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Vampire kiss  作者: 江藤樹里
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 収穫祭のパーティーも終わりに近づいた頃、ようやくロゼリッタが扉の向こうで寝息を立て始めたのを聞いて、リーズは乙女の部屋から会場へ戻ろうと足を前に出した。


 先程までロゼリッタは眠そうな声でリーズと会話していた。夜明けまでリーズだけが扉の前で起きているのが嫌だったらしい。


 二人は様々なことを話した。ロゼリッタの友人だった五人の乙女の話、リーズとヴァーンの六百年間の友情の話、二人が望む理想の未来。リーズもロゼリッタも自然に言葉が口を突いて出ていた。リーズにとってこんなに沢山語り明かしたのは初めてだった。


「……それにしても」


 パーティーに集まった魔族や機転をきかせてくれた親友に挨拶をする為に会場へ向かいながらリーズは呟く。月は未だ空にあるが、輝きは少し控えめになっていた。何とか収穫祭を終えられそうだとリーズは息をついた。


「今夜は疲れた」


 一時の感情に任せて自ら命を危険にさらしたロゼリッタに呆れて物も言えないリーズではあったが、不思議と怒りは湧かなかった。それが自分のことのようにあそこまで言い張ってくれたことが嬉しかったからだということに、リーズはまだ気付いていない。


 会場にリーズが入ると、丁度リーズを呼びに行こうとしていた様子のヴァーンと顔を会わせた。ヴァーンはリーズを見て顔を輝かせる。


「リーズを呼びに行こうとしてたんだ。余興に疲れたと思うから遠慮してたんだが、矢張パーティーを締めるのはリーズだと思ってな」


 リーズはただ頷いた。そしてパーティーの終了を告げると魔族達を帰す。ヴァンパイアのようにいつもは夜中に活動しない魔族達が、フラフラとおぼつかない足取りで帰って行った。


「……先刻はヴァーンとエリーゼのおかげで助かった。礼を言う」


 帰って行く魔族を上段で眺めながらリーズは呟くように言った。ヴァーンもエリーゼもやんわりと笑むと顔を見合わせ、リーズを見つめる。


「いーのいーの。困った時はお互い様だろう?」


「私、リーズ様のお役に立てただけで嬉しいです」


 リーズも二人を見つめ、そっと目を伏せた。その唇がわずかに弧を描いているのを見て二人は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに笑う。その目に溢れる優しさは、まだ何処か人間を思わせた。


「……感謝、している」


「……ああ、分かったよ」


 滅多に他人に頼らないリーズが礼を言うことは少ない。それを理解してヴァーンは頷いた。


「……っ!?」


 突然リーズはその紅い瞳を見開いた。ヴァーンもエリーゼも驚いてリーズを見つめるが、リーズは何も言わずに駆け会場を飛び出す。


「リーズ!?」


「リーズ様!?」


 二人の声に魔族達も何事かと足を止めた。その間を黒い物が通り過ぎるが魔族の誰もぼんやりとでさえ、その姿を見ることは出来なかった。ヴァーンでさえ鮮明には見えなかった程だ。


「どーしたってんだ、ったく」


 訳が分からず舌打ちし、ヴァーンはリーズを追い駆ける。エリーゼはその場に留まり、呆気に取られる魔族達を極上の笑顔で誤魔化した。エリーゼには分かっていたのかもしれない。自分が行っても足手まといにしかならない事が起こっているのだと。


 わずかに短い悲鳴がエリーゼの耳にも届いていたから。



***



 リーズは番兵の時に用意していた剣を手に取って螺旋階段を上がっていた。先程リーズの耳に聞こえたのは、何かを拒むようなロゼリッタの声だった。恐らく前日に危惧していたことが、リーズが離れたせいで起こったのだろう。


「……迂濶だった……」


 どうせなら呼びに来られるまで居れば良かったのだとリーズは後悔する。ヴァーンにならあの扉を任せられたのだから。


「リーズ!」


「……ヴァーン」


 リーズを追い駆けて来たヴァーンは、狭い螺旋階段をリーズよりもわずかに後ろをついてやってくる。しかしリーズはヴァーンと会話をする為にスピードを緩めるつもりはない。余裕のない目でヴァーンをチラと見ると、また視線を前に戻した。


