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神州鬼狩東征伝(休止中)  作者: 織上ワト
第一章 千ノ刃、暁ヲ照ラス
7/14

第六幕 穢土東征

どもです。最近予約掲載を使いこなし始めてきましたよ_φ( ̄ー ̄ ) 全然関係ないけど私は主要メンバーの中で比名ちゃん先輩が一番好きです。それではどうぞ!※《神州豊葦原中国しんしゅうとよあしはらなかつくに》《季華十二鬼将(きかじゅうにきしょう)》《千刃暁學園せんじんあかつきがくえん》《穢土(えど)


 東征。それは元々は鬼剋士という存在が生まれる遙か以前、ただの人間であった神州の人々の中の精鋭たち——いわゆる(さむらい)と呼ばれる武を極めた者たちによって、大敵である鬼共を駆逐すべく敢行された遠き東の地、穢土への大遠征の呼び名である。

 百年前、史上最初の東征——第一次大東征は騎兵隊二千騎、陰陽術師千人を含めた、およそ七千名もの士たちによって行われたが、結果は大敗。約六ヶ月に亘る長期遠征の末、浄土へと帰還した士たちはたったの七名しかいなかった。

 一千分の一にまで減らされた東征軍の帰還は、実数的な武力の損失となったことに加え、精神面でも人々に絶望を叩きつけるだけの結果に終わったかのように見えたが、彼らによって持ち帰られた様々な情報や鬼の魂魄はその後の神州の在り方に大きな変革をもたらした。

 融魂施術の確立、第二次大東征の成功、そこから生まれた鬼剋士たちへの憧れが爆発的な連鎖を生み、神州豊葦原中津国は鬼剋士たちを中心とする新時代を迎えたのだ。

 そうした経緯もあって、穢土へ渡り鬼を討伐するということがそれほど特別なことではなくなった現在の世では、『東征』の名はかつて二回のような大規模なものではなく、鬼剋士たちによる穢土遠征の通称と化していた。

 そしてこの日も穢土の奥深く、制限区域と呼ばれる領域の果てに位置する森林地帯を進む数人の男女の姿があった。



「——うおらぁっ!」

 豪腕一閃。遭遇した中型の餓鬼を前に、出会い頭の一発を顔面に叩き込んだ桜摩は、頭蓋を粉砕され絶命する鬼を足蹴に間髪入れずに次なる鬼へと次弾を放つ。

「気合入ってますね、桜摩さん」

 そう言いつつ刀を構えながら背中合わせに近づいてきた百合に、覇切はそっと答える。

「そりゃそうだろ。こないだの鬼化事件の時、桜摩だけ現場にいなかったから。あとで話した時、物凄く悔しがってたからな。その鬱憤晴らしもあるんだろ」

 もう十日ほど前になるが、例の鬼裡依教集団鬼化事件はその後とりわけ目立った動きもなく、他の信者たちも雲隠れしてしまったため、とりあえずのところ収束へと向かっていた。

 覇切たち特科生にも特に何か指示が出されたわけでもなく、學園にて座学や基礎訓練、浄土における鬼討伐の派遣任務がいくつかあっただけで、それなりに平穏な日々を送っていた。

 百夜に頼まれていた件も今のところは問題ない。鬼との戦いのときは特別百合を注意するようにしていたが、以前のように右腕の痛みに倒れることも様子がおかしくなることもなかった。

「な、何ですか? じっと見て……よそ見してると鬼にやられちゃいますよ」

「ああ、そうだな」

 百合に言われた通り、今は鬼の群れに遭遇している最中なのだから、よそ見をしていれば例え相手が餓鬼だとしても致命傷を喰らってしまうことは十分にあり得る。だからこそ集中しなくてはいけないのは覇切もわかっていたのだが……。

「と言っても……この有様じゃあなぁ」

「ったく、あの子にもホント困ったもんね」

 隣にやってきた秋桜と二人揃ってため息を吐く。

「どこまで行ったんだ……? 梗の奴は」

 視線を前方に向けてみれば、そこにはいまだ砂化に至っていない鬼の死骸や不気味に赤く光る魂魄が木々の奥へと点々と続いていた。たまに残党とも称せる梗の撃ち漏らし(・・・・・)を前衛にいる桜摩が相手しているものの、それより後ろにいる残りの四人はほぼ何もしていないに等しい。

 鬼討伐任務の際は大体いつもこんな感じだった。鬼との遭遇と同時に梗が飛び出して殆ど殲滅、残りの零れた鬼を覇切たちで片付けるといった展開が常だ。そのおかげで桜摩の苛々は余計に溜まっていく一方だった。

「くそがっ、(はしばみ)の野郎ぉ……毎度毎度一人で突っ走りやがって……! 何で俺がこんな塵掃除みてぇなことしなきゃなんねぇんだ」

「あんたの足が遅いからでしょ? ノロマー」

「ああ!? 紅真(こうま)ぁ……言っとくが俺は別にてめぇが相手でも全然構わねぇんだぞ」

「やだ気持ち悪いこと言わないでくれる? えんがちょー」

「ちょっとちょっと、お二人とも喧嘩しないでくださいよ、もぉ……」

 いつものことながら売り言葉に買い言葉でいがみ合う秋桜と桜摩の間に百合が割って入る。仲裁役はその都度違うが、こんな光景もすでにお馴染みのものとなってしまっていた。

「桜摩君、気が立っていますね」

「まぁあれだけ馬鹿にされればそりゃな……」

 傍にやってきた比名菊にそう伝えながら視線の先では、何故か仲裁に行ったはずの百合がキレて騒ぎを拡大させていた。最早完全に隊内の弄られ役というか煽られ役の地位を確立してしまった百合に任せたのは間違いだったかと、今更ながら反省する覇切だったが、隣に立つ比名菊が浮かない顔をしていることに気が付く。

「比名先輩? どうかしたのか?」

「あ、いえ……桜摩君、いつになったら私のことをあだ名で呼んでくれるのかなって」

「ああ……そっすか」

 思いの外どうでもいいことで悩んでいたので、返事が物凄く適当になってしまった。

 一応説明しておくと、例の如くあだ名呼びを桜摩に強要……もとい推奨しようとした比名菊だったのだが、あの無頼漢が快く呼ぶはずもなく、結局『先輩』という何ともつまらない呼び方に収まってしまったのである。本当にどうでもいい。

「と、というのは冗談で……実は私、桜摩君のことで覇切君にお伝えしようと思っていたことがありまして」

「(冗談には聞こえなかったけど)それって一体……?」

 ちょいちょいと手招きされて耳を近づけてみれば、比名菊は他の特科生に聞こえないような声量で話し始める。

「桜摩君、穢土に上陸してからずっとあの調子で苛々していますでしょう? たぶん、お姉さんのことで気が立っているんじゃないかと思いまして」

「お姉さんって……あいつ姉弟(きょうだい)がいたのか」

 意外な事実に覇切が驚いていると、今度は逆に比名菊が呆れたような表情を見せていた。

「覇切君……前から思っていましたが、その世間知らずさはどうかと思いますわ。桜月という名を聞けば神州で知らない人なんていないと思いますけれど」

「あ、ああ、あれだろ? 月家の一つで第三席の桜月家。そう言えばあいつも貴族だったんだよな。意外だ」

 必死に今ある知識の中取り繕ってみせた覇切だったが、比名菊は案の定といった顔でやれやれと溜息を吐いた。

「まったくもう、あなたという人は……『超獣(ちょうじゅう)』と言えばあなたのお義姉さんの荒夜叉殿と同じく、第二次大東征では外せない有名な存在ですよ」

「えっ、と……?」

「何か面白そうな話してるじゃない。超獣、桜月(さくらづき)桜華(おうか)でしょ?」

 比名菊の言葉を聞いてなおピンと来ない表情を浮かべていると、百合と桜摩とのやり取りに飽きたのか、気分屋の少女が二人を放置して傍までやってきていた。

「童女みたいな小柄な体躯に見目麗しい容姿から、かつては『美獣』なんて呼ばれてた第二次東征軍初代季華十二鬼将の一人ね。ただ第二次大東征の完遂後に鬼狩りの存在が公になってからは、そんな可愛らしい名前の印象なんか吹き飛んだみたいよ。他の鬼狩りの追随を許さない圧倒的な白兵戦特化の万象術性能。単純な戦闘能力で言えば歴代鬼狩りの中でも最強で、噂によるとその拳の一撃で山をも吹き飛ばすらしいわ」

