古魔法道具店、桃海亭の2人組。

 先週は野生のウサギの群に追いかけられて、ニダウの町を通り抜け、王宮に飛び込んだ。王宮内を抜けることで逃げ切ったけれど、残されたウサギ達が王宮の庭を穴だらけにした。困った王宮は、一昨日、王宮警備隊とエンドリア国軍を招集して、ウサギ捕獲大作戦を実施した。

「アレン王太子を見かけたら教えて。押しつけちゃう」

「わかりました」

 直射日光が当たらないように、日陰に移動させた。

「あれっ」

 苗木の根元、土に木片が刺さっていた。

 指でソッとつまみあげた。

「なんの木だろう」

 よく見る焦げ茶色。分厚い樹皮に思える。古木の樹皮を、ベリッと剥がした感じだ。

 頭の中で、思いつく限りの樹木を当てはめてみたが、どれとも少し違う気がする。

 ゴミだから捨ててしまえばいいのだけれど、何かが引っかかってゴミ箱に入れられない。

「リコちゃん、手伝って」

「今いきます」

 店内から奥さんに呼ばれた。手に持っていた木片を、どうしようか迷ったけれど、エプロンのポケットに入れた。

 なぜか、捨てられなかった。



「リコちゃん」

「………はい」

「大丈夫?」

「何かありましたか?」

 フローラル・ニダウの奥さんはため息をついた。

「5回目」

「何の話ですか?」

「何度も呼んだのだけど、リコちゃん気づいてくれなくて、いまのが5回目なの」

「えっ」

 気がつかなかった。

「リコちゃん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 あたしは笑顔を作った。

 うまく作れなくて、頬がひきつれているのがわかったけれど、奥さんに心配かけたくなくて頑張った。

「心配なことがあるなら、相談してね」

 優しい笑顔で言われて、涙が出そうになった。

「ありがとうございます」

 そういうのが精一杯だった。

 奥さんが小さな花束を作り出した。あたしはジョウロに水を入れた。店頭にある鉢植えに、水をやる。道行く人に笑顔で挨拶をして、子供に手を振る。

 今日で三日目。そろそろ、決断しなければならない。

 ポケットの中の木片をどうするのか。

 ただの木片だと思っていた。

 夜になって、店から帰るためにエプロンを外した。ポケットの中の木片が地面に転がって、それを拾い上げたときに、奇妙な感じがした。

 生きている。

 一瞬、そう思った。でも、すぐに何の変哲もない木片にしか見えなくなった。

 家に持ち帰った。寝る前に、木片を調べた。特に変わったところはない。持っている植物図鑑で調べたけれど、これだと断言できるものはなかった。

 ふと、桃海亭が頭に浮かんだ。

 ムーの召喚モンスターで、今日もキケール商店街は大騒ぎだった。筋肉ムキムキの洗濯バサミみたいなモンスターが、元気に商店街を跳ね回っていた。アーロン隊長とウィルで、グルグル巻きにするまで、商店街は開店休業。観光客は喜んでいたけれど、商店街の人は怒っていた。靴屋のデメドさんが『失敗するなら、もっと可愛い奴を召喚しろ!』って、桃海亭に向かって怒鳴っていた。

 モンスター。

「木のモンスターって、いたかなぁ」

 すぐに頭に浮かんだのは、樹人トレント。世界の各地に、コロニーを作っている。ニダウの南にあるロクンカ半島にも、トレントがいる。知能が高くて、人嫌い。

 木片に触れた。

「トレント?」

 何かを感じた。

 頭が混乱した。

 木片のトレント?

 トレントは動く木、というイメージしかない。木片のトレントなんて、聞いたことない。でも、あたしがモンスターのことは詳しくないからで、木片のトレントもいるのかもしれない。

