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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
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2


 ヴァンパイア、狼男、魔女といった種族はローズと呼ばれる世界で人間と共存していた。彼らは“魔族”と呼ばれ、人間より力を持つが数は人間より少ない。人間に危害を加えないことを条件に、共存ができていた。逆に人間は収穫祭という魔族達の祭に、魔族の頂点に立つヴァンパイア五爵へ人間の若い娘を捧げることを約束していた。それによってローズの均衡は保たれ、その間は誓いが破られることはなかった。


 収穫祭に捧げられる娘達は無理矢理選ばれることはなく、志願している。ヴァンパイアの一部となることを望み、最期まで笑みをたたえていると人間の間では専らの噂だった。


 ローズで唯ひとり、人間ではなく魔族ヴァンパイアであるリーズが治める国がこのノワールだ。リーズは誇り高きヴァンパイアの王にして鑑。人間ですらリーズに心奪われた。現時点でリーズ=バラモンの右に出る者は居ない。ましてや収穫祭で自らを捧げることを拒む者などひとりも居なかった。それが。


「……貴様が今年の“乙女”か」


 そう言ってから真面に相手を見たリーズは滅多にしないような表情を浮かべた。公爵の地位を継いで六百年経つが、リーズが目を見開いた回数は片手で数えるのに不足はなかったはずだった。


 リーズと同じように白い肌は人間の持つ瑞々しさで弾力があり、細いうなじは噛みつけばさぞ甘美な生き血を提供してくれるだろうと思わせる。中に通うものがどれくらい清いかを表すかのような薔薇の唇に、その顔を包むように広がる蜂蜜の髪。同じ色で縁取られた大きな両の瞼からこちらを射抜くように見つめる瞳は鮮やかな青で、真っ直ぐにこちらを見ていた。


 ヴァンパイアになって六百年。その長い時間の中で色々な者を見てきたが、こんなにも美しい人間は初めて見たとリーズは内心呟く。狼男のウッブズはそんなリーズにおずおずと娘の名を伝えた。


「ロゼリッタ=アルフォスというダニエル=アルフォスのひとり娘です」


「……そうか。下がれ、ウッブズ」


 リーズに短く命ぜられウッブズは応接室から出て行く。最初に此処で待つよう言った時と同じ彼女の視線が今自分の主人に向けられているのかと思うと、ウッブズの背に悪寒が走った。


 リーズはあまり見る機会のない青に目を奪われたまま、ウッブズの足音が扉の向こうに消えるのを聞いていた。


 客を迎える応接室はこちらの余裕を見せつける為か無駄に広く設計してあり、たった二人ではあまりに広すぎる。呼吸さえためらうような空気が二人の間に漂い、ロゼリッタにいたっては視線を外そうとする素振りさえ見えない。瞬きさえ惜しんでいるようだ。


「私はリーズ=バラモン。知っての通りこの地を治める者だ」


 リーズが先に口を開くが、ロゼリッタは反応を返さない。そんなこと知ってるわとでも言いたげにリーズを見つめるだけだ。


「……貴様は収穫祭での大切な贄を断ると言ったそうだな」


「ええ、言ったわ」


 初めて聞いたロゼリッタの声は今まで聞いてきたどの女達よりも透き通っており、誇り高く凛としていた。予期していなかったこととはいえ、こうも真っ直ぐに見られるとどうして良いのかリーズには分からない。いつもはリーズがロゼリッタの立場に居るからだ。


 他にどうしようもなく、リーズは今までと同じようにロゼリッタを見つめ返す。ただその視線にロゼリッタのような感情はひとつも込められていなかった。


 互いに何も喋らず夜闇だけが深まっていく。キャンドルの溶けた量が時間の経過を示し、見張り達はもうそろそろで音をあげようとしていた。二人は見つめ合ったまま、指一本動かそうとはしなかった。だが。


