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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
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「今日は何の確認よ?」


 足音を立てず進むリーズの肩に止まって楽をしているハリエルが、面倒そうにリーズに尋ねた。闇色のマントと束ねていないプラチナブロンドの長い髪を風に遊ばせながらリーズは簡単に説明する。


「今年の乙女についてだ」


 ああ、とハリエルは諦めたように呻いた。


「そういやそんな季節だったわね」


「珍しいな。文句を言わないのか」


 リーズがそう言うとハリエルは、まーねと適当に返した。ふわり、とハリエルはリーズの肩から飛び上がり、リーズの速さについて来る。


「もう慣れたの。毎年毎年この時季になったらリーズは乙女のことばかり。そうでなくても事あるごとに呼び出されて……過労死したらリーズのせいだからね」


 それは心外だなとでも言うようにリーズはわずかに眉根を寄せる。


「ハリエルを呼ぶのは半年に一回、年に二回だ。それ以外は五十年間ずっとウッブズと来ている。ハリエルが過労死するのは後何十年先だ?」


「それじゃウッブズが過労死するわ。元は病弱な人間だったんでしょ? リーズの血が少し混ざってるから長生きしてるだけで、健康じゃないんだから」


 そんなことは心得ているとばかりにリーズはハリエルに視線を向ける。ハリエルは琥珀色の丸い瞳でリーズを見つめ、深い森の中を進んだ。


 ノワール国のリーズが住むノワール城を中心に、野生の動物を放している為に深く陽の光が差さない森が繁茂している。ローズ五大陸の中心ノワールはまさに世界の中心と呼ぶに相応しく、同時に最も魔族が多い地だ。四隅を四大陸に囲まれ、五大陸と言うものの面積は一番狭い。見方によっては人間の割合が多い四国に包囲されているようにも見える。だが力では魔族の方が圧倒的に上だ。臆する必要は何処にもない。


 魔族の数も四国より多い為、ノワールでは人間と魔族の混血である“プーペ”と呼ばれる種族の面倒も見ている。魔族の地に人間が足を踏み入れていないかも、週に一度見回っている。魔族は人間を襲わないが魔族の地に侵入した者は別だ。息がなければ人狼やヴァンパイアの食料になるか、魔法使い達の新薬開発・調合に使われる。息があれば選択権はあるが、大抵は魔族の仲間入りを果たす。


 リーズは常にウッブズを連れてノワールを回っていた。人間の町に用事がある時はハリエルなどの人間の町でも違和感の少ない獣を従者としている。人間の町は人間達の間で“隠されの森”と呼ばれるこの森を抜けた所に存在しており、森で放している獣や満月の晩に狼へと変わる人狼達が町へ行かないよう、魔法使いや魔女達が結界を張っていた。ただ人肉を好しとしないハリエルのような鳥は人間の町へ入ることを許される。


 リーズはノワールを治める為に人間とも交流があるが、年に二・三回程度顔を合わせるだけだった。多忙さもあるが、人間側があまり会いたくないのだろう。目に見えて怯えている。仕方なくリーズはハリエルを使って人間の様子を探るのだ。


「ウッブズには今年の乙女の世話をしてもらうことにした。今年の乙女は私を憎んでいるらしい」


「ウッブズにその理由をそれとなく聞き出させようっての? おまけに私も使って調べようって魂胆? 流石、公爵様」


 リーズを追い越し、わずかに先を飛びながらハリエルは言う。


「……ウッブズは意図的には聞き出せぬ。知らぬ間に情報を握りやすいのだ。ウッブズにはまだ人間らしさが残り親しみやすいのだろう」


 それはリーズもこの魔族だらけの地で人間らしさを求めていることかと言いかけてハリエルは別のことを口にする。


「リーズだって人間だったんでしょ?」


 だから人間を、あるいは人間らしさをヴァンパイアは求めるのだとハリエルは思うが、リーズは頭は悪くないくせに気付かないまま珍しく自嘲するように笑って言った。


「私が人間だったのは六百年も昔の話だ……」



***



 人間の町“ブランシュ”にハリエルを放し、リーズは“プーペ”をまとめた集落へ向かった。其処には今、気がかりな少年がいる。


 ヴァンパイアや人狼は人間と同じような生殖を行わない。『噛みつく』という同一の行為によって、ヴァンパイアの場合は自らの血を、人狼の場合は毒を対象者の体内に流し込み同じ種族を誕生させる。その為人間との混血は、ほとんどが魔法使いや魔女などの人間に近い魔族だった。


