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魔王降臨

 ミュイシャの家から帰ってきたシルヴィアは家の中をひっくり返して、書物や日記やらをあさった。

 ミュイシャや商家の奥さんに書物を借りて読んでいたシルヴィアは、文字を書くことは苦手だが、読むのは得意だった。

 大抵は恋物語ばかりだったが、古い書物や日記も読もうと思えば読めないことはない。

 あの地下室の鏡について記した本を探していたら、母方の曾祖父が書いたであろう手記が残っていた。

 古めかしい書体と興味のない文面に目が滑りつつも、流し読みしているとシルヴィアはそれらしき部分を見つける。

 なんでも曾祖父が子供のころ、人間と魔族の大きな戦争があったらしい。

 街が焼け、帰るべき家も家族も失った曽祖父は、救いを求めて世界を旅した。

 彼が旅の途中で見つけた鏡が、地下にある姿見だったというわけだ。

 あの鏡は願いをかなえてくれる鏡らしく、とある条件を満たせば望むものを与えてくれるとのことだが、それ以上の詳しいことは書かれていなかった。

 曾祖父はあの鏡をついぞ使わなかったようだ。

 折角見つけた手掛かりだったが、結局役には立たなかった。

 手記を閉じるとシルヴィアの足は自然と地下室へ向かう。

 そして鏡に被せられた布を取り払って、固い鏡面に指を伸ばすのだった。

 こん、と硬質な音がして指は弾かれる。

 ――やっぱり、駄目かあ。

 シルヴィアは大きくため息を吐いた。

 さて、書物を探すことに時間を費やしたので、魔王復活まで残すところあと僅か。

 まだ慌てるような時間ではないと思いたい。

 彼女はゆっくりと地下室の階段を上がると、おもむろに石釜の横に立てかけてある火かき棒を手に取った。

 うん。手になじむ。

 ぶん、ぶん、と何度か素振りして彼女は店の扉の前に立つ。

 どうせ逃げる場所なんてない。

 魔王は無理だけど、襲って来るであろう魔物たちからせめて、この店だけは守ろう。

 両親がいつでも帰ってこれるように。

 店が無くなれば家族ももう戻ってこないような気がして、シルヴィアの胸がちくりと痛んだ。

 ゴオォォ――ン、ゴオォォ――ン、と城の鐘が鳴る。

 町中に響く、重々しい鐘の音にシルヴィアの全身に鳥肌が立った。

 強い風が通りを吹き抜け、表の扉が震えて軋む。

 激しく揺れる木の扉は風に揺れているだけではないようだ。

 入り口の扉の隙間から黒い影が見えて、シルヴィアは火かき棒を振り上げる。

 扉が開くに従って、周りの空気が蜃気楼のように揺らいだ。

 背筋が震えるくらいの威圧感、黒いフードの奥に見える鋭い眼光。

 こ、こ、これって……魔獣じゃなくてまさかの魔王じゃないの?!

 どうしてパン屋に魔王が降臨するのよう!!

 扉を強引に突き破って入ってきた黒いフードの侵入者めがけてシルヴィアは全身全霊で武器を振り下ろした。

 が、手ごたえがない。恐る恐る目を開けるシルヴィアだったが、その目に映ったものに彼女は腰を抜かしそうになる。


 「随分熱烈な歓迎だな。っと、大丈夫か? 怪我したら危ないから、こいつは没収だ」


 黒いフードがふわりと地面に落ちる。

 そのまま地面にへたり込みそうになるシルヴィアを支えて、火かき棒を取り上げた男は、ここにいるはずのない男だった。

 長く伸びていた髭は綺麗に剃られ、髪も短く整えられているので別人に見えたが、彼は間違いなく、ローシェルだ。

 簡素な白いシャツと黒いトラウザーズが良く似合う美丈夫と言った風情で、シルヴィアは口をぽかんと開いたまま、しばし見惚れてしまう。


 「お前の両親らしき人物も発見したから、ついでに連れてきた。ああ、そうそう、人間の国では今日が復活の日とされていたらしいが、元魔王は月が一つ流れる前、とうに復活していてな。復活はしたが世界を滅ぼすつもりはないので安心して欲しい。その内、魔族側から通達が行くだろうが、魔獣の暴走と私の復活は無関係だ。無関係ではあるが、昔、多くの人間や魔族に迷惑をかけたため、当面は暴走する魔獣を狩って事態の鎮静化に努めるつもりだが……シルヴィア? 聞いているのか?」