「……どうしてよ……」


 ロゼリッタが突然呟いた。睨み合うことに疲れたか、とリーズは思う。とすれば人間とヴァンパイアの力の差は歴然だ。


「どうして貴方に皆、皆……捧げてしまうのよ……」


 神経も参っていたのかロゼリッタはペタンと両膝をつく。だが声は絶望していても目はリーズを見据えていた。近寄るなと言う目に射抜かれ、リーズはただロゼリッタを見下ろしているのみ。


「……貴方なんかに私の血を捧げたりしない。私は今までの“乙女”達とは違うの。絶対に貴方に屈服しないわ」


 何も言わずリーズはロゼリッタを冷たい瞳で見下ろしていた。彼女もヴァンパイアのように誇り高いのだろう。しかし今此処で仮にリーズが彼女を仲間にしたとしても彼女の魂までは魔族に成り得ないに違いない。


 ヴァンパイアに最も近く、そして永遠の時をかけてもヴァンパイアにはならない魂なのだ。


「……良かろう。此処に居れば気も変わる。魔族の土地に足を踏み入れた人間は、王であろうが行き倒れであろうが二度と人間の地に戻れぬことは承知のはず。収穫祭には貴様の元へ訪れよう。

 ……ウッブズ」


 リーズはロゼリッタから目を離さぬまま扉の向こうで待機しているウッブズを呼んだ。血も凍るような低い響きに体を震わせウッブズは扉を開く。


「此処に、リーズ公爵」


「ダニエル=アルフォスのひとり娘を“乙女”の部屋へ連れて行け。収穫祭までの一ヶ月、世話はウッブズに任せる」


 頭を下げるウッブズに、ロゼリッタが冗談じゃないわと喰ってかかった。


「私は乙女にはならないの! そんな部屋に行くものですか!」


「ならば」


 リーズの低い声が周囲の空気を震わせた。その空気で感染するのは恐怖。ロゼリッタもウッブズも息を呑んだ。


「収穫祭まで時を待たずに私の部下が居る部屋に放り込まれ血を一滴残らず飲み干されたいか?」


 長時間燃え続けたキャンドルの火が徐々に消えていく。その度に増す闇の中でリーズの赤い瞳が光った。


「リ、リーズ公爵! 乙女の部屋の鍵を持ってダニエル=アルフォスのひとり娘を連れて行きます!」


「そーしたまえ、ウッブズ君。そのじゃじゃ馬娘の部屋なら鍵は五個程用意しておくべきだろう。私はリーズと話がある。それにじゃじゃ馬娘とはいえレディを待たせておくのには感心しないな」


 ウッブズが死を覚悟で発した言葉に便乗し、ヴァーンが現れた。ウッブズは首の皮がつながったと一瞬目を輝かせ、リーズとヴァーンに頭を下げると憤慨しそうな表情のロゼリッタを連れ、足早に去って行く。ロゼリッタはリーズに恐怖を覚えながらも睨みつけたままウッブズに続き、自らをじゃじゃ馬娘と愚弄したヴァーンにツンとそっぽを向いて歩き去った。


「……何故此処に居る、ヴァーン」


 ヴァーンを見ずにリーズは問いかけた。呆れたように肩をすくめ、ヴァーンは右足に重心をかけて腕を組んだ。


「いや、リーズに歯向かう娘を見たかったのさ。声をかけたのは、リーズが怒ってたからかな」


 苦笑するヴァーンにリーズは目を閉じ、余計なことをと呻くように呟いた。あはははと陽気に笑う親友は、悪い悪いと形だけ謝罪する。


「中々美人な娘じゃないか。毎年収穫祭の日の乙女に志願する娘は相当自信があるようだな」


「……彼女はそうではない」


 嘲るヴァーンの言葉を否定するリーズに、ヴァーンは片方の眉を上げて、へぇ? と続きを促した。


「私には決して屈服しないと、言い切ったのだ。あの青い瞳で私を真っ直ぐに見て。青など久しく見ていなかった」


 おやおやとヴァーンは口元を緩める。今年の収穫祭は思いがけないものを寄越したらしい。


「収穫祭が楽しみじゃないか」


 ヴァーンはおかしそうに喉で笑う。応接室のキャンドルは燃えつき、闇が降りた。




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