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神州鬼狩東征伝(休止中)  作者: 織上ワト
第一章 千ノ刃、暁ヲ照ラス
5/14

第四幕 選抜者、集フ

完全に更新忘れてました……それでは続きをどうぞ!


「ん、ぅ……」

 窓から差し込む柔らかな日差しに瞼の裏を刺激され、百合は薄らと目を覚ます。

「ふ、あぁ……あ、れ?」

 凝り固まった身体をほぐすように伸びをしながら上体を起こすと、どうやらここは學園の医務室のようだった。清潔そうな白い敷布と薬品の匂いに、自分の現在の状況を知る。

(そっか。私、気を失って……)

 試験が始まったのは夕刻前の段階だったので、恐らく一晩経ってしまったのだろう。

 自らの不甲斐なさに気分が落ち込むものの、こればかりは仕方がないと、気を失った原因である右腕にそっと手をやる。

 これは、『呪い』。自分でどうすることもできない、いいや例え腕利きの祈祷師、陰陽師、まして医者なんかでも、それこそ神でもなければ消し去ることのできない一つの不条理なのだから。

 とは言え、試験結果がどうなったのかは気になるところだった。

 あの学園長のことだ。呪いがどうとか不調がどうとかいう話をしても言い訳にすらならないだろう。

「はぁ……」

 包帯に包まれた右腕を無意識にさすりながら、ため息を吐く。

 穢土侵入禁忌区域への入域は現在の自分の悲願と言っていい。もし仮にここで落とされたら強行突破も辞さないところだが、できれば不当に目立つような真似はあまりしたくなかった。

「そう言えば……」

 と、試験の合否のことを考えていたところで、とある青年のことが思い出される。

 昨日試験の最中に出会い知り合った、右眼の眼帯が特徴的な精悍な顔立ちの青年。

 自分を庇い、業魔の中でもかなりの強敵を圧倒した彼の姿を頭に思い浮かべた瞬間、ぼっと顔が熱くなった。

「ぅ……〜〜〜っ」

 間近で感じた息遣いや体温に、血と汗の匂い……それら総てが一つ一つ克明に思い出されたことでぐんぐん熱が上昇し、心臓もばくばくと激しい動悸を刻んでいる。

「く、うぅ〜〜ぁあ〜〜〜…………わ、私、チョロすぎる」

 全く意味を成さない呻き声を出しながら、火傷しそうなほど紅潮した頬に両手を当てて俯いた。

 まだ出会って間もない相手に対する自らの感情の変化に頭を抱えたくなる。

(で、でも、初対面であれだけ嫌な態度取ったのにきちんと話を聞いてくれたし……格上の業魔を相手に一歩も引かずに立ち向かっていった姿もか、恰好良かったし……何より、あんな……自分が大怪我を負ってまで動けない私のことを庇ってくれて……)

 そりゃあ心を動かされもするだろう。

 胸中で誰に対するわけでもない言い訳を並べ立てながら悶絶する。

 もう試験の合否や『呪い』のことなど頭の中から吹き飛んでしまっていた。

「ん……」

「っ!?」

 と、その時だった。自分のすぐ横から聞こえた微かな声に、飛び上がりそうなほど驚く。

 恐る恐る、首の関節が錆び付いてしまったかのようなぎこちない動きで隣を見れば、自分の休む寝台に向き合う形で椅子に腰を掛ける眼帯の青年の姿があった。

 眠っているのか、俯き気味の頭を時折かくんと揺らしながらも静かな息遣いが聞こえてくる。

「ぁ、や……」

 大声を上げなかったことは奇跡だが、つい先ほどまで頭の中に思い浮かべていた人物の突然の登場——さっきからずっといたのだが——に冷静な思考を保てない。

(も、もしかして昨日からずっと傍に居てくれた、とか……? うぅ、だとしたら嬉しい、かもだけど……何か悔しい)

 自分でも正体不明な感情に翻弄されながら、改めて青年の顔を眺めてみる。

(こうして見ると、恰好良いというより……あどけなくて、何となく可愛い、かも)

 昨日目にしていた鋭い視線や気迫の籠った表情とは一転、同年代の『少年』と言っても差し支えないくらいの無防備な顔。

「不思議な、人」

 弱そうに見えるのに、本当は業魔を圧倒する程強くて、普段は感情をあまり見せない表情から寡黙で鋭い印象を覚えるのに、寝ている時の空気はこんなにも柔らかで優しげだ。

「……」

 そんな覇切の姿を見ていると、百合の中のちょっとした悪戯心が首をもたげた。

 そーっと寝台から降りると、覇切の隣にぴたりともう一つ椅子を並べてそこに座る。

「ちょ、ちょっとだけ……」

 そうして彼に寄りかかるように、そっと身を寄せる。

「ぁ……」

 と、瞬間ふわりと薫る男性を感じさせる匂いに、仄かに混ざる血と泥、そして汗の香り。

 他の誰かなら決していい匂いとは言えないはずなのに、何故だか彼のものだと思うととても安心した。

「……温かい」

 昨日も間近で感じた彼の体温。

 触れる肩越しに伝わる熱に浮かされたような気分になりながら、窓から差す心地よい陽光に誘われるままに、百合は再び眠りへと落ちていった。


       ◇


 美しい虫の音響く秋の夕暮れのことだった。

 幼き日の覇切はいつもと同じように長い長い廊下を歩いて、決まった時刻にその部屋を訪れる。

八恵(やえ)。入っていいか?」

 そうして慣れた調子で襖越しに声をかけると、すぐに中から嬉しさを隠しきれない弾んだ声音で了承の言葉が返ってきた。

「——兄様(あにさま)!」

 中に入ると、案の定そこには想像した通り満面の笑みを浮かべる妹の姿があった。布団から上体を起こし、無邪気な声で呼びかけてくる。入った瞬間に飛びついてこなかったのは、前回それで体調を崩して父親からこってりとお叱りを受けたからだろう。

 実際今も、すぐにでも飛びついてきそうなほどうずうずとしている様子がありありと伝わってきて、思わず苦笑を浮かべてしまう。

「あーにーさーまー!」

 と、いつまでも襖口に突っ立っていたら不満そうな声を上げられてしまった。

 ごめんな、と一言謝ってから傍に寄る。

 布団の脇にゆっくり座ると、八恵はすぐにその小さな身体いっぱいに広げた両手で抱き着いてきた。

「おいおい、あんまり無理するなよ。また倒れても知らないぞ」

「大丈夫よ、兄様。八恵、今日はとっても調子がいいの。今なら一人でお外にだって行けるわ。本当よ?」

 そう言いながら、八恵はまるで自分の匂いを付けるようにぐりぐりと覇切の胸に頭を押し付ける。

「まったく、仕方のない奴だ」

 覇切はやれやれと言った風に呟くと、八恵の頭にそっと手を置いた。

 ゆっくりと優しく髪を梳かれるその感覚に、八恵は気持ちよさそうに目を細めている。

「兄様、今日も父様たちと剣のお稽古?」

「う……八恵は鋭いなぁ。ご明察だよ」

「また、たくさん怒られちゃったの?」

「うん……俺、全然上達しないからさ。兄上たちはあんなに強いのに」

 五つの時から数えて五年、実家が由緒ある剣術道場であるせいか、年長の兄たちとともに来る日も来る日も道場で剣を握らされ続けていた。しかし、元来争うことがあまり好きではなかった性格もあって人間相手に武器を振るうということにどうしても馴染めずにいるのだ。