「もはや人間じゃないだろそれ……そんな怪物級の鬼狩りが桜摩の姉さんなのか」

「ええ、私も一度だけお会いしたことがあるのですが、気品の中にもどことなく野性的な猛々しさも備えている方で、二つ名に恥じない底知れなさを覚えたのを記憶していますわ。しかも、初代の中で今でも十二鬼将の座についているのはその超獣殿だけなのです。彼女もそうなのですが、他の十二鬼将は今や総て月家によって塗り替えられてしまいましたから。かく言う私の神来月家の本家筋である霜月家も十二鬼将の第十一席の座につかせて頂いているのですが」

 桜摩は人一倍『強さ』に拘っているように見えたが、そういった理由があったのかと、覇切は納得がいくところがあったのだが、それと今の彼の苛立ちとどう関係があるのだろうか。

 そう思っていると、比名菊が続きを話す。

「例の鬼裡依教の関係で行方不明者が出ているという話があったでしょう? 実はその行方不明者の一人が桜華殿なのです」

「それ本当か?」

 比名菊の話によれば、桜摩の姉である桜月桜華は三年ほど前、穢土に東征に出たきり行方不明なのだと言う。鬼裡依教が表立って目立ち始めたのもちょうどその辺りからで、直接的な原因としての関連はわからないものの関係がないとは言い切れない。

「ですから桜摩君は今回の侵入禁忌区域への東征で何か手がかりが掴めるんじゃないかって焦っているんだと思います。彼は憶えていないようでしたけど四年ほど前、超獣殿が行方不明になる以前に彼とお会いしたときは、随分とお姉さんに懐いていたようでしたから」

「あの桜摩が懐く……まるで想像できないわね」

 視線の先では相変わらず百合を挑発して遊んでいる桜摩と、顔を真っ赤にして憤慨している百合の姿が見える。

「でも行方不明になって三年も経つのに十二鬼将の座が変わらないってのはどういうことなんだ? 普通前任がいなくなれば代わりの人間が跡を継ぎそうなもんだけど」

「それだけ第三席の座は重いってわけよ。超獣はいまだ最強の鬼狩りとして、鬼狩りたちの記憶に君臨し続けているわ。死んだっていうならまだしも行方不明なんてあやふやな情報じゃ誰も代替わりしたくないでしょうね。桜摩のあの態度は帰らない姉に対する焦りもあるだろうけど、その姉の代わりになれない自分への苛立ちっていうのもあるのかもしれないわね」

 秋桜の言葉に頷き、ここからは桜摩の動きにも注意していこうと心に留めたところで前方にぼーっと突っ立っている梗が見えてきた。

「ようやく追いついたな。さて、まずはいつも通りお説教からだな」


       ◇


「うぅ〜……秋桜姉ぇ、痛い」

「だまらっしゃい。あんた女の子なんだからもうちょっと見た目に気を遣えっての……ほら、髪の毛にも臓器が飛んでる。砂になって固まる前に拭き取らないと」

「臓器が飛んでるって……確かにそうですけど、もうちょっと言い方ないんですかね……」

 鬼を手当たり次第に殺し続けたせいで、身体中返り血や臓物で汚れてしまった梗を、秋桜と百合の二人が綺麗にしている。

 梗は鬼を殺した後は何事もなかったかのようにいつもの大人しい調子に戻るのだが、どちらにしても自分の外見には無頓着なのだ。放っておくとそのままにしてしまうので、皆がその都度世話を焼いていた。

 戦っている時はともかく、普段は愛玩動物のような可愛らしさがある梗なので、面倒ということにはならないのが不幸中の幸いだろう。

 梗のことは百合たちに任せて覇切は改めて進路前方に視線をやる。

「ここから先が侵入禁忌区域か。穢土に入ってからもずっと思ってたんだけど、人が全く暮らしていないってだけで浄土とそんなに変わらないんだな。もっと地獄みたいなところを想像してた」

「はっ、こんな鬼がうようよいるとこなんざ十分地獄じゃねぇか……だがまぁ、気持ちはわからなくもねぇけどな。俺も初めて来たときはポカンとしちまったよ。本当にここが噂に聞いてた鬼の魔窟、穢土かってな」

 ちょうどここは森林地帯のため日も十分に届かず薄暗いが、実際には草原地帯や荒野に火山、雪原など様々な環境、色取りの地形が極彩色のように入り乱れているらしい。自然法則無視のその地形環境はある意味では地獄かもしれないが、有り得ない環境同士が隣り合わせに存在する光景は浄土では見られない神秘的な美しさがあると言う。

「それに、区域分けされてるって話だったけど特別な線引きがあるわけじゃないんだな。別に『ここから侵入禁忌区域です』なんて看板を想像してたわけじゃないけど」

 言いつつ、視線の先に広がる鬱蒼と茂った木々を眺める。

「覇切君の言う通り、目に見える範囲での線引きはありませんわ。けれど、穢土(ここ)に入る前に学園長から術式をかけて頂いたでしょう? あれがなければ見えない障壁に阻まれてここから先には決して入ることができないようになっているのですよ」

「陰陽師御用達の呪術障壁か……近くまで飛ばしてくれた転移門もそうだけど、穢土には本当に未知の技術が眠ってるんだな」

 そう言いながら思い出すのは、穢土に入る直前に通ってきた謎の転送装置のことだった。

 大和から鉄道に乗ってしばらく東へ向かった先にある巨大な関所のような施設。その敷地内の中心部に厳重な警護の元、保存されている太古の遺産——天門(てんもん)

 上空から見ると正三角形のような形に見える特殊な三本足の鳥居は下手な楼閣などより遥かに大きく、霊妙さの漂う厳格な威容には畏怖の感情さえ覚えた。

 天門自体は元々神州浄土のその場所に存在していたのだが、実際にその真なる機能が目覚めたのは第二次大東征の後。

 構造的なことは今なお不明で解析中。しかし、穢土に点在する謎の楼閣——天ノ御柱(あめのみはしら)の内部に存在する同じ形の鳥居に特殊な術式と共に神威を流し込むことで、この天門と空間同士が接続される仕組みとなっていたことが、第二次大東征の調査で判明したのだ。

 三百年前に実際に使われていたのか、それよりさらに以前の史実不明なほど過去の遺物なのか。どちらにせよ、空間を繋げて浄土と穢土とを瞬時に行き来できるようになった鬼剋士たちは、その天門を穢土遠征の際には皆利用するようになった。かつて東征の際に利用されていた海路を使っている者は、今は皆無だろう。

「今回の俺たちの任務も天ノ御柱ってやつの調査だったな」

「だな。実際天ノ御柱は、まだ開放区域に一つと制限区域に二つ見つかっただけで侵入禁忌区域には一つも見つかってないらしいぜ。それ見つけんのが今回の仕事だとよ」

 面倒くさそうに告げる桜摩だったが、その気持ちもわからなくはなかった。

「これまでそれこそ季華十二鬼将級の鬼狩りが探して見つからなかったんだろ? そんなの今の俺たちでほいほい見つけられるものなのか……?」

「まぁ、学園長もすぐに見つかるとは思っていないでしょう。覇切君や百合ちゃん、梗ちゃんは東征自体初めてで知らないかもしれませんが、穢土は一定の周期ごとにその地形が大きく変動するのですよ。しかも奥へ行けば行くほど頻繁に変動するので、特に侵入禁忌区域の天ノ御柱の位置は中々捉えることができないようですね」

「地形変動って……それって結構ヤバいんじゃ」

「おいおいビビってんのか? 隊長さんよぉ。言っとくがその地形変動のおかげで、転送装置みてぇな史料が残されてない何百年も前の隠された遺産やら技術やらを発掘できてんだぜ? 地形変動様様じゃねぇか」

「大丈夫ですよ、覇切君。頻繁と言っても一日二日で変わったりはしません。前回この付近で地形が変わったのは五日ほど前なので、次の地形変動までにはひと月ほどの期間はあるはずですわ」

 今回の東征任務の日取りが編入から間が空いたのも、恐らくは周期的に地形変動が起こる可能性が高い時期を避けた結果なのだろう。明確にぴったりと日が決まっているわけではないようなので絶対安心というわけにはいかないだろうが、桜摩の言う通りビビっていては何も始まらない。

「それじゃとりあえず一旦みんなで集まって今後の動きを確認してから区域内に入ろう。ここからが本番みたいなところはあるから慎重にな」


       ◇


 薄暗く、肌に張り付くような湿っぽい空気の漂う森の中を、特科生の面々が慎重に行軍していく。制限区域までは適当に並んで歩いていた覇切たちだったが、ここからは自分たちの中の誰も足を踏み入れたことのない完全なる未知の領域であるため、しっかりと隊列を組み、幾分の緊張感を孕みながら言葉少なに道なき道を進んでいた。

