第八幕 明星
どもです。決戦前のお話です。宜しくお願いしますm(._.)m
《神州豊葦原中国》《五行万象術》《季華十二鬼将》《千刃暁學園》《穢土》
どんよりとした曇天の下、覇切は千刃暁學園の屋上から遥か遠くを眺めていた。視線の先には浄土と穢土の間に広がる内海があったが、その色は澄んだ青色ではなく、不快感を煽るようなどす黒い色に染まっている。
「——ここにいたのか」
不意に背中にかけられた声に振り返ってみれば、そこには常からの厳格な視線にどこか疲れを滲ませた涅々の姿があった。
「何か面白いものでも見えるのか?」
「いや、面白いっていうか……実感湧かなくて。あれが全部鬼だなんて、とてもじゃないけど信じられない」
そう言う覇切の横に涅々もまた並び立ち、二人無言で穢土の方角に広がる黒い大海——夥しい数の鬼の群れを眺める。
覇切たちが浄土に帰還してから七日が経過した。
全員がいずれも程度の違いはあれど大きな負傷を負っていたので、帰還してすぐに医務室よりも大きな施療棟に放り込まれたのだが、その間に涅々を始めとする教官たちから東征の間に起きた神州の異変について説明された。
覇切たちが穢土入りしたその翌日、ちょうど彼らがバラバラになり廃墟群を彷徨っていた頃だろうか、浄土の各所にて鬼裡依教信者たちの鬼化が多発していたらしい。そのため浄土にいる鬼剋士たちはその対処に追われ、現在もまだ収束の目途が立っていない。
加えて、真に差し迫るべき事態が他にあった。それが視線の先にある鬼の軍勢だ。
「あれだけの数の鬼が一斉に、しかも浄土に向かって侵攻してくるなど前代未聞だ……このまま奴らが浄土に辿り着いてしまうようなら、六年前を遥かに上回る被害が起きる可能性も大いにある」
歯噛みする涅々の言葉に、覇切もまた拳をぐっと握り込む。
今回の事態は偶然にしては出来過ぎなくらい、様々な歯車が噛み合ったことで起きている。ことの中心にいるのはまず間違いなくあの頭巾だろう。神州の総ての人間を鬼とすることで平和を築こうとするその歪んだ思想。それが今この時になって大々的に行動に移されたということだ。
理想に比べて少々力技が過ぎているように見えるのは、あちら側もそれだけ焦っているということなのだろうか。
「お前たちの言っていた頭巾とやらが一体どうやってあれだけの鬼を操っているのかは不明だが……報告を聞く限りでは、天ノ御柱に安置されていた鬼を産み落とす木乃伊が何か関係しているのは間違いないだろう。すぐにでも調査に向かいたいところではあるが……」
「浄土のことも疎かにはできないからな。それに下手に天門を開くわけにもいかないし」
涅々や季華十二鬼将を始めとする熟練の鬼剋士たちは七日前から休まず穢土の各地での鬼討伐に追われている。今も僅かな休憩時間にわざわざ様子を見に来てくれたのだろう。とてもじゃないが、穢土に調査に行っている余裕はない。
さらに言えば現在天門は陰陽寮によって意図的にその機能を停止させられている。あれだけの鬼が発生しているのだ。それも当然の措置と言えるが、恐らく涅々はもっと個人的な理由で穢土に行きたいのではないかと覇切は睨んでいた。
「桜月桜華……義姉さんの友人、だったんだろ? こんなことになって……」
「……そうだな」
涅々と桜華は第二次大東征の際に並べ立てられるほどの英雄だった。後から聞いた話だが、百夜を含めその三人は旧知の友人だったらしい。共に神州の希望の光となった友人の一人が、今逆に神州を地獄に叩き落とす片棒を担いでいるというのだから、涅々の胸中は計り知れないものがあるはずだ。
「まったく、三年も行方知れずになっていたかと思えば……あいつには説教してやらなくてはならんな」
いつでも気丈な態度を崩さない義姉にしては珍しく、力ない笑みを見せている。
その表情を見て、覇切は何とも言えない気持ちになっていた。自分たちにとって桜華は忘れられない脅威として身体の芯にその存在を刻まれているが、一方で彼女は涅々や百夜の友人、そして何より桜摩の実姉なのだ。
決して許しがたい相手ではあるが彼らのことを思えば、少しだけ複雑な気分になるのも確かなことだった。
