第五幕 鬼ト化ス
どもです。とりあえず重要っぽくて読みづらい単語だけ載せることにしました。必殺技名等はその都度読み仮名振っていくので宜しくお願いします。
※《神州豊葦原中国》《季華十二鬼将》《千刃暁學園》《穢土》
神州豊葦原中津国の歴史は、遡れば古く千年以上も前から続くと言われている。しかしそれはあくまで伝承上の話で、実際のところ確かに歴史を実証できるのは五百年ほど前からである。
当時から今日まで皇主を頂点とした君主制が続いているが、四百年前に起きた大規模な内乱から国政は一度崩壊。皇主という地位自体は残されたものの、事実上の権力は喪失し、その後始まったのは通称月家と呼ばれる有力貴族たちによる、国の実権を巡る利権争いだ。
そこから約百年続いた士という戦士たちによる戦国の世は後の鬼剋士たちの戦い方に大きな影響を与えることとなったが……人の力があまりに脆弱過ぎることを、彼らはすぐに思い知らされることとなる。
——大禍時。今なお語り継がれる、神州史上最大最悪の大災害と称される地獄の流出。
以降三百年以上に亘り、今なお人々の生活を脅かし続ける謎の怪物——鬼の突然の大量出現は、その瞬間昼間にも拘らず、空が夜の暗黒色に覆われる謎の現象に見舞われてしまったことから、夕刻から夜へと変化する時間帯——『逢魔が時』とかけてそう呼ばれている。
その後は朝廷陰陽寮や全鬼剋士の生みの親である月代兎和子等の有識者たち、最初の鬼狩りたる初代季華十二鬼将東征軍の活躍により、鬼に虐げられ続けてきた人々の逆襲劇が始まることとなるのだが、その魁として浄土の最東端地域の一角に、ある一つの共同体が作られた。
始まりは初代十二鬼将たちを中心とした穢土東征軍が設営した補給拠点。しかしいつしかそこには鬼剋士を始めとする人々が次々と集まり、ついには一つの町を形成した。やがてその町は瞬く間に規模を大きくし、鬼剋士たちによって切り拓かれる新時代の幕開けの意味も込めて、こう呼ばれるようになった。
——黎明の都、大和。
今や真の意味での都である浄土最西端地域の皇主が住む日の都を差し置いて、『都』と呼び親しまれる大和は、五つの鬼剋舎に囲まれた鬼剋士たちの中心地となっている。
故に様々な軍制服姿の鬼剋士たちで溢れ返っているのは当然のことながら、鬼剋士相手に商売をする神器製造業の職人たちやそれを販売する商人、日常生活に係る様々な製品を扱う商店や食事処に甘味処……ありとあらゆる職業の人間たちが集まるこの町は、確かに都と称されるに相応しいだけの実情があった。
町の外縁部に沿って円を描く様に並ぶ各鬼剋舎から真っ直ぐ伸びる表通りは、そのような人々で溢れ返っており、道の左右に立ち並ぶ蔵造の商家からは客足を少しでも多く呼び込もうと、引っ切り無しに客引きの声が響いている。
「はぁ〜……残念ですわ」
しかしそんな賑わいの中、食事処を求めて表通りを歩いていた覇切達の間に、場違いな暗いため息が流れた。
「まぁだ言ってるわよ。正門出てからこれで三回目」
後方をとぼとぼ歩く比名菊に聞こえないくらいの声量で秋桜が覇切にそっと耳打ちをしてくる。
「まぁ、あんなに張り切って誘いに行ったのに素気無く断られたとあっちゃ、落ち込む気持ちはわからないでもないけどな」
言いながら覇切も後ろをチラリと振り向き、先ほどのやりとりを思い出す。
桜摩との仕合じみた騒動の後、皆で食事に行こうということになった特科生の面々だったのだが、桜摩だけ比名菊からの誘いを断って一人不参加となってしまったのだ。比名菊経由で理由を聞いてみれば、群れるのが苦手とか何とかいう実にらしい理由で、秋桜が失笑していたのが印象的だった。
比名菊は見たところ随分責任感の強い性格のようなので、桜摩を誘えなかったことも残念なのだろうが、何よりその役割を全うできなかったことが納得いかないのだろう。
とは言えこのままにしておくと際限なく暗くなりそうなので、どうしたものかと思っていると、不意に秋桜が比名菊の肩を叩く。
「ほらほら元気出してよ、比名ちゃん先輩。美味しいものでも食べて、つまんない拘りで来なかったことを桜摩の奴に後悔させてやりましょ」
「そうですわね、桜摩君をこの場に呼べなかったのは本当に残念ですけど……って、比名ちゃん先輩?」
と、言葉の途中で違和感を覚えた比名菊が、キョトンとした表情を浮かべる。
「そ、そうですよ、比名先輩。桜摩先輩のことは残念ですけど、また後日、今度はみんなで一緒に行けばいいんですよ」
「比名ちゃん、元気、出して?」
「皆さん……」
秋桜の言葉に乗っかる勢いであだ名を呼ぶ百合に、比名菊の制服の裾をぎゅっと握って健気に元気づけようとする梗。そんな少女たちの気遣いに感極まった様子の比名菊は思わず両手を広げ……そして何故か覇切の方をちらりと見た。
