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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
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 リーズは目を覚ました。矢張全て夢だったのかと思い、起き上がろうとしてリーズは息を呑む。右手が動いた気がしたのだ。


 恐る恐る自身の右手を見てリーズは目を見開いた。何と包帯もしていないではないか。更に驚くべきことに骨ではないのだ。負っていたはずの怪我が一切見当たらなかった。


 反射でリーズは頬に触れる。あの日、朝陽に焼かれた頬も骨ではなくなっていた。


「私はまだ夢を見ているのか……?」


 信じられないことだった。魔族は傷を癒す細胞を持たない。体が元通りになることなど有り得ないことだ。


「……あの泉か」


 リーズは身支度を整えると、陽がまだ残る外に飛び出した。急いで薔薇園に入り黒薔薇の園に足を向けるが其処に泉はない。リーズは呆然と立ち尽くした。


「私は……何を見ていたと言うのだ……」


「夢なんかじゃないわ、リーズ。私達は確かにあの泉を見たもの」


 リーズは包帯のない右腕に細い腕が滑り込むのを感じて振り向いた。ロゼリッタが、真っ直ぐに泉があった場所を見ている。


「私達は何処に行ってたのかしら。夢の中にいるような、あんな幸福に満ちた空間に居て、私はリーズの怪我が治るよう祈っていたわ」


「……私も右腕が動けば良いと願った」


 リーズの紅とロゼリッタの青が交錯する。お互いに戸惑ったような色を混ぜていた。


「不思議だったわ。心が安らいで何も要らないと思ったの。私が見ていたのは大きな世界のほんの一部でしかなくて……それを知った時、たまらなく安堵して、たまらなく淋しくなった」


 だからロゼリッタはリーズに抱きついて来たのかもしれない。また置いていかれると錯覚したのだろうか。


「私が居る世界はとても大きくて、でも私が見る世界はとても小さくて、この巨大な時の流れに一時だけ存在する私を見たような気がした」


 リーズはロゼリッタから泉があった場所へ視線を移す。確かに不思議な場所だったとリーズも思う。何処か夢見心地で、身を任せてしまっても良いと思える程に抗えない力があった。


「月が落ちて来たんだと思ったわ。泉自体が光っていたもの」


「……そうか。“月の泉”だったのだな」


 リーズはハリエルの言葉を思い出していた。集落にいるルーウィンの亡き母親が遺した言葉。種族などという小さなことも気にならない程の大きな世界を、恐らく彼女も知った。


「素敵ね。“月の泉”……幻想的でぴったりの名前よ」


「私達にはもう必要ない。あの泉は二度と姿を現さぬだろう」


 残念、とロゼリッタが哀しそうに言って笑う。二人は黒薔薇の園に背を向け、ノワール城に戻って行った。



***



 ノワールはしばらくお祭り騒ぎが続いた。リーズを診た魔法使い達は皆そろって首をひねって何度も診たが、何も分からなかった。侯爵に与えられたブルーからヴァーンとエリーゼが祝いに駆け付け、ノワールは客人をもてなす為に勢いにのって美酒の樽を空けた。その数週間後、ロゼリッタの懐胎がクロリアによって告げられた。


「リーズってば! どーして“月の泉”に行ったこと教えてくれなかったのよ!」


 ハリエルに散々くちばしで治った右頬をつつかれながらも、リーズはハリエルが喜んでいることを知っていた。ヴァーンに頭から酒をかけられヴァンパイア達は一ヶ月分の食事である血液を飲み干した。


「あのロゼリッタ嬢がなぁ……隅に置けない男だ」


 ノワール中に“月の泉”の話は知れ渡りリーズも情報を求めたが、誰もその泉を見たと言う者はいなかった。


 クロリアは普段あまり見せない笑顔を浮かべながら、千鳥足のニコラスとそのお守りに手を焼いているウッブズの目の前に立つ。ウッブズが困ったようにクロリアを見たが、クロリアは得意気な笑顔を浮かべてニコラスを見ていた。


「私が見た未来通りよ、ニコラス。ヴァーン侯爵もウッブズも貴方だって笑っている世界……ノワールは崩れるどころか安泰だわ」


 正確に言えばウッブズは笑みを浮かべていないが、酔ったニコラスには分かるわけもなく、顔を上気させて満足そうにクロリアにグラスを差し出した。中には並々と酒が入っている。


