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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
6/21

6


 収穫祭の準備に取り掛かったノワールでは、仕事が多く入り慌ただしくなった。年に一度の魔族の為の祭の日。この日だけは神も天使もお休みだ。


 収穫祭のパーティーは毎年盛大に行われる為リーズは頭を悩ませていた。あらゆる魔族の出した要望を片付け予算内でパーティーを開きたいのだが、肝心の乙女がどうにも血を捧げないと言ったきりだからだ。


 ローズの収穫祭は、各ヴァンパイア五爵の城へ招かれた魔族達の前でその地を治める爵位持つヴァンパイアが乙女の血を吸うことから始まる。血の残されていない娘の体を人狼や魔女達が取り合いパーティーは幕を上げるのだ。


「……ウッブズ」


 リーズはウッブズを呼び乙女の様子を尋ねた。収穫祭まで残り半月を過ぎ、魔族達はもう浮かれている。


「ロゼリッタ=アルフォスは収穫祭前に一度リーズ公爵と話したいと言っていました。わざわざ手紙まで書いたようです」


「……手紙……?」


 眉根を寄せ悩み事でもあるかのようなリーズにウッブズは手紙を渡した。あの部屋で日記帳を破りロゼリッタがリーズに宛てた手紙に何となく温かい言葉が入っているような気がしていたウッブズは、大切な物を主人に渡せてホッと息をつく。


「リーズ公爵……顔色が優れませんが大丈夫ですか?」


「……案ずるな、ウッブズ。毎年のことだ」


 折りたたまれた手紙を開きながらリーズは答えた。


『リーズ=バラモン公爵。

 先日はこちらの一方的な理由で怒鳴ったりしてごめんなさい。私、貴方のこと何も知らなくてウッブズさんに色々教えてもらったの。街で聞いた話と随分違っていて正直言って意外でした。

 血を、命を捧げるつもりにはやっぱりならないけれど、一度お話してみたくて手紙でお伝えしました。都合の良い日に来て下さい。貴方のこと、もっと知りたいです。

 ロゼリッタ=アルフォス』


 手紙に書かれた文字を見てリーズは目を細める。一体どういう風の吹き回しだろうと訝しがったが結局是の答えをウッブズに持たせた。


「リーズ」


「……どうした、ハリエル」


 毎晩ルーウィンの元へ飛ばしているハリエルが窓からひらりと入って来た。


「乙女のことが気になってんでしょ」


「……」


 ハリエルはロゼリッタの手紙を横から見ながらリーズに言った。ハリエルに文字が読めるかどうかリーズは知らないが、手紙を広げたままハリエルの言葉に呆れていた。


「食事が気になる? 乙女は乙女、収穫祭の贄以外には成り得ぬ」


 ふーん、とハリエルは首を傾げて手紙からリーズへと視線を移す。


「じゃあ何でそんな悩んだ辛気臭いカオしてんのよ?」


「……やらねばならぬことが多くあると言うのに私の大切な時間をお喋りに費やす鳥が居るからだろう」


「しっつれーね。その大切な時間を使って食事だっつー乙女に会いに行くって返事したのは何処のどいつよ」


 リーズとハリエルが無言で互いを威圧する。視線が交わる箇所でバチバチと火花でも散りそうだ。


「ま、会って損はしないんじゃない。六百年前に捨てた人間性に触れるのも良い機会だし、窓から見た限り今までの乙女とは違うみたいだし。前日にお風呂に浮かべる薔薇の花は何本分が良いのか訊いとけば?」