 それでも父や兄たちから認めて欲しくて自分なりに頑張っているつもりではあるのだが、今一つ結果には繋がっていない。

 そのことを話すと、八恵は少しの間「うーん」と悩む仕草を見せ、次いで何か妙案を思いついたようにぱっと顔を明るくしてみせる。

「わかったわ! それじゃあ、八恵が父様たちの代わりにたくさん褒めてあげるね!」

「え……?」

 そう言って呆気に取られる覇切から一旦身体を離すと、八恵はその小さな手のひらを彼の頭にぽんと乗せる。

「えらいえらい」

 先ほどのお返しと言わんばかりに、わしゃわしゃと覇切の頭を小さな手の平が行ったり来たりする。

 まだ慣れていないのか、時折指先に髪の毛が引っ掛かってしまうのはご愛嬌だ。

 普段は自分が妹に対してしていることを、逆にされるとこんなにも気恥ずかしいものなのかと初めて知った。

「兄様はいつも頑張っててとってもえらいねー。ふふっ、兄様、嬉しい?」

「……ああ、そうだな」

 しかしそんな照れ臭さも八恵の笑顔を前にした途端、全く気にならなくなる。

 剣術の稽古以外にも、日常様々な箇所にて厳しさを見せていた両親の教えにより、ゆっくりと羽を伸ばせる時間など取れず、当然のことながら同年代の友達もいなかった。加えて、言ったように父親からは怒られてばかりの毎日。

 辛く苦しい日々の連続に逃げ出したくなることもしばしばだったが、しかしそんな覇切にとって八恵の存在だけは特別だったのだ。

「うー……だんだん手が疲れてきたよぉ」

「たくさん褒めてくれるんじゃなかったのか?」

「そうだけどぉ……やっぱり八恵は頭を撫でるより撫でられる方が好きだわ」

 そう言って覇切の頭から手をどかし今度は自分の頭を差し出してくる。

「ねぇねぇ兄様。八恵のことも褒めて。いっぱい撫でてくれてえらいねーって」

「なんだよそれ? 八恵は褒められたくて頭を撫でてくれたのか?」

「う、うー……でもでもぉ」

 しょんぼりと肩を落としてしまう妹に少し意地悪が過ぎたかと苦笑する覇切は、その手の平を妹の頭に乗せる。

「仕方のない奴だ」

「えへへっ、兄様大好きー!」

 そうしていつものようにとりとめのない会話を始める。

 今日の稽古はどうだったとか、帰ってくる途中こんなに大きな鳥を見かけたとか。傍から聞いてみればどうでもいいような話も二人にとっては何より掛け替えのない宝物だ。

「ねぇ兄様。兄様は、八恵と一緒は……嫌じゃない? 退屈しない?」

「何だよ、いきなりどうした?」

「だって八恵、ずーっとお部屋から出られないから……兄様だってお外に行きたいでしょ? だから……」

 生来の体質なのか八恵は生まれた時から身体が弱く、外に出ることは滅多にない。だから八恵は、たまにこんな風に気分が沈んでしまうことがあった。

 父親によると外に出られないのはそれ以外の理由もあるようだが……。

「……馬鹿だな。そんなの、嫌じゃないに決まってるだろ?」

 覇切にとってはそんな理由など、心底どうでもいいものだった。

「じゃあじゃあ……八恵と一緒は、楽しい?」

「当たり前だろ? 八恵と一緒にいる時が一番楽しいよ」

「えへへー、八恵も一番楽しいよー!」

 覇切の存在が八恵にとって心の支えであるように、覇切にとっての八恵も、彼の人生を動かしていく上での歯車の一つで、同時に生きる意味そのものでもあったのだから。



 しかし——だからこそ、世界はそこで暗転する。



「ねぇ、兄様」

 あの日(・・・)の少女の声が、今でも耳にこびり付くように残っている。

「兄様は——」

 かつて自分を兄と呼んでいた少女。自らの生きる意味そのものであった少女の最期を前にして自分は——


「——八恵とずぅっと一緒に、いてくれるよね?」


       ◇


「——」

 はっと、覇切は目を覚ます。

 額に手をやると、じっとりと汗を掻いていた。

「夢、か……」

 呟いてみて、白々しいと自嘲する。

 あの光景が夢なんてことは、八恵が登場した時点でわかりきっていたことだった。

 認めたくなかったのは、きっとあの頃が幸せすぎたから。もしかしたら夢だったのはこちらの方だったんじゃないかと、そんなありもしない幻想を抱いてしまったから。

「はぁ……ん?」

 と、そんな風に気分が落ち込みつつある自分に一つため息を吐いたところで、自身の左腕に僅かな重さを覚えた。

「……すぅ」

 見るとそこには昨日知り合ったばかりの黒髪の少女が、無防備な顔を晒しながら静かな寝息を立てていた。

 確か名前は、黒条百合。

「……どういう状況だ、これ?」

 窓から見える太陽の角度から見て、今は昼時。自分が寝入ってしまってから数刻程度の時間しか経っていないはず。

 最後に見た彼女は確かに目の前の寝台にて眠っていたはずなので、目が覚めた後にわざわざ隣にやってきたのだろうか。

「まぁいいか。役得って奴なんだろうし。たぶん」

 柄にもなく動悸が早くなりそうなのを、そんな風に冗談めかした言葉で誤魔化す。

 十数年というこれまでの人生の中で、妹以外の異性とここまであからさまに密着した経験が殆どない覇切からしてみれば——どことは言わないが圧倒的量感の柔らかさを誇る部位のせいもあって——この状況は少し刺激が強かった。

「妹、か……」

 思わず呟き、改めて百合の顔を眺める。

 本来であれば入学試験の合否を争う間柄のはずなのに、思わず助けてしまったのは、妹の姿を重ねてしまったからか、自分に対する復讐のためか。

「こいつも結構訳ありだよな」

 彼女の様子がおかしくなっていたのは、戦っている最中すでに気が付いていた。

 包帯に包まれた右腕。彼女が地面に倒れ伏す直前、痛みを堪えるように右腕を押さえつけていた。

 その後気を失った彼女をここに運び込んできたとき、血やら泥やらでかなり汚れていたので、身体を拭いてもらえるよう医療担当の教官に頼んだのだが、何故か学園長である兎和子がその役を買って出ていたのも気になる。

「……ま、もう俺には関係のないことか」

 学園長なら何か事情を知っているのかもしれないが、どのみちどちらかが試験に不合格になっていれば接点もなくなる。

 二人とも通っていた場合は……。

(いや、無駄な仮定はよすか。その時はその時に考えればいい)