「……何か、侵入禁忌区域に入ってから心なしか息苦しくなったような雰囲気がありますね。たぶん気のせいだとは思いますけど」

 覇切の隣を歩く百合は、時折忙しなくきょろきょろと辺りを見回しながら、言葉通り若干苦しそうに表情を歪めていた。

「大丈夫か? 調子が悪くなったらすぐ言えよ」

「へ、平気です。その、ありがとうございます。心配してもらっちゃって……」

「一人に異常が起きたら、その場所全体が危険に晒されてる可能性もあるからな。全員行動不能になったらさすがにヤバいだろ」

「あ、そういう……」

 百合の質問に真面目に答えてみれば何故かしらーっとした目を向けられてしまった。

「……何か変なこと言ったか?」

「何でもないですよ……流石は隊長さんですね。まったくその通りです、ええ」

「……?」

 そっぽを向いてしまった百合の言わんとしていることがわからず首を傾げる。何か機嫌を損なうようなことを言ってしまったのかと、自分の言動を振り返っていると、不意に前を行く秋桜がこちらを振り返り、口をパクつかせて何かを言っているのに気付いた。

『イ チャ イ チャ す る な』

「何言ってんだあいつは……」

 どこをどう見ればそうなるのか分からなかったが、とりあえず『前見て歩け』とだけ返して、現状に集中することにする。

 現在覇切たちは、穢土侵入禁忌区域へと入域し簡単な陣形を組んで行軍している最中だった。

 それぞれの能力特性的に見て、前衛に地の戦闘力強化の剛と堅にそれぞれ優れた秋桜と桜摩、中衛には前衛の支援的意味も込めて迅と砕を得意とする百合と梗、そして後衛には広範囲に影響を及ぼすことのできる覇に優れた比名菊をうまいこと配置することができたのは僥倖と言えるだろう。覇切は全体的に平均的な能力値で得意分野がない代わりに穴がないので、状況に合わせて臨機応変に配置を変えるという仕組みだ。

 能力的な適性の他にもそれぞれの戦い方や性格面——例えば梗が飛び出すのをできる限り抑えるため真ん中に置くというようなことも鑑みての配置なので、これから任務の際はこの形が主だったものとなるだろう。

「梗は、何か感じるか?」

「んーん。何も」

 いつも特科生の中の誰より早く鬼の存在を感知して飛び出す梗に訊いてみても変わったところはないらしい。一安心といったところか。

「そっか。いつも言ってることだけど、鬼が出たからって一人で突っ走らないようにしろよ。危ないし、みんなも心配する」

「うん、わかった」

「いつも返事だけはいいよな、お前……」

 戦闘時の猟奇的な雰囲気が嘘のような、ふにゃっとした笑みを浮かべる梗の頭にポンと手を置く。

「……ねぇ」

「お……?」

 と、いつも真っ直ぐに瞳を見つめて話す梗にしては珍しく、一瞬前の笑顔から一転、どこか自信なさげに目を伏せながら頭上の覇切の手をぎゅっと両手で握ってきた。

「おにーさんも、心配する? 梗が、一人で行っちゃうと」

 そう言っていじいじと覇切の手を弄り始める梗だったが、覇切は彼女の変化に少なからず驚いていた。

(でも、それも当然のことか……)

 いつもぼんやりとして何を考えているかわからない梗だが、覇切たちと過ごすことで特科生の皆とのことも彼女なりに考えているのだ。彼女も一人の人間で、本能に従い行動する鬼とは全く違うのだから。

「当たり前なこと訊くなよ。梗があんまり一人でどっか行ってたら、おにーさん泣いちゃうかもな」

「ふへへ……だったら、泣かせちゃダメだよね?」

 そうしていつものようにふにゃりと微笑む梗の髪を優しく撫でる。

 その光景を間近で見ていた比名菊が後ろでくすくすと笑っているのが少しだけ恥ずかしかった。

「……ん?」

 と、前方から視線を感じたので前を見てみると、ジトッとした目でこちらを見ている百合と秋桜と目が合う。

『イ チャ イ チャ す る な』

「……」

 二人からのその言葉に、今度ははっきり否定できないのが、照れ臭くも少し悔しかった。


       ◇


「疲れたー。そろそろ休憩にしなーい?」

 覇切たちが侵入禁忌区域を行軍し始めてから一刻ほど。天魔級の鬼どころか餓鬼の一匹にすら遭遇することなく、ついには森林地帯を抜けてしまったところで、秋桜が我慢の限界を迎える。

「行けども行けども木と草ばーっかり。しかもようやく抜けたと思ったら今度は石がごろごろ転がる岩山とかもう何なのよ。もっと綺麗な風景にしなさいよ。雪山でも火山でも花畑でもいいからさー」

「うるせぇ奴だなてめぇは……それでも鬼狩りかよ、だらしねぇ」

「もーやだ、あたし絶対ここから動かないから。はいおやすみー」

 そう言ってその場に大の字で寝転がる秋桜。

「秋桜先輩っ、そんななって寝てたら下着が見えちゃいますよ!」

「あーあー知らない知らないもー聞ーこーえーなーいー」

「う、うぜぇ……」

 百合の言葉にわざとらしく耳を塞ぐ秋桜。それを前に桜摩が心底鬱陶しそうな表情を浮かべていた。

「ずっと歩き通しだったからな。今のところ危険もないみたいだし、ここらで一旦休憩にしよう」

 体力的には平気でも、ずっと神経を張り詰め通しだったので精神的には皆かなり疲労が溜まってきているはずだ。そう判断した覇切は秋桜の言う通り休憩を提案して、適当な場所へ腰を下ろす。

「はい隣確保ー。あたしここねー」

 と、途端にゴロゴロと秋桜が転がってきて覇切の隣を陣取る。

「ビビった……何だよ、動かないんじゃなかったのか?」

「何事にも例外はあるもんよ」

「ず、ずるいですよ秋桜先輩! 私もそこ座ります」

「梗はここー」

 そうしてあれよあれよと三人娘に囲まれた結果、右に百合、左に秋桜、そして正面胡坐をかいた足の間に梗という見る者が見れば呪い殺されそうな両手に花どころではない状態になってしまった。

「ふふふ♪ まるで日溜まりに集まる猫ちゃんたちですね」

「んな大人しい生きもんじゃねぇだろ。野獣の群れじゃねぇか」

「一番その言葉が似合う桜摩先輩にだけは言われたくない台詞ですね」

「あ? 何だとチビ助? 真ん中取られて悔しいのはわかるが八つ当たりはよしてくれよ」

「そ、そんなこと思ってませんよ! ……ていうかそんな恥ずかしいことできるわけないじゃないですか」

 肩にピッタリとくっつくほど近くに座るのは恥ずかしくないのかと突っ込みたいところだったが、怒られそうだったのでやめておくことにした。

「それにしても……結局ここに来るまでまるで鬼に出遭わなかったな。制限区域ではそれなりに鉢合わせたはずだけど……」

「偶然じゃないの? 別にあたしら人間だって土地ぎゅうぎゅう詰めで暮らしてるわけじゃないんだからさ」

 覇切の疑問に皆もわからないといった風に肩を竦めてみせた。

 別に鬼に遭わないのならそれはそれで構わないというか、むしろそれに越したことはないのだが、どこか腑に落ちないというか……言い知れない胸騒ぎのようなものがする。

「……(きょろきょろ)」

 と、そこで百合がどこか落ち着かなそうに辺りを見回していることに気が付いた。

「どうした百合? 歩いてる時からずっと落ち着きないみたいだけど」

「あ、いえ……その、何でもないです」

 覇切の言葉に誤魔化すように首を振り、俯いてしまう百合。

 気にはなったものの、本人が何でもないと言うのだからその場はひとまずそれで納得して、他の者たちと談笑を始める。しかししばらくすると再び会話の最中にも、百合はどこか上の空で、そわそわと視線を泳がせ始めていた。