「まぁ、私のことはいいさ。それはそうと覇切、身体の調子はもういいのか? お前と神来月が一番酷い怪我だったからな……少し気になって見に来たんだが」
「ああ、それなら俺の方はもう大丈夫だ。万象術も問題なく扱える」
露骨に話題を逸らされてしまったが、涅々としては義姉としての面子もあるのだろう。これ以上義弟に弱いところも見せられない彼女の気持ちを汲んで、話に乗らせてもらうことにする。
「酷い有様で帰ってきたお前を見た時は少しばかり冷や冷やしたものだが……治ってみれば心なしか面構えもよくなったようだな。初の東征で何か心境の変化でもあったか?」
涅々の言葉に実感が湧かず、思わず自分の顔に手をやってしまう。
「……まぁ、心境の変化っていうか……少し、気付かされたことがあって」
「ほぉ?」
今にして思えば中々に恥ずかしいことをしてしまったなと、天ノ御柱での百合とのやり取りを思い出して後悔する面も少なからずあったが、以前と比べて頭の中はすっきりしている。
「お前は生き急いでいるところがあったからな。経緯を考えればそれも仕方がないことなのかもしれないと、私も口出しできない部分があったのだが……それが少しでも薄らいだのは、いいことだと私は思っているぞ」
そう言って笑う涅々は、どこか安心した表情をしていた。
「ひょっとすると、学園長はこうなることを見越してお前を隊長に推薦したのかもな。近しい歳の友人がいなかったお前にはいい刺激になっただろう?」
「あの学園長なら考えそうなことだけど……確かにみんなには世話になりっぱなしだった」
実際隊長としては反省ばかりだったが、いざ一つ仕事を終えてみれば、任されて良かったと胸を張って言える。
「あ、覇切さん、こんなところに……って、もしかして取り込み中でしたか?」
と、そんな風に話していたら屋上の戸口に立った百合が遠慮がちにこちらを覗いていた。
「いや、大丈夫だ。何かあったのか?」
「はい。実は今後のことについて学園長から話があるそうでして……特科生六名は学長室に集まるようにと」
「……お前たちにも、最初の大仕事がやってきたのかもしれないな」
そう言って涅々は出口へと向かっていく。
「覇切、私はな……正直、鬼裡依教の考え方を否定しきれない部分があるんだ」
「義姉さん……?」
どこか寂しげに笑う涅々に覇切は怪訝な表情を浮かべる。
「こんな世の中だ。鬼の脅威に怯え、いつまで続くかもわからない戦いの日々に苦しむよりも、自らが鬼となってしまうことで何も考えずいい加減に楽になりたいと思う気持ちも……よくわかってしまうんだよ」
涅々は第二次大東征帰還後の浄土でそのように苦しむ人々をたくさん見てきた。だからこそ、鬼裡依教の信条にも多少の理解ができてしまう部分があるのだろう。だけど……。
「だけど、だからと言ってその考えを周囲に押し付けるような真似をするあいつらの企ては……俺は許せないと思うよ」
死にたいのなら死ねばいい。楽になりたいのならそうすればいいと思う。
だけど、それでも、こんな苦しみに満ちた世界でも生きたいと思う人々がいる。死にたいと思っている人間のことを、死んでほしくないと、そう思ってくれる人がいる。
「だから俺は戦うよ。これ以上奴らの好きにはさせられない」
「そうか……」
覇切の真っ直ぐとした視線を受け止めた涅々は一瞬眩しそうな顔をした後、微笑んだ。
「やはりお前は変わったよ。いい男の顔になった」
そう言い残して涅々は百合の横を通り過ぎる。
「黒条。あいつのことを頼んだぞ。もうそんな心配はいらんかもしれないが、すぐに無茶する奴だ。誰かが見てやらないとならんだろう」
「え……あ、はいっ」
百合の緊張気味の返事に苦笑し、涅々は今度こそその場を去って行った。
「何言われてたんだ?」
「い、いえ、別に……そんなことより早く行きましょう。たぶん私たちが一番最後ですよ」
百合の慌て具合が少し気になった覇切だったが、『大仕事』と言っていた涅々の言葉も気になる。
百合に頷き返して、覇切たちもまた屋上を後にした。
◇
