1話 死神
桜吹雪が吹いて直ぐのことであった。彼方には花弁がありそのサクラと呼ばれる花弁がパーティーのクラッカーのように炸裂する。
そして桜は一瞬で散る。僕の思いはその花弁とともに路面のアスファルトの上に落ち、そして涙色をした、つまりは透明な雨粒が空から降り注ぎ、物語は始まる。
春とも夏ともつかない季節の頃。梅雨の一歩手前、春の先。
小手先半分の僕の毎日の暮らしも見違えるように緑色になる。新緑の季節。
そして今日は雨。昨日はカラリと晴れた空模様だったのに今では雨だ。雨をうっとうしいと思う輩もいるが僕にはこの雨がちょうど天上から降り注ぐ蜜蜂が集めた花の欠片に思えた。
雨はいつも少しずつ日常の香りを奪っていく。それは嵐のようなもので一時的な空の風邪かもしれない、或いはそれは窓を開いているときに流れてくる風のようなものかもしれない。ちょうど歌手が歌うときに全身に力を込めてつま先立ちでマイクに歌唱を放つように。
そのデザートのような雨の中僕は傘を差して出掛けている。
よくあるコンビニエンスストアだ。そこの傘立てに自分の傘を置いて店内にいる。
僕は×××を待っている。そいつは死神のような女だ。
年齢不詳、厚化粧、雨による低気圧。コンビニエンスストアはむしむしとした暑さで店内はエアコンの冷房も利いていない。
R-18の雑誌コーナーから離れて僕はスピリッツという雑誌を読んでいる。漫画雑誌で僕は漫画の絵が好きだったのでセリフはあまり読まないで絵だけを見つめていく。誰かとコンビニで待つ時は僕はいつもこうしている。スピリッツでは「恋は雨上がりのように」という漫画の続編が描かれていた。彼女、いや死神だが僕は彼女に恋をしている。神に恋をして良いのだろうか。その雑誌の漫画の一つの話数分では答えはわからなかった。
スピリッツを棚に戻すと僕の瞳を窓の向こうに向けてみる。
そこにはずぶ濡れの死神がいた。ずぶ濡れの死神は雨粒で濡れた窓越しでこちらを睨みつけている。
その視線はやはり死神、僕は死が間近にあるのを感じるとともにこの「死」で濡れた恋を見つめ直してみる。彼女が死んで神になったのはいつからだろうか。そう、それは五年前の聖夜だ。
クリスマス。冬の季節の最大の祭り。ここ日本ではその日は静謐さとは表向きの顔で股の濡れたホテルのロビーの女でごった返す。僕らはそこにはいなかった。ホテルとは遠い場所、それはそれは遠い場所。どこまでもと言う訳でもなくただ単にその場所とは遠かった。その場所とはつまり星飾りで纏ったクリスマスツリーの下であった。その場所はどこにあるかとういとある一等地の星が見えない場所、ただの街角の中位である。そこは墓場のような静けさであたりは深夜だった。
ただクリスマスツリーの電燈とそれをくるりと囲む白熱電球の電灯があたりを照らしている。僕と今では「死神」となった彼女は手をつなぎツリーの下にあるベンチで両手を触れ合わせ座っていた。
彼女が死神になったのはちょうどこの時だ。この女は、×××は何処からか入手した毒薬を口に含みそれをコンビニで買った安物のシャンパンと一緒に飲み干した。唇からは紅い血がながれ彼女の息は切れている。事切れているのだ。
ここで一旦、クリスマスの前の日のことを話そう。二週間位前の。
朝から腐ったバレンタインデーにもらったチョコレートを僕は食べていた。何年前に貰ったんだろう、僕は考える。たしかこのチョコは五年前だろうななんて考える。しかも手作りチョコ、それは冷蔵庫の奥深くにしまい込まれ、今日ふと冷蔵庫の片付けをしていた時に気付いたものだ。大事な麗華にもらったチョコだし腐っていても食べないとなと思って必死に食べている。
腹が壊しそうな一日が始まった。
麗華とは僕の中学時代からの恋人で約十年付き合いをしていた。僕の名前は神奈継日ノ出。
麗華のフルネームは鈴堂麗華だ。
玄関で茶色のローファーにに履き替えスリッパを綺麗にそろえて床に置くと玄関の外に出た。
僕の仕事はとある神社の事務の仕事で経理などをやっている。そこそこ簡単な仕事だが冬の神社は寒い。
外に出ると白い吐息が出た。雨が振りそうな空でどことなく悲しげだった。空気は冷たくひんやりとしている。
僕は傘を持つと車に乗り鍵を差し込みそれをヒネリと回転させてエンジンをかける。車の空調を起動させると家の車庫から出て神社へと出発する。
しばらくすると雨が振り始めた。
「やっぱり」僕はそうひとりごちた。「雨だ」小降りの雨が段々と大降りになっていく、慌てて車のワイパーを作動させ、空調の温度を上げる。「昨日、洗車したばかりなのにな」
空はグレイだが僕の車はレッドだった。
神社の駐車場に車を停めると神社の裏手の門から入り事務室へと行った。
ダサい黒色の傘は雨でびしょ濡れになり、僕のセーターは肩元が若干濡れてしまった。セーターは麗華にもらったもので彼女が手編みしたものである。
僕はクリスマスの日に麗華に結婚を申し込もうとしている。エンゲージリングはもう買ってある。彼女の家に泊めてもらった時にこっそり彼女の薬指のサイズを測り、そして彼女には知られずに都心の高級ブランド店に足を運び指輪を買った。雨が降っている今日だが、僕はその事を考えると胸がワクワクとドキドキで一緒くたになってにこにこと笑みを浮かべてしまう。エンゲージリングは大切に僕の洋服棚に仕舞われている。その日が来るのが楽しみだった。