さらに言えば、そんな比名菊に続く形でちらちらと同じく意味深な視線を向けてくる女性陣。
「……え、何?」
皆が言わんとしていることを理解できずに固まっていると、秋桜、百合、梗の三名は顔を見合わせ頷くと大きく息を吸い込んだ。
「比名ちゃん先輩!」「比名先輩!」「比名ちゃん!」
——ちらっ。
「……」
つまり、何だろう……要するに、お前もそう呼べと、そういうことだろうか。
比名菊を元気づけるために即興で愛称をつけた秋桜たちの機転には感心した覇切だったのだが、正直そういうのは女性同士でやるだけで十分だと思う。
故に三人の視線から逃れるようにさっと目を逸らした覇切だったが、今度は、いまだ両手を広げたままの体勢の比名菊とばっちり目が合ってしまった。
「じー……(キラキラ)」
比名菊の期待に満ち溢れた瞳がつらい。
これは完全に退路を断たれているのではないだろうか。
正直な話、これまでの人生の中で、愛称など妹相手にも呼んだことがないので非常に慣れない状況なのだが……。
「あー……その、比名、先輩? 桜摩のことは、あまり気にしなくても——」
「ああっ、皆さん……!」
「——ちょっ」
そうしてぎこちないながらも一番無難な呼び名を選び口にすると、覇切が逃れる間もなく、比名菊は四人まとめて問答無用で抱き締めた。
覇切より若干小さいが女性にしては高身長の彼女なので、何とかその両腕の中に四人全員が収まっているものの、当然密着感が物凄いことになっている。
いい匂いやら柔らかい感触やらが四方からやってきて、覇切は頭がどうにかなりそうになっていたが、他の女性陣三名はと言えば、実に楽しそうに「きゃーっ」などと黄色い声を上げている。
「ああ、私はっ……私はあなたたちのような弟妹たちを持てて、本当に幸せ者です!」
「いや、何言って——」
勝手に人を血縁に巻き込まないでほしいと思うものの、思いの外強い力に阻まれて拘束から逃れることができずにジタバタもがく。
(逃がさないわよ)
(なっ……秋桜!?)
共に比名菊に抱き締められる中、秋桜の手が覇切の手首をがっしり掴んで完全にこの場に固定されていた。
凄まじい腕力である。恐らく彼女の鬼宿等位は剛之象に突出した資質なのだろうが……こんなところで鬼剋士の能力を存分に発揮しないでほしい。
百合と梗はそんなことにも気づかず積極的に抱きつき返している始末だし、比名菊は全く聞く耳持とうとしないし、このままでは収拾がつかない。
そもそも往来のど真ん中でこんなことをやっていれば人目について仕方がない。おまけに皆がそれぞれ別々の鬼剋舎の軍制服を着ているので余計に目立つ。
何だ何だと、もの珍しげに道行く人が野次馬と化していく中、力づくで振り解くわけにもいかないし、そもそも秋桜に阻まれてそれができないし、現状をどうしようか覇切が判断に迷っていたその時——
「——我々は、今こそ彼らと魂を同じくし、真の平和を築くべきなのである!」
通り全体に響くほどの、そんな大きな声が耳に届いた。
一瞬前まではしゃいでいた女性陣と共に視線を向けてみると、表通りに面した一角。少し開けた広場のような場所に、浅黒い色のどことなく不快感を煽る揃いの外套を羽織った怪しげな集団が目に入った。
「何だ、あれ?」
比名菊の熱い抱擁から解放され尋ねてみると、秋桜がウンザリしたような調子で答えてみせた。
「ああ……最近流行りの宗教団体よ。『鬼信仰』って言葉、聞いたことない?」
秋桜の言葉に記憶を手繰り寄せてみれば、確かにどこかでそのような話を聞いたことがある。
「鬼信仰……それはある日突然現れた鬼という未知の怪物に対する人々の混乱や戸惑い、恐れから生まれた歪んだ宗教思想ですわね。人の根源とは鬼である、鬼とは腐敗した現在の人間たちを粛正するためにやってきた神の使いである等、様々な主義主張がありますが、共通して言えるのは現在の神州の在り方をどういう形であれ否定しているということですわ」
人というのはわからないことに対して理由を求める。茫洋として掴みどころがない、未知というのはそれだけで恐怖だが、理由という名の容れ物に入れてしまえさえすれば、形が見えてくる。そしてその容れ物というのは往々にしてその人にとって都合のいい形をしているものなのである。
「今の鬼狩り中心の世の中に不満を持っている奴も多いってことよ。鬼狩りの台頭で商売の在り方だってだいぶ変わってきたし、仮に鬼狩りになるにしても才能に左右されたりするから気持ちは分からなくもないけどね。優秀な鬼狩りを排出できない貴族筋の連中なんかは特にそういう思想が激しいんじゃない? ともすれば人の世を破壊しようとしているようにも見える鬼が救世主にも見えるってわけ。その鬼と戦って今の暮らしを守っているのはあたしたち鬼狩りだっていうのにね」
