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誰も全部は喋らない  作者: ホロウ・シカエルボク
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洗ってやるとゆりは凄く小奇麗な娘になった。男性用のシャンプーのにおいが気になるらしくしきりに髪を嗅いでいた。ご飯食べるか?にっこり、うなずく。卵でいいか?ん?という顔をする。卵だ、と俺はゆっくり言ってみる。ゆりはやはり首をかしげる。

「卵、知らないのか?」

うん、と頷く。俺は冷蔵庫から卵を出して見せてやった。そのまま食べようとするので制して、目玉を焼くところを見せてやった。ゆりはコンロ自体初めて見るようだった。フライパンで卵が焼けていく様子を興味深く見つめていた。白米も知らなかった。箸の持ち方も知らなかった。俺は持ち方を教えてやったが、上手く持つことは出来なかった。俺は彼女のためにスプーンとフォークを出してやった。ゆりはそれの使い方も知らなかった。初めは苦労していたが、コツが判ってからはこぼさずに上手く食べた。どれを食べても凄く美味しい、という感じで、嬉しそうな顔をしていた。俺はゆりを捨てたのは間違いなく両親だろうと確信した。食事が終わってから、どんなご飯を食べてたのか、とゆりに聞いてみた。ゆりは、いま自分が空にしたばかりの皿を床に置いて、四つん這いで食べる仕草をした。俺はそれを見てなんとも言えない気持ちになった。怒りや、悲しみ…ひどいものを目にしたときに感じる感情のすべてを感じた。ゆりの両親を探す案は俺の中で消えた。腹が張ると眠くなったようで、俺は布団を敷いてやった。ゆりは布団も知らなかった。どうやって寝ていた、と俺はもう訊かなかった。ゆりは布団の膨らみに驚き、タオルケットを身体に巻き付けて少しの間はしゃぎ、次の瞬間にはもう眠っていた。安らかな寝顔だった。その顔を見ていると俺の心中にどうしようもないほどの怒りが沸いた。ノートパソコンを立ち上げ、さわだゆり、と検索してみた。いくつかのさわだゆりが現れたが、そのほとんどは赤の他人だった。しばらくの間それらしきものが出てこないかと探ってみたが、無駄だった。駄目か。俺はノートを閉じた。考えてみれば、どんな字を書くかもまだ判らないのだ。この町で捨てられていたなら、親はこの町に住んでいるものではないだろう。近隣の県のどこかだろうか?だとしたら探せないこともない気がする。俺の住む県の周辺は海で囲まれていて、近県となると数えるくらいしかない。そこからさらに離れようと思えば、海に掛かるでかい橋を渡るしかない。子供を捨てるためだけに、海を越えてくるだろうか?そこまですることはない気がした。そこまで考えて俺は首を振った。探すにせよいますぐには無理だ。まだ、ゆりをどうすればいいのかという答えさえ出ていない。俺はすやすやと眠るゆりの顔を眺めた。そのときどうも、この娘と離れられなくなったのではないかという気がした。馬鹿な。俺はまた首を振った。現実問題、一緒に暮らすことなんか出来るのか?想像もつかなかった。あれこれと考えていると大あくびが出た。そういえば俺だって一睡もしてないんだ。すぐに眠りたかったが、洗濯をしておかないといけなかった。月曜に仕事場に出られるかどうかまだ判らないが、制服は洗っておかないといけなかった。洗濯機を回しているうちに、ゆりの服のことを思い出した。洗濯が終わる前に買物に行こう。簡単にシャワーを浴び、シャツとジーンズを身に着けて、鍵と財布をポケットに突っ込み、念のためガスの栓を閉めて、ドアに鍵をかけ、原付にまたがって買物に出た。ゆりが目を覚ます前に帰って来たかった。いろいろと気になることがあった。トイレはちゃんと使えるのか、とかだ。衣料コーナーがある近所のスーパーに行って、ゆりの着られそうなものをいくつか選んだ。子供服の値段に驚きながら。それから食料品のコーナーに行って、子供が食べられそうなもの、冷凍のピラフとか、そういうやつだ。あとお菓子。ゆりの好みなど判らなかった。あの分じゃお菓子も知らないで生きてきたのだろう。たぶんなにを食わせても喜ぶはずだ。そこまで考えて、また憂鬱な気分になった。あいつはどこかの家で、犬のように飼われていたのではないだろうか。そのことを考えると怒りでいっぱいになった。でもスーパーの食料品売場でそんなことを長々と考えているのはまるで意味のないことだった。ゆりが起きる前に急いで帰らなければならないのだ。とりあえずこれくらいで、というくらいの量を買い込み、急いでアパートに帰った。ゆりはまだ眠っていた。そのとき、頭の中にひらめいたことがあった。昨夜、ゆりを拾った場所にいまでもあるだろうリュック。あいつを拾って来ればなにかしらの手掛かりがつかめるかもしれない…昨日も確かそう考えたじゃないか?―そこで初めて、自分がもうこの件を警察に渡す気がないことに気が付いた。判ったよ、と俺はひとりごちた。この件にとことん付き合ってやる気になっていた。ゆりの様子を見て、まだ起きないだろうと踏んで、もう一度原付にまたがって昨夜の場所を目指した。歩けば長いが、原付ならたいして時間はかからない。昼で明るいから、昨日よりも安全だろう。階段の下にバイクを置き、中腹で遊歩道に折れた。坂を滑るように降り、昨夜の場所に着いた。リュックはまだそこにあった。それを拾って、メーカーを調べてみた。俺はそれを、全国展開しているショッピングモールの売場で見たことがあった。つい最近自分の使っている鞄がボロくなったので、あれこれ探してようやく買い替えたところだったのだ。ショッピングモールか。近県には大きなショッピングモールがいくつもあった。ゆりの両親はそのどこかで昨日このバッグを買い、そのまま車でゆりを詰め込んでこの町に来たのではないか?そんな想像は都合が良過ぎるだろうか?悪くない気はした。近県に住むこの町出身の男女、4、5年ほど前にどこかで子供を産んでいる―土地勘がなければこんなところに捨てようと思わないだろう。そうなると、どうだ―?尻尾が掴めるかもしれない、と思った。かなり低い確率には違いないだろうが、やってみる価値はあるだろう―それを始めるとして、ゆりはどうしよう?連れて歩くのはまずい気がした。少しの間子供の世話をしてくれるサービスを頼もうか、と考えた。悪くない。ここ数年仕事以外のことはあまりしてこなかった。誰かを雇う金くらいはある。自分でやって上手くいかないようなら、その金で探偵を雇うのも悪くない。きちんと考えればいくつも手段はありそうな気がした。よし、と俺はとりあえずリュックを持って帰ることにした。立ち上がった時、地面になにか落ちているのに気付いた。拾い上げて広げてみるとレシートだった。どうやらこのリュックを買った時のもののようだ。店名が判らないかと目を凝らしてみたが、印字が薄くて判らなかった。使えないか、と一瞬思ったが、その時頭にちょっとしたアイデアが浮かんだ。明日にでも試してみることにしよう。とりあえずいまはアパートに戻って、洗濯物を干すことだ。

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