「ん……ふ、ぁ」

 と、そんな風に考えていたところで百合が目を覚ましたようだ。

「よく眠ってたな。お疲れ」

「ん、ぅ……? おはようございます……」

 ぼんやりとした目を擦りながら、むにゃむにゃと何か言っている。一見して寝惚けているように見えるが……。

「お前、実は起きてただろ」

「っ……な、何のことでしょうか?」

 あからさまに目を泳がす百合。

 何となく寝息がわざとらしいとは思っていたが、図星だったらしい。

「どこからだ?」

 有無を言わさぬ口調で問い詰める。

 それほどまずい独り言は呟いていなかったはずだが、すれすれのことは言ってしまっていた気もする。

 故に内心冷や冷やものの覇切だったが——

「え、っと……そのですね。や、役得ってやつなんだろうしって辺りから」

 よりにもよって一番聞かれたくないところを聞かれてしまっていた。

「すまん……気が済むまで殴ってくれ」

「え、えぇっ!? 何でそうなるんですか!?」

 途端、土下座をする勢いで頭を下げる覇切に、焦った百合が慌てた様子で両手を振る。

「べ、別に気にしてませんから顔を上げてください! 役得という話をするなら私も、その……役得、でしたし」

「え?」

「あ」

 余計なことを言ったと本人が気付いたときにはもうすでに遅し。

 顔を上げた覇切の目の前には、耳まで真っ赤に沸騰した百合が目を回しながら固まっていた。

 このままでは何を言っても地雷になりかねないと、収集がつかなくなりそうな状況に覇切が困り果てていたその時——

「——まったく……神聖なる学舎の医務室で、何をやっとるんだお前らは」

 厳格さを含んだやや低音の女声が聞こえたことで、二人揃って反射的に声のした方を振り向く。

「その分なら、二人とも怪我の方はもう何ともないようだな。結構なことだ」

 するとそこいたには、医務室の戸口の柱に寄りかかりながら呆れた表情を浮かべる女性。

 百合はまだ混乱状態にあるのか、首を傾げるばかりで戸惑っていたが、覇切の方はと言えばその見覚えがありすぎる立ち姿に自然と声を上げてしまっていた。

「義姉さん……! どうしてここに……」

「阿呆。私がこの學園の教導官として赴任したことは、ひと月前に伝えたばかりだろうが」

 東雲涅々。覇切の義理の姉であり五行万象術の師匠でもある彼女の紹介で、この學園への編入を決めた経緯はもちろん覇切も覚えていたが、ここまでどこにも姿が見えなかったため、正直半信半疑だった。

 そして涅々の後ろからひょっこり顔を出したもう一人——

「やぁ、お邪魔しちゃったかな?」

「兄さん!?」

 今度は百合が声を上げる番だった。

「え? な、何で百夜(びゃくや)兄さんがここに……?」

「言ってなかったかな? 俺も涅々さんと一緒だよ。この學園の教導官として雇われたんだ。今日からよろしく」

 深い色を宿す黒髪に、爽やかな笑顔で片手を上げる男性。眉目秀麗なその顔立ちは確かにどこか百合と似た雰囲気を感じさせる。

竜胆(りんどう)百夜です。君の方も、よろしくな?」

「あ……はい」

 百合に次いで、握手を求めるように手を差し出された覇切は、突然のことに戸惑いつつもその手を握り返す。

(ん……? そう言えば今『竜胆』って……)

 と、そこで一つ違和感に気付く。確か百合の姓は『黒条』だったはずだが……。

「おい百夜。お喋りが過ぎるぞ」

 少し気にはなったが、あまり突っ込んだ話を訊いていいものか迷っていると、涅々がじろりと百夜に睨みを利かせたことで話が途切れてしまった。

 その視線を受けて百夜は飄々とした様子で肩を竦める。

「おっとこいつは失敬。だけどすぐにわかることだからいいじゃないか。良い知らせってのは早く届けてあげたいものだろ?」

「物事には順序があるんだよ。まったく……」

 あくまで軽い調子の百夜に、涅々は盛大なため息を吐くと、ここまで置いてけぼり状態の覇切たち二人に改めて向き合う。

「無駄話はこれくらいにしておこう。色々訊きたいこともあると思うが、ひとまずお前たちを案内する」

「案内……って、どこに?」

 覇切の疑問に、涅々は珍しく悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。

「学長室だ。百夜の奴が半分くらい口を滑らしてしまったが……試験の結果、気になるだろう?」


       ◇


「学園長。東雲涅々です。東雲覇切、黒条百合の両名を連れてきました」

 重厚な木製扉の前で涅々が声をかけると、内側から「はぁ〜い、どうぞぉ」というのんびりした声が聞こえてくる。

「失礼します」

 慇懃に礼をする涅々に倣う形で覇切たちも頭を下げつつ学長室に入ると、学園長の他にも数名の男女がいた。そして中には知った顔もちらほら。

(秋桜に……梗も、か)

 高級感漂う長椅子に緊張した様子もなく、堂々と座るのは赤毛の少女。軍帽の下から覗く緋色の瞳と目が合えば、相変わらず感情の読めない表情のまま片手を上げてくる。

 その隣には百合と同じくらい小柄で亜麻色の髪と左右異色の瞳が特徴的な少女が、赤い番傘を大事そうに抱えながらぼんやりと座っていた。

「あ。あの人……」

 と、次いで百合の零した呟きに視線をやると、窓際に佇む美少女がこちらを見ていることに気がつく。

(見覚えあるな……確か、学園長に質問してた……)

 白銀色の輝きを放つ美しい長髪。

 こちらに対して折り目正しく会釈をする姿は実に堂に入っており、そんな様子に気後れしたのか百合がおたおたと会釈を返していた。

(対してあっちは……)

 そして最後の一人は、中心から離れた位置で壁に背を預け立つ、大柄で鍛え抜かれた身体が目立つ青年だった。

 くすんだ桜色の髪に無骨な雰囲気。乱雑に羽織った臙脂色の軍制服は、恐らく獅子王學園のものだろう。銀髪の少女と対照的にこちらを見向きもしないその態度は、無礼と言うより、独立独歩というような孤高さを感じられた。

「はぁい。これで全員揃いましたねぇ」

 学園長、涅々に百合の兄という百夜。そしてそれ以外にこの場に集まった六人。前者三名が學園関係者であることを考えると、残りの六人がどういう理由で集められたのか大方予想できる。

「ではではぁ、改めまして……ようこそぉ、我が千刃暁學園へぇ。何となく皆さんお察しだと思うけれど、形式上私の口から言わせて頂くとぉ……あなた方は先の入学試験において大変優秀な成績を修めた選抜者たち——すなわち無事試験を通過した合格者さんたちというわけなのです。おめでとうございまぁす、パチパチパチパチぃ〜」

 兎和子のやたらと軽い称賛の言葉に、丁寧にお辞儀をする者、「どーも」と同じく軽い調子で返す者、白けたように鼻で笑う者と反応は様々だったが、少なくとも覇切は改めて学園長の口から合格を聞かされたことで胸の中に安堵を覚えていた。

(あの業魔を斃したから正直自信はあったけど……でも、本当にやったんだ、ついに。これで俺も、正式な鬼狩りに……)

 鬼剋士となるための融魂施術は、細かい取り決めは多々あるが究極的に言えば誰でも受けることが可能である。しかしその後鬼の討伐に関することには大きな規定があり、正式な鬼剋士関連機関の承認を受けていない鬼剋士は穢土に入ることさえできない。

 今の世は浄土にも鬼が出現するので、未所属の鬼剋士も活動を全面的に禁止されているわけではないが、それでも鬼の本拠地である東の地——すなわち『戦場』に一歩も足を踏み入ることのできない状況は、何とも歯痒いものがあった。