しかしその奮闘も彼らからしてみれば、鬼剋士たちの保身にしか見えないのだろう。宗教というもの自体を否定するつもりはないが、その界隈ではよくある矛盾である。
「あそこで演説を行っている方々は最近になって目立ち始めてきた新しい団体ですわ。確か名前は……」
「——鬼裡依教」
比名菊の言葉を引き継ぐ形で答える冷ややかな声音。包帯に包まれた右の二の腕を反対の手で力いっぱい握り締めながら、百合が射るような視線で集団を睨みつけていた。
「鬼化を是とし、神州に住まう総ての人間が鬼となることを願う……鬼信仰の中でも最も危険思想を持つ教団です。人と鬼、その二種が同時に存在するからこそ争いが絶えない。ならば皆鬼となってしまえば争いはなくなる、なんて馬鹿げた考えを大真面目に掲げている狂人たちですよ」
鬼化とは、融魂施術を受けた人間にのみ起こる、文字通り人体が鬼と化してしまう現象のことである。鬼の魂との融合を果たした後、人としての魂が融合した鬼の魂の強度に負けてしまうと、その魂ごと食われ鬼と化してしまう。
主に施術を受けた直後の至り立ての身に起こることが多い印象だが、実際には熟練の鬼狩りでさえそうなってしまう危険がある恐ろしい現象である。
「当然融魂施術を受けるときには事前の審査があるわ。今はああいった奴らも出てきた影響で随分制限がかかってるみたいだけど……噂によると施術方法自体が流出して、どこかで密かに鬼化の人体実験が行われてるって話も聞くわね」
「最近、行方不明の人多いって聞くよ?」
梗の言葉に比名菊が僅かに顔を伏せた気がした。少し引っかかる仕草だったが、それより気になったのが——
「百合……?」
百合の様子が明らかにおかしい。
ぎりっと歯を食いしばり、眼光鋭く集団を睨みつけるその姿は、まるで出会った当初に戻ってしまったかのような危うげな雰囲気を思わせる。
他の特科生たちも皆どこか暗く沈んだ面持ちになってしまい、つい少し前までの和気藹々とした空気など完全に吹き飛んでしまっていた。
「ん……?」
故に、ここで立ち止まっていれば余計に暗くなって仕方がないと、覇切がその場を離れることを提案しようとした時だった。
「我らの行く末、その先の太平の世を目指す同志たちよ! 今ここに我らの真の姿と力を証明してみせようぞ!」
「……何か、様子がおかしくないか?」
演説をしていた男がさらに一歩前へと出る。そして、その背後に立つのは顔を隠すように頭から頭巾を深く被った人物。
一体何が始まるのかと、観衆が興味深げにその数を増やしていたが、覇切には嫌な予感が拭えなかった。
まるでこれから斬首台に向かう人間を眺めているような……しかもその人物は自ら進んで首を差し出しているような、そんなちぐはぐとした言いしれぬ違和感を胸に抱いたその時。
頭巾の人物の右手がそっと男の肩に添えられ、直後——びくんと、男の身体が大きく脈動した。
「ぁ、あああ……が、あぁっ……!」
白目を剥いて天を仰ぎ、四肢を奇怪に震わせる男の肌が徐々に黒ずんでいく。
先ほどまで演説を聞いていた民衆も何事かと、距離を置き始め、そして——
「あ、■あぁ■っああ……が、■■ぎっ、■■■■■————ッ!!」
額を突き破って二本の角が生えた瞬間、地獄の底から響くような叫喚が弾けた。
「鬼化っ!?」
肥大化した身体が外套を破り去り、巨大な四肢が大地を抉る。迸る禍々しい雰囲気はまさしく鬼で、疑いようもない人の鬼化なのだが、あまりに突然すぎる。
見れば、先ほどまで鬼の背後に並んでいた他の信者たちも次々とその姿を鬼へと変貌させていっていた。
「っ……あいつ……!」
と、百合の視線が向かう先、そこには悲鳴を上げ混乱する人込みに紛れるように逃げ去る頭巾を被った人物の姿。
「——っ!」
「え、ちょっと百合ちゃん!?」
比名菊の呼びかけも聞こえていない様子で勢いよく飛び出した百合。
「■■——!!」
「邪魔っ!」
側方から飛びかかってきた鬼を神速の一刀で斬り捨てると、そのまま人の波へと消えていく。
追いかけたいのは山々だったが、業魔級とも取れる見た目の鬼を含め、ざっと十体以上いる鬼の群れを放置してしまうのは危険すぎる。
「覇切君!」
比名菊の声にハッとし、一瞬だけ逸らしてしまった意識を戻せば、少し離れた位置に泣き叫ぶ子どもとその母親らしき女性が逃げ遅れていた。そしてそのすぐ傍には、親子に手を伸ばす凶悪な二体もの鬼の姿が。
(間に合わないっ……)
完全に出遅れてしまった。
この距離だと合技を使ったところで間に合うかどうかわからない。
(いやそうじゃないだろ……間に合うかどうかじゃない。間に合わせろ!)