そうして千刃暁學園の学長室には、いつかと同じように特科生六名が兎和子と向かい合う形で集まっていた。
「皆さん、突然のお呼び立て申し訳ございません。見たところ傷の方は皆癒えているようで、何よりです」
「御託はいいんだよ、学園長。俺たちを集めたってことは……仕事の話だろ?」
兎和子の前置きに桜摩が焦れたように言うと、彼女はいつもの鷹揚とした笑みを浮かべてみせた。
「桜摩さんの言う通りですねぇ。時間もないので早速本題に入りましょうかぁ……皆さんも知っての通りだと思いますが、現在神州は六年前以来の危機的状況に瀕しています。涅々ちゃんたちを始めとする熟練の鬼狩りの皆様方があちこち奔走しているのはもう耳にしていることかと存じます」
各地で起きている鬼裡依教の暴動の鎮圧に、鬼の侵攻に伴い活性化し始めている浄土における鬼討伐……覇切たちも療養している間、戦っている彼らのことを思いながら歯痒い思いをしていた。
「ですが、そんな皆様のもどかしい思いもこれにて終わりです。明日よりの大規模作戦ではあなた方にも参加していただくことになりますので心しておいてくださいねぇ」
何気なく告げられた兎和子の言葉に皆が息を呑む。
「大規模作戦って……それは一体?」
皆を代表する比名菊の疑問に答えた兎和子の話を要約すればこうだった。
今日までの間に行われてきた鬼剋舎を始めとする鬼剋士関連機関同士の話し合いの中で決まった作戦は、主に二段階に分けられる。
まず第一段階で、季華十二鬼将を中心とした鬼剋士の部隊が海上で鬼の軍勢を相手取るが、こちらは地形的な面や戦力規模の問題から殲滅を目的とはしていない。出来得る限りの人数を割く予定ではあるが、浄土での暴動鎮圧も疎かにはできないために、選りすぐりの鬼剋士たちで構成された部隊が配置される計画だ。
つまりは足止め、及び陽動。
「あれだけの数の鬼が個々の意志で集まっているとは考えにくい事態です。つまりその中心には鬼たちを操作している者がいる。それがあなた方からの報告にあった頭巾の方だということはまず間違いないでしょう。加えて鬼を新たに産み落とすという鬼の木乃伊……詳細はわかりませんが、その木乃伊があれだけの鬼を生み出す一助となっている可能性は十分にあると思います。そこで、あなた方というわけです」
そう、作戦の第二段階とは、穢土本土での敵本丸の打倒。鬼の軍勢を足止めしている間に、総ての鬼を統率している存在を叩く。それを目的とした作戦だった。
「本来であれば、涅々ちゃんや百夜君、現十二鬼将等の名のある鬼狩りに任せるべき任務であるというのが神州朝廷の意見らしいのですが、彼らには作戦の第一段階で陣頭指揮を執って頂かなくてはなりません。ですのでどうにか人数を割こうと適役を探していたようなので、私が名乗り出ちゃいましたぁ」
ぺろっと悪戯っぽく舌を出す兎和子は、齢百を超えている年齢だというのに恐ろしいほどその仕草が似合っていて、覇切たちは知れず戦慄していたのだが、彼女の次の言葉に居住まいを正す。
「お上を丸め込む……もとい説得する理由としては、あなた方が一度敵勢力と接触していることやこの状況で自由に動ける部隊が他にないことなど色々ありましたが、私から言わせてもらえればそんな理由は取ってつけたようなもの……つまりこれは、あなた方の雪辱戦です」
そうしていつかと同じように特科生一人一人の顔を順々に見つめていく兎和子。
「私はですね、涅々ちゃんに東征から帰還したあなた方の状態を聞いたとき、正直言って後悔しました。やはり私の判断は間違いだったのかと、侵入禁忌区域への入域を許可したことに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ですが、施療棟にて顔を合わせたあなた方の中に失意に項垂れている者は誰一人としておりませんでした。皆が一様にその瞳に灯火を燻らせていた……そのことに私の胸は躍ったのです。私の求めていた魂の戦火……気高い炎をその瞳に宿すあなた方のことを、私は何より誇りに思います」