「トレント…………」

 ウィルがトレントに会ったと言っていた。同行したムーは頭がいい。知識もある。だから、この木片のことを何か知っているかもしれない。

 あの2人に話を聞くことができれば。

「…………ムリ……」

 近寄りたくない。

 トラブルに巻き込まれる。絶対に。

 それに、あたしが話をしたいと言っても、ウィルやムーが聞いてくれるかわからない。

 ちょっとだけ、意地悪をしたことがあるから。

「どうしよう……」

 悩んで、悩んで、考えているうちに時間は過ぎてしまった。

 顔を上げれば、桃海亭が見える。

 勇気を出して、壊れかけの扉を押せば、いまの状況から脱することができるかもしれない。

「でも………」

 ジョウロの水が地面を濡らしていた。

「あっ!」

 水が苗のポットから溢れている。ツルバラの苗の土がびしょびしょだ。

「ごめんね」

 持ち上げて、水を切ったけれど、多すぎたのはわかっている。

「ごめん、ごめんね」

 あたしのせいだ。

 あたしが、他のことに気を取られていたから、ツルバラをつらい目にあわせたのだ。

 あたしが世話する花や木は、みんな生きている。

 それなのに。

 あたしは決意した。

 今日中にウィルとムーに会う。



 夕刻、ウィルが掃除道具を持って、店の外に出た。

 あたしは近寄って、頭を下げた。

「お願いがあります。ムーさんとウィルさんに、話を聞いていただきたいのです」

 ウィルが数歩、下がったのが見えた。

「今日は忙しいから」

 断られたが、ここで引き下がれない。

 再度頼むと、今度は店に入れてくれた。

 食堂に招かれたあたしは、木片を出した。ウィルとムーは、木片が何かわかったようだった。でも、何であるかを教えてくれない。

 教えて欲しいあたしと、教えないウィルとムー。

 膠着状態になったとき、シュデルがやってきた。

 そして、あたしに聞いた。

「リコさんは何だと思いますか?」

 正直に答えた。

「トレント」

「正解です」

 涙が目から吹き出した。

 トレントは動ける木。この木片は、チギレた体の一部かもしれない。それとも、瀕死状態のトレントかもしれない。

 どちらにしても、痛そうで、苦しそうだ。

 シュデルは、この木片がどのような状態なのか『わからない』と言った。ウィルもムーも否定しないところをみると、本当に『わからない』のだと思う。

 木片の状態はわからなかったけれど、わかったこともある。

 ロクンカ半島のトレントだった。

 ニダウからなら、片道3日で行ける。

 ウィルとムーに託すという方法もあったけれど、あたしはしなかった。何かがあたしの中で引っかかっていたから。

 買うはずのないルタの苗を店長が買ってきたこと。

 触れたときに感じた何か。

 この木片は、自分の意志であたしのところに来た。

 そんなはずない。それなのに、この木片はあたしにロクンカ半島に連れて行って欲しいのだと思ってしまう。

 あたしが木片を届ける。

 そう言うとシュデルは止めた。でも、あたしが本気だとわかると助言をくれた。

 あたしはうなずいて、準備のために桃海亭を飛び出した。




 最初に話したのはフローラル・ニダウの奥さん。

「すみません。緊急の用事ができました。今から旅に出ますので、一週間の休みをください」

「それで、リコちゃんは元気になるの?」

「はい、死ななければ元気で帰ってきます」

 奥さんはコロコロと笑うと、

「明日から一週間のお休み、わかりました。気をつけて行ってくるのよ」

「ありがとうございます」

 あたしはエプロンとポシェットを店に置くと、駆けて家に戻った。

 母が台所で夕食の支度をしていた。

「お母さん、今から旅に行ってくる」

「もう、夜よ。明日にしたら?」

「急ぐの」

「旅行先と期間は?」

「行き先はロクンカ半島。一週間で戻る予定」

「あら、海に行くの?」

 思い出した。

 母は地理が苦手だった。

「山かも」

「お友達は誰?」

 ひとりで行くというと、根ほり葉ほり聞かれるかもしれない。

「腕っ節の強い子と行くよ」

 ヒトデの投げる木の実は早い。腕力があると思う、たぶん。

「彼氏?」

 母の目が爛々と輝いた。

「性別、男じゃありません」

 女でもないけど。

「なんだぁ」

 興味を失ったように、料理の続きを作り始めた。

「今夜のご飯はどうする?」

「持って行く」

「食べやすいようサンドイッチにしてあげるね」

「ありがとう。命の危険がいっぱいある旅だから、カロリーの高い具を入れてくれるとうれしいな」

「わかったわ。今生の別れに豪華なサンドイッチにしてあげるね」

 鼻歌を歌いながら、包丁をふるっている。

 あたしは2階の自分の部屋に入るとリュックサックを取り出した。学生時代に買ったもの。赤い地に小さな白い花がたくさん刺繍してある。刺繍はあたしがした。護り花と呼ばれるナナカマド。