 加えてこの學園はそれだけじゃない。倍率凄まじい入学試験を勝ち上がったということ、それはすなわち——

「さて、これで皆さんは晴れてこの學園の鬼剋士特科生となるのだけれど、まずはその所属特典……穢土侵入禁忌区域への入域権について話しましょうかぁ」

 穢土侵入禁忌区域。そこは神州朝廷陰陽寮により穢土の最危険区域と指定されている領域ではあるが、鬼の巣食う東の地はその他にさらに二つの区域に区切られている。

「穢土の玄関口でもある、公的鬼剋士機関に所属している鬼狩りなら誰でも入域できる『開放区域』。それよりさらに先に存在する、公的機関により特に優秀であると認められた鬼狩りしか入域できない『制限区域』。そして最危険区域と指定されながらも穢土の半分以上の区域を占める『侵入禁忌区域』。本来であれば、この侵入禁忌区域にはその名の通り誰であっても入域することはできない決まりではあるのだけれど……何事にも例外はつきもの。季華十二鬼将(きかじゅうにきしょう)、という名前は皆さんよく御存じなのではないかしらぁ?」

 兎和子の言葉にぴくりと反応したのは桜色の髪の青年。先ほどまでつまらなそうに話を聞いていたのに、兎和子の視線を感じた途端に不機嫌そうな顔がさらに険しくなった。

 そんな様子を楽しそうに眺めながら兎和子は話を続ける。

「ふふふ♪ まぁ改めて説明することもないかと思うのだけれど、季華十二鬼将とはこの神州の鬼狩りの中でも他と一線を画するほどの実力を持つ十二人の超超超ちょーお強い鬼狩りのことねぇ。何度か代替わりをして、現在は有力貴族——月家(げっか)の血筋の方々で占められているけれど、実はそこの涅々ちゃんと百夜君は初代十二鬼将の二人なのよぉ……って、これも有名な話かしらねぇ」

 学園長の言葉に目するだけの涅々と百夜だったが、覇切は内心ではかなり驚いていた。

(そんな凄い人だったのか……義姉さん。それに百合の兄さんも)

 義姉が強いということは今さら説明されるまでもなく身に染みた事実だったが、まさか特権階級と認められるまでの実力だとは思っていなかった。さらには百夜までそれと同等。

 確か秋桜も試験前、涅々が覇切の義理の姉ということに驚いていたようだったし……田舎の出に加え、これまで修業ばかりの日々で外の世情に疎かったのは仕方がないかもしれないが、この世間知らずさは少し改善した方がいいかもしれない。

「さて、そして本題になるのだけれど……まず皆さんにわかって頂きたいのが、私が譲与する権利はそれほど特別な権利なのだということ。そしてわかった上で——あなたたちには御国のため、延いてはこの學園の発展のため……魂を懸けてもらいます」

 瞬間、場の空気が引き締まるのを感じた。

「私の教育方針により、これからの學園生活ではあなた方にも普通科の学生の皆さんと同じ座学も受けてもらいますが、もちろん特科生としての戦術授業や訓練、実地任務等も併せて行う予定です。そして、実地任務は開放区域や制限区域だけではありません。あなた方にとって未知の領域……我々人の生活を脅かす諸悪——鬼の本丸を叩くための特別任務。そちらの方がむしろ主だったものとなっていくことでしょう。故にこの場でもう一度、あなた方には改めて戦う覚悟を固めて頂きます」

 そして今までの物腰穏やかな雰囲気が嘘のような重圧を放ちながら、一人一人の顔を順繰りに眺めていく兎和子。

「鬼剋士學館、列位甲種(こうしゅ)。神来月比名菊さん」

 白銀色の少女が息を呑む。

「凛火黒學院、列位乙種(おつしゅ)。紅真秋桜さん」

 赤毛の少女はいつもの無表情の裏に何を思うのか。

「獅子王學園、列位乙種。桜月(さくらづき)桜摩(おうま)さん」

 無頼を絵に描いたような青年は鬱陶しそうに鼻を鳴らし、

「未所属、列位丙種(へいしゅ)相当。榛梗さん」

 双眸異色の少女は緊張感のない様子で欠伸をしていた。

「同じく未所属、列位丙種相当、黒条百合さん」

 黒髪の少女はいつかも見せた刃を思わせる視線で貫かんばかりに兎和子を睨みつけており、

「そして同じく……未所属、列位乙種相当。東雲覇切さん」

 最後に、眼帯の青年は己の命を燃やす戦火をその左眼に湛えながら真っ直ぐに、心の奥の奥まで見透かすような兎和子の深い瞳を見つめ返した。

 そして——


「本日を以て、あなた方を我が千刃暁學園、その鬼剋士特科生及び穢土東征特務分隊として所属することを認めます。皆さん、改めまして入学おめでとう。そして、これからの活躍に大いに期待していますよぉ」


 ここに覇切たち——選ばれた六名の鬼剋士たちは、正式に千刃暁學園への所属が決まった。


       ◇


「ふぅ……こんなところか」

 卸し立ての制服に袖を通して、変なところがないかを姿見で確認する。何しろこういったある種格式ばった服を着るのは初めてだ。着方が間違っていたら恥ずかしいどころの話ではないので、少々不安を抱きつつ空き教室を出る。

 合格通達といくつかの連絡事項があった後、涅々から制服に着替えてくるよう言われていたのだ。今日は學園自体休みだと聞いていたので、他の教室の中含め学生の姿は見られない。

「へぇ……中々サマになってるじゃない」

 そう思っていたのだが、教室から出てすぐのところ。わざわざ待っていたのだろうか、廊下の窓際に寄りかかっていた秋桜に開口一番そう告げられる。

 秋桜の表情からは何も感じ入っている様子は見られないが、これまでの付き合いで思ったことはそのまま口にする性格であると判断しているので、恐らく本当に問題ないのだろう。

「そいつはどうも……お前は、着替えてないのか?」

 礼を言いつつ近づいてみれば、彼女は元々着ていた凛火黒學院の漆黒の軍制服のままだということに気が付く。てっきり皆に同じ制服が支給されているものだと思ったのだが……。

「あんたさっさと出てっちゃったから聞いてなかっただろうけど東雲教官から連絡。あたしら特科生には専用の軍制服を用意してるんだけど発注が遅れてるそうよ。だから制服持ってる編入組はそのままで、あんたら新入りはひとまず普通科の制服を着ろって話」

「ああ、これ普通科のだったのか。道理で軍用にしては少し動きにくいと思った」

 戦闘には影響のない程度だとは思うが、ややかっちり目の作りは動き慣れるまで時間がかかりそうだった。

 そうして軽く肩を回しながら、さり気なく自分の匂いを確認する。

(大丈夫、だよな……?)

