愛するが故に
2021.04.22 アンネリースの名前が間違っていた所を訂正
息子から婚約破棄をしたと聞かされた王妃アンネリースは、深く傷付いた。
愛する息子には国一番の嫁をと吟味し選んだのに、その審査で早々に落とした家格の低い娘と結婚すると言う。
心を込めた贈り物を渡したら、叩き落とされて踏み躙られた。……そんな気分だった。
「ディートリヒ。何が不満だったのです?」
「ベネディクタは、卑劣にもコローナに嫌がらせをしていたのです。品性下劣なるあの女は、王妃に相応しくありません」
詳しく説明を受けたが、婚約者の浮気相手に嫌がらせして何が悪いのか、アンネリースには理解出来なかった。
彼女も、夫の浮気相手に数々の嫌がらせをした事がある。
正妻の当然の権利だと思っていた。
それを『品性下劣』で『王妃に相応しくない』と言われては、怒りを覚えずに居られなかった。
何故、そんな事を言われなければならないのか?
言うまでも無く、息子の愛人の所為である。
アンネリースは、コローナを恨んだ。
ディートリヒが母親の心を踏みにじるような人間になったのは、コローナと出会った所為。
彼女さえ居なければ、母親思いの可愛い息子のままだっただろうに。
もう、元には戻らない。
ディートリヒにそのつもりは無くとも、アンネリースを否定したのだから。
「それで、エッケハルト陛下は何と?」
夫がコローナを王太子妃に認めたのか知りたくて、ディートリヒに尋ねた。
「父上は、……コローナと結婚する事で、王家か王国にどのような利点があるのかと」
父親の取り付く島もない言動を思い出し、ディートリヒは表情を曇らせて答える。
しかし、エッケハルトの言葉は当然であった。
この国の王太子である以上、愛する人と結ばれる以外に意味が無い結婚など、出来ないのだ。
跡継ぎさえ産めれば誰でも良いと言う時代もあったが、今はそうではない。
それでもコローナ以外と結婚しないと言うならば、ディートリヒが王太子や王家の一員である必要は無い。
国王の統治の為の政略には協力しないが、次期国王として権力は貰うなんて旨い話が通るほど、エッケハルトは甘くない。
「そう。あの人なら、そうよね」
無用な心配だったと、アンネリースは胸を撫で下ろした。
「母上から、説得して貰えませんか?」
ディートリヒは、アンネリースが自分の味方だと信じていた。
ベネディクタと仲が良い事は知っていたが、嫌がらせをするような卑怯な人間だと知って嫌いになっただろうと決め付けた。
「……そうね。その為には、先ず、彼女の事を良く知らなくてはね。お茶をしながら、お話ししてみましょう」
負の感情などおくびにも出さず、アンネリースは微笑んだ。
「ようこそ。お座りになって」
「は、はい。王妃様とお話し出来るなんて、光栄です」
アンネリースに恨まれているとは夢にも思わず、コローナは喜んでいた。
王妃が味方してくれるのだから、国王も二人の結婚を認めてくれるだろうと。
「ディートリヒに聞いていると思うけれど、エッケハルトを説得するには、貴女でなければならない理由が必要よ。自分では、どう思うかしら?」
「我が家は身分は低いですが、……私が、ディートリヒ様を思う気持ちは、誰にも負けません!」
それしかないのか、コローナは愛を主張する。
「そう……。でも、エッケハルトは、恋愛を重視する人ではないのよね」
「そんな……」
コローナは落胆するが、そもそも、エッケハルトが愛を重視する者ならば、反対する筈が無いのだ。
そんな事も解らないのにディートリヒと結婚し、いずれ王妃になろうとは図々しい。
アンネリースは冷たい目でコローナを見たが、俯いている彼女は気付かなかった。
「で、でも! 王妃様が説得してくだされば、大丈夫ですよねっ!」
コローナは顔を上げると、自分に言い聞かせるように上擦った声でそう言った。
どうして、王妃であるアンネリースが、良く知りもしない人間の長所を考えて上げなければならないのか?
息子の見る目の無さを確認し終えた彼女は、侍女に目をやった。
「コローナ様」
侍女は頷くとコローナに近付き、何かを握らせた。
「……え? 何?」
それがナイフだと認識したコローナは、しかし、理由が解らず混乱する。
侍女は、そのままコローナを引っ張り立たせると、彼女に握らせたナイフで自身の腕を斬り付けた。
「え?」
「キャアアア!」
「誰か!」
悲鳴を聞き、部屋の外にいた護衛が慌てて入室する。
「こ、この者が王妃様を!」
漸く、コローナは嵌められたと理解した。
「ち、違います! 私は何も!」
「捕らえなさい」
「王妃様! どうして!?」
コローナは、ディートリヒの母親なのに何故こんな酷い事をするのかと、憎んだ。
「その女の祖父が伯爵から男爵に降格したのは、私の父の所為だと恨んでいたそうよ」
アンネリースは、護衛にそう説明する。
あれから今日までの間に改めて調べてみれば、コローナの家は数々の不正により、王国史上初の爵位降格処分を受けていた。
その不正に気付いたのが、アンネリースの父であった。
「わ、私、知りません。そんな……。ディートリヒ様を呼んでください! 殿下なら、私を信じてくれます!」
「そうね。あの子なら、貴女を信じるかもしれないわ」
それとも、ベネディクタを軽蔑したように、コローナにも幻滅するだろうか?
「どちらにしろ、大事なのは、陛下の御判断よ」
王妃を殺害しようとして侍女に怪我を負わせたと思われるコローナ。
王太子の恋人を無実の罪で処刑させようとしたと思われるアンネリース。
エッケハルトは、どちらを処罰すれば面子が保たれると判断するのか?
「父上! どうか、お考え直しを! コローナは他人を恨むような人ではありません!」
何度同じ言葉を聞いただろうか?
一体、それが何の役に立つのか?
「王妃を殺害しようとした者は、処刑しなければならない」
「ですから、それは母上の虚言なのです! コローナがそう言っていました!」
「……そうか。余程コローナが好きなのだな。だが」
エッケハルトは、漸く息子と目を合わせた。
「ならば、理解するが良い。愛する妻を信じるのは、当然の事だろう?」