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誰も全部は喋らない  作者: ホロウ・シカエルボク
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女の子はずっと眠っていていま起きた、というように(実際は気絶していたのだろうが)ゆっくりと目を開けて、俺を見た。だれ?と言うように唇は動いたが、その声はよく聞こえなかった。大丈夫か?と俺は尋ねた。ん?という顔で女の子は答えた。

「どこか痛いところはないか?」

やはり返事はなかった。が、彼女はバッグからごそごそと抜け出し、そろそろと立ち上がり、うん、と頷いた。それでとりあえず俺は安心した。さて、どうしたものか。彼女をおんぶして、あの坂を上がることが出来るだろうか?だが、やってみるしかないだろう。

「おんぶしてやる。とりあえずここを出よう。」

そう言って俺が背中を見せてしゃがむと、じゃれるように飛びついてきた。不意を突かれたが、バランスを崩すほど重くはなかった。いけそうだ。しっかりつかまってるように言い聞かせて、俺は坂を上った。こんなことでさえなかったら絶対にやりたくないことだな、というくらいにはしんどかった。だがこんなことだけに、途中でやめることも出来なかったし、やめる気もなかった。最後はほとんど四足で這うようにして登り切った。そこで女の子を下ろすと、地面が土であることも忘れて仰向けに寝転んだ。しばらくそのままで呼吸を整えた。女の子は不思議そうにそんな俺を見降ろしていた。

「名前は?」

喋れるようになってから俺はそう聞いた。女の子は困ったように首を傾げた。

「喋れないのか?」

俺はゆっくりと口を動かしながら、そこを指さしてバッテンを作ってみた。うん、と女の子は頷いた。俺が言っていることは判るか、と聞くと、また頷いたので、手のひらを出してそこに一文字ずつ名前を書かせてみた。さわだゆり、と彼女は書いた。ゆりちゃんか、と俺は呟いた。女の子はにっこり笑った。おうちの住所とか判るかな、と聞くとまた困った顔になって、首を横に振った。そりゃそうだな。リュックに詰め込まれてあんなとこに落とされたんじゃ、ここがどこかも判らないだろう。見たところ5才ぐらいだし。とにかく、ここで長々と話していても仕方ない。俺は立ち上がってにっこり笑った。そんな風に笑うのは久しぶりだと思いながら。

「じゃあ、とりあえずおじさんの家に行こう。お風呂に入って、ご飯を食べよう。」

俺がそういうとゆりは嬉しそうに頷いた。やれやれ、俺みたいな無害なやつに見つかって良かったな―またおんぶしようか、と俺は尋ねたが、ゆりは首を横に振って、手を繋ぎたいという素振りをした。それで俺たちは手を繋いで階段を降りた。降りながら、家になにか子供が食べられるようなものあったかな、と思いを巡らせた。冷蔵庫に買ったばかりの卵があったはずだ。米は今晩炊いたばかり。子供が食べるには十分くらいある。とりあえず真っ直ぐ家に帰っていいだろう。子供服やらなにやらはどうしようもない。ワンピースの代わりにシャツでも着せておくしかない。ゆりは楽しそうに繋いだ手をぶんぶんと振っていた。気になることは山ほどあったが、まずはこの子を綺麗にしてお腹いっぱいにさせて、ぐっすりと休ませてやることだ。警察なりに相談するにしても、それからだ。そこまで考えて初めて、リュックサックを回収しておくべきだったな、と思った。親の手掛かりがつかめるかもしれなかったのに―それにしても―どんな理由でこんな小さな子をあんな崖に投げ落としたりするのだろう?リュックがあまり汚れていなかったから、きっとこの子は今夜捨てられたばかりなのだろう。眠っている間に捨てたのかもしれない。無駄な力が入っていないせいで奇跡的に無傷で済んだのかな、と思った。一応医者に見せた方がいいだろうか?いまの様子なら心配なさそうだが…急変することだってあるかもしれない。まあでも、その時はその時だ。今夜は気をつけておくことにしよう。ゆりが不意に立ち止まり、おんぶをせがんだ。眠くなってきたのかもしれない。このまま朝まで眠っているなら、二四時間開いているスーパーで買物するのもいいかもしれないな。おんぶをして、少しの間ゆりはきょろきょろしていたが、やがて眠り始めた。それで俺は少しほっとした。家までにはまだ少しあるが、町の外れなので気の利いた店はなにもない。潰れた駄菓子屋があるくらいだ。やはり一度家に帰らなければなんともならない。それ以上なにも考えることなく、家までの道をゆりを背負って歩いた。そうなって初めて、なんだか妙なことになったなと思った。空はほんのりと白くなり始めていた。夜が明ける前に帰りつかなければ。ひとたび太陽が出たら子供を背負って歩けるような季節じゃない。俺は少し足を速めた。珍しく山登りのような真似をしたので膝ががくがくと折れた。なんてやわなんだ。俺は自分を馬鹿馬鹿しいと思った。自分への怒りでさらに足を速めた。空がだいぶん明るくなって、自分もあくびをし始めたころようやく家に着いた。アパートの二階へと上る階段が最後の難所だった。鍵を開ける音でゆりは一度起きた。降ろして、というように肩をポンポンと叩いた。下ろしてやると俺を見上げてにっこりと笑った。おかっぱ頭に、卵型の顔。色白の大きな目、肩にかけて着るスカートを穿いていた。昔流行ったトイレの花子さんとかいうアニメーションにそっくりないでたちだった。まんまあそこから抜け出してきたみたいだ。ゆりはドアを指さし、それから俺を指さした。俺は頷いた。ゆりは背伸びして両手でドアノブを掴み、よいしょっと回して、ドアを引いた。それからすぐに回り込んで、部屋に飛び込んだ。俺はあとからゆっくりと入って鍵を閉めた。ゆりは珍しそうに男の一人暮らしの部屋をきょろきょろと見まわしていた。あんまり散らかしてなくて良かったな、と俺は思った。単に散らかす時間がなかっただけだが。お山で汚れちゃったからお風呂入ろうか、と言うとゆりは頷いた。わがままを言わない子だな。ようし、と俺は言って脱ぐのを手伝ってやった。それから自分もシャツを脱いで、風呂できれいに洗ってやった。ゆりはなにも嫌がらなかった。ずいぶんちゃんとした子だな、と俺は思った―ちゃんとした子なのにリュックに詰め込まれて捨てられるのか?―訳が分からないな、と思った。もしかしたら、誘拐とかの類かもしれない。だとしたら、急いだほうがいい。あれが親の仕業じゃないのなら、親は今頃狼狽えてこの子を探しているはずだ。拭いてやりながらそんなことを考えた。それにしても、結婚もしないうちに子供を風呂に入れてやるなんて思いもしなかったな。

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