 加えて、隠しているつもりなのかもしれないが、彼女の左手が包帯に包まれた右腕を落ち着かせるようにさすっている。

 その仕草に覇切は、彼女と出会ってからこれまでの不審な行動の数々や百夜の頼み事を思い出した。

 これまで意図的にその手の会話を避けていたが、また作戦行動中に倒れてしまったり、単独で突っ走られてしまったりしては今後色々と支障が出てくるだろう。

「百合——」

 そしていい機会だと思った覇切が、意を決して口を開いた時だった。


「——血の匂い」


 覇切の胸板に後頭部を預け楽にしていた梗が、不意にそんな不吉な響きを伴う呟きを漏らした。

 途端、先ほどまで和やかな雰囲気が流れていた面々の間に緊張が張り詰める。

「……どっちだ?」

「あっち。茂みの奥」

「ちっ、もったいぶりやがって……ようやく鬼のお出ましかぁ?」

 舌打ちと共に桜摩が拳を握りしめる。他の皆もすでに臨戦態勢を整えていた。

「梗、わかってるな?」

「大丈夫、です」

 皆で渦中へ飛び込んでいく前に、真っ先に梗の存在を確認する。先ほどのやり取りが効いているのか番傘を握りしめるも、落ち着いた様子でこちらを見つめ返す梗に覇切は安堵するのだが、その様子に違和感を覚えるのも確かだった。

 確かに梗が覇切の言葉や皆のことを考えるようになって、ある種の『我慢』を覚えるようになったのはいいことだと思う。しかし、これまで条件反射のように鬼の出現と同時に飛び出していった梗が、たったあれだけのやり取りでこうまでいきなり大人しくなるものだろうか。

 彼女の心持ちを疑うつもりなどはないが、どうにも嫌な予感が拭えない覇切は一つ頭に思い浮かんだことを尋ねてみることにする。

「梗、一個だけ訊きたい。血の匂いって言ったな? その血ってのは……鬼のものか?」

 胸がざわめく感覚と共に問いかけてみれば、梗はゆっくり首を横に振ってみせた。

「わかんない。鬼の匂いもするけど……どっちでもない、ような?」

 どちらでもない。その言葉の意味するところは、人か鬼か、それとも先日のように鬼化を果たした人間なのか、はたまたまったく別の何かなのか……。

「どっちでもいいだろ、んなこたぁよ。考えてたって仕方ねぇんだ、とっとと行くぞ」

 桜摩の言葉は些か乱暴に過ぎたが、言っていることは間違っていない。

 そう結論づけた覇切たち特科生一同は、来た道を若干逸れる形で再び森の中へと入っていった。

 そうして森を歩き続けてしばらく。

「これ……」

 最前列を歩く秋桜が不意に立ち止まる。

「血溜まり……まだ温かいわ」

 尋常ではない量の血液が地面に水溜まりを作っていた。これだけの量ならばどこかに死体があってもいいはずだが、付近を見回しても体毛の一本すらも見当たらない。

「みんな気を付けろ。ここからは本当にどこに何が潜んでいるかわからない。全員最大限に周囲を警戒しろ」

 覇切の言葉に皆が頷き、より一層神経を張り詰めながら歩を進めていく。しかしそこで次なる異変が起きた。

「はぁ、はぁっ……」

 百合の様子が明らかにおかしい。さして歩いてもいないのに呼吸を荒げ、小刻みに震える右腕を押さえつけながら、額からは大量の汗が滴っていた。

「百合、お前……」

「だ、大丈夫です……大丈夫、ですから」

 本当にそう見せようとしての発言なら、落第点を与えたくなる演技の下手くそさだ。

 この状態の彼女は以前にも見たことがある。あの時と同等の苦痛が今彼女の身体を苛んでいるのであるのならば、今すぐ一人引き返させるのが得策だと思うが、逆にむしろこの状態で一人にしてしまうことこそ危険にも思える。

 故に隊長としてどう決断するのが最良か、悩んでいたところで……隊列の動きが止まった。

 人差し指を口元に当てる秋桜の仕草を合図に出来得る限りの音を消し、彼女の指差す方向に視線をやれば、茂みに覆われた空間の向こう側。そこにいたのは漆黒の軍制服——凛火黒學院の軍制服を来た男子学生二人と鬼裡依教の外套を身に纏い、頭から頭巾を深く被った人物だった。

(あいつ……!)

 顔ははっきりと見えないが、その身体から滲み出る独特の狂気のような雰囲気が先日鬼裡依教信者の集団鬼化事件の時も現場にいた奴だと、確かに教えてくれる。

「——話が違うじゃねぇか!」

 そうして様子を窺っていると、その頭巾が黒學院の学生に何か問い詰められているようだった。

「お前の話じゃ、教団員に扮して演説に参加するだけで報酬を支払うって話だったはずだ。なのに後から聞いた話じゃ、てめぇと一緒の演説場にいた奴らは鬼化した上、みんな死んじまったらしいじゃねぇか。しかも他の場所を練り歩いていた俺たちには何の話もなし。おかげで俺らは奉行所に追っかけられる身だ。この落とし前はどうつけてくれんだよ?」

 何も語らない頭巾に激昂する二人の男子学生。その様子と言葉から彼らが先日の事件に関わっていることは容易に想像がついた。口振りからやはり頭巾が主犯のようだが、彼らは敬虔な信者と言うよりかは儲け話に乗っただけの存在に思える。

(変ね、あれ)

(え?)

 秋桜の呟きに思わず顔を覗き込んでしまう。彼女は元々凛火黒學院にいたのだからもしかして顔見知りなのかと思ったのだが、そういうことではないらしい。

(黒學院って徹底的に個の実力を追求する校風だからそもそもあんななって二人組でいること自体変なんだけど……あいつら、ただの鬼狩りよ)

(それが、どうかしたのか?)

(忘れたの? ここはもう侵入禁忌区域の中よ。認可されてない一般の鬼狩りは入ろうと思ったって障壁に阻まれて入ることはできないはずなのに)

 その言葉にハッとする。

(学園長が私たちにかけた術式はこの領域に入る権限を持っている者にしか知らされていないものよ。だからここに入れるのは季華十二鬼将みたいに陰陽寮の認可を受けている特別な鬼狩りだけということになるんだけど……でもそれは裏を返せば、術式を知っている者に取り入ることさえできれば誰であろうと侵入することが可能ということになるのよ)

 少なくとも視線上にいる凛火黒學院の学生二人は十二鬼将ではない。ということはつまり、彼らをこの領域へと招き入れた季華十二鬼将相当の特別待遇を受けている人物が他にいるということ。

(十中八九、あの頭巾がそうでしょうね。男か女かもわからないけど、もし本当に奴が十二鬼将で、しかもあたしたちの『敵』となり得る存在なら……)

 きっと戦いは避けられない。しかも季華十二鬼将級が相手ともなれば下手をすれば死の危険性すら出てくる。

(……今回の任務は、天ノ御柱の調査だ。それを考えると無用な戦いは避けるべきだと思う)

 少なくとも今目撃している光景は、言ってしまえば鬼裡依教教団内の内輪揉めに過ぎない。何か奴らの今後の動きを示唆するような話を聞ければ、浄土に戻った時に涅々や百夜に情報提供することくらいはできるだろうが、ここで無闇に首を突っ込むこともないだろう。

(とりあえずこの場はこのままやり過ごそう。さっきの血溜まりの方はきっと鬼の仕業だ。むしろそっちを警戒してすぐに動けるように——)

「——いつまでもシカト決め込んでんじゃねぇぞ、てめぇ!」

 覇切が指示を出したところで、頭巾たちのやり取りに変化が生じる。黒學院の学生のうちの一人が頭巾の胸倉を掴んで、これまでで最大級の怒りをぶつけていた。

 しかし至近距離であれだけの怒気をぶつけられてなお、平静を保っている頭巾はゆっくりとした動作で男子学生の肩へ——右手を置いた。

「あ? 何だこの手は? てめぇいい加減に——」

 と、再び男子学生が声を荒げようとした時、その身体が不意にびくりと動きを止める。

「まずい……あれは!」

 そして先日目撃した鬼裡依教信者の一人のように白目を剥き全身を痙攣させ始める男子学生。

 あれはこの間も見た鬼化の兆候。額を突き破り禍々しい角が生えたと同時、メキメキと音を立てて全身が肥大化していく。

「お、おい……何が、あ、があぁぁあっ!?」

 突然の異常事態に狼狽えていたもう一人の男子学生が、鬼の巨大な手の平に一瞬で握り潰される。無残にボロボロとなった男子学生の死体は無造作に打ち捨てられ、鬼は次なる獲物を探して首を巡らす。

 しかし鬼は目の前にいるはずの頭巾には目もくれず、その水晶のような目玉をぎょろりと覇切たちの潜む茂みの中へと向ける。

 目深に被った頭巾の下で嘲笑と共にこちらを見つめている様子が手に取るようにわかった。

「くそっ、バレてんじゃねぇかよ……!」

「みんな行くぞっ! こうなったらもう……やるしかない!」

 覇切の号令で皆が一斉に武器を抜く。予定外の戦闘だが、こうなることを予想していなかったわけではない。幸い実力未知数の頭巾を除けば、敵は業魔級の鬼が一体。ならば十分勝算はある。