迅に特化した百合がいればまだしも、総ての等位が平均値の自分では届くかどうかわからない。しかしだからと言って、このまま指を咥えて見ているなんてことはできなかった。
「くそっ」
故に一か八か。覇切が合技を発動しようと神威を集中させた、その時だった。
「……■、■■ッ!?」
鬼の側方から高速で飛来する巨大な鉄塊。
砲弾もかくやという速度で飛んできたそれは、一体の鬼の頭を吹き飛ばすと、その勢いのままもう一体の胸まで貫き、凄まじい轟音と共に大地に突き刺さった。そして——
「——炎舞陣」
静かな、しかし確かな熱を感じさせる少女の声が、その場に響いた。
「ったく……めんどくさいわね。何がどうなってんのかわかんないし……悪いけど同情はしないわよ。あんたら自分から鬼狩りの敵になったんだから、殺されたって文句なんて言わないでよね」
言いながら進み出た秋桜の周囲を、まるで桜吹雪のような炎の花弁が舞い踊っていた。彼女の胸の内に秘めた激情を表すかのような真紅の炎は、二体の鬼の死骸を巻き込み一瞬で焼却する。
へたり込む親子に下がるよう告げた秋桜は、次いで地面が裂けるほどに深く突き刺さった鉄の塊を乱暴に抜き去った。
「行くわよ、悪路王。さっさと片づけてお昼にしましょ」
がしゃっという重低音と共に華奢な肩に担がれる大槍剣。平然と担いでいるように見えるが、鬼剋士の腕力に合わせて作られた彼女の神器は恐らく見た目以上に重いはず。
加えて秋桜が剛之象に特別優れていることを考慮すれば……あれの重さがどれだけあるかなど考えたくもない。
「残りはひぃ、ふぅ……九体くらい? 街中だからあんま派手にやるわけにもいかないしなぁ……あ、比名ちゃん先輩そっち行った!」
秋桜の言葉通り、今度は彼女とは反対側の通りにいる人々へ鬼が襲い掛かろうとしていた。
その前に立ちはだかる比名菊は素早く腰の刀に手をかけるが、あちらの鬼は迅に優れているのか速度が速い。
比名菊が武器を抜き、斬りかかるより一瞬早く、その横を通り過ぎようと駆け抜ける。
「あら……よいのかしら? そちらは通行止めですよ。通りたければ……両手両足置いていって頂きましょうか」
しかし比名菊の横を通り過ぎた瞬間、鬼の身体に無数の斬線が走った。
速度に乗った鬼の身体は、両手脚どころか全身をバラバラにしながら、絶命の声を上げる暇もなく崩れ落ちていく。
「残閃陣。後ろの皆さんもどうか動かぬようご注意ください。そこにいる限り鬼の攻撃は届かないとは思いますが、前へ出てしまえばあなた方にも怪我を負わせてしまうかもしれません」
そうして比名菊の手に握られていたのは、薙刀のような姿形の長柄武器だった。
そこに何もないはずなのに、周囲を舞う木の葉がスパッという音と共に両断される。
「偃月刀、白帝乕の斬れ味はいかがでしょうか? 元は人間とは言え、市井の民を無用に傷つけることは、神来月の名にかけてこの私が許しませんわ。死にたい方からどうぞいらしてください」
比名菊の環境支配。彼女の金属性の属性神威から成る環境支配。それはすなわち刃だ。
刃とは斬るもの。故に、彼女が支配した空間には不可視の刃が残り続ける。斬るという属性を得た神威は、決して見えない斬閃となり領域の侵入者に容赦なく襲い掛かるのだ。
しかも比名菊は覇之象に特別優れているのかその範囲が尋常じゃなく広い。この場に展開された刃の檻は、実に通りの脇に避難する民衆百人以上総てを覆い尽くすまでに広がっていた。
「……すごいな」
秋桜に比名菊、二人の戦う姿を初めて目の当たりにした覇切は、そこで思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
これだけの数の鬼を前にして一切怯まない心持ちはもちろん、一目見ただけでわかる鬼剋士としての練度の高さ。
加えて鬼を斃すことよりも真っ先に民衆を守るため、彼らの前に出たその姿勢は兎和子の理想とする鬼狩りの在り方にまさしく合致していると言えた。
(俺も、まだまだか……隊長としても、鬼狩りとしても)
初動で出遅れてしまったが、こういう突発的な状況でこそ、隊長である自分が起点となって冷静に対処しなければならなかったはずだ。