「……しまった! リーズ公爵だ!」


 上階から聞こえたその声にリーズは剣を鞘から抜く。ヴァーンも眉根を寄せて襲撃を察した。


「どうなさいますか!?」


 切羽詰まった部下の声が乙女の部屋に投げ掛けられると同時に、リーズとヴァーンが階段を上がりきる。見慣れないヴァンパイアの顔ぶれにこの者達がノワールの魔族ではないことを悟り、リーズはすらりと長い細身の剣を構えた。


 リーズは無言だが紅い瞳は口よりも物を言っている。その紅い瞳に映るものを見てヴァンパイア達は息を呑んだ。


「……退け」


 短く命ずるリーズはヴァンパイア、魔族の頂点に君臨する選ばれた者だ。その証である紅い瞳に射抜かれた余所のヴァンパイア達は、ガクンと音を立てて両膝を着く。


「も、うし……訳ありま、せ、ん……」


 どちらに謝ったかヴァンパイア達はのしかかる重圧に耐えられずに意識を手放した。リーズはそれには構わずに、破壊されこじ開けられた扉を大股でくぐり、足を止める。


「貴様……ステファン、何の真似だ」


 乙女の部屋にはステファンがロゼリッタを抱き寄せて立っていた。今にもヴァンパイアの鋭い牙を突き立て噛みつきそうだ。


 ロゼリッタは嫌がって抵抗しているが、ヴァンパイアと人間の力の差など歴然だ。ステファンは抵抗だとすら思っていないだろう。ロゼリッタの腕をねじり上げてしまえばロゼリッタの動きを封じることは容易い。


「何の真似、と仰いますがリーズ公爵、貴方が彼女を乙女にしないのなら私が今年二人目の乙女を頂こうと思ったのですが」


 ステファンは何処か据わった目でリーズにそう言った。いつものステファンならばこんな行動は例え美酒に酔っても起こさない。リーズは何かあると見て何も言わずに居た。下手に刺激しても困る。


「それにこの牙や剣を使えと諭したのはヴァーン侯爵だ。私の腕前がどれ程なのか見せて差し上げますよ」


 リーズが思わず制止したのを見て、ステファンはわざとらしく思い出したように言った。


「まさかヴァンパイア公爵ともあろうお方が、人間の娘に現を抜かしているわけではありませんよね? 食事だとおっしゃるなら彼女は乙女……しかし二人共否定なさった……。ではこの娘は何なのです?

 我々へのプレゼントと受け取って良いのですよね」


 普段ならば誰もリーズにこんな物言いはしない。無礼にも程がある。

 しかしステファンはいつもと様子が違っていた。その為リーズもヴァーンも何も出来ずにその場に立ち尽くしているしかない。


「……これは貴様ひとりで計画したことか? 誰かの差し金か?」


 ヴァーンの低くうなるような問いかけにステファンは小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「答える必要はありません」


 リーズはロゼリッタとステファンを同時に視界へ収めながら口を開く。


「……彼女を離せばステファン、貴様の爵位を剥奪するだけで罪を問うことはせぬ。だが彼女を離さぬのなら、貴様は誇りと共に命をも失うことになろう。どちらか選択しろ」


 一瞬の沈黙の後、ステファンは狂ったように笑い声をあげた。アヒャヒャヒャヒャと不快感を与えるステファンの声と表情は、思わず眉をひそめる程に異形のものだった。


「ああ……これは失礼……では私は三番目を選ぶことにしましょう」


 ステファンの意味深な言葉にリーズもヴァーンも眉根を寄せ表情を険しくする。何、と問うヴァーンにステファンは唇に弧を描きロゼリッタの首筋に牙を近付けた。ひやり、とリーズの背筋に寒気が走り、思わず短い音を立てて息を呑む。


「彼女の血を飲み干し、貴方を亡き者とする……邪魔をなさるならヴァーン侯爵も。

 これが私の選択です」


 言い終わると同時にステファンとリーズが動いた。ロゼリッタはどちらかの手で突き飛ばされベッドに体を沈める。リーズもステファンも互いに牙をむき、完全にヴァンパイアとしての本能で睨み合っていた。


 しかし収穫祭を終えたばかりでもリーズは小羊の血だけしか飲んでいない。対して二日前とは言えステファンは人間の乙女となった娘の血を飲み干している。元々の力の差はあるがリーズが不利だ。