「覇切、さん……先に謝っておきます。ごめんなさい」

「あ? 何言って——」

 そしてその判断の下、茂みの中から飛び出した瞬間、突如百合が前衛の二人を一息に追い越した。

「おい百合! 馬鹿待てっ!」

 覇切の静止の声も振り切り、そのまま業魔にすれ違いざまの一刀を見舞うと、奥に立つ頭巾へと斬りかかった。

「っ……!」

「あなたには聞きたいことがあります……洗いざらい、吐いてもらいますよっ!」

 刀同士がぶつかり合う乾いた金属音が響いた直後、百合が鍔迫り合いの最中頭巾へと喋りかける。しかし、覇切たちには何を言っているかまでは聞き取れない。そのまま二人は至近距離での打ち合いを続けながら凄まじい速度で森の奥へと消えていった。

「くそっ、何がどうなってる……!?」

「おい東雲っ、あっち気にしてる暇なんてねぇぞ!」

「来るわよ!」

 前衛二人の声に従い意識を元に戻してみれば、いつの間にか目の前にまで業魔が迫っていた。百合の一撃が少なからず効いているのか足を引きずるようにしているが、力は健在なのだろう。身体も依然試験の時に斃した業魔よりもさらに二回りほど大きい。

「ちっ……こっちはこっちでどうにかしよう! さっさと片付けて百合を——」

 と、迷いを振り払うように叫んだ覇切だったが、途中冷やりと、首筋を刃物で撫でられたような感覚に無意識に続きを飲み込むことになる。

「っ——待て……全員止まれぇ!」

 咄嗟に叫んだ覇切の声に最前衛の秋桜と桜摩が急停止をかけ、いつも通り狂笑と共に飛び出そうとしていた梗の首根っこを掴んで無理矢理止める。

 そしてその直後、覇切たちの目の前を膨大な規模の殺意の塊が通過した。

「■■ッ——」

 回避の遅れた業魔の身体が真横から押し潰されるように歪む。次いでぼろ雑巾のようになったその身体は、千切れた肉片を散らしながら彼方へ吹き飛ばされた。

「何が——」

 先ほどから連続して起きる振って湧いたような事態に頭が追いつかない。

 現状に関して言えば結果的に助かったとも言える状況だったが、この状況を指してそう断言できない気持ちの悪さと、止まらない冷や汗は一体何なのか。

 まるですぐ傍から飢えた猛獣に睨まれているような圧倒的重圧感に緊迫感。

 これまでの人生で経験したことのない絶対強者の存在感に圧し潰されそうになったところで、暗闇から浮かび上がるように現れる影があった。


「——ほぉ、今ので仕留めるつもりだったが……なるほど見誤っていたらしい。中々良い勘をしているな」


 傲岸にして不遜。自然体で相手を威圧する気配を言葉の端々から滲ませながら、その場に姿を現す一人の少女。

 ギラリと光る切れ上がった大きな眼、闇に煌めく色素の薄い桜色の長髪。この場の誰より小さな体躯にも拘らず、全身から滲み出る好戦性はあまりに人間離れしすぎていて、その姿を目にしただけで身体の芯から湧き上がる本能的な恐怖を抑えられなくなる。

「そんなに怯えるなよ。虚勢は張れるだけ張った方がいいぞ。経験上、小さく見えた奴から殺したくなってしまうんだ」

 一目見てわかるその身に纏った異常性。

 脆弱な人とはまったく別種、鬼や牙獣すら遥かに超越した規格外の怪物がそこにいた。

「嘘、だろ……?」

 掠れたような桜摩の声が零れて消える。

「姉上……?」

 ——超獣、桜月桜華。

 最初の鬼狩りにして初代季華十二鬼将第三席。鬼剋士という存在が世に生まれてから、いまだ最強の座を譲らず人々の記憶の中に君臨し続ける美しき暴君が、百合を追おうとする覇切たちの前に立ちはだかるように進み出ていた。


       ◇


 森の深部にまで到達し、さらに暗黒の色を増した風景の中に星々の瞬きのような火花が散る。

 百合と頭巾、両者の剣閃が夜闇に閃き、超高速の剣戟を奏で上げていた。

「はあぁぁあああっ!」

 裂帛の気合と共に放たれた突きが、目にも止まらぬ速度で頭巾の胸へと迫る。刹那の時すら追い越して来襲する死の魔剣に、しかし頭巾はその一撃を難なく防いでみせた。

「——……」

「っ……!?」

 そうしてまるでお返しだと言わんばかりに放たれる神速の刺突。不気味なほど滑らかな挙動で放たれたそれは、先に百合が放った突きの軌道と全く同じ線を描いて迫ってきた。

 だがそれは望むところ。

 先ほどから総ての攻撃がこちらの剣技を模倣したかのような奇妙なものだったが、そんなことは関係ない。今の自分にとって重要なのは、頭巾に応戦の意思があるのだということ。

(以前は戦いの場に引きずり出す前に逃げられたけど、今日はそうはいかないっ)

 逃がさない。絶対に捕らえて必ず聞き出す。

 頭巾の目的なんてどうだっていい。知りたいのは鬼化の秘密。そしてあわよくば——

「つぅっ!?」

 そこまで考えたところで現実に引き戻され、頭巾の剣技を冷やりとする距離で受け止める。

 そうだ。今は考え事をしている場合じゃない。ただでさえ正体不明の模倣剣を扱う戦い辛い相手だというのに、それがただの猿真似の域を遥かに超えた完成度で繰り出されているのだ。

 息をも吐かせぬ神速剣の応酬の中、頭巾の意外過ぎる万象術の性能に驚きを隠せない百合だったが、どうにも違和感が拭えなかった。

見えない(・・・・)……どうして?)

 百合、そして桜摩もそうだが、鬼剋士の中にはある種一つの才能として、通常視認できない神威の濃度や強弱を見極める能力に特化している者がいる。

 その応用として鬼や他の鬼剋士の纏う神威を見透し、その者の鬼宿等位を見抜くことを可能としているのだが……その百合を以てしてこの頭巾の神威に関してははっきりと断言できることができずにいた。

 あまりに茫洋としすぎているというか……見えることには見えるのだが、目に移る数字を信じ切ることができずにいる。

(少なくともこの速さでの剣撃を可能としているということは迅が並外れて高いことは間違いない……問題は、弱点)

 迅に特化しているから剛がないとは断言できないのが五行万象術の強みでもあり厄介なところでもあるのだが、攻撃を受けている限り剛に関してはそれほどの開きは感じられない。そして自信は持てないものの、実のところ不得手な面も見えていた。

(迷ってる暇はない。自分の目を信じてそこを衝く!)

 そう決めてからの百合の行動は早かった。

 今日何度目かわからない返し技の切っ先をすれすれで回避し、こめかみ部分に刃が掠め血が噴き出るも、構わずその勢いのまま頭巾の懐へと入り込む。狙うは心臓。頭巾の鬼宿等位の中でも極端に低い堅之象。

 自分も堅は得意な技能ではなかったが、実力が拮抗している相手に負傷を恐れていては勝利など掴めない。その決意の下、頭巾の反撃に敢えて踏み込んだ試みは綱渡りではあったものの、結果見事成功。

 殺してしまっては当初の目的は達成できないが、殺すつもりでいかなければ恐らく決定打には至らず最悪逃げられる。

(もし致命傷にまで至ってしまったら最悪こちらの治療術で何とか——)

 切っ先が肉にめり込む確かな手応えを覚えながらどこか達観した気持ちでいた百合だったが……その瞬間、理屈や論理的根拠を越えて己の失策を悟った。

「——」

 何かがおかしい。先ほどまで漠然としていた頭巾の実力に対する不信感がここにきて確信のものとなりつつある。ひょっとすると自分は何かとんでもない思い違いをしていたのではないかという不安感は、見る見るうちに膨らんでいく。

「……ふ」

 頭上から、吐息を漏らすようなくぐもった響きの嘲笑が降ってくる。

 そして、気づく。自分の剣先が、先ほどからそれ以上前に進んでいないことに。ぼんやりとして掴みどころのなかった頭巾の鬼宿等位、その正体に。

 そして——

「ぁ、れ……?」


 肩からバッサリと、斜めに斬り裂かれた己の身体に——


「ごっ、ふ……っ」

 視界が急速に暗転していく。頭上から悪意に塗れた嘲笑(わら)い声が降り注ぐ。

(ああ、やっぱり……先に謝っておいて、よかった)