慣れない状況であることは確かだったが、百合の突飛な行動と民衆の安全を天秤に掛けてどちらを優先するかなどは、今考えてみれば当たり前に過ぎる二択だ。百合は鬼剋士で、しかもかなりの熟練者なのだから、この程度の状況で簡単に死ぬようなことはない。そのことはこの場の誰よりも知っていたはずなのに、焦りが出てしまった。
(これまでずっと一人でやってきたツケだな……秋桜や比名先輩の方がよっぽど上手く立ち回ってる)
しかしだからと言って、腐るようなことはなかった。
まだ自分は彼女たちのことを何も知らない。知らないのならこれから知っていけばいい。
今回の失敗は次また考えて改善していくことにして、ひとまずはこの今を切り抜けるため、彼女たちに後れを取らぬよう覇切も加勢に向かう。
「っと……」
と、そうしようとしたところで、今日何度目かの裾を引っ張られる感覚。
「どうした梗? お前も——」
振り返るより前に、確信と共に彼女の名を呼ぶ。
そう言えば彼女の実力もいまだ未知数で、ともすれば一番読めないと言っていい。
故にここは隊長としてどう指示を出すべきか、早速考えていた覇切だったが、しかしいざその人物の顔を目の当たりにしてぎょっとしてしまった。
「……ねぇ、おにーさん。あれは……鬼、だよね?」
静かに、淡々とした調子で覇切にそう告げる梗の表情は、彼女とのやりとりの中で今まで見たことがないものだった。
興奮を隠し切れずに紅潮した頬。湧き上がる喜悦から三日月形に歪んだ口。左右異色の双眸は、捕食者特有の情欲にも似た狩猟欲に濡れている。
「そう、だけど……」
そのある種の色気を感じさせる表情にドキリと心臓が高鳴ると同時、思わず血の気が引いてしまった。
いつものぼんやりとした可愛らしい小動物のような表情とは一転、妖艶で獰猛なネコ科の肉食動物を思わせる表情。
血のように赤い小さな舌が、ぺろりと上唇を舐め上げ、そして——
「——じゃあ、殺してもいいんだよね?」
そう告げられたと思った瞬間、目の前から梗の姿が掻き消えた。
「なっ……!?」
かろうじて捉えられた影を追うように覇切が振り返った直後、
「■■■、■■——————ッ!?」
凄惨な鬼の断末魔が、表通りに響き渡った。
「ふ、くっ、ふふ……うふふ」
脳天から股下までを真っ二つに両断された鬼から噴き出すどす黒い血。その血雨を鬼の足下で眺める梗は……笑っていた。
本来であれば降りしきる雨から身を守るための傘は開かれることなく、彼女の右手に握られたままどろりとした血と鬼の肉片に塗れている。
「きょ、梗ちゃん……?」
比名菊が恐る恐るといった風に、梗へと呼びかけるも彼女からの返事はない。秋桜なんて普段の彼女からは考えられないぐらいひきつった顔で唖然としている。
そして覇切は不意に思い出す。先日、千刃暁學園の講堂で梗に対して抱いた違和感に、あの時聞き違えてしまったあの言葉に。
——大丈夫、です。
「あはっ」
——大丈夫、です。梗、鬼殺すの好きだから。
「あは、あっはははっ! あははははは————っ!」
瞬間、その場に彼女の哄笑が爆発し、無邪気を振りまく殺戮劇が幕を開けた。
鬼の亡骸が地に崩れ落ちるどちゃりという不快な音を背後へ置き去り、嬉々とした様子で手にした番傘を一閃。
梗を危険と判断し真っ先に飛び出してきた鬼の胴体を、まるで豆腐のように抉り斬ると、顔面に飛び散る臓器など気にも留めずに次なる獲物へ飛びかかる。
「■■■ッ!」
砲弾並みの速度と重さで迫る鬼の拳の一撃を前に、瞬時に傘を開いて盾代わりに防ぐ。そして間髪入れずに放たれたもう一方の拳の一撃を曲芸のような身のこなしで回避すると同時、番傘の骨組み部分がさらに一回り大きく、持ち手とは逆方向に開いた。
「食べていいよ、紅血花。残しちゃめっ、だからね」
そうしてまるで生き物の口のように大きく開いた真っ赤な花弁は、鋭い牙を思わせる無数の露先を鬼の巨腕に突き立て、肩から丸ごと食い千切ってしまった。
「■■ッ、■■■■————ッ!?」
「ふふ、あはははっ!」