 実は先ほど学長室で、知った顔に挨拶をしようと秋桜に近づいたら露骨に顔をしかめられ、「あんたちょっと臭うわよ。風呂入ってこい」と言われたのだ。

 確かに昨日は泥塗れ血塗れの酷い有様で、しかもその後百合を医務室へ運んだりとそれなりに忙しかったため、まともに風呂に入る時間がなかった。烏の行水ほどには汚れを落としたつもりでいたのだが……やはりどうも、彼女の言葉はぐさりとくるものがある。鼻を摘まみながら言われれば尚更に……。

 足早に学長室を退室にしたのにはそういった理由もある。

「みんなは先に外出てるからさっさと行きましょ」

 だから着替えの前に學園備え付けの入浴場を借りて今度はしっかりと身体を洗い流してきたのだが、別段秋桜からの反応はない。

(まぁ、さっきみたいに引かれてないからたぶん大丈夫だな)

 心の中で密かに安堵しつつ、先を行く秋桜を追いかけようとすると、

「うおっ」

 不意に、くるりと踵を返した秋桜が首筋に顔を近づけてきたので思い切り仰け反ってしまった。

 何事かと思って驚きの表情を向けてみれば、その時にはすでに秋桜はうんうんと頷いて先に歩き出していたところだった。そして——

「ばっちし」

 肩越しに振り返った彼女は、いつもの無表情の中にもどこか機嫌良さそうな雰囲気が窺えた。どうやら及第点はもらえたらしい。

 そんな秋桜の様子を見て覇切は、何となくだが彼女の感情を動かせたことが少しだけ得意な気分になったのだった。


       ◇


「悪いな、待たせた」

 そうして秋桜と連れ立って昇降口から営庭へ出ると、先ほど顔合わせをしたばかりの特科生三名が揃っていた。

「気にしていませんわ。大した時間ではないですし。あら……制服、とてもお似合いですね。素敵ですよ」

「おにーさん、凄く恰好いい、ね」

「ああ、ありがとう」

 比名菊と……外にいるからだろうか、日除けに番傘を差している梗。見目麗しい少女二人に称賛され、さすがに少々照れ臭くなった覇切は梗の頭を撫でて誤魔化した。

「おーい、そっちの破落戸(ごろつき)も何か言ったらどうなの?」

「ああ?」

 秋桜の言葉に、輪から少し離れた位置で佇んでいた桜色の髪の青年——桜月桜摩が不機嫌そうに返事をする。

「男の俺が褒めて誰が喜ぶんだっつの……気持ち悪いだけだろうが。てか誰が破落戸だてめぇ。喧嘩売ってんのか?」

「やーだ怖い顔。見た目が破落戸っぽいから破落戸って呼んだだけでしょ。そんなに怒んないでよ」

「いや怒るだろ普通! 言い訳っぽく言ってるがてめぇ何一つ弁解できてねぇからな!?」

 桜摩の方は激しく、秋桜は静かに、早速バチバチと火花を散らす二人。仮にも今日から同じ学舎に通う同級が、いきなりこんなんで大丈夫かと思わないでもないが、隣に立つ比名菊はその光景を微笑ましく見守っている。

「ふふっ、賑やかですね。遠慮のない関係というのは良いものですわ。私も混ざりたいくらいです」

「それはやめておいた方がいいと思うが……」

 目の前でガチ喧嘩が始まりそうな状況で呑気なことを言っている比名菊に冷静に突っ込みを入れる。

 特科生の中では一番まともそうな顔をしているが存外彼女も色モノなのかもしれない。

「そう言えば……梗は入学組、だったよな?」

「うん。そう、だよ?」

「でも梗の制服って……」

「あ。あたしもそれ気になってた」

 と、一瞬前まで桜摩とガンくれ対決を繰り広げていた秋桜が、いきなり話に加わって面食らう。

 見れば桜摩の方は鼻息荒く「てめぇこら逃げんのか!?」と実に破落戸らしい言葉を吐いていたが、秋桜の方は全く興味を失くしているようで挑発に乗る気配もない。

 切り替え速すぎだろと思いつつも、桜摩が気の毒に思えてきたが、そっちはそっちで年長の比名菊が宥めに入っていたので任せることにする。やけにワクワクした様子だったのが気になるが……まぁいいだろう。

「あんたの制服、神代白清舎でしょ? なのに新入生って……てっきりあたしらと同年だと思ってたけど」

 基本的にどの鬼剋舎も年齢ごとに三つに所属が区分されており、下から丙種、乙種、甲種と序列別けされているのだが、学園長の話では梗は未所属の丙種相当。つまり覇切や秋桜よりも一つ下だ。

 にも拘らずすでに制服を着ていた梗に疑問を覚えた秋桜の問いかけに、少しだけ考える仕草を見せる梗。

「ん〜……梗は、元々白清舎の方に入る予定だったんだけど……」

「だけど?」

「……」

「……」

「…………色々あって、こっちに入学、しました」

「おい、今端折っただろ? 説明面倒になって端折っただろ? あん?」

「落ち着け」

 再び今度は梗相手にガンくれ始める秋桜の肩を掴んで宥める。

 この少女は『無表情の割に』から始まる様々な意外な面を見てきたが、また一つ『意外に喧嘩っ早い』という一面を発見してしまった。

(もはやこいつに関しては何が意外なのかわからなくなってきた……)

 そんな風なことを考えたところで、さっきから姿が見えない人物について思い出した。

「ところで、百合はどこ行ったんだ? それに教官たちも」

「教官たちなら、何か急な案件とかで先に出たわよ。今日のところは解散って話だったから、とりあえず梗たちには待ってもらってたのよ」

「百合ちゃんなら、さっきからあそこにいる、よ?」

「っ!?」

 梗の言葉にその視線の先を追ってみれば、昇降口の柱の陰からチラリと覗く艶やかな黒髪が見えた。

「き、気付いてるなら早く言ってくださいよ。凄く間抜けみたいじゃないですか……」

 そうしてばつが悪そうに現れた百合がその身に纏っていたのは、先刻目にしていた真っ黒な和装ではなく、覇切と揃いの鈍色に近い黒を基調とし茜色の糸装飾で彩られた制服だった。

「こ、これ、いくらなんでも丈が短すぎませんか? 皆さんの制服も似た感じですけど、動いたら中が見えちゃいそうで……よくこんなもの平然と穿いてますね……」

 これまで極端に肌の露出を避けていた彼女の白磁のような美脚が、ひらひらとした織布の中から惜しみなくさらけ出され、恥ずかしそうに必死に裾を伸ばしている。

「だいじょぶだいじょぶ、意外と平気よ」

「そ、そうなんですか……? それならいいんですけど」

「慣れれば気にならないわ」

「それ全然大丈夫じゃないですよね!? 平気って気持ち的にってことですか!?」

 真っ赤な顔で半泣きになる百合が気の毒だったが、この分なら案外すぐに集団に馴染めそうだと、覇切は密かに安心していた。集団行動が苦手そうに見えた彼女だったが、その心配も杞憂だろう。全く人のことを言えた義理ではないのだが。

「あ……覇切さん」

 そんな風なことを考えながらぼんやりと百合を眺めていたら、こちらに気付いた彼女がとことこと近づいてくる。

「その……ど、どう、でしょうか……?」

「ああ、似合ってる。梗もそう思うだろ?」

「うん。とっても可愛い」

 真正面から褒めるのが照れ臭くて思わず隣に立つ梗を巻き込んでしまったが、似合っていると思ったのは本当のことだ。その言葉を聞いた百合は恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな笑顔を見せている。

「あ……ありがとうございます! あ、その……覇切さんも、か、恰好良いと思います……!」

「ああ、ありがとな」

 お礼と、照れ隠しの意味も込めて彼女の頭を撫でる。嫌がられるかとも思ったが、百合は照れ照れと両手の指をいじりながらも満更でもなさそうにしていた。

「ん……?」

 と、そこで百合の髪からふわっと花のようないい香りが広がったことに気が付く。

(遅いと思ってたが、そうか……風呂に行ってたのか)

