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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
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 ロゼリッタは先代の乙女となった娘達の日記を読んでいた。ほとんど毎日何もすることがなくて暇を持て余していた彼女達は、日記をつけることで日を数えていたらしい。一日一日の日記はとても短いものだったが、必ず全員最初の日記はリーズの素晴らしさを書いていた。


 ロゼリッタはうんざりする。このままでは洗脳されそうだ。


「ホントに実物を見て言ってるのか疑問だわ……」


 一々文句をつけてロゼリッタは読み進める。そうでもしないとやりきれなかった。彼女達は血を、命を捧げることに何の抵抗もないのか、帰りたいといった文字は誰の日記を見てもなかった。呆れる程前向きな単語ばかりでロゼリッタは苛々してくる。


 ふと、ロゼリッタは目を留める。友人の名前で日記が書かれていたからだ。


 ロゼリッタには仲の良い友人が五人居た。美しく優しく聰明で自慢の友人だった。彼女達は皆リーズ=バラモン公爵に憧れ、毎年収穫祭の時季になると“乙女”と呼ばれるヴァンパイアの食料に志願した。乙女になれた彼女達は大喜びし、ノワール城へ行ったきり当然戻って来ることはなかった。


 去年、到頭二人きりになってしまった友人から嬉しそうに乙女に決まったことを親より先に報告された。それはそれは嬉しそうに。


 ロゼリッタは、嬉しそうに笑って恋い焦がれる彼女達に何も言えず、毎年見送るばかりだった。友人を奪われるごとにリーズへの憎しみをつのらせながら。


 最後のひとりを失った時ロゼリッタは決意したのだ。リーズ公爵に屈する女ばかりではないと証明してやろうと。だから乙女に志願した。


「……ロシェル……っ!」


 ロゼリッタの青い瞳に涙が溢れる。去年の乙女だった友人ロシェルの日記には、収穫祭当日にロゼリッタへ向けたメッセージがあったからだ。


 ──友達でいてくれてありがとう。恋を選んでごめんね。リーズ公爵の表情は私じゃ変えられなかったけど、後悔してないよ。……ロゼと友達になれて良かった。本当に、ありがとう。


 ロゼリッタは日記を抱きしめた。ただ涙が溢れて止まらない。何故泣いているのかも自分では理解出来なかった。


 その日の食事は何ひとつとして喉を通らなかった。



***



「……ウッブズ」


 リーズは執務室で書類を処理しながらウッブズに声をかける。戸口に控えていたウッブズは返事をしてリーズを見た。


「今年の乙女の様子はどうだ」


「昨日は食事を摂りませんでしたが毎年の乙女に見られることです。魔族の出す食事は人間の舌に合わないと思っているんでしょう」


 ウッブズはキャンドルのように揺れる声で言った。リーズの表情では今の答えに満足したのかどうか分からないからだ。だが五十年間ずっとこの調子のせいか、ウッブズは以前程リーズを気にしないようになっていた。


「……乙女と何か話したのか、ウッブズ」


 責めているわけではなくこういう口調だということも五十年付き合って来て慣れているウッブズは肯定する。


「内容は?」


 一瞬だけリーズがウッブズと視線を合わせる。ノワールを治めるリーズの元には毎日のように多量の書類が回って来る。それを処理しながら他のことにまで気を回すリーズをウッブズは尊敬していた。ウッブズなら部下に視線を向ける余裕は持てないだろうと思う。


「乙女はリーズ公爵が人間だったことを知らず、訊かれたので教えました。あと魔族は人間を襲うと勘違いしていたのを訂正して、俺がリーズ公爵に助けて頂いた話をしました。リーズ公爵を一方的に悪く見ていたので少しは見方が変わったと思います。びっくりしてましたし」


 ウッブズは前日のことを思い出しながら答える。リーズは手を休めないまま、ウッブズの話を聞いていた。どれもこれも魔族の間ではすでに知れている話ばかりだったが、人間は短命である故に長く生きるヴァンパイアを不老不死と思っていることがある。惹かれる人間がいる反面、反発する者も多い。彼らはヴァンパイアに対して冷徹なイメージを強く持つことが多い。彼女もリーズがウッブズを助けたことを意外に思ったに違いない。