まるで人が変わったかのような恐ろしく柔軟な身のこなしと、手にした番傘の奇妙な変形を駆使して鬼を屠り続ける梗を前にして、覇切は胸中に渦巻く様々な感情を整理することができずにいた。
「うふふっ、あははは! ねぇ、もっと遊ぼ? 梗と一緒に、あそぼーよぉ」
隊長という立場から見れば、着目すべきは梗の戦闘の型だろう。
大して力も入れていないようなのに、あんなに軽々と鬼の硬い皮膚を貫いてしまうあの力は恐らく、砕之象による防御無視の貫通効果だろう。
五行万象術には陽の系統、陰の系統の二種類の技能が五つずつ存在し、その名の通りの表と裏だ。陽に類する技能が正攻法だとするならば、陰に類する技能は邪道、搦め手と言った類となる。故に単純な膂力を底上げする剛之象に対する砕之象は、自らの攻撃力を上げると言うよりかは相手の神威に直接作用し防御能力そのものを打ち消す働きを持っている。
だからこうも簡単に鬼の防御を貫通できているというわけで、隊員の戦闘体型がわかるということは隊長として喜ぶべきことなのだが……。
「く、ふふふ、あはははっ! あはははははは————————!!」
「……」
そんなことよりも何よりも、普段あんなに可愛らしく、特科生一同の癒し的な存在となりつつあった梗が、悦楽に満ちた表情で高笑いを上げながら鬼を殺し続ける姿は、何というか……。
「うわぁ……(ドン引き)」
秋桜の表情が、この場の誰もが胸に抱いた感情を端的に表していた。
まさかあの梗にこのような一面があったとは、一体誰が予想のついたことだろう。
比名菊なんて軽く放心状態で、手にした武器を取り落としていないだけ奇跡と言えた。
(って、俺もぼーっとしてる場合じゃない)
梗が立て続けに鬼を斃してくれたおかげで残りは僅かとなっているが、このままでは旗色が悪いと判断したのか、逃げ出そうと踵を返す鬼が出てきていた。
梗を見れば、彼女は気づいていないのか気にしていないのか、とにかく逃げる鬼にはお構いなしに、曰く自分の遊び相手に夢中になっている。秋桜と比名菊は町民たちを守るべく矢面に立っていて動けないし、ここは自分がやるしかないだろう。
それにこれ以上梗の勇姿というか醜態というか、とにかくあの姿を衆目に晒さない方が今後のためにも得策だ。
……もう手遅れかもしれないが。
「蟒蛇神道流——」
言葉と共に迅による速度強化で飛び出した。瞬時に前を逃げる鬼へと追いついた覇切は、そのまま追い越し様に鬼たちの合間を縫うように駆け抜ける。
「——三葛山楝蛇」
そうしてまるで蛇のように迂曲する剣閃が閃いた。地を這うほどに低く放たれた斬撃は、鬼共の足に絡みつくような軌道を描いて次々とその巨体を転倒させる。
そして倒れたその先。脚を失い、額を地につけもがく鬼を冷たい視線で見下ろす覇切の姿。
「これで終いだ。蟒蛇神道流——」
覇切の左手に握られた蛇之麁正に、膨大な量の神威が収束していく。
五行万象——練之象。周囲へ神威を放出する覇之象と表裏にある、いわゆる『溜め』の技能で、覇切の体内で極限にまで練られた神威がその剣先へと集まる。そして——
「——穿牙吶蝮!」
練と剛。二つの万象術による相乗作用と共に放たれた最大攻撃力の合技が、地に伏す鬼たちを一突きの下に貫いた。
「ふぅ……」
そして総ての鬼を駆逐し終えたことを確認した覇切は、ほっと安堵し、刀を納める。通常の万象術と合技だけでも十分に斃せたことを考えるに、全体的に見てもどうやらそれほど手強い相手ではなかったようだ。
気づけば、もう安全になったと判断したのか、先ほどまで固唾を呑んで見守っていた観衆が口々に称賛の声を上げていた。
「よくやったわ、隊長。足斬り落としてから脳天ぶち抜くなんて、涼しい顔してえぐいことするわね」
と、四方から浴びせられる歓声に頭を下げて控え目に応えていると、肩を叩かれた。振り向いてみれば、そこには本当によかったといった様子でうんうん頷いている秋桜がいた。
そんな彼女の様子に思わず苦笑を返して梗を探してみれば、少し離れた位置で拍子抜けしたようにぽかんと突っ立っている姿が見えた。体調がおかしいのかとも思ったが、すぐにいつものぼんやりとした表情に戻ると何事もなかったかのように番傘についた血を払っていたので、恐らく大丈夫のはずだ。