 「だって……あれは、別の世界のことじゃなかったの?」

 

 「その解釈は半分正しい。お前は別の空間に封じ込められていた私の元へ来て、封印が解けた後この地に共に戻った。まぁ私も魔族領のはずれであのパンを食べるまで、気がつかなかったが」

 

 「パン?」


 「あの薬草パンだ。魔族領の国境付近にいつから住み着いたのか人間の夫婦が居てな。狂った魔獣を討伐すれば代わりにパンをくれる珍しいパン屋として、あまりに自然と馴染んでいるから領内でも話題になっていたらしい。草を練りこんだ塩気の強いパンが癖になるという話を聞きつけて訪れたというわけだ」


 そこで話を切ってローシェルが扉の向こうに合図を送ると、そろそろと扉の向こう側からこちらを伺うようにシルヴィアの両親が現れた。

 両親は彼女よりも先に曾祖父の手記を読み、地下倉庫から鏡を探し出してくぐったらしい。

 魔族と国交を断絶して数百年。

 魔族の土地をその目で見た人間はもう生きていない。

 シルヴィアたちは幼い頃から、魔族も人間も変わらないものとして互いを尊重し、国境を侵すことに無いように言い含められてきた。

 鏡を越えた後、角が生えた獣やら人やらが溢れている景色に、異なる世界に送られてしまったと勘違いした両親は、まず生活の基盤を整えることにしたそうだ。

 そうしているうちに、人語を解する獣や少し変わった形の人間(実は魔族だった)と交流ができ、評判を聞き付けたローシェルが彼らを発見することになったとのことである。

 ローシェルは両親が鏡を越えた時に居合わせなかったので、せめて人間の領土に送ってあげようと話を聞いてみたところシルヴィアの両親であることが判明。

 こんな偶然があるものか! と詳しく調べているうちに、シルヴィアのいる場所とローシェルのいる場所は時間がねじれているだけで、同じ世界だとわかったらしい。

 あの荒野の空間から脱出した時、シルヴィアとローシェルは今より少し過去の時間に跳び、シルヴィアだけが鏡を越えて元の時間に戻ってきた。

 シルヴィアの感覚では彼と別れて2日だが、ローシェルはシルヴィアと別れて月が一つ流れているという。


 「なんだかよくわからないけど、二人が無事でよかった。ありがとう、ローシェル」


 複雑な時間の流れに考えることをあきらめて、シルヴィアが顔を上げると母の大きな体が彼女をぎゅっと抱きしめた。


 「ごめんねえ、一人にして。寂しかったでしょうにね。えらいわ」


 柔らかい母の声と体に埋もれるようにしてシルヴィアは瞳を閉じる。

 いつだって母はお日様のように暖かい香りがした。

 久しぶりに母に抱きついて甘えていたシルヴィアだったが、はっと顔を上げると父親の姿が見えないことに気が付く。


 「諦めなさいな。あの人は、ああいう人だからねえ」

 

 しょうのない人と困ったように笑う母親を尻目に、シルヴィアは駆けだした。

 一目散に裏庭の家庭菜園に向かう。

 ザッと土煙を上げながら登場した娘に父親は目を丸くしたが、地面から立ち上がると彼女の頭をぽんぽんと軽くなでた。


 「ありがとう、シルヴィア。この子たちの面倒見てくれてたんだね」


 「……だって、枯らしたりしたら怒るでしょ」


 「可愛い娘を怒ったりなんてしないよ。シルヴィアもこの子たちも元気だと倍嬉しいけれどね」


 にこにこと野菜と娘を見比べて笑顔を浮かべる父にシルヴィアは口をつぐんだ。

 この野菜馬鹿! 二人して私を置いていくなんて、本当にふざけんな! 次は私も連れて行ってよね!