 ハリエルは結局、大した情報を得られなかった。丸一日を費やして人間の傍で聞き耳を立てたが、ロゼリッタに身寄りがいたのかも他に友人がいたのかも判らず仕舞いだったようだ。人間の村では捧げられた贄の話をするのは禁じられているのかも、と疲労を滲ませながらハリエルは報告した。


「……乙女自身については何も言って居らぬか?」


「言っておりません」


「……そうか」


 わずかに考える仕草を見せリーズは視線を下に向ける。ウッブズはリーズの次の言葉を待つが、自分の中で解決したのかその話題には戻らずリーズは書類の束をウッブズに渡した。


「まだ客室に魔女の代表とミイラ代表が居るはずだ。許可申請を受け入れ、許可証を発行する。後はそれ専門の者の所へ連れて行け。途中で妖精のジェリアに私の所へ来るよう伝えておいてくれ」


 普段の業務に戻ったウッブズは書類を受け取ると、リーズの言葉を記憶して部屋を出て行った。



***



「ねぇ、狼男さん」


 食事を運んで来たウッブズにロゼリッタは声をかけた。ロゼリッタはベッドに膝を抱えて座り込み、壁に背をもたれている。前日より覇気のなくなったロゼリッタに、ん? と返してウッブズはロゼリッタを見た。


「どうして貴方はあの人に任えるの? 代々任えて来たから? 命を助けてもらったから? あの人の下にいて疲れたりしないの?」


 あはは、とウッブズは豪快に笑った。ウッブズは苦笑したつもりだったが、大柄な体から出た笑い声はロゼリッタにとっては大きすぎた。


「俺は好きでリーズ公爵に任えてんだ。結構リーズ公爵の近くで仕事したい奴は多いから激戦なんだぜ? それに俺に決まった時も、恩とかで任えるなら辞めて良いって言われたしな」


 ロゼリッタはキョトンとしてウッブズを見たままだ。ウッブズは五十年前を思い出してか優しく目を細めて笑む。


「俺は純粋にリーズ公爵に任えたいから任えてんだ。魔族の憧れの的だぜ、リーズ公爵は。疲れたりなんてしねーさ。リーズ公爵は怖そうに見えるけどな、意外と全員に目を向けて気を配ってんだ」


 自ら調査に出向いたり、書類内容からあらゆる危険を読み取り万全な対策を考えたり、人間のことも忘れていないリーズを五十年間見てきて、ウッブズは尊敬の念を募らせた。週に一度“隠されの森”を見回る時も常について行ったウッブズは、リーズが言葉以上に働いていることを知っている。


「人狼っていうのはよ」


 床に座り込みロゼリッタと向かい合う形でウッブズは話を続けた。


「魔法使いや魔女みたいに役に立つ魔法も使えなきゃ、ミイラのように墓守りも出来ねぇ。妖精みたいに空気を盛り上げるダンスも踊れなきゃ、堕天使達みたいに飛ぶことも出来ねぇ。ましてやヴァンパイアのように長生きでもなきゃ秀でた才能も持たねぇんだ。ただ満月の夜には森の獣を食らって朝が来るのを待ってるだけの、魔族の中じゃ一番下っ端じゃねぇかと俺は思うんだ」


 ウッブズは人狼にとっての悩みなのかポツリポツリと言葉を落とすように話す。別に人狼になりたくなかったわけじゃねぇけどと勢い込み、ゆっくりと息をついた。


「力仕事は人狼に任せてもらえるし爪はヴァンパイアより鋭いさ。自慢なことは山程ある。でもリーズ公爵の役には立てねぇような種族なんだ」


 だけど、とウッブズは握った拳に更に力を込める。


「そんな人狼でもリーズ公爵は俺を、俺達を傍に置いて下さって名前を呼んでくれるんだ。必ず『ウッブズ』って呼んで下さる。人間だった時には誰も呼んでくれなかった名前を、人狼になった俺は呼んでもらえてるんだ」


 いつもお前とか其処の、とか呼ばれていたウッブズは少年のように頬を染めてロゼリッタに打ち明ける。自分がどれだけリーズに救われているのか、リーズを尊敬しているのかを。ロゼリッタは黙ってウッブズの話を聞いていた。


「だからあんたがリーズ公爵を嫌っても、俺は何回でもリーズ公爵の良さを教え続ける。表しか見えないなら裏がどうなってんのか伝えてやるよ」


 ロゼリッタは微笑した。ウッブズと話していると街で聞いた話やイメージとかけ離れた内容を聞かされる為、リーズの見方が変わってくる。だからと言って血を捧げるつもりにはならないが、ロゼリッタの中にあったリーズへの憎しみは昨日より薄れていた。