「わ、私は夢でも見ていたのでしょうか……? 梗ちゃんが、梗ちゃんが高笑いを上げながら鬼の内臓を抉って——」
「比名先輩、とりあえず一旦落ち着こう。気持ちは痛いほどわかるけど」
確かにはっきり言ってドン引きする光景ではあったが、このまま見なかったことにするのは難しい。
梗は事情があって神代白清舎に入れなくなったようなことを言っていたが、恐らく人一倍体裁を気にする貴族校のことだ。梗の異常性に気付いて先手を打ったのか、はたまた梗が実際に何か問題を起こしたのかはわからないが、途中で入学の権利を剥奪したのだろう。
「梗に関してはまた後日考えよう。あの調子で毎回鬼と戦われちゃ今後の作戦行動にも支障が出るからな……」
今日のことで彼女に対する日常の態度を変えるというのは有り得ない話だが、こと鬼との戦闘においては上手く手綱を握ってやる必要があるだろう。
「それよりも今は百合とさっきの頭巾を被った奴だ。後を追いたいところだけど、一体どこに……って、あれは」
と、百合と頭巾が消えていった方向に目をやると、人混みの向こうからとぼとぼと歩いてくる百合の姿が見えた。そしてその後ろには——
「義姉さ——東雲教官。それに、竜胆教官も」
「よぉ、また派手にやってくれたな」
「みんな怪我はないかい?」
連れ立って現れた教官二人に背を押され、前に出た百合はばつが悪そうな顔で頭を下げた。
「心配をおかけしました……ごめんなさい」
「いや、無事なら別に構わないさ。例の奴はどうした?」
「それが……実は途中で見失ってしまって、面目ないです」
「通りの真ん中で途方に暮れてたところに俺たちが出くわしてね。それより妹から聞いたんだけど、君たちの前で鬼化をしてみせた鬼狩りというのは宗教集団——鬼裡依教の信者ということで間違いないのかな?」
何やら神妙な面持ちで問いかける百夜に頷いてみせると、彼は涅々と顔を見合わせ頷いた。
「実はな、今日私たちが急用で席を外したのも鬼裡依教が絡んでいるんだ」
涅々の話を聞いてみれば、今朝方大和の町中で鬼裡依教の信者たちによる何らかの動きがあるとの情報が入っていたらしい。涅々や百夜は教官という仕事の傍ら、町の警護の意味合いで奉行所にも協力しているという話だったので、ちょうど覇切たちとは反対の方角で巡回をしていた最中だったらしい。
「宗教活動自体は町の全域で実際に行われていたから一応百夜や他の鬼狩りと手分けして巡回をしていたんだが、まさか完全な空白域で一番デカい事件が起きるとはな。運が悪かったが……お前たちがいてくれて助かった。お手柄だったな」
「ありがとうございます。しかし、主犯らしき人間は逃がしてしまいましたわ……」
「ああ、その件に関しても色々と訊きたいことがある。さっき黒条にも聞いたんだが、悪いがお前らも少し時間を取らせてくれ」
涅々の言葉に頷いた面々が、彼女の後に続く形で一旦この場を離れることになった。
「あ、覇切君。ちょっといいかな?」
と、不意に呼び止められる声に振り返ってみれば、百夜が皆から少し離れた位置で手招きをしていた。
「どうした、んですか?」
意外な人物からの呼びかけに慣れない敬語で返事をし近づいてみれば、楽にしていいと苦笑されてしまった。
「悪いね。いきなり呼んだりして。特科生のみんなとはこれからゆっくりと親睦を深めていければと思っているんだけど、取り急ぎ覇切君に訊きたいことがあって」
「何ですか?」
「その、言いづらかったらいいんだけど……君は、百合とは親しいのかな?」
「えっと、まぁ、それなりの友人程度には」
何やら意味深な質問に若干むず痒い感覚を覚えながらも、嘘を吐いても仕方がないので正直にそのままの事実を話す。
まさか妹に近づく悪い虫を排除とかいう話になるのだろうかと、内心緊張していると、予想外に百夜はほっと安心したような表情で笑ってみせた。
「そうか、よかったよ。見てればわかると思うんだけどあいつは人付き合いが苦手でね。見てくれはいいんだけど、このままだと一生嫁の貰い手がいないんじゃないかって密かに心配してたんだ」