 リーズはハリエルの言葉にこれ以上構わず書類を手に取っていく。相手にされなくなったハリエルはリーズの肩に止まり、本題をリーズの耳に囁いた。


「ルーウィンがね、気になることを言うのよ」


 ぴた、とリーズの動作が止まる。


「ルーウィンの母親は人間のままだったってリーズは教えてくれたけど、その母親が亡くなる直前にルーウィンに残した言葉があってね」


 “隠されの森”の奥で獣の遠吠えが聞こえてきた。リーズは黙ったままハリエルの言葉に耳を傾ける。


「『月の泉では種族は関係ない』みたいなことを言ってたらしいわ。それがルーウィンの人間とヴァンパイア、生殖行為が異なる二種の混血である原因じゃないかしら」


 何か考えるように口元に手をやり、リーズはだがと反論する。


「そんな泉はノワールの領地には存在せず名も聞かぬ。何らかの魔力が働いているとしても何故今まで魔法使い達に見つけられなかった?」


「そりゃ必要じゃないからよ。多分ルーウィンの場合、種族の違いがあっても愛し合った二人が結ばれたいと願ったから月の泉が現れて二人は結ばれた。そしてルーウィンが産まれたのよ。あくまで憶測の域を出ないんだけど」


 ハリエルはリーズの横顔を見つめ、ねぇと声をかける。


「ルーウィンの父親は?」


「不明だ。ノワールには居らぬ。名も知らぬ故探すとなると困難だ。ルーウィンは私が見つけるまで“プーペ”の集落で生きていた」


 ヴァンパイアであるルーウィンの父親の名を母親は五十年決して口にはしなかったようだ。ルーウィン自身も知らないらしい。


「……月の泉か。考慮しておこう」


「んじゃ、私は寝るわ。おやすみ、リーズ」


 先程言い争ったことなど忘れたかのようにハリエルはリーズの頬に自らの頬を寄せた。リーズも何も言わずそれに応じる。


 闇の翼を広げハリエルは飛び去った。リーズは書類整理をしながら自分の頭の中も整理していた。



***



 ノワール城は天に向かって何本か塔が伸びている。一番人通りの少ない塔の一室に乙女の為の部屋は用意されていた。此処は収穫祭までの一ヶ月間しか使われない為ほぼ一年中封鎖されているが、乙女が来てからも誰も近付こうとはしなかった。


 大抵乙女の世話は城主が命じた者に任され、翼ある者でさえ上がるのを嫌がるような長い螺旋階段が続いている。扉は厳重に鍵が閉められるのが慣習で、気の遠くなるような階段を上がって来ても鍵と格闘する気力が無くなるよう考えられている。収穫祭には乙女を見ることが出来る為そうまでして収穫祭前に乙女を奪おうと考える魔族はいない。


 リーズはウッブズから五つの鍵を預かり長い螺旋階段を一段ずつ上がって行った。今回の乙女が例年と違う為に、色々と考え事をしながら時間をかけて上がる。


 石造りのノワール城は歩く度にコツコツと靴音が響いた。天井にぶつかり音を出したリーズの所に戻ってくる。それを聴いていると自分以外にも階段を上がっている者がいるのかと錯覚しそうだとリーズは思う。


 遂に階段を上がりきり、リーズは扉と掌に握っている鍵束を見た。先に扉をノックし返事を待つ。


「……誰? ウッブズさんじゃないわよね?」


 恐る恐る返って来たロゼリッタの声にリーズは自分であることを告げる。


「話がしたいと手紙にあったが……」


「どうぞ」


 招かれ、リーズは鍵を開けて扉を開く。其処には以前のような覇気がなくなったロゼリッタが立っていた。


 扉を閉めてリーズはその場に立ち尽くす。ロゼリッタにすすめられた椅子も断り、リーズはロゼリッタが寝台に腰を下ろすのを見ていた。


 ロゼリッタは膝を抱え壁にもたれる。しばらく無言が続き、ロゼリッタがポツリと呟いた。


「この前は、ごめんなさい。貴方に嫉妬してわめき散らしたりして」


「……良い」


 リーズの方は見ず、心持ちうつむいてロゼリッタは苦笑を浮かべる。


「でも私は貴方に命を捧げたりはしないから。それだけは忘れないで」


 こちらを見ずともその言葉にはあの日と同じ決意と鋭さがあった。リーズはそれには答えずロゼリッタが話したいという内容を待つ。


「……貴方のことを知りたいと思って、呼んだの」


「私のことなど知ってどうする」


 どれだけ抵抗しようと収穫祭には贄となるのに。その後に続く言葉を呑み込んで尋ねたリーズにロゼリッタは初めて視線を向け、目を合わせた。紅と青の交錯。一種の対に二人は軽い目眩を覚える。