 リュックの中には、かさばらなくて洗える着替えを2組、タオルに櫛と歯ブラシを入れた。お財布には、働いて貯めた秘蔵の金貨1枚と銀貨10枚。持って行きたいものは、たくさんあったけど、あたしの体力だとこれで限界。

 動きやすいようにとシャツとズボンに着替えて、階下に降りると母がサンドイッチの包みと一緒に水筒を、笑顔で渡してくれた。

「携帯食料と水球を忘れないで買っていくのよ」

 あたしはうなずいて「いってきます」と家を出た。

「いってらしゃい。お友達によろしくね」

 母は笑顔で送り出してくれた。

 あたしは手に持っていたリュックを背負った。

 いまから、木片をロクンカ半島に届けにいく。

 顔を上げて、一歩踏み出した。



「ちょっとだけ、休んでもいいかな」

 ウエストポーチに入っている雑巾の魔法道具キノチュに声をかけた。

 雑巾の一角が、パタパタと動いた。

 了解ということらしい。

 あたしは周囲を見回して、大きな石をみつけた。陽の当たる上面には苔がない。リュックを背負ったまま、腰を下ろした。

 暑い。

 あたしは首をそらして、空を見上げた。

 高い樹木が茂った森。

 木々はまっすぐに空を目指し、見上げる高さに樹冠を作る。

 空から降ってくる光は、枝と葉に遮られ、線になる。

「はぁ…………」

 持っていた水筒から、水を飲んだ。

 濃密な緑の香りが、空中の水分に張りついて、肺になだれ込んでくる

 腐葉土が地面を覆っていて、土が見えない。所々に現れる岩にはツタが絡まり、地面に近いところでは苔がついている。

 丈の高い草が、あたしの行く手を阻むように密生している。

「ここ、変だ」

 高い木が葉を茂らせて樹冠ができている。光のほとんどが地面届かない。だから、下草が生えるはずがない。それなのに、草が密生している。

 草が多いから、虫も多い。鳥も時々、見かける。でも、獣はいない。

 トレントの住む場所というのは、他の地域と違うのだろうかと考えてしまう。

「トレント、どこにいるんだろ」

 一昨々日の夜に、夜行の馬車でニダウを立った。翌朝、隣国ダイメンの王都ブムレでロクンカ半島に向かう馬車に乗り換えた。長い道のりで車中泊をした。ロクンカ半島の入口についたのが昨日の夜。宿屋に泊まって、今朝、徒歩で半島に入った。獣道すら見つからず、背の高さと同じ丈の草をかき分けながら、ひたすら歩いた。

「体力には自信があったんだけどな」

 2時間ほどで、疲れて動けなくなった。

 ウエストポーチから魔法の雑巾のキノチュが出てきて、リコの肩をポンポンと優しくたたいだ。その動作が『まかせろ』という風に思えて、リコはうなずいた。

 すぐにキノチュは草むらに飛び込んだ。10分と経たずに戻ってきて、リコの手を引っ張った。残った体力でキノチュについていくと、いきなり視界が開けた。道のように真っ直ぐに、草がなぎ倒されいる。

 大型の獣かモンスターが移動した後だ。

 ここはロクンカ半島。この道を追っていけば、トレントに会えるかもしれない。

 気力を奮い起こして、倒れた草の上を歩き始めたけれど、失った体力はすぐに戻らず、重い足取りになった。

 そして、いま休憩している。

 水筒の水を、もう一口に飲んだ。

 お腹が鳴った。

 旅行用の高濃度圧縮携帯食は持っているけれど、昼にはまだ早い。

「まだ、旅は始まったばかりだよ」

 自分に言い聞かせた。

 ひとり旅は初めて。

 自分からモンスターに会いに行くのも初めて。

 怖い旅になると思っていた。

 でも。

 ウエストポーチから、キノチュの端が見える。

 キノチュのお陰で、怖くない。

 桃海亭のシュデルが、あたしの弟分のヒトデがニダウを出られないからと、キノチュに代わりを頼んでくれた。

 キノチュなら信頼できる。

 あたしだけじゃない。商店街の人も王宮の人も<世界一の雑巾>と呼ばれるにふさわしい魔法道具だと思っている。

 キノチュが桃海亭に来たことは、シュデルの話で知っていた。窓辺で外を見ている姿もよく見かけた。世界一の雑巾、シュデルがそう言っていたキノチュの実力を、あたしたちが最初にみたのは桃海亭を毒泡で襲撃した事件の時だ。