「いや、別にそこまでの関係では……」
「ああいや、わかってるさ。まぁ嫁の件はまた考えてもらうことにして……友人程度の感覚でいいんだ。妹のこと、どうか頼まれてくれないかな?」
突然の話に覇切は話が見えず、思わずぽかんとした表情を浮かべてしまう。百夜のいきなりの頼みごとに理解が追いつかない。
「えっと、頼まれるというのは、一体どういう……」
「言葉通りの意味さ。百合のことをしっかりと見ていてやってほしいんだ」
聞くところによると、百合と百夜の両親は百合が幼い頃に離縁してしまっていたらしい。百合は母方に、百夜は父方にそれぞれ引き取られたようだが、母親が亡くなった関係で最近になってようやく会えるようになったという話だ。
百合と百夜で姓が違っていたので気にはなっていたのだが、そういった理由があったわけである。
「恥ずかしながら母の死を知ったのもつい最近のことでね。うちと絶縁状態で行く当てもなかった百合を、兎和子さん——学園長が後見人となって引き取ってくれていたんだよ。それで千刃暁學園の教官になるって話が上がった時になって、偶然妹と再会したってわけさ」
その話を聞いて百合が自分の兄の話をした時、微妙な態度だった理由がようやく分かった。確かに悪い人ではなさそうだが、この歳になっていきなり自分の実の兄と再会、なんてことになれば距離感が掴めず戸惑うのも納得がいく。
学園長に対してどこかきつい態度だったのも、恐らくその辺りの事情が関係しているのだろう。
「でも、それなら猶更、竜胆教官が気を付けてやった方がいいんじゃないですか? せっかく妹と一緒に過ごせるようになったんだから」
妹のことを心配する百夜の様子に親近感を覚えた覇切がそう提案する。自分だったらそうすると思ったからだが、百夜はゆっくりと首を振ってみせた。
「できれば俺もそうしたいんだけどね。でも、涅々さん同様近々例の鬼裡依教の関係で色々と忙しくなってきそうでね……それに妹ももう立派な大人だ。いつまでも兄貴がベタベタくっついてるのも鬱陶しいだろ?」
「そう、ですかね?」
その言葉に、まさか昔の八恵もそんな風に思っていたのかと若干モヤモヤした思いを抱えてしまった。
「隊長として、友人としてでいいんだ。俺なんかより断然距離が近い君に、まかせたい。頼まれてくれないかな? 今回の件はどうしても、俺の手で何とかしたいんだ」
そう言う百夜はどこか焦っているようにも見えた。その感じが、やはり兄妹なのだろう、百合と似た危うさを感じてしまい、覇切もゆっくり言葉を噛み締めるように頷いた。
「わかりました。うちの隊員、危なっかしい奴が多いので百合ばっかりってわけにはいかないけど、俺もちょっと注意してみます」
「ありがとう」
そう言って笑う百夜の表情はやはりどこか百合に似ていた。
だからだろうか、失礼かとは思ったが、つい気になったことを訊いてしまっていた。
「でも、竜胆教官。どうしてそこまで……? 確かに緊急の案件とは思うけど」
百合も鬼化を目の当たりにしてから、様子がおかしかった。だから何か詳しい情報が聞けるかとも思った覇切だったのだが、百夜はその質問に自嘲するような笑いを見せたかと思えば、百合と同じその漆黒の瞳に静かな炎を燃やす。
「鬼は、俺たち家族の絆を引き裂いたんだ……だから絶対に、許せないんだよ」
そう答える百夜の雰囲気は思わず背筋がぞっとするほど、冷ややかな響きを持っていた。
静かに鬼への憎悪を燃やす百夜の瞳を前に覇切はそれ以上何も言えず、その後は皆に合流して、教官二人も交えて遅い昼食を取った。
千刃暁學園に配属されてまだ初日。今日だけでいろんなことが起きたが、まだ何もかも始まったばかりだ。
隊長の立場や特科生の皆のこと、鬼化や百夜からの頼み事など、これからは自分一人のことだけやっていけばいいというわけじゃない。
そう改めて胸に刻んだ覇切は、今までこれまでの人生とはどこか違う心境を自覚しながら、鬼剋士として、特科生としての決意を新たにするのだった。
終わりです。次回更新は明日1/29です。今回も読んでくださりありがとうございました!