「……貴方のことを知って、貴方について考える」


 微笑さえ浮かべて言ったロゼリッタに困惑しリーズは微かに眉根を寄せる。


「……何故」


「貴方が元は人間だと聞いたから」


 益々困惑したリーズは二の句が継げない。リーズの言葉を待たずにロゼリッタは続けた。


「ねぇ、ヴァンパイアになるってどんな感じ? やっぱり痛いの? 魔族になったら人間だった自分はどうなるの?」


 乙女の部屋の明かりはキャンドル一本だけ。今夜の月は雲に覆われ星もない。揺れる炎で変わる陰影は二人の変えていないはずの表情を変えた。


「……ヴァンパイアになりたいのか?」


 ロゼリッタがそんなことを言い出した理由が解らずリーズは難しい顔をしたまま問う。そうじゃないわと笑ってロゼリッタは蜂蜜の髪を揺らした。


「人間の記憶を残したままヴァンパイアになるのは珍しいって聞いたから」


 リーズは黙ったままロゼリッタを見つめる。そんなことを教えるのはウッブズしかいない。


「……人間の時には持たなかった力が溢れるのを感じた。その代償として人間の細胞が負けていくのも感じた。私はヴァンパイアになるのだと血を注がれながら思ったのを覚えている」


 六百年前のことを振り返るリーズの紅い瞳はロゼリッタの方を向きながらも映してはいなかった。


「痛く、はなかったな。アルス=ホルゾンという男は真の魅惑とは何かを心得ていた。性別を越えた彼の魅力に魅入られているうちに私は完全なヴァンパイアとなっていたのだ」


 人間の娘だけではなく魔族の憧れにさえなるリーズ=バラモンが魅了されるなら、相当のヴァンパイアなのだろうなとロゼリッタは思った。何せアルスは魔族をまとめた男だ。それなりに自信もあっただろう。


「……人間であることを捨てなきゃならないって知った時、どうだった? 急に魔族になって淋しくなかった?」


 わずかな躊躇いの後に思い切ったように尋ねたロゼリッタに、リーズは何故と問いで返す。


「だって魔族と人間の時間の感じ方は違うんでしょ? 当然家族とも引き離されて残されたと思うから。私は残されるのはもう耐えられない」


 キュ、と薔薇の唇を固く引き結びロゼリッタはこみあげる何かに耐える。リーズは忘れたなと答えた。


「人間の感覚で言うなら六百年という時間は長すぎた。両親も弟も先に死んだだろうが、いつ、何処で、幾つで、どのように死んだのかは知らされなかった。百年──ヴァンパイアになってようやく一つ年を重ねた頃──私の顔を知る人間は死に絶えたと何処かで受け入れた」


 伏し目がちにリーズは言う。扉にもたれかかり腕を組むリーズにロゼリッタは何も言えずにいた。


「だが、淋しくはなかった。六百年前に私の親友は私と共にヴァンパイアになることを望んでくれた。今はもう良妻と共に他国で領地を治めている」


 そう、とロゼリッタは安心したように微笑む。ロゼリッタが理解出来ずリーズは眉根を寄せた。


「あ、じゃあヴァンパイアは朝陽に弱いって本当なの?」


 無邪気に尋ねるロゼリッタには裏でもあるのだろうか。


「……人間のような栄養価の高い血を毎日飲んでいれば陽の下でも支障ないが、年に一度しか得られぬ故に陽が沈まねば動けぬ。私達は五感が鋭くなり視覚は光に弱くなった」


 一年にひとりの生き血を得られるのはずっと昔からの誓約。どちらかが破ればたちまち戦争になるだろう。


「……ヴァンパイアになって、良かったと思う?」


 他者ならうつむいて訊くであろうそれをロゼリッタはリーズの目を見て問うた。リーズはわずかに目を細め、ロゼリッタとは逆に視線を外す。ロゼリッタを見ていると何でも言ってしまう。事実訊かれたことには答えている。