 確かに昨日は学園長に身体を拭いてもらっただけのはずなので、女性としては今まで気持ち悪いものがあっただろう。さすがに気絶した人間を風呂に入れるわけにもいかなかったはずだ。

「何だ、やたら遅いと思ってたら。あんたも風呂に入ってたんだ」

 そんなことを考えていたら秋桜が覇切の心中と全く同じことを口にする。

「え、ええまぁ、はい……」

「女相手に公衆の面前で言うのも悪いと思って黙ってたんだけど、あんたも相当臭かったからねぇ。安心したわ」

「何で悪いと思ってたのに今言っちゃうんですか!? そこは最後まで黙ってるところでしょう!」

「ほらほら、桜摩君。今度こそ褒める絶好の機会ですよ。今度は女の子だから大丈夫ですわ!」

「何が大丈夫なんだよ!? ってかその桜摩君ってのやめろ!」

 そこで騒ぐ桜摩と、その背中を押して比名菊も合流した。

 何だかいきなり賑やかになった気もするが、ひとまずここに、ようやく特科生六名全員が揃うこととなった。


       ◇


「さて、これで全員揃いましたね」

 お互いに改めて自己紹介を済ませたところで、比名菊が手を叩いて皆の注目を集める。

「とりあえずこれで全員集合ということで。皆さん、これからよろしくお願いしますね」

 そう言って改めて頭を下げる比名菊に合わせて、皆も口々に挨拶を交わす。

 先の一連のやり取りから見ても非常に濃い面々が一堂に会しており、先行きが不安にしかならなかったが、こうして冷静に場を取り仕切ってくれる人間がいるというのは本当にありがたい。

「それでは隊長殿から一言ご挨拶をお願いしますわ。はい、どうぞ!」

 しかしそう思ったのも束の間、比名菊はパッと身を翻すと、すぐ隣に立つ覇切を一歩前へ押し出した。

「あの、ちょっと……」

「さぁ、隊長! 私たち特務分隊全員の気合が入るお言葉をお願いしますわ!」

「いやそんなこといきなり言われても困るんだが」

 キラキラした目で激励の言葉を期待する比名菊に気圧される。

「おおーいいぞーやれやれー」

「やれやれー」

「そこの連中は黙ってろ」

 完全に他人事な秋桜と梗の野次を一蹴し、覇切は困ったように後ろ頭を掻く。

「そもそも、何で俺が隊長なんだ? 年長者は神来月先輩のはずだけど」

「比名菊で結構ですよ、覇切君。確かにこういったことは最年長の者が指揮を執るのが常ですが、学園長直々のご指名です。ならばそれを誉とし責任を果たすべきだと、そう思いませんか?」

「そう、なんだけどな……」

 比名菊の正論に何も言えなくなってしまい、先刻の学園長の言葉を思い出す。


 ——なお今後はみなさん、穢土侵入禁忌区域に赴く際には最低でも特科生五名以上で分隊を編成して頂きます。今回の入域権の譲与は特例中の特例なので、あくまで『分隊』単位に対するものとなります。一人一人にそれぞれ与えられるわけではないのであしからず……そして特務分隊としての活動は東雲覇切さん、あなたを隊長として動いて頂きます。推薦理由はいくつかありますがぁ……一番の理由は、あなたが隊長に向いていると、他ならぬ私がそう判断したからです。頑張ってくださいねぇ♪


 兎和子の酷く軽い調子の話を思い出して、げんなりとした気分になる。

 完全に押し付けられただけのような気もする言葉だったが、名指しで任命されたのは確かなことなので指名された身としては何も言えないのが痛いところだった。

「まったく、男らしくないですよ、覇切さん。一度託されたんですから、黙って俺についてこい、くらいの甲斐性を見せてくださいよ」

「自分以外が指名されて露骨にホッとしてた奴に言われてもな」

「な、何を言うんですか!? そんなことはありません!」

 恨みがましい目を百合に向けると、さっと目を逸らされた。まったくわかりやすい奴である。

(とは言え、先輩や百合の言うことも一理あるか……)

 これまで集団生活とは無縁の生活を送ってきた身としては正直柄じゃないと思う部分もあるし、命を使い潰そうなんて考えている奴が隊員の命を預かる立場にいるのもどうかと思うが、任された以上全うしたいという思いがないわけでもなかった。

 故にどう皆に声をかけるか迷っていると、

「そこのチビ助の言うとおりだぜ」

 思いもよらないところから不満の声が上がった。さらに被せて「誰がチビですか!?」と別の不満も上がったが、とりあえずそちらは放っておく。

「男らしくねぇんだよ。やれと言われた以上、ごちゃごちゃ言わずに無理でも何でもやり遂げるのが男だろうが。東雲っつったか? やる気がないなら俺と代われよ」

 そう言って、ずいと前に出てくる大柄の青年。男性の平均身長より少し背が高い覇切をさらに上から見下ろす巨体は威圧感が凄まじく、遠慮なしに与えられる重圧に物理的圧迫感すら錯覚する。

「えぇー……あんたみたいな脳筋が隊長とか死んでも嫌なんだけど……ていうか死ぬわ。あんたの指揮で」

「てめぇは絶対あとで殺すから黙ってろや……!」

 茶々を入れてくる秋桜に額をぴくぴくさせながら怒りの声を上げる桜摩だったが、話を逸らすつもりはないようだ。

「ちっ……大体なぁ、隊長ってのは一番強ぇ奴がなるもんだろうが。それだけでも気に入らねぇってのに、俺はてめぇが特科に選ばれてること自体に納得がいってねぇんだよ」

「……どういうことだ?」

 話が見えずに問い返すと、桜摩は馬鹿にしたように鼻で笑ってみせた。

「簡単なことだろうがよ。ここにいる奴ら、全員がどこかしら突出した技能を持つ鬼狩りの中でも有数の実力者だ。だから例の試験を通ったってのも頷ける。だが——」

「ああ……何だそういうことか」

 途中で大方の話は見えた。言いたいことはわかるが、さすがにこう何度も指摘されるとウンザリくるものがある。

「要するに、俺みたいな凡才がここにいることがおかしいって言いたいわけか。だけど——」

「は、覇切さんは強いですよ!」

 と、反論の言葉を口に出そうとしたところで、百合が覇切を庇うように前へ出て声を荒げた。

 今までハラハラとした様子で事の成り行きを見守っていた彼女の意外な援護射撃に、覇切も思わず途中で言葉を止めてしまう。

「確かに覇切さんの鬼宿等位はその数値だけ見れば凡才かもしれません。私も実際そう思っていました。だけど私は、彼が業魔級の鬼を単身圧倒し、斃す光景をこの目で見ました。その上で彼は特科に選ばれるだけの実力があると、私が証明します。だから——」

「はっ」

 しかし桜摩は、そんな百合の言葉すら話にならないといった様子で、一笑に付してみせた。

「な、何がおかしいんですか!?」

 明らかに馬鹿にされたとわかって、沸点の低さに定評のある百合は顔を真っ赤にして怒り出すが、桜摩は全く怯むことなく身長差のある彼女を悠々見下ろし、その額にぐりぐりと指を突き付けてくる。

