第105話 見知らぬ乗客
シメイ伯爵領の領都カイタックへ、一機の飛行機が飛んでいた。
異世界飛行機グースである。
パイロットはリス族の若い男。
名はベートと言う。
飛行帽をかぶり、飛行用のゴーグルと革ジャンを身につけたリス族は、パイロットの格好をした大きなリスのぬいぐるみに見える。
愛らしい姿だが、彼は立派なパイロットである。
六人いるグース乗りの中でも、長距離を安定して飛ぶことに長けていた。
ベートは、長距離安定飛行能力を見込まれて、即製蒸留酒クイックを各地に配達する任務を命ぜられた。
今日は南部のシメイ伯爵領への配達だ。
一番距離のあるコースを飛んでいる。
朝一番にアンジェロ領の領都キャランフィールドを飛び立ち、もう太陽は真上にさしかかろうとしていた。
「もう、そろそろだな」
リス族のベートは、操縦桿を器用に操作し高度を下げた。
眼下に広がる森と両脇に迫る山が、ゆっくりと近づいてくる。
地表が近くなったところで、ベートは操縦桿を戻し水平飛行に入る。
ちらりと後部座席を振り返り積み荷を見た。
後部座席には、即製蒸留酒クイックを一樽積んでいる。
クイックはロープで後部座席に固定されていた。
「金貨五枚だからな……。落としたら大変だ……」
リス族のベートは、クイックの樽が後部座席にしっかりと固定されているのを確認してホッと息をついた。
何せこれから難しい着陸を行うのだ。
クイックの樽を落とすのも困るし、バランスが崩れて墜落しても困る。
「見えた!」
山間に街が見えてきた。
シメイ伯爵領の領都カイタックだ。
リス族のベートは着陸コースに機体をのせ、慎重に操作する。
領都カイタックは、森と山に囲まれた街なので、平地が少ない。
滑走路は街の奥にあるシメイ伯爵の屋敷の庭にあった。
つまり、街の上空を飛ばなくてはならない。
異世界飛行機グースは、低速でカイタックへアプローチを開始した。
「コースよーし!」
ベートは、左手で指さし確認をする。
右手はしっかりと操縦桿を握り、家の屋根に注意しながら街の大通りの上空を飛ぶ。
「オーイ!」
「オーイ!」
街の子供たちが、異世界飛行機グースを追いかけてくる。
窓から身を乗り出して手を振る子供もいる。
大通りの先は、街の市場だ。
そして、市場の中央に尖塔が立っている。
ちょうど尖塔につるされた鐘が鳴り出した。
お昼を知らせる鐘だ。
「少し遅れているな……」
南風が吹いた影響で、向かい風になり到着時間が遅れている。
しかし、ベートは無駄にアクセルを踏むことなく、慎重にアプローチを続けた。
市場に立つ尖塔の先は切り立った山だ。
あの尖塔を目印に右に曲がり、シメイ伯爵の屋敷にある滑走路に降りなければならない。
高度を高く取って着陸すれば、滑走路に急降下することになり地面に激突する。
そこで可能な限り高度を低く取って、街中から滑走路へアプローチするラインが正解だ。
最後の難所が、この右カーブである。
「軸線をずらす……」
ベートは、わざと口に出して、操作を確認する。
尖塔へ向けてまっすぐ飛んでいたグースの軸線が外へずれた。
ベートは風向きに気をつけながら、操縦桿を右へ倒す。
失速しないように、アクセルも心持ち強く踏み込む。
尖塔を外から巻くようにグースは右へ急旋回する。
機体が傾く中、遠心力を感じながらベートはしっかりと滑走路を目にとらえていた。
「最終アプローチ! 滑走路ヨシ! 降下!」
グッと操縦桿を前へ倒して、高度を下げる。
シメイ伯爵の屋敷を左に見ながら、庭に設営された簡易滑走路にグースを着陸させる。
静かに、美しく、着陸が決まり、ベートはホッと息をついた。
*
シメイ伯爵の屋敷にある滑走路脇の小屋でベートは休んでいた。
そこへシメイ伯爵の屋敷を警備する兵士がやってきた。
「ベートさん。お客さんだよ」
「客?」
「飛行機……だっけね? ベートさんが乗っている魔道具に乗りたいんだと」
兵士は地元訛りを交えて事情を説明した。
乗りたいと言われても、グースに一般人を乗せることは出来ない。
フリージア王国の政府・軍関係者、貴族とその使い、大店の商人だけが搭乗を許されている。
「シメイ伯爵様は? シメイ伯爵様に聞いていただいた方が良いと思いますが?」
「いや、それがさ! 伯爵様は酔い潰れちまってさ! だから、ベートさんの方で頼むよ!」
「……わかりました。グースに乗りたいと言う人に、会ってみましょう」
本当はシメイ伯爵に判断をしてもらうのが良いのだが……。
ベートは渋々兵士について行った。
兵士はベートを門に案内した。
門の脇には、女魔法使いミオが立っていた。
「あなたが飛行機に乗りたい人ですか?」
「そうです」
ベートは、ミオをジロジロと観察した。
人族の貴族ではない。
人族の貴族女性は、もっとヒラヒラした服を着ている。
メロビクス戦役で後部座席に乗せた女魔法使いと似た服装だ。
ということは、この人は魔法使いかな?
ベートは、恐らく魔法使いだろうとアタリをつけた。
ベートがミオを観察していると、ミオの方から尋ねてきた。
「あの空飛ぶ魔道具は、王都へ行くのでしょうか?」
「いえ、アンジェロ領の領都キャランフィールド行きです」
ミオは、ベートの返事を聞いて考える。
キャランフィールドという街は聞いたことがないが、領都ということは大きな街なのだろう。
それにアンジェロ領というのが気になる。
「アンジェロ領というと、アンジェロ王子の御領地でしょうか?」
「そうです」
ミオの表情がパッと明るくなった。
「わたくしアンジェロ王子に助けていただいた者です。アンジェロ王子にお目にかかりたく旅をしています。空飛ぶ魔道具に乗せていただけませんか?」
ベートは警戒をした。
アンジェロに会いたいのはわかったが、果たしてこの女を連れて行って良いだろうか?
メロビクス戦役では、暗殺事件まで起きている。
アンジェロ領の面々には、アンジェロの身辺に気をつけるようにと、じいことコーゼン男爵から強く言われていた。
「……」
ベートが返事をせずに迷っていると、ミオは背中に背負った荷物袋の中から小さな革袋を取りだした。
「これを……アンジェロ王子にお渡ししたいのです」
ミオは拳銃を、ベートに見せた。
「これは……」
ベートは、見たことがない道具に興味を持った。
素材は金属と何であろうか?
見たことがない不思議な素材が使われている。
手に持つ道具だろうとはわかるが、何に使う物なのだろうか?
精巧な作りの機械だとは思うが、どう動くのか想像がつかない。
ベートは、ミオに質問した。
「これは……、何でしょうか? 魔道具ですか?」
「拳銃と言います。魔道具ではありませんが、非常に珍しい道具です」
「これをアンジェロ殿に?」
「はい。献上しようかと思います」
ベートは、拳銃が何の道具なのかさっぱり分からなかった。
しかし、珍しそうな道具だから献上されればアンジェロは喜ぶだろう。
それにこれだけ珍しい道具を持っている人物なら、この女は高名な魔法使いだろう。
ベートは、そんな風に考えて、キャランフィールドへ連れて行くことにした。
「わかりました。乗って下さい。キャランフィールドへお連れします」
こうしてベートは、女魔法使いミオを乗せて、アンジェロ領キャランフィールドへの帰路についた。