13
ローズでは何処の国にも種族ごとに罪人を繋ぐ牢がある。ただし、ヴァンパイアはノワールへ送られ裁かれることになっていた。他国で罪を犯したヴァンパイアは公爵が罪の有無を決めるのだ。
ノワール城にはヴァンパイア用の独房がある。ステファンは贖罪の塔と呼ばれるノワールで最も太陽に近い独房に入れられた。
反対に、ノワール城の地下深くにリーズの寝室は位置している。石造りだが崩れないよう重厚で、廊下には等間隔に松明が揺らめいていた。
リーズの寝室には右半身が骨になった重体のリーズと、窓を覆い首に軽い火傷を負ったヴァーン、ノワール中から召集された癒療魔法が使える魔法使い達がいる。
ウッブズと他の見知らぬ魔族に護られているロゼリッタは、寝室へ通じる扉を見ながら書斎で息を殺すように時間が流れていくのを感じていた。三人の魔族も落ち着かないのかそわそわとしている。
収穫祭パーティーの後片付けをしているであろう会場では、ヴァーンの妻であるエリーゼに全てが任されていた。
ロゼリッタは固く両手を握りしめてリーズが助かることを祈っていることしか出来なかった。心臓はドキドキと早鐘のように打ち落ち着こうにも落ち着けない。
「……大丈夫よね、死んだりしないわよね」
自分自身に言い聞かせるようにロゼリッタは呟く。
「ヴァンパイア公爵は死なない。ヴァンパイア公爵を殺せるのは“イヴ”の器を持つ者だけだ」
そのロゼリッタにわざわざ答えたのは紅い翼の堕天使だった。ソファにロゼリッタを挟むように座る魔族のひとりで、右側に座っている。染料を使って短髪を青くしている彼は、紅い羽根と相対して派手だ。
「“イヴ”……?」
ロゼリッタのオウム返しに、彼はうなだれるように顔を両手に埋めて答えた。
「魔族の頂点に立つヴァンパイア公爵と対等の位置に存在する人間のことだ。どちらかを殺せるのはどちらかの者だけだと魔族の間では伝えられている。人間は寿命が短いからとっくの昔に忘れ去られただろう。人間の頂点に立つのは王じゃない、“イヴ”だ」
ロゼリッタの左側に座る魔女が続けた。
「ローズではまだ“イヴ”の器を持つ者は現れていないわ。私達魔族は“イヴ”が現れるのを望みながら恐れているの。
私達の王とも神とも呼べる方を殺せる存在なのだから恐れるのは当然だけれど、そんな凄い方と正面から向き合えるのが“イヴ”しかいないのなら、それで公爵が満たされるならと私達は“イヴ”が現れるのを望んでいるの」
魔女は膝に黒猫を抱き、その美しい毛波をなでながら言う。堕天使が噛みつくように魔女に反論した。
「今回リーズ公爵をあんなにしたのは太陽とステファンだ。“イヴ”じゃない。必ず生きていて下さるさ。
……そうじゃなきゃノワールは支えられない。侯爵と子爵だけではローズの魔族が混乱しちまう。今だって充分混乱してんのに……」
「クロリア、ニコラス、心配すんな。ヴァーン侯爵が此処に来る時に大丈夫って言って下さったんだ。あの方が大丈夫と言って大丈夫じゃなかったことはねぇよ」
動揺する堕天使にそう言ったウッブズ自身、そう思いたいと言うように組んだ腕を強くつかんでいた。実際ヴァーンが大丈夫だと言うのは本当に大丈夫な時だった。だが今回のことはヴァーンも予想がつかない事態だったのだろう、蒼白な表情をしていたのを誰もが認めている。ただ口にしないだけだ。
「クロリア、あんたの魔法で何か見えねぇか?」
不安なのかウッブズは魔女へ顔を向けた。彼女は黒猫を見つめ、薄い唇を開く。
「さっき見えたのは皆が笑ってる顔。それがリーズ公爵の復活なのか新公爵の誕生かは分からない。
どちらにしてもノワールは崩れないわ」