「いいかチビ助、よく聞け。俺はな、試験の経過内容が実際どうだろうが、お前がこのぼんやり顔に惚れて贔屓してようが知ったこっちゃねぇんだよ」

「だ、だだっ誰が誰に惚れてるですって!? ていうか私はチビじゃないで——あぅ!?」

 言葉の途中で百合を押し退け、覇切の目の前に仁王立ちする桜摩。

業魔(おに)をどうやって斃したとか、強ぇことを証明できる奴がいるかどうかなんてのは関係ねぇよ。確かなのはお前が選ばれてこの場にいる事実と、俺がお前の選抜に納得がいってねぇって、二つだけだ」

「……つまり?」

「わっかんねぇやつだな」

 がしがしと後ろ頭を掻きながら自分を見下ろす桜摩からチリチリとした苛立ちを感じる。まるで噴火前の火山の胎動を目前にしているような、恐れにも似た感情が全身にじりじりと浸透していく。

 そして——


「——今この場でてめぇの実力証明してみせろって、そう言ってんだよ」


 熱波とも表現できる莫大な戦意を全身に感じた瞬間、まるで巨大な岩山が丸ごと激突してきたかのような凄まじい衝撃が全身を襲った。

「は、覇切さんっ!!」

 大気の爆発と共に、営庭の地面を抉りながら吹き飛ばされていく覇切を前に百合が悲鳴を上げる。

「な、何してるんですか!? 仲間ですよ! 正気ですか!?」

「るせぇ、女は引っ込んでろ。これは俺とあいつの問題だ」

 しかし桜摩は、憤激し責める百合の言葉など歯牙にもかけず、覇切を殴り飛ばした拳をギリギリと握りしめ、巌を思わせる筋骨隆々たるその身体から闘志を漲らせる。

「あほらし……要は暴れたいだけじゃないの」

「おーまくん、男女差別、よくない」

「なるほど、これが男の友情というものなのですね。興味深いですわ」

 その光景を見て比較的冷静な反応を見せる三者だったが、残る百合は気が気ではなかった。

「何を皆さん呑気なこと言ってるんですか!? このままだと死んじゃいますよ!」

 どちらがというのは敢えて言わなかった。覇切の実力はこの中では誰より知っていると自負があるが、それにしたところで不安は残る。

 百合も実際に目にした、覇切の環境支配である金烏神陽陣(きんうしんようじん)は確かに強力だが、何もそれを使用したところで覇切の能力値が上昇するわけではないのだ。

 故に百合は肝が凍る思いでいたのだが……。

「大丈夫でしょ。だってほら」

「え……」

 秋桜の視線の先、立ち上る砂煙の中から浮かび上がる影がある。

「……よく、勘違いされるんだけど」

 ゆらりと、口元から流れる血を拭いながら立ち上がる覇切の姿がそこにあった。

「見た目ほど冷静な性質(たち)じゃないんだ。だからそんな風にあからさまに喧嘩を売られると——買いたくなるな」

「——っ!?」

 ぶしっ、と血が噴き出す音がその場に微かにだがはっきりと響く。

 驚愕の表情を浮かべる桜摩の右頬には一筋の赤線。

(まさか……殴り飛ばす寸前に斬られたのか……!?)

「——あのさ」

「っ……」

 そうしてすぐ傍で声がしたかと思い目線を下に動かせば、いつの間に接近を許したのか、そこには手にした太刀の切っ先を桜摩の首筋に突き付ける覇切の姿。微かだがその身体が薄く発光してるように見えるのは気のせいだろうか。

「喧嘩売ってきたのはそっちだろ? あんまりよそ見してると……次は届くぞ」

 先ほどまでのぼんやりとしたすまし顔とは一転、鋭く冷たい狩人の視線へと変貌した覇切の左眼。

 その射るような視線に桜摩は知れず背筋が震える感覚を覚えていた。

「く、くく……」

 そしてその上で、桜摩は自身の腹の底から込み上げてくる笑いを堪えることができなかった。

 至近距離でぶつけられる抉るような闘争心を前に、湧き上がる狂熱を抑えることができない。

「く、ははっ、ははは! なるほど……なるほどなぁ」

「どうした? 気でも触れたか?」

「ああ、そうだなぁ……そうかも、なぁっ!」

「っ!?」

 そして桜摩はギラリと鋭利な光を放つ刃に怯むことなく、その刀身を思い切り殴り飛ばした。

 両手に痺れが走るほど強烈な一撃を受け止めた覇切が、そのまま後方へと大きく押し戻される。

「悪いな、東雲ぇ……正直、舐めてたぜ」

 そうして意に介した素振りも見せず、平然とした顔で拳を握り直す桜摩。

 覇切の武器である幅広の太刀——蛇之麁正(おろちのあらまさ)は神器であるが故、通常の刀の何倍もの斬れ味を持っている。それこそ業魔だろうと一刀のもとに斬り伏せられる程の威力は備えているはずだが、見れば桜摩の岩石のような拳には傷一つついていない。

(見かけと性格から剛に偏った性質かと思いきや……防御特化か。厄介だな)

 五行万象——堅之象(けんのしょう)。五行万象術十種の技能の一つであり、性質はその名の通り堅牢堅固な防御強化。その特性に極めて飛び抜けた才能を見せる桜摩は、まさしく岩山のような身体を有していると言っていいだろう。巨大な岩壁に小刀を突き立てても、刺さるどころか逆に刀の方が壊れてしまうように、今の桜摩に攻撃を仕掛けることにはそれ相応の危険が伴う。

 先ほど覇切の一閃が与えた傷もよくよく考えてみれば放った力に対して、傷があまりに浅過ぎた。

「何だよてめぇ、強ぇじゃねぇか。その鬼宿等位でどんなからくりかは知らねぇが、あのチビ助が言ってたことも満更ただの贔屓ってわけでもなかったみたいだな」

「それはどうも。それじゃ、わかってもらえたところで終わりにするか?」

「冗談よせよ。ようやく燃えてきたところじゃねぇか、こっからだろ」

 予想はしてたことだが、やはりこれで幕引きというわけにはいかないらしい。

(正直、面倒事はもうこりごりってのもあるんだけど……)

 相手の実力がわかった以上、このままやり合えばお互い無傷で済むことなど有り得ないと理解してしまう。敗ける気など端から頭にはなかったが、昨日の今日でまた大怪我をするなんて事態は避けたいところだし、涅々や向こうでハラハラとこちらを見ている百合にこれ以上心配をかけたくないという思いもある。しかし——

「まぁでも、燃えてきたってのには……同感だな」

 それでもやはり……やられっぱなしというのは、性に合わなかった。

「はぁ……男って馬鹿ばっか」

そんな二人の様子を見て、秋桜が呆れ気味に溜息を零して傍観を決め込もうとするが、百合の方は違ったらしい。

「何言ってるんですか!? 今こそ止める好機ですよ! 手伝ってください!」

「やぁよ、めんどくさい。お互い疲れれば終わるでしょ、たぶん」

「そんな悠長な……どう考えても疲労だけで済む状況じゃないでしょう! 比名菊先輩もどうにかしましょうよ!」

「ですがお二人の友情の育みを邪魔するわけには……」

「それはもういいですから!」

 そうこうしているうちにも対峙する二人の間に広がる熱はぐんぐんと上昇していく。

 その様子に百合は自分一人でも止めに入らなくてはと思ってはいるものの、一人でどうにかできる状況とも思えなかった。故にその一歩が踏み出せぬまま、一瞬一瞬、ただ時間だけが過ぎていく。

