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ステファンを操っていた黒幕は機会でも窺っているのか姿を見せることはなく、その後にリーズと家族に危険が訪れることはなかった。ルーウィンはリーズの元でヴァンパイアとしての教養を身に付ける為に勉強を始め、ロザリアの遊び相手となっている。紅い瞳はリーズも説明ができないため魔族達の間では様々な憶測が飛び交っているようだが、今のところルーウィンは気にしていない様子だった。
男爵の選出はルーウィンのことがあり、急いで選ぶべきと声高に叫ぶ派と、様子を見てはと訴える慎重派に分かれ意見が纏まらずにいた。幸いか仮長としてステファンの後に急遽その役に就いた者が優秀で、現在まで大きな問題もなくこなしてきている。論争はまだ収まらないだろうとヴァーンが笑っていたのをリーズは思い出した。
人間との交渉には変化があった。乙女として向かったはずのロゼリッタが生きていることにブランシュの住民は衝撃を受けたが、ロゼリッタが残した家族は泣いて喜んだ。父親は孫娘にあたるロザリアを恐々と抱き、すぐに破顔した。仲睦まじい家族の姿をリーズも見て、自然と頬が緩んだ。毎年志願する乙女が減ることはなかったが、変化はあった。ロゼリッタが乙女と一か月共に過ごし、離れた家族や友人と隠されの森で会えるよう取り計らった。そのためか、人間側もリーズの理想を聞く耳を持とうとし始めるようになったのだ。隠されの森に訪れる人間も増え、手応えを感じてはリーズもロゼリッタも二人喜びを噛み締めた。
ノワールは平和が続いた。つい先日ロザリアが一歳の誕生日を迎えたばかりで笑顔が絶えない。だが、塔の一室で年老いたロゼリッタが息を引き取ろうとしている。窓からは柔らかな月光が差し込み、老いたロゼリッタの血の気のない顔を益々白く浮かび上がらせていた。
リーズはロゼリッタを抱いていない方の手でロゼリッタの手を握りしめ、ロゼリッタの最期の言葉を聞こうと傍らに座った。
「……私、神様にも悪魔にも気に入られないまま此処まで来たのね、リーズ」
ロゼリッタは寝台に体を横たえ力無くリーズの手を握り返しながらも、言おうと決めていたかのように滑らかに言葉を発する。
「私はイヴでも乙女でもないけれど、貴方と一緒に過ごせて嬉しかった。ロザリアとも五十年も一緒に居られたわ……普通はこの腕で我が子を五十年も抱くことなんて人間には出来ないの」
五十年の時を経てようやくひとつ歳を重ねたロザリアは、しっかりと目を開けて死に逝く母親をその紫の瞳で見つめていた。リーズの腕の中から、ロザリアは小さな手を伸ばす。
「……この世界でも、ちゃんと満たされた。私はそれを、身をもって実感出来た。人間で良かったわ、リーズ」
ロゼリッタは青い瞳をリーズに向けて笑んだ。リーズも笑み、ロザリアの手と一緒にロゼリッタの手を包むように握る。
「……私は、ヴァンパイアになって良かったと本当に思う。長く生き、そしてロゼリッタとロザリアに会えたのだ。これを幸福と呼ばずに何と呼ぶと言うのだろうな。
……この命が尽きるまで答えは見出せぬと思っていた。だが、私は知ったのだ。この命が尽きる最期の瞬間まで私は何かを探すべきではない。
妻と、娘を、愛するべきなのだ」
リーズの紅い瞳はロゼリッタの青い瞳と交わり、ロザリアの紫へと変化する。
「……愛している、ロゼリッタ。今まで口にしたことがなかったのは言葉にすれば陳腐なものになってしまうと思っていた故だが……意外と良い響きを持っているものだな」
ロゼリッタがゆったりと微苦笑した。蜂蜜の髪はすっかり白くなり、リーズのプラチナブロンドとあまり変わらなくなった。体は人間の速さで老いていき、動作も緩慢になった。見た目の変わらないリーズと確実に老いていくロゼリッタは、それでも二人の纏う空気は変わらなかった。ロゼリッタは歳を重ねることを毎年喜び、いつも笑顔だった。
「あまり口にしないから特別に聞こえるのよ。リーズが何回も言うと意味がないかもしれないわね。だってそうじゃなければ、こんなに嬉しいはずがないもの。
……私も愛してるわ、リーズ。ロザリアも大好きよ」
ロゼリッタはそう言うとゆっくりと目を閉じた。青空の、昼の時間を失った空には夕焼けと宵闇しかなく、魔族の時間へと変わる。
「私が其処へ行くのはまだまだ先の話になるだろうが……必ずロゼリッタの元へ行く。それまで眠っていれば良い。
……おやすみ、ロゼリッタ」
リーズが握ったロゼリッタの手から力が抜けていく。彼女は最期の最期に唇を笑ませ呟いた。
「……ありがとう……」
ロザリアがギュッとリーズの服を握る。リーズはそっとロゼリッタの手を戻し、ロザリアを見つめた。こちらを真っ直ぐに見つめる紫の視線は、ロゼリッタから受け継がれたものだろうか。リーズから受け継がれたプラチナブロンドは陽の光を受けて輝くが、月の光の元では不思議と蜂蜜色をして輝いていた。
リーズはロゼリッタに最後のキスをする。月の泉ではリーズはヴァンパイアではなかったし、ロゼリッタも恐らく人間ではなかった。これは最初で最後のヴァンパイアからのキスだ。
尖った牙がロゼリッタの唇を傷付け赤い血を流させる。だが動きを止めた体からは僅かな血が覗いただけだった。
「……おやすみ、ロゼリッタ」
再度呟きリーズは部屋を後にする。彼女の亡骸はどの魔族の手に渡ることなく黒薔薇が捧げられた墓に眠ることになるだろう。
「今夜は月が眩しい……薔薇園で黒薔薇を摘んで来よう、ロザリア」
リーズは黒いマントをひるがえし夜の外気から娘を守るよう包んだ。そして薔薇園の方向に消えて行く。
その姿を見掛けた者は誰ひとりとして居なかった。
柔らかい月の光は初めて二人の恋人を祝福した時のように。
その恋人が永い眠りにつく様を見届けていた。
艶めく漆黒の黒薔薇は。
唯一その恋人が持たなかった色を墓前に添える。
ヴァンパイアのキスは黒薔薇のように美しく──……。
End...