 たくさんの魔術師たちが桃海亭の前でロッドから泡を吹きだして逃げた。泡はイヤな臭いだったし、道に敷かれている煉瓦を溶かしはじめたから、お客も商店街の住人も店内に逃げた。

 下手に泡を掃いたり、吹き飛ばしたりしたら大変なことになる。

 桃海亭に責任があるわけじゃないけれど、どうにかしてくれないかと思っていた時だった。

 雑巾が一枚、桃海亭から飛び出してきた。

 みんな、すぐにわかった。シュデルが言っていたキノチュだって。

 雑巾は、四隅の一角で泡を数回突っついた。すぐに桃海亭に戻ると、バケツをもって戻ってきた。バケツから、紫色の粉をまんべんなく泡に撒くと、泡はみるみるうちに透明な液体になった。それをキノチュが滑るように移動してふき取って、バケツに絞り入れた。あっという間に通路は綺麗になった。バケツを持って桃海亭に入ったと思ったら、すぐにモップと別のバケツを持って出てきた。雑巾がモップで掃除している姿は、見ている者の笑いを誘うユーモラスな情景だった。

 それが終わるとキノチュは地面を何度も突っついた。何かを調べているみたいだった。バケツとモップを持ったキノチュが店に戻ると、代わりにシュデルが出てきた。

『お騒がせして申しわけありませんでした。綺麗になりましたので、通行しても大丈夫です』

 その後も、桃海亭のせいで商店街が汚れる度にキノチュが現れて、綺麗にしてくれた。

 暴れイノシシが商店街に飛び込んできたことがあった。イノシシが泥をまき散らしたからだろう。桃海亭からキノチュが飛び出してきて、額にパンチ。一撃で地面に沈めた。そのあと、包丁を持ち出してきて、解体しようとしたところをシュデルが止めた。ウィルが『イノシシの肉を食わせろ』と騒いだところで、アーロン隊長が到着。気絶しているイノシシを連れて行った。

 いつも、なんでも、ピカピカ整理整頓で、キノチュの仕事した後は見ていて気持ちがいい。だから、キケール商店街では、魔法道具は特に必要ないけれど、キノチュだけは欲しいという店主がたくさんいる。

「キノチュ。そろそろ、出発するよ」

 座っていたら、いつまで経ってもレントは見つからない。

 立ち上がろうとしたあたしの腿を、キノチュのトントンと軽く叩いた。

「どうかしたの?」

 トントン。

「もしかして、立つなと言っているの?」

 キノチュの一端が、お辞儀するように動いた。

「わかった。もう少し、ここにいるね」

 強い風が吹いた。

 髪が浮き上がり、手で押さえた。

「海が近いのかなあ。でも、潮の匂いはしないよね」

 キノチュが、違うというように端を横に振った。そして、次に上を指した。

 あたしはキノチュに釣られて、上を見上げた。

 大きな目玉がふたつ。

 大樹の幹についていた。

 トレントだ。

 頭ではわかっているのに、動けない。

 トレントが枝を伸ばしてきた。先端の小枝であたしのリュックについた小瓶に触れた。二、三回たたくと、中から紙を引き出した。

 シュデルがくれた『お守り』だ。

 器用に紙を畳むと、小瓶に戻した。

<ようこそ、ロクンカの地に>

 風が木々の間を抜けるような乾いた声だった。

 あたしは、跳ねるように立ち上がった。

「初めまして。私はリコ・フェルトンと言います」

<トレントには人のような個体につける名前がありません。住む地で呼ばれます。私のことはバジムのトレントと呼んでください>

 あたしは震える手で、リュックに入れたハンカチを取り出した。開いて、木片をトレントに差し出した。

 トレントは小枝を指のように使って、木片に触れた。

<我が同胞です。連れてきてくれてありがとう>

「だ、大丈夫ですか?」

<眠っているだけです>

 木片から小枝をはなすと、トレントがゆっくりと動き始めた。

<案内しましょう>

 あたしは木片をハンカチで元通りに包んで、リュックを入れて背負った。

 根っこの足をゆっくり、本当にゆっくり動かすのだけれど、サイズが大きいので小走りでないとついていけない。15分ほど走って、もうダメと思ったとき、トレントがとまった。樹木で出来たアーチのような入口。その先には枝で編まれたドーム型の建物があった。