 そして天候までリーズを窮地に立たせた。


「……ぐ……っ」


 リーズはふらつく体を倒すまいと、剣を乙女の部屋の石造りの床に突き立て支える。自らが六百年前に付けさせた窓から朝日が入り込んで来たのだ。


「おやおや、夜が明けてしまいましたねぇ? 私は貴方よりずっと昔にヴァンパイアとなり貴方より長く男爵として生きてきた。私は貴方よりずっと年上なんですよ。

 そんな貴方が、幾ら力あれど、私に勝てることなどありません」


 そう言った時のステファンの表情は憎さを露わにしていた。だが目は先程よりも虚ろだ。何処を見ているのかと疑う程の。


「……もう一度問う。言葉を選び答えろ。

 今回のことは、全て貴様の独断か否かを」


 衣服で覆われていないリーズの肌が太陽の熱に耐えきれず白く悲鳴をあげ始めた。気丈なロゼリッタも息を呑み、ヴァーンは少しでも光が差し込まないよう窓の前に立つ。しかしリーズの肌は焦げて赤黒く変色していった。


 リーズの紅い瞳は激痛に耐えながらも、ステファンの視線の定まらない両眼を見つめている。ステファンの目には微塵の恐怖も後悔も浮かびはせず、表情は変わらなかった。傀儡糸に絡められた意志なき人形と同じ。


 リーズは何かしらの反応を待つが、ステファンから返って来た言葉は先程と同一だった。


「答える必要はありません」


 しゅーしゅーと肌から音を立てるリーズにステファンは予め記録されたかのような言葉を返し、ならばとリーズは唇をほとんど動かさずに結論付けた。


「……魔族になっても尚見ることのなかった闇を覗き込むが良い」


 リーズが返すと、ステファンの目に微かに意志が戻った。静かな怒りを燃やしているようにリーズには見えた。


「出来るのか、その体で。ヴァンパイア公爵が人間の娘ごときの為に剣を抜き、朝日に耐えると。嘆かわしい……ノワール、ローズ始まって以来の失態だ」


 古きヴァンパイアとしての誇りを持つ者らしい矜持だった。だがリーズもそれに屈しはしない。


「みすみす殺らせはせぬ……今の私でも貴様に遅れは取れぬぞ」


「……若僧が、小賢しい口を利く」


 リーズの右頬は段々と昇る太陽の光に焼かれ、爛れ始めている。ヴァーンは窓を覆うように体を動かしながらそれを見て、半分骸骨になる気かと舌打ちした。


「私を殺せると思うのかね、恐れる物などないこの私を」


「……私も今、恐れるべき要素は無い」


 リーズの答えを聞いて表情を変えたステファンは、本当に? と念を押すと同時にロゼリッタの腕を取った。一番近くにいたヴァーンの指先が虚しくロゼリッタのドレスに触れる。


 ロゼリッタの青い瞳に陽光とヴァーン、そしてリーズが順に映った。


「……」


 リーズはロゼリッタと目を合わせたまま黙っている。それを臆し怯んだのだとステファンは嘲笑った。


「これでも恐れることはないと言えるか? 彼女はたかが人間の娘。力持たぬ見放された種族であり我々の糧となる為だけの存在だ。

 ヴァーン侯爵と違って無力な上に脆い。守ってもらうことしか出来ないのだ」


 つかんだ彼女の右手を高く上げ、その細い腰を抱き寄せ密着させる。背中は石壁に守られ、ステファンは何処から剣の切っ先が来ても対処出来るようにしていた。


「貴方はそれが良くて乙女にしなかったのかもしれない……墓欠を掘っているとも知らずに」


 ロゼリッタは騒がずリーズと目を合わせたままだ。最早抵抗する気も失せたのか、掲げられた右手の五指は力なく下を向いている。


「それでも貴方は私を殺せると虚勢を張るのかね?」


 リーズはほとんど骨だけになった右手で剣の柄を握る。


「……恐れることなど有らぬ。私はこのまま貴様を殺す」


 細いリーズの骨と化した指がパキパキと音を立てて曲がり、剣の柄を強く握り直した。はったりを、とロゼリッタの手をつかんだままステファンは気にも留めない。


「私は彼女を貴様と共にこの剣で刺せる。死ねば彼女のその血を吸い尽し、死なねば貴様が処されるのみ。

 ……嘘と思うならば試してみるか? 失念して居るようだから思い出させてやるが私に全てを指導したのは彼のアルス=ホルゾン。よもやあの男が私を適当に教育したとは思うまい……?」


 ステファンは全く顔色を変えずにリーズを見る。親友のヴァーンですら体を震わせる今のリーズに、ステファンは先程から感情の反応を見せない。矢張とリーズは目を細める。


「……行くぞ」


 リーズは床を蹴った。



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