「ああ! 最高だ、クロリア! ほら、飲め! あんなめでてぇ表情をなさるリーズ公爵が見られる今日はすっげぇめでてぇ! ほら、さぁ、飲め!」


「貴方は飲み過ぎよ、ニコラス。お酒は飲んでも呑まれたら駄目……」


 ニコラスがクロリアに口移しで酒を飲ませたのをウッブズは見なかったことにした。


 ヴァンパイア公爵とイヴのこととあって宴は飽きるまで続けられ、約一年後に娘の誕生でまた繰り広げられることになる。二人の子はロザリアと名付けられ、皆が誕生を喜んだ。


 報せを受けてヴァーンがノワールに到着する前にルーウィンがロザリアと対面する。同じ境遇の妹同然のロザリアを見てルーウィンは紅い瞳を丸くし、それからくすぐったそうに笑んだ。


「恐らくロザリアの成長はルーウィンと同じ五十年毎。人間のままでは娘の成長は見られぬが……ロゼリッタ、どうする」


 ロザリアの寝顔を覗き込むルーウィンとハリエルを見ながら、リーズはロゼリッタに問うた。ロゼリッタは寝台に上体を起こし、リーズと同じものを眺め、リーズの冷たい手をそっと握る。


「私はヴァンパイアと人間の混血として産まれて来たあの子の母親。リーズとロゼリッタの娘として産まれて来たロザリアの母親。五十年、歳を重ねないあの子を見ているのは時々苦しいと思うことかもしれないわね。

 でもね、リーズ。成長しない子どもは居ないわ。見た目だけが成長じゃない。それに、私は人間として娘と接していきたいの」


 ロゼリッタの体は温かい。同様にルーウィンとロザリアもだ。人間としての記憶があまりないヴァンパイアにとって人間の血を宿すことは幸か不幸か。


 それを見定めるのはあの二人だけだ。


「血を捧げたりしないって、私リーズに言わなかったかしら」


 娘から母親になってもロゼリッタの誇り高い精神は変わらない。彼女は本当に最もヴァンパイアに近く最も遠い存在なのだ。


「……聞き覚えがあるな。良かろう。神にも悪魔にも愛されず、どちらにも嫌われた私に愛されて満たされるが良い」


 ロゼリッタは一瞬キョトンとし、それから笑んだ。


「もうそのつもり」


 その後二人は肩を寄せ合おうとしたが、ハリエルの咳払いとヴァーンの乱入で中断された。ロザリアをヴァーンとエリーゼにそれぞれ抱かせ、ハリエルから尖ったキスをもらって泣き出したロザリアを再び眠らせるのに苦労した。


 責任を感じたハリエルは飛び去り、ルーウィンがその後を追いかける。紅い瞳持つ見知らぬ子どもと遭遇したヴァーンとエリーゼに話さない訳にもいかず、ルーウィンが伯爵候補であることをリーズが告げると、二人は顔を輝かせてルーウィンの後を追った。男爵の選出もそろそろ着手する必要があるが、ヴァーンと相談するのはもう少し後になるだろうとリーズは苦笑する。


 ロザリアを寝かしつけ静かになった部屋で、リーズとロゼリッタは愛娘の安堵したような表情を見て頬を緩めた。


「リーズに似たら冷たい話し方しか出来なくなるわね」


「ロゼリッタに似たらヴァーンにじゃじゃ馬娘と呼ばれてしまうな」


 二人は顔を見合わせ何かを言おうとしたが、ロゼリッタの腕の中で身じろぎしたリーズの人差し指を握りしめたままのロザリアへ視線を戻す。


「どっちに似ても」


 ロゼリッタが母親の表情でロザリアを見つめて言った。


「淋しがり屋だわ」


 リーズはロザリアのポワポワとした雛鳥のような髪を人差し指を握られていない方の手で直し同意した。ロザリアの髪はリーズとロゼリッタのどちらの色にも似ていた。光の加減でどちらにも見える。もう少し髪が伸びないと分からないだろう。


「……そうかもしれぬ」


 その時のリーズは、誰も見たことのない父親の表情を浮かべていた。



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