そう言って笑う兎和子は今まで見たことがないような、まるで我が子の成長を喜ぶ肉親のような穏やかな笑みを浮かべていた。
「学園長にそう言って頂けるなんて、もったいないお言葉ですわ。私たちの方こそ学園長の今のお言葉を誇りに思います」
「俺は別にどうでもいいがな。ま、そう言われて悪い気はしねぇな」
「わ、私も別にどうでも……いいですけど。まぁ受け取っときますよ、はい」
「何を無駄に強がってんのよ、あんたは。こんな時くらいちょっとは素直になりなさい」
「ありがとー、ございます」
「これまであんま褒められるようなこともしてこなかったから……そう言われると何だかくすぐったいな」
各々がそれぞれ違った反応を示したものの、皆兎和子の言葉を嬉しく思っていた。その様子を微笑みと共に眺め、兎和子は改めて指示を下す。
「作戦は明日未明。夜が弱まり始める時間帯に行動を開始します。ですのでそれまでに皆さん準備を整えておいてくださいねぇ。あとは……そうそう、私の方から皆さんに贈り物も用意しておりますので、そちらの方もよろしければどうぞご覧になってください」
◇
そして翌日未明、覇切たち特科生六名は天門の前に集合していた。もうすぐ季華十二鬼将を中心とした大部隊が鬼の軍勢と会敵する頃だろう。それを以て一瞬だけ開かれた天門を通り、穢土へと乗り込むというわけだ。
皆の表情に気負いは見られない。適度な緊張感の中、自然体を保っている。この分なら前回の敗戦を引きずっている者は一人もいないとわかる。唯一いつもと違った点があるとすれば……。
「みんな集まってるな。それじゃ今日の動きを確認しよう」
「はいはーい、隊長ー。いきなりそんなつまんない話しないでさー、あたしらの恰好見て何か言うことないわけー?」
言葉通りつまらなそうな声が早速秋桜から上がる。予想はしていたことだが、やはりこの展開は避けられないらしい。
そうして改めて覇切は秋桜を始めとした特科生女性陣の姿を視界に収める。
彼女たちの服装はいつもの色彩もバラバラの旧所属の制服ではなく、今は全員、黒を基調とし赤と金糸の装飾が特徴的な真新しい揃いの軍制服に身を包んでいた。もちろん覇切や桜摩も同じ型の男子制服である。
「うぅ……やっぱりこの履物の丈は短いままなんですね……」
「おにーさん、おにーさん、どう? どう? 似合ってる?」
「何だか新入生に戻ってしまったようで……照れますね」
前回同様服の裾を気にしている百合に、奇妙に興奮気味な梗、そして照れて頬を掻いている比名菊と、皆がそれぞれ若干浮き足立ちながら感想を求めてくる。
「みんな、似合ってると思う。以上」
「えーそんだけー?」
「他に何を言えと……というか、帽子と外套なんて他にあったんだな」
「あたしが特注してもらったのよ。いいでしょ?」
得意げに帽子を被り直す秋桜、前の型が気に入っていたのか色合いだけ変えて、形はそのままのようだ。実際、秋桜と言えばこの軍帽と外套という印象だったので、様になっているの一言に尽きるのだが。
「それに背中のこれ、あたし結構好きなんだ」
「気が合うな。俺もだ」
そうして秋桜と二人首を回して自分の背中に視線をやる。そこには夜明けの極光を模した、旭日の紋。兎和子の話だとこの紋には、覇切たち特務分隊には神州の夜明けを担う存在になってほしい、という彼女の願いが込められているらしい。
「ふふ、桜摩君も似合ってますよ。黒い学ランだとやはりより男らしく見えますわね」
「お、おう……まぁ、俺も割とその……気に入っちゃあいる」
「おーまくん、赤くなってる?」
「普段無愛想なくせに中々可愛いところがあるじゃないですか。これは相当気に入っていると見ました」
「ぐっ……てめぇらいちいちやかましいんだよ! おら気が済んだならさっさと行くぞ! 時間ねぇんだろうがっ」
年少組にからかわれた桜摩が、鼻息荒く憤慨する。
それを見た覇切もまた、一つ頷いてみせると改めて皆の前に立った。
「確かに桜摩の言う通り、そろそろ出撃の時間だ」
そうして真剣な声を出すと皆空気を読んで静かになる。皆が固唾を呑んで隊長である覇切の次の言葉を待っている。