 消えゆく意識の中、場違いにも酷く安堵した気持ちを抱いた百合は、自らの血の熱を感じながら暗闇の底へと沈んでいく。深く、深く、暗い夜の底へと。永遠に明けない、常闇へ……。


       ◇


 そして時は少し遡る。

 百合が頭巾に斬りかかり、二人森の奥へと消えて行ったその直後。覇切たちは突如目前に立ちはだかった季華十二鬼将、桜月桜華の登場に皆が動揺を隠せずにいた。

「ちっ……!」

 思わずの舌打ちと共に、自分たちの危機的状況を瞬時に理解した覇切は焦る気持ちを抑えることができなかった。

 桜華の登場時の台詞から予想していなかったわけではないが、どうやらこの少女のような見た目の女性も頭巾側の敵らしい。三つ巴になれば最悪、向こう二つで相討ちにさせるという手段も取れたがそうもいかなくなってしまった。半ば遭遇戦となった今では逃走することも難しい。

(腹を括れ……やるしかないんだ、覚悟を決めろ。隊長の俺がビビッてどうする)

 桜摩はもちろん、皆も混乱しているのは同じこと。ならば隊長である自分が誰より早く、急転したこの状況に適応しなくてはならない。

 百合もいなくなって戦力が減った以上、慎重を期せねばならないが、逆にだからこそ早いところ百合に追いついてこちらの態勢を整えることこそ最善と言えた。

 幸い桜華は特別構えを取っているわけでもなく、覇切たちと頭巾が消えて行った先の間にただ突っ立っているだけだ。

 油断しているのか戦う気がないのかわからないが、これはどう見ても千載一遇。桜摩には悪いがこの隙を突いて一斉にかかれば、勝利することは難しくとも、極めて近い状況にまでは持ち込めるかもしれない。そうすれば隙を突いて逃げおおせることも十分に可能。

 相手も同じ鬼狩り、人間だ。そう自分に言い聞かせ、身が竦みあがるほどの恐怖心を無理やりに抑え込む。

 そうして無言のままに、覇切の意図に気付いたらしい秋桜と静かに呼吸を合わせ——

「——いかんなぁ、それでは」

 ぞっとするような、冷たい声音が耳に届いたと思った直後。そこから先は、総てが一瞬の出来事だった。

「……っ」

 直前まで確かにそこにいたはずの桜華の姿が消え失せる。

 瞬き一つせず注視していたというのに、見失うなんてことは有り得ない。しかしその驚愕と同時、何かが覇切たちの間を高速ですり抜ける感覚を覚えた。

 禍々しい殺意を伴った姿なき暴風。その存在をようやく認識した時には、もう何もかもが遅かった。

「会敵と同時に逃げの算段など立てている臆病者に勝利はないぞ。いつ、如何なる時もな」

 遥か後方から桜華の冷めた声が聞こえる。そして直後に響く、ぐしゃりと何かが潰れるような不快な音。

「——え?」

「臆病風に吹かれた部隊の行き着く先に待っているのは————全員の死だ」

 バッと後ろを振り返った瞬間、左脇腹をごっそり丸ごと失った比名菊が自らの血溜まりに沈む光景が視界に飛び込んできた。

「ひ……比名ちゃん先輩っ!」

「ははは、はーっははははは————ッ!!」

 秋桜の悲鳴と桜華の哄笑がその場に重なり合うように同時に響く。

 反射的に駆け寄り比名菊の身体を抱き起こしてみれば、彼女は意識こそ朦朧としているもののまだ生きていた。

「っ、ぁ……は、ぐぅ」

 鬼剋士としての驚異的な生命力の賜物ではあるだろうが、それにしたってもどうしようもない致命傷だ。加えて比名菊は治癒を司る快之象(かいのしょう)の等位が低い。このまま放置しておけば、あとどれだけ持つかわからない。

「野郎ぉ……!」

 仲間を一瞬で死の淵まで追い込んだ桜華にかつてないほどの怒りが湧き上がるが、それ以上に自分たち全員、間抜けにも全く気付かず桜華にすぐ傍を素通りさせてしまったという事実に(はらわた)が煮えくり返るほどの自責を覚える。

「——っ」

 そうして怒りと共に桜華を睨みつければ、そんな覇切を追い越していく二つの影。

「桜摩っ、梗!」

 憤怒の形相で拳を握り締める桜摩と、戦闘時の常である狂喜の笑みの消え去った梗が、標的目掛けて同時に迫っていた。

「る、ああぁあっ!!」

「っ……!」

 岩をも砕く剛拳と、変幻自在の赤い番傘が一切の呵責なく桜華に襲い掛かる。矢継ぎ早に放たれる連撃の数々は奇跡的にもその総てが流れるような連携となり、津波の如く桜華を呑みこまんと攻め手の勢いを増し続けている。

「はははっ、まるで児戯だな。とろ過ぎて欠伸が出るぞ、うすのろ共」

 しかし、当たらない。

 言葉通り欠伸を噛み締めているその姿は、ただそこに突っ立っているようにしか見えないのに一切の攻撃がすり抜けるように全く手応えが得られない。

「くそっ、俺たちも続くぞ!」

「言われなくてもっ」

 比名菊を安全な場所へ移動させた覇切と秋桜も二人に続く形で加勢に入る。

 二人が駄目なら四人で、などとそんな単純な話でもないだろうが、攻めの数を増やす以外に現状打開策を見出せない。

 故に、通常有り得ない白兵での四対一がここに成立した。

「おおぉぉぉおおおっ!!」

 徒手空拳と番傘に加わり、刀と大槍剣が背後から桜華を襲撃する。

 前後左右に上下死角、三次元全方位からの疾風怒濤の猛攻撃。一瞬ごとに苛烈さを増していく大攻勢は、今なお限界を超えて回転率を上げ続けるが、それでも命中するどころか服や髪の毛の一本にすら掠ることさえできずにいた。

「下手な鉄砲何とやらというやつだな。だが、そんなぬるい攻撃では一生続けたところで意味はないぞ」

 仲間内では最速の百合すら赤子に見えるほどの桁外れの敏捷性。加えて複数の相手の挙動を先読みし、攻撃の初動を見切った上でその後の連携すら予測する先見は天性のものだ。その二つが合わさって初めて実現する圧倒的不条理はすでに人間業を通り越している。

「何でっ、何やってんだよあんたは……!」

 間断なき攻撃の中、桜摩が悲痛に歯を食いしばって桜華に問いかける。

「貴様……面影があるとは思っていたが、桜摩か。デカくなったじゃないか。姉上は嬉しいぞ」

「ふざけてんじゃねぇよ、質問に答えろ! あんた一体何であんな得体の知れない奴の側についてんだ? あんたは、鬼狩りだろうがっ!」

「答えたところで貴様には分からんさ。いつまでも私の後を追いかけ続けているだけの貴様にはな」

「っ……ざっけんなあぁぁあああ————————ッ!!」

 実の弟の決死の訴えにも耳を貸さず、挙句哀れみにも似た色の視線を向けられた桜摩は、昂ぶる怒りの感情のままに渾身の右拳を姉へと放つ。

 しかし、結果は虚しく空振り。それどころか躱しざまに放たれた交叉法の正拳をまともに喰らい、桜摩はそのまま冗談みたいな勢いで錐揉み状に回転しながら遥か後方へと殴り飛ばされた。

「ご、はぁっ……!」

「桜摩っ!?」

 しかし桜摩が桜華の拳に沈んだのとほぼ同時、狩人が獲物を仕留めた達成感に浸るその一瞬の隙を狙った絶妙な攻撃が、この瞬間に成立する。

「ゆる、せない……っ」

 いつものおっとりとした様子からは考えられない程に怒りを露わにした梗の番傘、紅血花の鋭い牙が桜華の首を噛み千切らんと真っ赤な花弁を開いていた。

 時機、狙い共に完璧。確実に殺せる瞬間を本能的に嗅ぎ分けることに長けた梗だからこそ為せる必殺の一撃。故に誰もが起死回生の一手と期待せずにはいられなかったのだが——

「——で? 終わりか?」

「っ!?」

 首筋まで残り一寸とない位置まで迫ったその矛先は、無造作に突き出された桜華の左手に受け止められ、完全に動きを停止させられていた。

「狙いは……まぁ、悪くない。だが如何せん殺意が濃厚過ぎだな。それでは『今から殺します』と宣言して斬りかかっているのと同じことだぞ」

「かっ、はぐっ!?」

 言葉と同時に受け止めた傘を握り潰し、見せつけるように放たれる後ろ回し蹴り。寸前で引き戻した番傘を盾に滑り込ませたものの薄紙程度の役にしか立たず、中心からへし折られた得物と共に地面に叩き付けられた梗が、跳ね返りながらぼろクズのように転がっていく。