「ウッブズさんって、良い人なのね。人の良いとこばかり言えて羨ましいわ」


 膝を深く抱えロゼリッタは言う。思いがけない言葉だったからか動揺したウッブズは言葉を探してうつむいた。


「私ね、あの人が憎くて仕様がなくて……ギャフンと言わせてやろうと思って乙女に志願したのよ」


 ロゼリッタは呟くように言った。


「毎年毎年私の友人が乙女になっていって、奪われたと思ってあの人に嫉妬してたのね。多分彼女達はウッブズさんが言うようなあの人の良さに惹かれて恋していったのよ。でも私は憎むばかりであの人の良いとこなんて見ようとも思わなかった」


 友達には分かっていたのにねとロゼリッタは笑う。


「血も、命も捧げようとは思わないけどもっとあの人について知りたいって思えるようになったの」


 ロゼリッタはくすりと笑った。


「ウッブズさんって不思議ね。何でも話してしまえるわ。こんな私に心から向き合おうとしてくれたからかしら。ひとりだけ人間で心細かったけど、貴方が私の世話を任されて良かった」


 ウッブズは真っ赤になって照れた。しばらくひとりで色々考えたいからとロゼリッタは伝え、ウッブズは部屋を出た。


「今年の乙女は調子が狂うぜ……」


 ウッブズが呟いた言葉の意味は当初思ったのと少しだけ違っていた。



***



「何を考えてんだ、リーズ」


「……ヴァーンか」


 食事を摂っていたリーズの所にやって来たヴァーンはにこにこしながらリーズの隣に腰かける。


「……今年の乙女と爵位問題について考えていた。ヴァーンこそ収穫祭まで自分の領地に戻らずに居て良いのか? 侯爵は人間と同等領地を持っていたはずだが。子爵や男爵は帰ったぞ?」


 いーのいーのとヴァーンは手を振る。面倒臭そうなヴァーンの様子からして優秀な部下でも居るのだろう。


「ウッブズ君みたいに頼りになる部下にぜーんぶ任せてあるから」


「……哀れだな」


 テーブルに両肘をつきヴァーンは楽しそうにリーズを見た。リーズはグラスの中の血液を口に含み、呆れたようにヴァーンを見やる。


「それで新しい伯爵は誰になるんだ? ライガン=アーミリー子爵と渡り合えるのか?」


 表情はそのままだが声のトーンを落としヴァーンが尋ねる。誰とは言わずリーズは答えた。


「まだ成長過程だ。今伯爵にしても潰されるだろう。それなりの教養を身につけぬ限りは爵位など与えても自身を傷つけるだけ」


 親友にさえ胸の内を明かさずリーズは目を伏せる。それを理解してかヴァーンは話題を移した。


「乙女の様子はどうだ? 大人しくなったのか?」


 いや、とリーズは否定する。正確には分かっていなかっただけだが。


「乙女について何か分かったか? 俺達の乙女は相も変わらずいつも通りで、リーズの乙女みたいに劇的な変化が欲しいね」


 リーズのグラスを横取りしヴァーンは中身を転がす。人間の物ではない為に栄養は低いが毎年人間の娘の血を丸々と飲んでいるのだから文句は言えない。


「……五年間、私の乙女に選ばれた者達が友人だったそうだ」


 グラスの中身を飲もうと口をつけていたヴァーンはリーズの言葉で微妙に表情を変えた。


「なんだ、だから恨まれたのか。別に“イヴ”の器なわけじゃなかったのなら興醒めだな」


 つまらなさそうに言い、ヴァーンはグラスの中身を飲み干した。黒髪を頭の高い位置で束ねているヴァーンが立ち上がると、月光を受けて長い尾のような髪が輝く。六百年前、リーズと共にヴァンパイアにしてくれと申し出てくれた親友はリーズが幸福になることを望んでくれている。それはリーズも承知していた。


「それじゃ俺は帰るよ。妻のエリーゼが待ってるからね」


 愛妻家のヴァーンはリーズの肩をぽんぽんとたたくと去って行った。リーズは空になったグラスを見つめ紅い瞳を閉じる。


 闇の中に浮かぶのは乙女となったロゼリッタの鮮やかな程の青い瞳だった。



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