「ヴァンパイアになるつもりでも無いくせにそのようなことを訊いてどうする」


リーズの言葉にロゼリッタは言ったでしょうと苦笑した。


「貴方のことを知って、貴方について考えるって」


 ロゼリッタには本当に調子を狂わされる。自由気ままなヴァーンとは違う、別の奔放さがあるのだ。ヴァーンとは上手く付き合え気心が知れても、ロゼリッタは恐らく永遠に理解出来ないだろうとリーズは思う。否、解らせてはくれないのだろうと。


「……何故」


 堂々巡りじゃないのとロゼリッタは笑う。先程は上手く誤魔化せたつもりだったがリーズは戻してしまったと言って、ロゼリッタは正直に話すことにする。


「皆が……友達やウッブズさん達が……見えてた貴方の良いとこを、私も見たいと思ったのよ。私はこの国を治めて私達に安全を与えてくれてた有名な貴方のこと、何も知らなかったから。

 でも不思議ね。貴方のこと、多分理解出来ない気がして仕方がないの」


 ロゼリッタの言葉にリーズは意外そうな表情を浮かべた。


「貴方を本当に理解出来る人なんてきっと居ないわ。貴方はそれだけ高い所に居る人だから、誰も其処まで辿り着けない。辿り着けない人に貴方は理解を求めない、そんな感じがする。

 そうね、貴方はきっと理解させてくれないんだわ」


 ロゼリッタはロシェルの日記を思い出す。彼女は悟ったのだ。自分が彼の元へ行くことは出来ないと。だから最後にあんなメッセージを残した。



 ──リーズ公爵の表情は私じゃ変えられなかったけど……。



 恐らく彼は鉄の仮面を被っているのだ。お互いを理解し合える者の前でしかその表情を見せないのだろう。先程から見ていてリーズの表情があまり変化しないのもそのせいに違いない。


「……じき、夜が明ける。私は戻るが、食事を摂っていないようだな。人間の体は脆い。寝込む前に出される食事を摂れ。魔族が作っているからといって害になるような物は入っていない。人間に近い魔女達が作っておるのだ。食えぬはずがあるまい」


 リーズをキョトンと見てロゼリッタは破顔する。突然ロゼリッタに満面の笑みを見せられてリーズは戸惑うが、優しいのねと言うロゼリッタの言葉に更に戸惑った。


「ウッブズさんが言ってた通り。貴方は本当に色んなことに目を向けて気を配ってる。優しいのに笑わないから怖く見えるのよ」


「……下らぬ。私は人間であった時も笑みなど見せなかった」


 そんな気がする、とロゼリッタは笑む。リーズはロゼリッタも同類のような感覚を覚えた。表情をコロコロ変えるが笑みの下の深い感情をもらすまいと仮面をしているように見えたからかもしれない。


「あ、空が白み始めたわ、ヴァンパイアさん」


 ロゼリッタに急かされリーズは背を向けた。扉を開き、何かを思い出したようにロゼリッタに言う。


「……正直なところ、まだ分からぬのだ。ヴァンパイアになったことで私の人生がどう変化したのか六百年の時をかけても見えぬ。そういうものは、死に直面した時に悟るのだろうな」


 その答えは先程ロゼリッタが問うた『ヴァンパイアになって良かったか』のものだった。ロゼリッタは唐突すぎてすぐに反応を返せなかったが、ゆっくりと青を閉じる。


「貴方が死ぬのはまだまだ先の話ね」


「……それまで答えは見い出せぬ」


 リーズも紅を伏せて部屋を出た。ロゼリッタは膝を抱えたまま最も空が近い塔の窓から陽が昇るのを眺め、リーズは空から最も遠い暗闇へと下りて行く。


 初めて顔を合わせた時の覇気や怒気はもう二人には湧かなかった。



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