「学園長が言っていた通り、今回は俺たち特科生……いや特務分隊って言った方がいいか。その特務分隊初の大仕事だ。目標は敵本丸。学園長が言ってたように要は前回の雪辱戦だ。今更改めて語ることもないと思うけど、これだけは隊長として俺に言わせてくれ」
そうしてぐっと拳を握り込み、皆の前へ差し出す。
「勝つぞ、絶対に。死んで花なんて絶対に思うな。生きてみんなで朝日を拝むために、戦うんだ」
その左眼には今にも燃え上がりそうなほど熱を持った命の煌めき。燻る魂に戦火を灯し、死ぬためじゃない、明日を生き抜くために全力を尽くす。
その誓いを込めた拳に合わせるように、包帯に包まれた新たな拳が差し出された。
「私は、前回この腕の秘密を探りたくて東征に参加しました。そのせいで皆さんの身を危険に晒してしまって……本当にお詫びしてもしきれないと今でも思っています」
「百合、それは……」
東征帰還直後にも涙ながらに皆に謝罪をしていた彼女の話は、今更誰も気にしていないと覇切は伝えようとしたのだが、百合のどこか吹っ切れた視線に遮られる。
「ですが、皆さんはこんな私のことを許してくれました。この腕のことも……私を黒条百合という一つの存在として認めてくれました。だから私はこの感謝の気持ちを返すため、ここに集まった皆さんのために戦いたいと思っています。いえ、それも少し違いますね……皆さんのような素晴らしい方たちの仲間だと胸を張って言うために、戦って勝ちたいと、そう思います」
そう言う百合の瞳には、もう以前のような危うい光は宿っていない。そこには確固たる自分を見つけ、自信に満ちた一番星のような輝きがあった。
「……ったく、ナマ言ってんじゃねぇっての」
後ろ頭をガシガシと掻きながら桜摩もまたひと際大きな拳を差し出した。
「悪いが俺は俺の理由でやらせてもらうぜ。そもそも世のため人のためなんて柄じゃねぇ。気に入らねぇ奴ぶん殴る。例えそれが姉だろうが誰だろうが同じことだ」
「あたしも同じね。あの女には借りがあるわ。このまま終わってたまるかって話よ。それに……」
そう言って、ちらっと覇切の方を見る秋桜。
「……?」
「ま、もう一個は秘密ね。どのみち敗けるつもりはないわ」
そう締めくくり秋桜もまた拳を差し出す。
「私は、皆さんのように誇れるような自分がありませんので、正直皆さんが羨ましいですわ」
そう言いながら眩しそうに微笑むのは年長の比名菊だった。
「年長者としてしっかりしなくては、皆さんを守らなくてはいけないと、いつも思っていました。その気負いが前回真っ先にやられてしまった醜態に繋がったんだと思いますわ」
その弱気な言葉に一瞬不安を覚えた覇切だったが、比名菊の目に灯った光は決して怖気づいたような弱弱しい光ではなかった。
「ですけど、それがあったからこそ私は気付けたのだと思います。ここにいる人間は皆対等の仲間……誰が誰を守るとか、そんな関係ではなく、互いが互いを助け合う。私はその信念の下、今度こそ最後まで戦い抜きたいと思いますわ」
最近になってわかったことだが、比名菊は仲間たちの中でも人一倍気が弱い。それでも年長者として気を張っていた彼女は、そんな自分を恥じているようだったが、彼女のともすれば強がりとも言える気丈さにはいつも心のどこかで支えられていた。
今も少しだけ震える拳からは、彼女の弱さではなく、その想いの強さが伝わってくるようである。
「梗は、上手く言えないけど……」
そうして戸惑いがちに出された最後の一人の言葉。梗はいつになく沈んだ調子で話し始めた。
「梗は、鬼とか誰かと戦うのが楽しかった……だから比名ちゃんがあのちっちゃい人にやられた時も、頭に血が上って、いっぱい怒ったけど……本当は少しだけ、ほんの少しだけ……楽しかった、の」
「梗ちゃん……」
その大きな瞳に涙を浮かべて、震える声で本音を語る梗の言葉は悲痛な響きに満ちていた。その姿に感極まった比名菊が、思わずといった様子で彼女を抱き締める。腕の中で泣きながら何度も何度も謝る梗に、比名菊が優しく背中を撫でて落ち着かせたのだが、しかし泣き止んだ後も梗は拳を重ねることを躊躇っているようだった。