 まさに一触即発。覇切と桜摩、二人の一騎討ちが今始まろうと——


 くぅ〜〜きゅるるぅ〜〜〜。


 ——した、その瞬間。そんな、盛大に気の抜ける可愛らしい音がその場に響いた。

 皆の視線が一斉にその音源へと向けられる。

「ちょ……何で皆さんこっちを見てるんですか!? 私じゃないですよ!」

 しかしその視線を一身に受けた百合は、慌てて顔の前で両手を振って否定する。そうなると犯人は——

「……お腹、空きました」

 百合の隣、お腹をさすりながら、困ったような顔で俯いている梗がいた。

「あー、そうねぇ……そういえばもう昼過ぎだもんねぇ」

「そう言われると私も何だかお腹が空いてきましたわ……」

 数拍の静寂の後、今度は女性陣が口々にそんなことを口にし始める。そう言われてしまうと覇切も空腹感が湧いてきたような気がしてくる。

 最早この場に緊迫感など皆無で、頂点を迎えようとしていた熱気もいつの間にか霧散してしまっていた。

 故にどうしようかと思っていたところ、不意に先ほどまで闘争心剥き出しだった桜摩の気配が薄らいだ。

「ちっ……白けたな」

 言いつつ、拳で頬の血を拭うと覇切に背を向け、桜摩はそのまま立ち去ろうとする。

「何だ終わりか?」

 そんな桜摩の様子に覇切もまた刀を納めて問いかけると、彼は立ち止まりひらひらと手を振って、先ほどまでの熱が嘘のように興醒めした様子で半身だけ振り向いた。

「ああ。そんな気分じゃなくなっちまったよ」

「隊長の件はどうする? まだ納得いかないか?」

「あ? あー……そういやそういう名目だったか。別に構わねぇよ。元々俺にゃ向いてねぇし、仮に指名されたところでなる気もなかった。他の奴らが認めてんならそれでいい。つか、てめぇこそウダウダ言ってたじゃねぇか。もういいのかよ?」

「……ま、やるだけやってみるさ」

 覇切の言葉を聞いて「そうかよ」とだけ呟くと、そのまま正門へと向かう桜摩。その背を見送っていると、不意に何かを思い出したように後ろを振り向いた。

「あー、っと……東雲」

「どうした?」

 そうしてがしがしと後ろ頭を掻きながら、しばしその場に立ち止まって、

「——悪かったな。実力、疑ってよ」

 それだけ言い残して、桜摩は今度こそ立ち去った。

「真面目な方、ですわね」

 桜摩を見送っていると、比名菊たちがやってくる。

「どこがよ。ただの喧嘩っ早い不良でしょ」

「そうかもしれませんが、でもご自分なりの矜持を持っていらっしゃいました。それに自らの過ちをしっかりと認めて口に出せる方に悪い方はいませんわ。まぁ、少々不器用が過ぎるかもしれませんが」

 最後に苦笑してみせた比名菊の言葉に「そんなもん?」と、いまだしっくりきていない様子の秋桜だったが、何となく覇切には比名菊の言っていることがわかる気がした。

 実際に拳を交えたからこそ……なんて言えばまた比名菊が目を輝かせそうな気もするが。

「そ、そんなことより! 怪我は大丈夫なんですか!?」

 と、そんな会話をしていると血相を変えた百合が遅れてやってきた。

「ん? ああ、大したことない。合技で防いでたから……それでも少し口の中が切れたけどな」

「本当にどうなることかと思いましたよ……昨日の今日なんですから、あまり心配させないでください」

「何それ、いきなり出てきて恋人気取り? 何かイラッとするわね」

「い、いいいきなり何なんですか! そんなこと思ってません! 私はただ——」

 唐突にぎゃーぎゃーと騒ぎ始める百合と秋桜を苦笑と共に眺めていると、くいっと制服の裾を引っ張られる感覚に気付く。

「ねぇ、おにーさん。梗、お腹、空きました」

「ああ……そうだったな。どうせならこの後みんなで飯でも食いに行くか?」

「それいいですわね! そうと決まれば桜摩君も帰ってしまう前に誘わなくては!」

 そうして、正門を潜ろうとしている桜摩を比名菊が追いかけていく。

 百合に秋桜に梗に比名菊、そして桜摩と昨日から今日だけで様々な人と関わった。しかもこれからは彼らと共に生活していくことになるというのだから、今まで殆ど他者と関わりを持っていなかった自分からしてみればいまいち現実感が湧かない。

 そう考えた時、こんな風に賑やかな空気自体久しく感じていなかったことを思い出す。

 そして同時に、嫌いじゃないと……心が温かくなるような感覚を胸の内に覚えた時、そっと手を握られる感触に気付く。

「おにーさん」

「ん? どうした?」

「楽しい?」

「——」

 こちらを見上げる梗の口から発せられた何気ないその一言に、一瞬言葉に詰まって思わずその眼をまじまじと見つめ返してしまう。

「……?」

 覇切のどこか切迫した様子に首を傾げる梗。妖しい光を放つ左右異色の赤と金の瞳には、純真無垢な興味と疑問の色しか浮かんでいない。

「……ああ、楽しいよ」

 数拍遅れて、喉奥からしぼり出すようにその言葉を零し、梗の頭にぽんと手を置く。

(一瞬だけ……)

 一瞬だけ、梗の姿がいつかの八恵と重なってしまった。

(節操ないな、俺も)

 百合にしろ梗にしろ、日常のどこかにいつも妹の影を追い続けている。そしてその度に……責められているような気分になる。

 先の梗の言葉に他意などない。そんなことはわかっているはずなのに、八恵はそんなこと言わないとわかっているはずなのに、後ろめたい気分になってしまうのだ。


 ——兄様は、楽しい? そこに八恵がいない生活は、楽しいの?


「どしたの? 覇切」

「……え?」

 終わらない負の感情の螺旋に飲み込まれそうになったところで、秋桜に顔を覗き込まれハッとなる。

「顔色悪いわよ。だいじょぶ?」

「や、やっぱりどこか変なところを打ってしまっていたんですか?」

「ああ、いや……」

 秋桜と百合の二人に心配そうに見つめられ、頭を振って暗い考えを振り払う。

「何でもない。腹が減りすぎて死にそうになってただけだ」

「あんたどんだけよ。心配して損したわ」

「まったくですよ……でも、それならさっさと行きましょう。私ももうお腹ぺこぺこです」

「早く、行こ?」

 急かす梗に手を引っ張られながら、四人揃って先に出た比名菊たちを後を追っていく。

 心の奥底でいまだ鬱屈とした感情が渦巻いているのを感じながらも、それでも今この瞬間だけは、湧き上がるこの温かな気持ちに浸っていたいと、覇切はそう思うのだった。



これにて主要キャラが揃いました。結構いいチームだと個人的には思っています。次回からは新展開というか本展開に入りますのでお楽しみに!

次回更新は1/28です! それでは今回も読んでくださりありがとうございました。

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