 建物というより建築物。とにかく大きくて、見上げていると首が痛くなるくらい。

<我々は眠る状態になったとき、鳥にここまで運んでもらいます。リコさんがお持ちになった、その木片もここに来るはずでした。強い強い風が吹き、我々が気づいたときには空を飛んでいました>

 トレントサイズの巨大な入口をくぐると、そこは光と水の空間だった。編み目の隙間から光が燦々と注ぎこんでいる。十数体のトレントが両手を広げた姿勢で、微動だにせずたたずんでいる。広間の真ん中にある泉には、澄んだ水がコンコンと湧き出ていた。

<こちらへ>

 バジムのトレントはどんどん奥に進んでいく。

 なんとなく、声が出た。

「大丈夫ですか?」

<何かありましたか?>

「えっと………」

 口ごもった。

<どうぞ>

 うながされて、小さな声で言った。

「具合が悪そうだったから」

 どうしてと聞かれてもわからない。ただ、広間に立っているトレント達がつらそうに感じた。

<わかる人にあったのは久しぶりです>

 足を止めることなく、トレントが言った。『わかる』の意味を知りたかったけれど、教えてもらえる雰囲気じゃなかった。

 光のドームの先に暗いところがあって、トレントはそこに入っていった。

<ここに置いていただけますか>

 小枝を組み合わせた本棚のようなものがあって、そこにはあたしが持っている木片と似たような木片が等間隔に並べられていた。

 木片と木片の間に不自然に空いている場所があった。

 あたしは、リュックから木片を取り出して、そこに置いた。

<眠る場所です>

 説明はそれだけだった。

 居るべき場所に横たわった木片は、疲れて眠っている、そんな感じだった。

 だから、暗い場所から出るとき、あたしは木片に言った。

「おやすみなさい」



<同胞を連れてきてくれたことに心から感謝をいたします>

 暗い場所から明るい広場に移動すると、バジムのトレントは立ち止まった。あたしと目を合わせる。

「木片は、元気になりますか?」

<はい>

 トレントの声に不安が潜んでいたけれど、あたしは『元気になる』と、信じることにした。

 あたしを見つけて、あたしにここまで、運ばせたのは、木片は生きたいと思っていたから。

<リコさんは、樹とどのような関係ですか?>

 質問の意味を理解するまで、時間がかかった。

 樹との関係。

 そんなものわからない。

「答えになるかわかりませんが、植物は好きです」

 小さい頃から花や木が大好きで、今は花屋で働いていること。働いているときに、苗木の土に刺さっていた木片を見つけたことを話した。

<そうだったのですか。彼がリコさんを導いてくれたのかもしれません>

 トレントの言った『彼』は、話の流れからすると木片のこと。木片に操られた感覚はなかったけれど、あたしがどうしても届けたいと思ったことに関係しているのかもしれない。

<リコさん。よろしければ、お願いを聞いていただきたいのです>

 話の流れの方向が、いきなり変わった。

 お願いを聞かずに帰るという選択肢もあったけど、トレントと話せる機会が再びあるとは思えない。話を聞くくらいならいいと思ってうなずいた。

<こちらへ>

 話は始まらず、広場の真ん中泉のほとりに連れて行かれた。

<彼をみていただけますか?>

 見た。

 樹高2メートルくらいの細い若木。葉がついてなくて、見るからに元気がない。

<どこが悪いのですか?>

「えっ」

『みる』の意味が違っていたことに気がついた。

 あたしは『見た』。トレントは『診て』欲しかったのだ。

「私は植物をお医者さんでなくて、花が好きで、花を売る仕事をしているだけです。トレントの病気のことはわかりません」

<わかっています>

 わかっているなら聞くなよぉ、と言いたくなる。

<私たちにも医者はいます>

 トレントが広場の端の方にいる別のトレントを指した。動かず、日を浴びているトレント達とは明らかに違っていた。奇妙なオブジェに、何本もの細い棒を差し込んでいた。

<原因がわからないのです。細菌や虫には侵されていません。水もこのように極上のものを飲んでいます。それなのに徐々に弱っていくのです>

 植物の敵を思い浮かべる。

 水も温度も関係ない。

「何かに触れたりしませんでしたか?」

 触れるだけで弱ってしまう成分はたくさんある。森の中で気づかず触れてしまうことはあり得そうだ。