 ヴァンパイアは仲間にするのは幼子だけと決めている。若く新鮮な血を好むこともあるが、ヴァンパイアになれば体は頑丈になり百年でようやく一つ年を重ねる。その為、長寿が約束される。幼少期にヴァンパイアになれば獲物を手に入れやすくするためか、顔の造形も整う。そのせいで人間の娘が憧れるのだろう。リーズが公爵の地位を継いでからは益々ヴァンパイアの虚像が出来上がり、我が子を“隠されの森”に置き去ってヴァンパイアにすることを望む母親まで出て来た。


 幼子のうちにヴァンパイアになるからか、多くのヴァンパイアは人間であった自覚など皆無だ。自らが人間であったことを覚えているヴァンパイアは数える程しかおらず、それも年月を重ねるごとに記憶が薄らぐ一方だった。


 ヴァンパイアと人間、人狼と人間の混血は珍しく、そのほとんどは母親の胎内にいる時に母親が魔族になる場合が多い。だが今集落には母親が人間のまま、ヴァンパイアとの混血で産まれてきた子どもがいる。リーズはその子どもがひどく気にかかっていた。


「……ルーウィン」


 魔法使いばかりの輪に入れずひとり仲間外れにされているヴァンパイアの混血である“プーペ”を見て、リーズは声をかけた。ルーウィンと呼ばれた少年はリーズを見つけると顔を輝かせて駆け寄って来る。


「リーズさま!」


 青みがかった銀髪が揺れる。その間から覗く、くりくりとした愛らしい目にリーズは目を細めた。


「……また輪に入れずにいるのか」


 リーズが問うとルーウィンは不服そうに唇をとがらせる。今にもこの唇から、だってと言い訳が聞こえて来そうだ。


「ヴァンパイアであることを誇りに思え。此処を一歩出れば我らが魔族の上、思い知れば向こうからこちらへとやって来る。だが」


 リーズはルーウィンと目線の高さが同じになるよう片膝をついて屈んだ。互いの緋の目が交錯する。


「それに驕ればお前の誇りは失われる。永遠に取り戻せぬ誇りをだ。最早誰もお前をヴァンパイアと認めぬ世界へ行くだけだが、それを善しとは思うまい」


 ルーウィンの真剣な瞳がリーズの言葉を受け止めている証拠だった。人間であった少年の母親は混血である為五十年ごとに一つ年をとる息子の成長を見ることなく百五十年前にすでに他界しており、少年は天涯孤独の身だ。“プーペ”の集落でリーズに会うまで――会っている今もまだ、ではあるが――ずっと肩身の狭い思いをしていた。


 そしてルーウィンの持つ危うさを知らぬから、集落の若い魔法使い達はルーウィンを毛嫌いする。虐げられる痛みを知ることが出来るのはルーウィンが半分人間であるからだ。これから先、望むのならばリーズ自らがルーウィンを完全なヴァンパイアにしてやると約束していた。


 ルーウィンには何かが秘められていると、本人を見た時にリーズは思った。話に聞くだけではヴァンパイアの混血であることをコンプレックスに思い、周囲の成長についていけない自分を卑下した暗い子どもだというイメージだけだった。だが。


 実際に行ってみればルーウィンは驚くべきものを持っていたのだ。


 リーズと同じ──緋色の瞳。


 一国を治める力を持つことを許される者にのみ表れる緋色の瞳。これは何かの前兆か。こんな幼い子どもが今すぐ必要を迫られ公爵にならねばならないという事態が? それとも……?


 色々と悩んだ末、リーズはルーウィンが十八、せめて十五になったら六百年空席だった伯爵の椅子に座らせることを決めた。いくら混血といえどリーズの血を注いで完全なヴァンパイアにし、紅い瞳を持った伯爵となれば文句は言えまい。リーズの心配は子爵、男爵へと向かった。


「上に立つ者は同時に下の者の気持ちに鈍くなる。下の者の気持ちを嫌という程に味わっておくことだ。いずれ役に立とう」


 ルーウィンが頷いたのを見てリーズは立ち上がり、ルーウィンの頭に手を乗せる。


 半分人間であるからかルーウィンの体には血が巡っていて温かかった。冷たいであろうリーズの手を嫌がることなく受け入れルーウィンはにっこりと笑う。その満面の笑みにつられ、リーズも微笑を返した。


 そんな笑顔をしたことがあっただろうかと過去を思いながら。


「リーズー!」


 真っ直ぐにこちらを目がけて飛んで来るハリエルの為にリーズは右腕を差し出す。それに爪を引っかけてハリエルは急ブレーキをかけた。目を丸くしているルーウィンには見向きもせずに、ハリエルはリーズの耳元で口やかましくがなりたてた。