「驚いたな。胴から捩じ切ってやったつもりだったが、柔軟さと直感は天性のものか。鍛えてやれば将来有望そうな人材だが……貴様らは、どうだ? なんなら受けて立つぞ?」

 言いつつまるで稽古をつけてやるとでも言わんばかりに、微笑みと共にちょいちょいと手招きしてみせる桜華。

 その挑発じみた身振りに秋桜が感情の爆発を表すかのようにその全身から業火を迸らせる。

緋燕天衝(ひえんてんしょう)——紅蓮爪(ぐれんそう)

 言葉と同時に発生した炎の渦が大槍剣、悪路王へと纏いつく。

 秋桜のように炎そのものを創造するような環境支配は、一度発現してしまえばそれがそのまま残り続けるため、そこからさらに別系統の合技を放つことが可能である。

 故に桜華へ一瞬で肉薄した秋桜は炎渦を纏った神器を握りしめ、練によって限界まで高めた神威と共にそれを思い切り振りかざした。その姿を見てなお棒立ち状態の桜華は、遊んでいるのかこちらを侮っているのか。

 わからなかったが、このままではどのみちこちらが磨り潰されるのは目に見えている。ならばこれを好機と捉えて逃さない。わからないものはいくら考えてもわかりっこないのだから、考えるだけ時間の無駄だ。

 相手が棒立ちでいてくれるというのならいいだろう。存分に油断し、そこで裸を晒していろ。

「舐めんな。クソガキ」

 一言吐き捨てるように呟き、狙うは頭。地平線の彼方まで吹き飛ばすつもりで、剛と練に己の神威の総てを注ぎ込んだ全力の合技を撃ち放つ。

「——っ!」

 空気を突き破る豪力一閃の大爆音。さらに直後響いた、隕石でも振ってきたかのような派手な轟音が辺り一帯に木霊し、発生した衝撃波に周辺の木々が根から上空へと吹き飛ばされる。

 爆風の余波で、秋桜の後ろから追撃しようとしていた覇切も足を止められてしまう結果になってしまったが、これほどの規模の一撃ならばどう足掻いても必殺。故に砂埃が舞う視界の晴れたその先、首から上を失った桜華の姿を確信して疑わなかった。

 しかし——


「——かはっ」


 これ以上、一体どんな絶望があるというのだろか。

 全身全霊込めて放たれた秋桜の乾坤一擲。紛れもない彼女の最大出力であった全力の一撃はただ防がれたどころか、あろうことか——大きく開かれた桜華の口で受け止められていた。

 虚を突いてみせたことに嗜虐心たっぷりに笑う桜華。そして悪夢はそれだけに止まらなかった。

「っ……嘘……!?」

 驚愕の事態に一度退がるため、秋桜が武器を引き戻そうと力を込める。

 しかし、桜華に噛み締められた刃がピクリとも動かない。いやそれどころか——

「くっ……ぅっ」

 徐々にだが、確実に秋桜が力負けし始める。仲間内で最も剛之象に優れた彼女が全力で引っ張っているというのに、桜華はものともせずに顎と首の力だけで自らの側へと得物を引き寄せる。

 そしてその光景に覇切は直感で嫌な気配を感じ取っていた。

「よせ、秋桜! 手を離せっ!」

 そして叫んだ警告も一瞬遅い。

「う……ぁっ!」

 次の瞬間、突然これまでよりさらに大きな力でぐんっと引っ張られる。身体が浮いてしまうほど強力な力で引き寄せられた秋桜は、そのまま勢いよく上空へと投げ飛ばされた。

「ははははっ! 威勢がいいな、小娘ぇ!」

 そして飛ばされる秋桜を眺めながら桜華が大きく息を吸い込む。

「おい、嘘だろまさか……くそっ」

 桜華の意図に気付いた覇切が再び駆け出した。

「これ以上好きにさせて堪るかよ……!」

 漲る気迫と共に、桜華の前へと躍り出る。

「蟒蛇神道流——穿牙(せんが)吶蝮(とつばみ)っ!」

 自分の今ある技の中で最も突進力のある合技。これでどうにかなるとは思っていないがせめて意識だけでも逸らさせる。その決意と共に自らが標的に成り変わるつもりで桜華の懐に飛び込んだ覇切だったが、渾身の奥義も桜華の差し出したたった二本の指に阻まれ、呆気なく不発に終わってしまう。

(有り得ない、でたらめ過ぎるっ……一体こいつの鬼宿等位はどうなってるんだ!?)

 開戦前の自分の判断の甘さを今更ながらに後悔する。

 同じ鬼狩り? 同じ人間?

 馬鹿な。同じところなど何一つとてありはしない。

「ぐっ……おぉっ!?」

 そして一瞬前の秋桜と同じく天高くその身を放り投げられる。

 身動きの取れない空中から、地上でこちらを見下す(・・・)桜華が嗜虐の笑みを浮かべているのが見えた。そして——

「ッ、はぁあああ————————————ッッッ!!」

 大音量、吐き出された超高密度の怒声が指向性を持ち、見えない砲弾と化して覇切たち二人を諸共呑み込んだ。

「が、は……っ」

 鼓膜が破れるどころでは済まない。全身の骨にひびが入り或いは砕け、内臓は殆ど余すところなく破裂した。

 受け身を取ることすらままならず大地に墜落した覇切と秋桜は、二人とも息さえあるものの血反吐を吐きながら、悶絶することも満足にできず全身を襲う激痛に苦しんでいた。

「ふふ、ふはははは、はーっははははははははは——————————っ!!」

 これが超獣。これこそが桜月桜華。

 並び立つ者など存在しない、生まれる世界を間違えたとしか思えない超弩級の怪物。

 始めから勝機などというものは存在していなかった。あったのは逃走できるかどうかという程度の僅かな可能性。そしてそれも今となっては皆無に等しい希望的観測だろう。

「ぐっ、くぁ……っ!」

 眼帯の裏にチリチリと炙られるような痛みが走る。その痛みに一瞬遠退きそうになった意識をかろうじて現実に繋ぎ止めた。

(どう、する……どう、すればっ……)

 脳を焼き切らんばかりに高速回転させ、必死に打開策を考える。最早勝つことは考えていない。しかし皆がすでに瀕死に近い満身創痍。こんな様では満足に逃げることすらできはしない。

 正直なところ、奥の手と言えるかどうかはわからないが、一つ現状を変える手段があるにはあった。

 覇切の環境支配である金烏神陽陣(きんうしんようじん)。周囲の神威を強制的に奪い、自分に集めてしまうその特性上、集団戦では全くの不向きであることから使用を控えていたが、今ならその枷も外れる。

 しかしそれでも全員を連れて逃げることなど不可能。生き残る可能性があるとするなら自分一人、最大効率で神威を集中し、快之象による回復を瞬時に行い、迅之象を最大限に行使し全速力で逃げる。これすら百分の一以下の僅かな成功率ではあるだろうが勝利や全員の生還よりかは遥かにマシだ。しかし……。

(できるかよ、そんなこと……話にならない)

 故に、結論としては疑いようのない詰みだった。

 どうしようもない絶望に打ち拉がれる。この後全員が為す術なく桜華に頭蓋を踏み潰され、全滅する光景を脳内に幻視したところで、ザーザーという雑音が殆どを占める耳が新たな足音を捉えた。

 億に一つくらいの可能性として救援という想像もしたが、満足に動かぬ頭で視線を向けてみれば、そこに立っていたのは森の奥へと消えていった頭巾の人物。そしてその片腕に無造作に抱えられていた物言わぬ人形のような塊が、ごみ同然に捨てられた。

「ゅ、り……」

 覇切たちと同等かそれ以上の重傷を負った百合の身体は、遠目から見る限りピクリとも動いていなかった。

「殺さな——たのですか? ——」

「——。こいつに——だ、やってもら——がある——な」

 桜華と頭巾が何やら会話を交わしている。潰れた鼓膜は上手く音を拾わず断片的にしか聞こえない上、声の判別もできていなかったが、内容から百合の処遇について話しているようだった。

(百合を何かに利用するつもりなのか……? なら、少なくとも生きてる……でも、一体何に……?)

 奴らの狙いが最初から百合だったとは思えないが、少なくとも百合が奴ら——と言うより頭巾にとって重要な存在であるということは確かなようだった。

 しかし、にも拘らず、まるでごみのように百合の身体を足蹴にする頭巾からは彼女に対する並々ならぬ憎悪が伝わってきた。

 何一つさえわからない状況の中、桜華へと、恐らく覇切たちを始末するよう指示を出した頭巾が、百合の髪の毛を掴んでズルズルと引きずるようにして立ち去ろうとしていた。

(あの、野郎ぉ……!)