<話すことができない状態なので、目視しましたが、損傷しているところも変色しているところも見つけられませんでした>

 近づいてみた。

 折れているところはない。一部だけ色が変わったところもない。裏側をみようと動いたとき、右手が一瞬だけトレントに触れた。

「いたぁーー!」

 押さえたのは足。小指の辺りに激痛がある。

「小指、小指」

 あたしが必死に言った。

 バジムのトレントは、あたしが何を伝えたいのかわかってくれたみたいで、若木のトレントの根っこを見てくれた。

 遅い。

 トレントとしては普通に動いているのだろうけれど、あたしからするとナメクジといい勝負。大きな体でしゃがみ込んで、たくさんある根っこを一本、一本、確認していく。

<おお、まさか、このようなものが>

 感嘆したあと、根っこをいじっていた。

 小指の痛みがとまった。

「はぁ、びっくりした」

 額の汗をぬぐった。

<蟻の針が刺さっておりました>

 あたしに見せてくれたけど、なんか細い髭みたいのだった。

「蜂の針?」

 蟻の針なんて、聞いたことがない。

<蟻と蜂は同じ種です。毒針をもつ蟻もいるのです>

 バジムのトレントは蟻の毒針について延々と語った。ようするに、刺さっていた蟻の針の毒はトレントには猛毒らしい。

<同胞を助けてくれたことに、心からの感謝を。痛い思いをさせてしまったことに、心からの謝罪を>

 バジムのトレントが大きな体でお辞儀をしようとした。

「大丈夫だから。頭をあげてください」

 長い長い体が、ゆっくりと戻った。

<リコさんはトレントと相性がいいようです。よろしければ、しばらく滞在されませんか?>

 トレントと暮らせる。

 スゴく魅力的な申し出。

 でも。

「ありがとうございます。このような素敵な場所でゆっくりしたいのですが、明日にはここを立たないといけないんです」

 顔を上げて、バジムのトレントと目を合わせた。

「お店の花や木が、私を待っていてくれるので」

 売り物だけど、売れるまではあたしが育てている大切な命。

<リコさんに世話される植物は、幸せです>

 声が乾いた音なのは変わらないけれど、楽しそうな響きが混じっているような気がした。



 その夜はトレントの広場に泊まった。夕食は珍しい果実や木の実をたくさん食べた。他のトレント達から色んな話も聞けた。

 とても楽しい夜だった。

 あたしが旅立つ時、バジムのトレントから<いつでも遊びに来てください。歓迎します>と言われた。泣きそうになった。

 帰りに木片と若木を助けてたお礼をもらった。あたしは、そんなつもりで来たのではないと断ったのだけれど、気持ちだからと言われ受け取った。

 ひとつは、種。トレントが交配して作ったオリジナルの魔法草の種。

 聞いたのは育て方。花に秘密があるみたいだけれど、咲いてからのお楽しみと言われた。

 もうひとつは、トレントによる魔法の加護。額に透明な樹液で書いてくれた。ロクンカ半島だけでなく、他のトレントからも攻撃されないと言っていた。トレントに会う予定はないのだけれど、桃海亭がある限り、役立つときがあるかもしれない。加護をつけたことによるちょっとした副作用があるかもしれないと言われた。

 バジムの地まで、バジムのトレントに送ってもらい、その後はキノチュがロクンカ半島の出口まで先導してくれた。宿に泊まって、馬車に乗って、車中泊をして、馬車に乗って、エンドリア王国のニダウに戻った。

 桃海亭に途中で買ったダイメン特産の干し木の実を持ってお礼に行った。フローラル・ニダウにもお礼を言って、家に帰った。

 翌日からはいつもと変わらない日々。

 違うのは、トレントからもらった苗を育てていること。種から芽が出たとたん、ムーが寄越せと言ってきた。ヒトデで撃退。説明された通りに育てているのに、ちっとも大きくならない。あんまり、変わらないから心配になった。トレントは人間よりもずっと長生きだから、花が咲くまで何百年もかかるんじゃないか、って。

 トレントの加護の副作用も、時々でる。植物の、声にならないささやきが聞こえる。何を言っているのかわからないけれど、お店にある草花のささやきは、とても楽しそう。

 花や草の声を聞きながら、あたしは今日もフローラル・ニダウで働いている。

「いらっしゃいませ」




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