「クロリア! それがステファンみたいな不穏側の顔だとは考えないのか!? もしも全く逆のことだったらノワール、いや、ローズは……」
堕天使が勢い込んでソファから立ち上がった。紅い翼が不機嫌にバサリと音を立てて、先程まで座っていた黒いソファに紅の羽根を何枚か落とす。しかし魔女──クロリア──は冷静に否定した。
「有り得ないわ、ニコラス。その笑顔の中にヴァーン侯爵もウッブズも居らしたのよ。二人が笑顔でノワールが崩れることはないと思うわ」
「私も同感だ。ええとニコラス君……だったかな……は少々物事を大きく考えるようだね」
ロゼリッタ、ウッブズ、クロリア、ニコラスの四人は寝室に顔を向けた。其処には長い黒髪を下ろし苦笑を浮かべたヴァーンが居た。魔族の三人が慌てて姿勢を正し、クロリアはソファから立ち上がった拍子に黒猫を落とした。ロゼリッタはその場から動けず息を呑む。
「君達の声が大きくてね。随分と心配してるみたいだから先に言っておこう。大丈夫だ。
リーズは死なない」
安堵の息が四つの口からもれた。
「いずれ公務も出来るようになるだろう。見た目は半分だけ包帯男に──たまに骸骨に──なるがそのうち見慣れるさ。リーズも利き腕をやられているから今までのようなスピードはなくなるかもしれんが、その辺はウッブズ君も居るから心配しないでおこう」
ヴァーンがこちらへとやって来る。ロゼリッタはヴァーンの黒い瞳を見てようやくソファから立ち上がった。
「怪我はないかい? 君に傷があると大変だ、私がリーズに殺されてしまうよ。今日は怖い思いばかりさせてしまったかな」
「いえ……あの、助けて下さってありがとうございました」
そう言って頭を下げるロゼリッタを目を丸くして見つめ、ヴァーンはクックッと喉で笑った。
「一ヶ月前のじゃじゃ馬娘とは大違いだ。訂正しよう、立派なレディだ。私は謝らなければ」
ロゼリッタに微笑みかけヴァーンは大仰に頭を下げてみせる。何処か芝居がかった動作にロゼリッタはどうして良いか分からずヴァーンを見ていた。
「私は君を助けてなどいないよ。私はリーズを守るので精一杯で君の手をつかみ損ねた。君を助けたのは君自身と、リーズだ」
あの場に居たヴァーンには想像もつかなかった。あの時リーズはロゼリッタが例え全く動けなくともロゼリッタを傷つけるようなことはしなかっただろう。ステファンとロゼリッタには元々身長差がある。それを上手く使えば首を取れたはずで、リーズもそうするつもりだったはずだ。少なくとも剣の軌道はそう読めた。
それをまさかロゼリッタが引っ掻き回すとは。ステファンの正面を空けるとは誰も思っていなかったのだ。だから誰もが瞠目した。
「リーズはね、君の声に気付いて真っ先に飛び出して行ったんだ。エリーゼから先程聞いたが、ごくごくわずかな声だったらしい。聴覚鋭いヴァンパイアといえども聞き逃してしまいそうな程のね」
実際私には分からなかったとヴァーンは息をもらす。地下のパーティー会場で、遠い尖塔から聞こえる物音など針を落としたようなものだろう。それを捕えることが出来るリーズは。
「余程、大切にしているようだ」
あのリーズが、とヴァーンはひとりで笑う。四人は困惑したように顔を見合わせた。それに気付いてヴァーンが済まない、と笑いを表情に留めながら言う。
「私は軽い火傷だからと出されたが、リーズはそんなものじゃない。今日中に会うことさえ難しいだろう。ウッブズ君は仕事に戻ると良い。ロゼリッタ嬢の護衛は私がしよう。
妻のエリーゼとお茶でもどうだい? ヴァンパイアといってもお茶くらい飲めるが?」
後半は自身に問われているのだと気付き、ロゼリッタは少し思案するような表情を浮かべる。チラと寝室の扉を見るが、青い瞳はヴァーンに戻った。
「構いません」