ここから先は彼女の気持ちの問題だ。だから彼女がこれ以上戦えないと言うのであればそれもまた仕方のないことではあるのだが、彼女の場合戦う意思は確かにある。要するに次の戦いでまた前回のように皆が傷つきながら戦う中、楽しく思ってしまうかもしれないことが怖いのだ。しかしそれは……。
「梗、今から俺が言うことをよく聞け」
「おにー、さん……?」
「お前は、戦いを楽しいと思うことが悪いことだと、そう思うのか?」
「え……だって、みんなが真剣に戦って、傷ついてるのに……」
「俺はそうは思わない」
覇切の言葉に目を丸くする梗。しかしこれは梗のことを気遣ったわけでもなく、覇切の本音だった。
「戦いを楽しめるっていうのは一種の才能だ。普通だったらビビッて踏み込むことができないような場面でも、それを一転好機に変えることだってできる。それに、怖くて嫌々戦うより真剣に楽しんで戦える方がよっぽどいいだろ?」
「真剣に、楽しむ……?」
梗は決して仲間が傷つくことを楽しんでいるわけではない。純粋に戦いというものが好きで、ましてふざけているわけでも決してないのだ。この精神性は努力でどうこうできるものではなく、だからこそ、その天性の才能は今回の戦いでも大きな武器になると覇切は思っている。
「だから、俺たちに遠慮なんてしてないで楽しめ、梗。これはお前にしかできないことなんだぞ」
「梗にしか、できない……」
そう呟いて一つ鼻を啜ると、ぐしぐしと涙で滲んだ目を拭う。拭っていた手がどけられた場所には、強い輝きを宿した左右異色の瞳があった。
そして一つ自分に言い聞かせるように頷いて、最後の拳をそこに重ねる。
その場に突き合わされた六人全員の拳を確認した覇切は胸に熱く込み上げるものを感じ、その気持ちのままに言葉を紡ぎ出す。
「みんな腹は括ったな。それじゃ景気づけにそれっぽくいこう」
「あ、それなんだけどさ。あたしから一つ提案があるんだけど」
しかしこれからという時に勢いを削がれて、思わず発言者である秋桜に怪訝な顔を向けてしまう。他の皆も同様だったのか、半目になって秋桜を見ていたのだが、秋桜はいつも通り至って気にした様子もなく視線の集中砲火をさらりと流すと続きを口にした。
「なんかあたしらってさ、特科生だの特務分隊だの色々呼ばれ方あるけど、どれもしっくりこないっていうか……そう、ぶっちゃけダサいのよ。このままじゃやっぱ締まらないし、あたし的にはいまひとつ燃えないのよねー」
「この期に及んでウダウダと……結局何が言いてぇんだよ、てめぇはよ」
「だからさ、直感で悪いんだけどちょっとあたしらの部隊の名前を考えてみたんだ」
心なしかどこか得意気な秋桜が告げる部隊の名前に耳を傾けてみれば……先ほどとは一転、今度は皆一様に頷いてみせた。
「それは……とても素晴らしいと思いますわ」
「梗も、好き」
「はっ、てめぇにしてはまともな命名じゃねぇか」
「千刃暁學園の名前の印象にもぴったりですし……いいですね」
「ああ、確かに洒落てていいんじゃないか?」
「ふふん、でしょ?」
満場一致で決まった部隊名を皆で確認するように口にする。結果的にではあるが、秋桜の提案は隊の士気昂揚に繋がったので、彼女の提案には素直に感謝を示しつつ、今度こそ改めて覇切は拳を皆の眼前に掲げる。
「それじゃ改めて、だ。穢土に着いたら、それぞれ行動は違ってくると思う。だけど最終目標だけはみんな一緒だ」
そうして覇切の拳に残る五つの拳が重ねられる。
「勝って、そして生きて帰る。またみんな揃って朝日を拝むために……千刃暁學園特務分隊——『明星』、行くぞおぉ————っ!!」
『おぉ——っ!!』
掲げた拳に誓いを乗せて、今ここに開戦の狼煙が上がったのだった。
一度こういう円陣みたいなことしてみたかった! という思いを込めた回でした。みんなで一人ずつ決意を述べて拳を突き出し合う……熱いですね!
というわけで次回が決戦回となります。燃えるバトルになりますのでどうぞ宜しくお願いします! 次回更新は来週2/11になります! それでは今回も読んでくださりありがとうございました!