 人の尊厳を踏みにじるような非道な行いを、それも仲間である百合に対してやられ、怒りの沸点を越えた覇切は激痛の走る身体になど構うことなく、反射的に立ち上がる。

「——、まだ動——か? 活き——い獲物は嫌いじゃ——ぞ」

 ぜぇぜぇと息を切らしながら立ち上がる覇切を見て、桜華が驚きと同時ぺろりと舌なめずりし、期待に口角を吊り上げる。

 しかし今の覇切には桜華のことなど眼中になく、その瞳の見据える先には冷めた雰囲気でこちらを見返す頭巾の姿のみ。

(そうだ……後のことなんて考えるな。今この瞬間に命を燃やす……それがあの日決めた、俺の生き方だったはずだろうがっ!)

 何故自分はこの戦いの後に生きて(・・・)帰ることなど考えていたのだろうか。

 己の魂を燃やして、砕いて、使い潰して、その果てにある死という贖いを誰より願っていたのは他ならぬ自分自身だったはずなのに……いつからこんな……。

(詰みだ王手だ結構なことじゃねぇか……今この瞬間に俺の命の全部を燃やし尽くすことができるのなら——)


 ——ここで死んでも構わない。


 暗く沈んだ願いの戦火を左眼に燃え上がらせ、ここに己の環境支配を発現する。

「二元太極——金烏神陽陣」

 そうして白い光を自らに集束させた覇切が、剛と迅の合技により頭巾との距離を一息で無にする。

 その光景に桜華が目を丸くして驚いているようだったが、頭巾は迎撃しようとした桜華を手で遮って自ら刀を構え前へ出る。

「蟒蛇神道流——散華皎斑(さんげしろまだら)

 そして流れるように放つ、迅と砕による次なる合技。出し惜しみなどせず、一帯の神威を総て喰らい尽くすつもりで、更なる合技を連続していく。

三葛山楝蛇(みつづらやまかがし)っ! 穿牙吶蝮!」

 しかしどういうことなのだろう。止めどなく放たれる必殺剣の連続を前にして、頭巾はその総てを難なく防いでみせたどころか、驚くほど流麗とした動きでそれら総てを再現して返してみせた。

 それもただ再現しただけじゃない。陽動の動きを加え、緩急をつけ、攻撃を受けたことで得た知識をそのまま応用して上位互換へと変貌した形で技を修得してしまう。

(いやそれだけじゃないっ、これは……!?)

 先ほどからずっと覚えていた違和感。完璧な呼吸でこちらの剣を相殺した挙句模倣され、さらなる完成度の技としてて返されてしまうのも確かに驚愕ではあるが、まだ理解のできる範疇である。

 しかし、何故頭巾は覇切の連続合技に対して、同じく連続合技をそのまま返(・・・・・・・・・・)すことができているの(・・・・・・・・・・)()

 この連続合技を可能としているのは、そもそも覇切固有の環境支配である金烏神陽陣があってこそである。

 これまでの戦いで頭巾と自分の間に筆舌尽くしがたいほどの力の開きがあることは認めよう。しかしそれと、本来原則的に連発できない合技をいとも容易く出せるのとは別問題である。

(まさか……いや有り得ない……でも、こいつっ)

 いつからだろうか。頭巾の身体の周囲に纏わりつくように漂う、ぼんやりとした白い光がそこにあった。

 覇之象の応用からなる鬼剋士の環境支配とは木火土金水の属性神威の操作を基本としているため、水や氷等、多少の差異はあれど、完全に独自の環境支配というのは存在しない。故に同じような環境支配を持つ使い手に出くわすと言うのは決して珍しいことではないはずなのだが、覇切の場合はその鬼宿等位からしてかなり特異な分布となっているため、その可能性など露ほども考えていなかった。

「ぐっ……!?」

 そしてそうこうしているうちに覇切の纏った白い光が薄れていく。金烏神陽陣の特性上、当然のことながら一定範囲内の神威を使い尽くせばそれはすなわち時間切れとなってしまう。

 加えて認めたくはないが、今は頭巾も覇切と同じ特性を備えた環境支配を場に展開してる。それはすなわち本来覇切が喰らうはずの神威を頭巾に少なからず奪い取られているということで、いつもよりも時間切れが早い。

「く、おぉおおっ……蟒蛇神道流、秘剣之壱——!」

 だからこれが本当に最後の全身全霊。

 元々使い潰そうとしていた命。ならば今ここに己の総てを燃やし尽くす覚悟で剣を構える。

天乾一刀(てんけんいっとう)——難陀(なだ)扇刃葬(せんじんそう)!!」

 上段の構えから放たれる練と迅による袈裟斬りから、返す刀で続けて放たれる冴と剛による逆袈裟。周辺の神威の総てを吸い尽くし、過去最高練度、覇切の生命力を喰らい尽くす勢いで放たれた必殺剣は——……しかし全く同じ、上段から放たれた頭巾の模倣剣に、信じられない程あっさりと打ち破られた。

「——はっ……が、ぁ」

 両肩から両脇腹にかけて十字に斬り裂かれた身体が、地面へと崩れ落ちていく。

 桜華のように圧倒的な怪物級の強さではない。まるで何にでもなれると言わんばかりの模倣攻撃の数々により、戦えば戦うほど、この頭巾の人物像が茫洋と見えなくなっていった。

 そして重力に従い地面へと倒れていく覇切に、駄目押しの一刀が背後からその身体の中心を貫いた。

(終わり、なのか……?)

 ずるりと刃を抜かれ、今度こそ支えを失った身体が、重力に従い地面へと打ち付けられる。

 自らの魂の灯火が消えていくのを感じる。全力を尽くし、それでも勝負にすらならなかったこの戦いは、納得こそいかないものの自分のような人間の最後には相応しいだろう。

 そんな風に考えたところで、負傷とは全くの別次元で何故だか酷く気持ちが悪くなる感覚を覚えた。

 戦場を求め、誰かを守るために自分の命を使い尽くす。この結末を自分は望んでいたはずなのに。死んで本望と、そう思っていたはずなのに……。

(何で、今になって……)

 しかしここにきて自分の心境に変化が生じていようが、最早どうにもならない。身体中の負傷はさることながら、すぐそこには今度こそ止めを刺さんと刃を光らせる頭巾と桜華がいる。

(ちくしょう……)

 そして誰にともない悪態を、心の中で零したのと同時のことだった。

「——れは、まさ——、——変動か?」

 凄まじい轟音と共に、大地が目で見て震えているのがわかるほど大きく揺れ始めた。

 さしもの頭巾たちもこれは想定外の出来事だったのか、ここに来て初めて動揺の色を見せる。

 立っていることすら難しい、激しい揺れに襲われ、頭巾は百合を急いで抱え上げようとする。

「っ……!」

 しかし、頭巾の手が百合へと伸ばされたところで、弾丸のような速度で飛び出した覇切が、その華奢な身体を奪い去った。

 まだ僅かに残っていた搾りかすのような神威を今度こそ使い果たした覇切は、受け身を取ることも百合の身体を庇うことすら満足にできずに諸共地面を転がっていく。

 身体中が悲鳴を上げ、全身から異常な量の血が迸る。何故死が間近に迫った今になってこのような行動に移ったのか自分でもわけが分かっていなかったが、最後の最後で頭巾の下の奴の顔に屈辱の色を見た気がして、ざまぁみろと、少しだけ痛快な気分になった。

 揺れがより一層激しくなる。岩盤がひび割れる轟音と共に大地が脈動し、周囲の自然環境が急速に変貌を遂げていく。

 視界はぼやけ、揺れが怪我に響いてもう意識を保つことができない。

(ああ……これで、やっと……)

 誰より殺したい奴がいた。だからそいつを殺せる今この瞬間になって、ほっと安堵すると同時に……思い浮かんだ顔があった。

(みん、な……ごめん)

 意識が途切れる最後の瞬間、何故だかわからないが、皆に対する謝罪が浮かんだ。

 その気持ちの変化に戸惑いながらも、覇切の意識は暗闇の中へと落ちていく。

 また守れなかった。その悔恨の想いだけを胸に抱いて、冷たい暗黒へ、ゆっくりと……。



終わりです。盛り上がってまいりましたよ。ちなみに比名ちゃん先輩がああなったのは作者の愛ゆえにです。比名ちゃん先輩可愛いね。

次回更新は週末土曜日の2/4です。それでは今回も読んでくださりありがとうございました!

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