 シルヴィアの頭の中に沢山の言葉が浮かんでは消えてゆく。


 「お父さんが、無事でよかった。……もう、置いて行かないでよね」


 震える声で絞り出すように呟かれた言葉に、父親は小さく苦笑した。


 「父親としてはなぁ。娘を未知の世界になんか連れて行きたくはないんだけど、そうだよなぁ、一人ぼっちは寂しいもんな。次があればシルヴィアも連れて行くと約束するよ」


 「絶対だからね」


 「うん、分かっているよ。お父さんは頼りないかもしれないけれど、約束を破ったことはないんだ」


 念押しをするシルヴィアに胸を張る父親、妙に子供っぽい動作にシルヴィアは堪え切れず笑いだし、つられて父親も声をあげて笑った。

 ひとしきり笑った後、父親は妙にまじめくさった顔でシルヴィアの目を見つめる。


 「これでも、父親だからね。聞くべきことは聞かねばならない。シルヴィア、あの男性とはどう言った関係なんだい? 彼から、事の成り行きについては聞いているけど、おまえはどう思っているのかな」


 「どうって……うーん、しばらく野外での生活を共にした仲間、のような?」


 「では、好いているわけではないんだね」


 「すっ?! え、え、ええと……どうかな。ローシェルはちょっと強面だけど、とても優しくて頼りになるし、言ってることが偶にわからないくらい頭も良い人だと思う。でも、彼は……どうだろう」


 「ローシェル君がどう思っているかは、直接本人に聞いておいで。魔族と人間と言うのは昔ほど風当たりも強くないし、本人たち望むのなら僕は一人の親として応援するよ」


 ほらほら、と裏庭から追い出されて、シルヴィアは足を引きずるようにして調理場へと向かった。


 「イリーナさんなら、地下室へ掃除道具を取りに向かったが……呼んでこよう」


 もの珍しそうに調理室を眺めているローシェルは彼女の姿を見るなり、そういった。

 シルヴィアはちょっとむっとして、地下室に向かおうとした彼の服の裾を引く。


 「ん? どうした。シルヴィアはあの地下室が苦手なのだろう? ここで待っていると良い」


 厳しげなきつい瞳が、シルヴィアを映した途端、眉尻を落して緩む。

 声も彼女を気遣うように柔らかかった。

 かあっと血が上り、心臓が痛いほどに高鳴る。

 この瞳が映す女性は自分だけであって欲しいと、柔らかな声が囁くのは自分だけであって欲しいと、シルヴィアは心臓を掴む様に服をぐっと握りしめた。


 「ローシェル、わたし、あなたが好き。どうしようもなく、好きなの」

 

 落ちゆく太陽に良く似た瞳を潤ませて、叶わぬ恋を告白するように震えるシルヴィアの手を取ると、ローシェルはその手を掲げる様にして膝を折る。


 「あの時あの地にお前が現れなければ、私はこの世界が終るまで荒野を彷徨うか、自らの命と引き換えに空間ごと世界の崩壊を試みたことだろう。これが世界の崩壊を防ぐために仕組まれた、抑止の力だとしてもかまわない。シルヴィア、私の救い人。どうか、この命尽きるまでと共に在ることを許してほしい」


 懇願するような言葉に驚きつつ、シルヴィアも膝をつくとローシェルの目を見て微笑んだ。


 「よくしのちから? なんて難しいことは分からないけれど、これからもずっと一緒に居れるならなんだって構わない。不束者だけど、よろしくね」


 「……そうだな。お前はいつだって、大事なことを知っている。私も長きに渡りこの世を離れていたため、至らぬことも多いと思うが、変わらぬ愛を示し、良き夫となるよう努めることを誓おう」


 誠意を示そうとしてか、ローシェルの真面目くさった誓いの言葉にシルヴィアは花がほころぶようにくすりと笑った。


 「なんだか、結婚式みたい」


 「それはご両親の許可を得てからだな。世界で一番美しい花嫁を迎えるその瞬間が、今から楽しみでならない。愛しているよ、シルヴィア」


 真っ赤な顔で黙り込むシルヴィアの頬に、口づけて、ローシェルは彼女を横抱きにすると早速両親に許可をもらいに向かったのだった。


 魔王が復活して世界が滅ぶまで後3日、そういわれていたが、想定よりもずっと早く復活した上に世界は滅びなかった。

 世界の多くの人々は封じられていた魔王の復活も、復活した魔王が狂った獣を討伐していることも知らない。

 その昔、歴代一の力と残虐さゆえに家臣にさえ恐れられ、閉じた荒野に封印された魔王は、いつしかその功績故に勇者と呼ばれるようになった。

 勇者ローシェルが愛したのはお姫様ではなく、町のパン屋の娘だったけれど、史上最強の元魔王な勇者とその嫁の愛あふれる生活に水をさせる猛者はおらず、彼らは末永く幸せに暮らしたのだった。

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