「何よ! 今年の乙女が誰なのか教えてくれないか何処探れば良いのか分かんなかったじゃない!」


「……乙女? もうすぐ収穫祭なんだ!」


 ルーウィンの言葉にハリエルはようやく反応しリーズとルーウィンとを見比べて感嘆の声をあげた。


「何? 何? リーズと同類なの?」


 乙女よりルーウィンに興味が移ったか、ハリエルは忙しなく二人に首を向ける。ルーウィンはハリエルに驚きながらも取り合えず笑っておいた。


「はうっ」


 どうやらルーウィンの笑顔にハリエルはやられたようだ。人の形をしていれば鼻血を出していたかもしれない状況にハリエルも動揺する。


「……うるさいぞ、ハリエル」


 心底迷惑そうにハリエルを見るリーズにハリエルはだって! と言い返す。


「何処となくリーズに似てるなぁって思って見てたらあの笑顔よ!? まるでリーズに笑いかけられたみたいで不覚にもときめいちゃったの」


 リーズの腕からルーウィンの肩に移動してハリエルとルーウィンは自己紹介をしあう。リーズはその光景を見ながらハリエルが言ったことを思い出していた。


 ──何処となくリーズに似てるなぁって思って……。


 紅い瞳が遺伝子に現れるのだとしたら? バラモン家が未だに続いていたとしたら?


 否、とリーズは目を伏せる。それはあまりにも偶然に頼りすぎている。


 それに前公爵のアルスは言っていた。紅い瞳は選ばれたヴァンパイアのみ持つことが許されると。何千年もの間いなかった血色の瞳はリーズが選ばれたから持つのだろう。そして六百年経つ今、ヴァンパイアの感覚では短いが再び血色の瞳持つルーウィンも何かに選ばれたのだ。だから此処に居る。


 いずれ分かる時が来るだろう。今はまだその時ではないだけだ。


「……ハリエル、夜が明ける前に乙女についてもう一度調べて来い。今年の乙女の名はダニエル=アルフォスのひとり娘、ロゼリッタ=アルフォスだ」


 月が沈み始めるのを見てリーズはハリエルに命じた。ハリエルはルーウィンから離れるのを嫌がったが、リーズに無言で圧せられルーウィンの行った方が良いよと言いたそうな表情を見ると大袈裟に息をついてみせる。


「わーかったわよ。ロゼリッタ=アルフォスね? 夜明けにはリーズがびっくりするような情報持って来てやるんだから!」


 ハリエルはルーウィンに名残り惜しそうに頬を寄せると飛び立った。真夜中の空に吸い込まれそうな程高く舞い、ハリエルはブランシュに向けて飛び去る。その様子を黙って見ていた二人はハリエルの姿が見えなくなると互いに視線を戻した。


「ルーウィン=ベルダム」


「は、はい!」


 唐突にフルネームで呼ばれルーウィンは姿勢を正した。


「お前が十八になる頃には迎えに来よう。それまでに此処を出ても恥ずかしくないような教養を身につけておけ。良いな」


 同じ紅い瞳に見つめられルーウィンはゴク、と喉を鳴らした。ルーウィンはまだリーズがどのような人物かは理解出来ていない。だがリーズの威厳に体がすくむのをルーウィンは感じた。


 負けじと震える声で返事をするルーウィンに目を細め、リーズは微かに頷いた。それで良い、と言うように。


「魔法使いや人狼との付き合い方も此処で学べ。これから長い時間を歩むことになる。道を踏み外さぬよう、判断出来る頭を持て」


「はい!」


 ルーウィンの真剣で真っ直ぐな瞳にリーズは将来性を感じた。そしてその真っ直ぐさは何処かロゼリッタを思わせることも。


「私はまだ行かねばならぬ場所がある。もう行くがヴァンパイアについて学びたければ毎晩向かわせるハリエルに訊け。ルーウィンが相手ならばハリエルも文句は言わぬだろうからな」


 少し、ルーウィンの表情が輝く。分かりやすい奴だとリーズは内心苦笑するが、それも幼い間だけだろうと思い直した。百五十年生きていてもヴァンパイアの年齢ではまだ三つ。赤子同然なのだ。混血だから五十年ごとに年を重ね成長は早いが、ルーウィンが伯爵の地位を継ぐのはまだまだ先の話。その頃にはあどけなさも抜け落ちよう。


「ルーウィン、お前には期待している」


 リーズはルーウィンに背を向けると“プーペ”の集落から去った。



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